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  • 危険はどんなところに潜んでいるか
    目ざめよ! 1976 | 3月8日
    • 危険はどんなところに潜んでいるか

      今日,自分の住む地域社会が戦場のようだと感じる人は少なくありません。そうした人々は,犯罪が非常に多くなっているため,外出する際に大きな不安を感じます。

      最近のギャラップ世論調査によると,米国人の45%は,夜になると怖くて自分の家の近所も歩けないと答えました。また大きな都市では,四人の婦人のうち三人までが,日が暮れると怖くて外出できないと答えました。すべての社会問題の中で,米国人が真っ先に挙げるのは,失業問題や物価高などではなく,犯罪です。それには理由がありますか。

      マサチューセッツ工科大学で行なわれた研究は,もっともな理由のあることを示しています。その研究は,米国内の都市で殺される人の数が非常な勢いで増加しているため,「米国の都会で1974年中に生まれてきた男子のうち殺人によって殺される者の率は,第二次世界大戦に従軍した米兵で戦死した者の率を上回る」ことを明らかにしています。信じ難いようですが,事態はそれほど深刻なのです。

      一昨年,米国では2万500人が殺人に遭いましたが,その数字はわずか九年前の1965年に殺人に遭った人の数の二倍に当たります。このままの増加率でゆくと,1980年代の初めには毎年4万人以上が殺人に遭うことになります。ですから,1980年代になれば,米国での殺人の犠牲者数が第二次世界大戦中の米兵の戦死者数29万2,131人を超えるまでにはあと六,七年しかかからないことになります。

      疑問の余地はありません。犯罪は人の命を現実に脅かしており,その脅威は増大しています。

      あらゆる犯罪の世界的な増加

      しかし,殺される危険があるだけでなく,強姦,暴行,強盗,あるいは盗みなどに遭う危険もあります。こうした犯罪すべては,殺人よりも高い率で増えているのです。

      1974年の米国の犯罪件数は,1973年の17%増という驚くべき数字になりました。これは,それまで最大の増加率でした。ところが,1975年の第一四半期には,前年の同期と比べて,犯罪件数が18%も増加したのです。米国のリーバイ司法長官はこの増加を評して,「我々が異常なこととは感じなくなった,人生の恐るべき現実」と呼びました。

      最も危険なのは大都市であるとはいえ,最近では郊外や田舎の方が犯罪の著しい増加を示しています。1974年における近郊での犯罪の増加率は20%で,田舎の場合は21%でした。その上,1975年の最初の三か月間に,人口1万人から2万5,000人の都市では,強盗だけでも,驚くなかれ53%も増加しました。

      1974年には一千万件以上の犯罪が警察に通報されましたが,1975年にはその数字は千二百万件近くになるであろうと思われます。しかしそれは,まさに氷山の一角にすぎません。国勢調査局の一調査は,犯罪三件のうち二件ほどは通報されないという点を示しています。なぜ通報されないのですか。それは主に,通報したところでどうにもならないと被害者が考えているからです。

      国勢調査局の調査の衝撃的な結論は,米国では,一年間に,通報される数の三倍以上に当たる3,700万件もの犯罪が発生している,ということです。これは,毎分70件,つまり一秒に一件以上の割合で,殺人,強姦,暴行,あるいは各種の盗みが起きているということです。

      同様に,押し寄せる犯罪の波を経験している国は,次から次へと増えています。ガーディアン紙は,イタリアの実情についてこう伝えています。「家族の中に強盗や強奪の被害者になった者が一人もいないと言える人は,ローマ市内にはいないようである」。

      フランスのオーロール紙は次のように述べています。「当地の風潮はもはや昔のままではない。まともな人々なら,夜間,くつろいだ気分で地下鉄には乗れない。彼らは急ぎ足で歩く……道を歩きながらも,時々後ろを振り返る人が多くなった」。

      保護 ― 今日切望されるもの

      身の安全,そして自分の所有物の安全を図ることが,人々の主な関心事になりました。ニューヨーク市の一商人の次の言葉は,その点をよく表わしています。「わたしが30年前に商売を始めた時には,もうけのことしか心配しなかった。ところが今では,強奪されたり命を失ったりせず無事に一日を終えられるだろうか,というのが主な心配になっている」。

      ケンタッキー州ルーイビルのあるレストラン経営者は,六か月間に三回強盗に襲われ,武装ガードマンを雇わざるを得なくなりました。「結局,身を守るためには金を使わねばならない」とその人は説明しています。一般市民も,私設ガードマンを雇ったり,あらゆる種類の安全装置を購入したりして,同様の手段を講じています。

      その一つの現われは,盗難警報器産業のブームです。五年前には米国内でわずか千社しかなかった防護装置の製造業者が,六千社ほどになっていると伝えられています。その年間売上げ高は,10億㌦(約3,000億円)を超えると推定されます。

      さながらとりでのように見える家は少なくありません。窓には鉄格子がはめられ,スポットライトが敷地内を照らしている家もあります。デトロイト市の一未亡人はこう説明しています。「わたしは家に鉄格子を取り付けました。最初は少し閉じ込められているような気がしましたが,すぐに慣れました」。そうした代償を喜んで払おうとする人はますます増えています。

      それでもなお,家を空けることを恐れる人は少なくありません。カリフォルニア州に住む一人の人はこう述べています。「この町(人口2万5,000人)では,自分の家をあえて長い間留守にする人はいません。だれかが家の中の物をすっかり盗まれてしまうことなしに終わる日はありません」。ですから,都市によっては,人々が休暇で家を留守にする際,家を見張ってくれる“留守番”を雇うような所もあります。

      大抵の場合,犯罪が発生しそうな場所はだれでも分かるものですが,しかし必ずしもそうであるとは限りません。

      思いがけない危険の源

      例えば,殺人の大半は,強盗や泥棒のような“犯罪分子”によって行なわれるのではありません。むしろ,被害者の三分の一は犯人の身内の者ですし,さらに三分の一は友人や知人によって殺されています。つまり,見知らぬ人に殺されるのは犠牲者の三分の一にすぎないということになります。

      一般的に言って殺人は,クリスマスのような休暇期間中によく起こります。また,フィラデルフィアで起きた588件の殺人事件を調査した社会学者マーチン・ウォルフガングは,犠牲者の約三分の二は週末に殺されたという点を明らかにしました。これについて,「現代心理学」誌は,次のように述べています。「人々がくつろいでいる時に殺されても驚くには当たらない。結局,我々を殺す者となる可能性の一番高い人々,つまり親族,友人,飲み友だちなどと一緒にいるのは,くつろいでいる時だからである」。この点に気付いておられましたか。

      犯罪を犯す大半の人がだれであるかを知ると驚かされます。それは若者です。一昨年,米国で起きた凶悪な犯罪,つまり殺人,強姦,強盗などの半数近く(45%)は,18歳未満の若者によるものでした。15歳以下の子供が,25歳以上の大人よりも多くの犯罪を引き起こしています。

      年配の犯罪者でさえ,若者を恐れています。シカゴのある追いはぎはこう述べています。「今時の若い犯罪者ときたら,病気としか言いようがない。自分たちのすることに何の動機も持っていないのだから」。また,四年間に六回追いはぎに襲われたあるニューヨーク市民はこう警告しています。「子供たちに注意したほうがよい。危険なのは子供たちだ」。

      従業員の盗みなどホワイトカラー族による犯罪は,表面には出ませんが,一般の犯罪以上にわたしたちを経済的に苦しめています。著名な事業犯罪問題の専門家ノーマン・ジャスパンは,それが「品物の価格やサービス料金を15%まで引き上げている」と述べています。しかし,それに加えて,犯罪組織に支払わされている代価があります。ニューヨークの特別検察官モーリス・ナジャリは,「我々が使うお金の23%は犯罪組織の手に落ちる」と語りました。

      そうです,犯罪はわたしたちの身の安全を脅かすだけでなく,見境なく経済的な損失を被らせているのです。ところが,ボストン市警察部長ロバート・J・ディグラジアは最近,次のようなことを認めました。「我々には,犯罪を除去したり,減少させたりする力がない。それは我々の手に負えないことなのだ」。

      犯罪との戦いにおいて,警察官がそのように途方に暮れているのはなぜですか。大都市の警察官の語る次の経験は,問題を見極めるのに役立つでしょう。

  • 犯罪との戦いが不利になっているのはなぜか
    目ざめよ! 1976 | 3月8日
    • 犯罪との戦いが不利になっているのはなぜか

      あるベテラン警官の語るところをお聞きください

      ニューヨーク市ほど犯罪の多い都市はありません。最近の一年間にそこで殺された人の数 ― 1,669人 ― は,ほとんど七年にわたる北アイルランドの内乱で死んだ人の数よりも多いのです!

      ニューヨーク市警察の警官になって十四年あまり,わたしはこの犯罪を食い止めるためのあらゆる種類の努力が失敗しているのを見てきました。ニューヨーク州特別検察官モーリス・ナジャリのことばは真実を言いあてたものです。「人々を犯罪から守ることは,もはや我々の力には及ばない」。

      殺されたり,襲われたり,暴行されたり,強奪されたりするニューヨーク市民は毎日何百人もいます。―重大犯罪の届け出はほとんど一分間に一件の割合です。1975年初めの月々における犯罪の増加を1974年の同じ時期と比べて報道したニューヨーク・タイムズ紙は次の見出しを掲げています。「当市における重大犯罪,21.3%の増加」。ニューヨーク市の多くの場所で市民が外出を恐れるのも不思議ではありません。人々は事実上,自分の家に閉じ込められているのです。

      警察の責任?

      恐れと怒りで ― それも無理からぬことですが ― 人々は多くの場合,警察を責めます。その人々に言わせれば警察は犯罪を解決するにはあまりにも愚鈍であり,そうでなければあまりにも怠慢です。映画サーピコから受けるような印象が一般的になって,人々は警官がいつも不法なわいろを受け取っていると考えています。警官はいばっている,自分は偉いから法律を守らなくてもよいというような態度をしている,法律の行なわれるようにするのが仕事であるのに,警官が法律を守らないのはその証拠であると,多くの人は言います。警官は公衆に対して無感覚であり,容疑者の扱い方が残酷であるといった非難も聞かれます。

      このような非難のあるものは一面の真理を含んでいるかもしれませんが,一般にそれは間違った印象を与えているとわたしは思います。警察の仕事は世間から誤解されやすい性質のものなのです。それでわたしたちの側の言い分を聞かずに判断を下すのは公平ではありません。それを聞くことによって,犯罪増加の理由を見抜き,警察がさまざまの圧迫やざ折に耐えていることを理解されるものと思います。

      警察に対する現実的な見方

      ある人々の言い分によると,犯罪が栄えるおもな理由は警察の腐敗です。その証拠として引き合いに出されるのが,“紛失物”の財布を警官に渡して届け出を頼んだら,ニューヨーク市の警官五十一人のうち,十五人が中味の金を着服したという報告です。(1973年11月17日付ニューヨーク・タイムズ紙)しかしこれを他との正しいつり合いで見てごらんなさい。

      無差別に選んだニューヨーク市民を対象に同様なテストをのちほど行なったところ,五十人のうち四十二人が不正にも金を自分のものにしたことをご存じでしたか。それでかなりの程度まで,警官は彼らもその一部である社会の標準を反映しているに過ぎないと言えるのではありませんか。わいろについて言えば,それを警官に提供するのは世間の人々ではないでしょうか。

      わたしは警官の不正を正当化しようとしているのではありません。しかし物事を全体的に見るのは良いことです。一部に腐敗の存在することに疑いの余地はありません。しかし実際にわたしたち警官は犯罪の防止に大きく役立っていませんか。警官の姿が見えると,人々はいっそうよく法律に従うのが普通の傾向ではありませんか。

      1969年にカナダのモントリオールで3,700人の警官がストをした時の事を思い起こしてください。町は「無政府状態寸前にある」と政府首脳が発言するほどに犯罪は増加しました。本当に,これがニューヨークならば事態はさらに深刻でしょう。警官が勤務についていなければ,ニューヨーク市民はバリケードを築いて家に閉じこもる事態になりかねません。市内での生活は不可能になるでしょう。

      警官の経験する事柄

      犯罪と戦う警官がしばしば味わうざ折感の例として,次の事をお話ししましょう。わたしの同僚は最近,集合住宅の屋上で性行為にふけっていた十二歳と十三歳の子供を補導しました。少女を両親のもとに連れて行くと,母親は余計なお世話だと言わんばかりに彼にこう告げました,「彼女はもう大人です。好きな時に何時でもそれをしてかまいません」。このような経験をする時,警官は自分の無力を感じます。何でもまかり通る,現代社会のこの大目に見る態度が犯罪を増加させているとわたしは思います。

      貧民街の人々は自分たちを踏みつけてどん底の境遇に陥れている社会の上層部の代表として警官を見ます。それでこのような地域においてわたしたちは人々から頼りにされるよりも敵と見られることが少なくありません。例えば,麻薬密売者の逮捕に向かうと,近所の人々は密売者の加勢をして警官に敵対します。警察を敵視する態度も犯罪増加の一因であると思います。

      ブルックリンのベドフォードスタイベサント地区でこんな出来事がありました。二人の男が車を盗んで逃げ出したのです。わたしたちは追跡し,彼らは衝突して車を壊しました。わたしたちは二人を追い,ピストルを抜いて壁ぎわに追い詰めました。ところがいつの間にか集まってきた群衆が不穏な空気をかもしはじめたのです。全くのところ,応援にかけつけたパトカーのサイレンの音ほどわたしの耳にうれしく響いたメロディーはありません。

      『このような事態に直面した人でなければ,その時の何とも言えない恐怖感は理解できないでしょう。批判する人々には,警官がやたらと武器を使う,不必要に力に訴えると言って非難する傾向のあることをわたしも知っています。しかし安全な場所にいて批判するのは容易です。武装した犯人に立ち向かう身になれば,批判する人も考えが変わるでしょう。

      事態は容易ならぬものです。毎月ほとんど一人の警官が市内で殺されています。犯罪の件数は信じられないほどです。同僚の警官が先日語ったところによると,一台のパトカーは一回の乗務の間に五件の強盗事件にぶつかりました。いちばん多いのがドラッグストア強盗です。

      殺人でさえ,ありきたりの事件になりました。そして警察も殺人事件に少なからず無感覚になっています。犯罪の多いブラウンズビルの第73管区で勤務しているジョン・フロレスの話はその実情を物語っています。パトロール勤務中のある時,彼はサンドイッチを食べながら,殺人事件の被害者の血を手から洗い落としていなかったことに気がつきました。

      それらの地区では人々も無感覚になっています。夫が妻を殺した事件がありました。この夫婦には十二人の子供がいましたが,その多くは現場検証の行なわれている間,何事もなかったかのように家の周りで鬼ごっこをして遊んでいました。

      しかし犯罪との戦いにおいてこのように形勢が不利なのはなぜですか。警官の養成や訓練に欠陥があるのですか。

      犯罪との戦いに備える

      わたしがニューヨーク警察学校で訓練を受けたのは1961年,わたしが二十四歳の時でした。身体面の訓練には柔軟体操,柔道,武器の使用法が含まれていました。教室では各犯罪の要因,また人を逮捕するにはどれだけのことが関係しているかを調べました。「あなたを逮捕します」と言うだけで事が済むわけではありません。わたしは人が拘引されてからどうなるか,指紋や写真がとられるほか,公判に備えて何が行なわれるかを学びました。また逮捕が法廷での起訴につながるには,どんなタイプの証拠が必要かも学びました。

      約五か月で卒業すると,わたしはブルックリン,バロウパークの第66管区に配属されました。そこで受け持ちの区域を巡回し,時にはパトカーに乗務しました。人々の問題を聞いてその解決を助け,また応急手当その他の援助をするのは満足を与える仕事です。

      しかし交通違反の呼び出し状を与えることは,苦手でした。呼び出し状をもらった人はしょげかえってしまうからです。そうしているうちに月末が来てしまい,わたしは期待されているだけの枚数の切符を出していない仕儀となります。そうなると,完全停止を怠ったとか,信号の変わろうとする時に走り抜けたとか,いわゆる“すれすれの違反”に対して呼び出し状を与えることが必要になります。それはとてもいやな気持ちでした。

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