-
この世界はこれから先どうなるか目ざめよ! 1981 | 8月8日
-
-
この世界はこれから先どうなるか
講演者はロサンゼルス警察の高官でした。その人は,「昔は人が人を殺す場合,理由があったものです」と語り,さらにこう述べました。「今日では理由のない殺人の方が多くなっています。スリルのための殺人です」。
米国を横切って反対側にあるニューヨーク市の警視総監も同じような点を指摘しています。「近ごろの子供で35.7口径のけん銃を持っているような者は,ほかの子供や老婦人から42㌣を巻き上げて,相手の子供の顔つきが気に入らないとか老婦人の涙が気に入らないという理由で,その人を殺し,逮捕されてもにやにや笑っている。……そんな行為を理解できる人間はいない。全く恐ろしいことだ」。
理由のない殺人,戦争,人を人質に取ること,暴力などがすべて今日の世界で一般化してきており,恐れにおののく市民や被害者たちは,『この世界はこれから先どうなるか』と尋ねずにはいられなくなっています。
前述のロサンゼルス警察の当局者には持論があって,聴衆に次のような点を指摘しました。「一つの社会が存在してゆくには,ある水準の道徳を保っていかねばならないことを歴史は示しています。しかし,わたしたちはその水準を下回る所にまで達したように思えます」。
鈍感になってゆく
この警察当局者は事態をおおげさに述べているのだ,と主張する人もいるでしょう。実際には,これまでと比べてそれほど悪くはなっていないと言うのです。そうした意見は正しいでしょうか。それとも衝撃的な見出しを絶えず見ているために,無感覚になってしまっただけのことでしょうか。
ニューヨーク市の学校の教師に起きている事柄を考えてみましょう。「ニューヨーク市の公立学校の教師に対する犯罪はごく一般的なものになっているため,教師の多くはそうしたものがあってももはや衝撃を受けることはない」と最近ニューヨーク・タイムズ紙は述べました。様々な機会にこづかれ,脅され,ののしられ,強奪に遭った一教師の言葉が引き合いに出されていましたが,その教師は,「鈍感になって,自分の視野を狭くしなければだめです」と述べています。
世界の状態が悪化するにつれて,人々は一般に『鈍感になってゆき』,つり合いのとれた物の見方を失ってきているのでしょうか。
結局のところ,わたしたちの大半は毎日の新聞で戦争や残虐行為,社会情勢の悪化などについて読みながら育ってきました。それ以外のことを本当に知っているわけではありません。しかし,年配の人々の中には今でも別の時代のことを覚えている人がいます。
「そのすべてが終わった」
最近行なわれた講演の中で,英国の元首相ハロルド・マクミランは,自分の若かりしころの世界を回想しました。ビクトリア女王の時代に,人々は「自動的な進歩」を期待しており,「何事も向上の一途をたどるものと思われた」と元首相は語りました。ところが,「1914年のある朝,突然,思い掛けずにそのすべてが終わった」のです。
一般市民も同じような観察をしています。1899年生まれのアメリカ人,ジョージ・ハナンは次のような点を指摘しています。「だれも第一次世界大戦を予期してはいませんでした。それは大きな衝撃でした。人々は世界が高度に文明化したので,もはや戦争などないであろうと言っていました。ところが,何もない所から青天のへきれきのように世界大戦が起こったのです」。
興味深いことに,1914年によく売れていた本は,ノーマン・エンジェルの「大いなる幻想」でした。戦争は国際経済に大打撃を与えるので,戦争など考えられないというのがその本の主旨でした。
第一次世界大戦が勃発した時,エワート・チティーは16歳で,英国にいました。チティーは思い出をこう語っています。「1914年以前の世界は異なっていました。今日には見られない安心感が全般的に行き渡っていました。安全であって当たり前と見られていました」。今日,安全を当たり前と見ている人がどれほどいるでしょうか。
当年90歳になるマックスウェル・フレンドはこう語っています。「第一次世界大戦が始まった時,私はオーストリアのウィーンにいました。この戦争で人々は変わりました。人々は非常に愛国的になり,国家主義的になりました。無感覚になった人も少なくありません。ロシア軍に追われて東方からウィーンへ流れ込んで来た難民たちのことを覚えています。彼らは何もかも,涙さえ失っていました。さんざん泣いて涙がかれてしまっていたのです」。
戦争と宗教
人類史上類例のない第一次世界大戦を生き残った人々に,どれほどの傷跡が残ったか想像してみるとよいでしょう。ワールドブック百科事典はこう述べています。「歴史上初めてのこととして,第一次世界大戦中に人類は総力戦というものを知るようになった。交戦国の住民すべてが戦争遂行のために働いた。幾百幾千万もの男女子供が殺された」。
当時ロンドンにいたエワート・チティーは,「英国は搾り取られるだけ搾り取られました」と述べています。オーストリアでは「国中が血と涙で満たされました」とマックスウェル・フレンドは語っています。生き残った人々はどんな影響を受けたでしょうか。
エワート・チティーは当時のことを次のように思い起こしています。「第一次世界大戦中に多くの兵士たちは僧職者たちの偽善を目の当たりにしたのだと思います。その結果,彼らは変わりました。その多くは宗教に対する敬意を失いました。中には,神に全く背を向けてしまった人もいました」。そしてこう付け加えています。「私の少年時代には,人々は全般的に神の言葉聖書に関心を抱いていました。聖書は人々の敬意を受けていました。それについてどんな人にでも話すことができました。大戦後,そうした状況に変化が生じるようになりました。今日,人々は聖書のことなど全く忘れてしまったかのように思えます」。
78歳になるジョン・ブースは,米国でも幾らか似たような事柄が生じたことを思い起こしています。ブースはこう語っています。「諸教会は戦争遂行に深くかかわるようになりました。説教者たちはいずれもドイツ人の残虐行為について語り,『民主主義にとって安全な世界を造り出すために』戦争は必要であると説教したものです。
「父は田舎の小さな教会の下男でしたが,そうした愛国的な熱情のすべてにいつも頭を悩ませていました。近くの教会の説教者が戦争についての説教をしようとしなかったために辞めさせられたことを聞いて,父ががっかりしていたのを覚えています」。
世界中の正直な心の持ち主は同様の観察をしています。そうした世界的な戦争はどんな結果をもたらしましたか。「1914年から1918年までの戦争は,ヨーロッパがその文明の価値について抱いていた自信,それも衰えつつあった自信を粉砕してしまった。それはキリスト教の国々の間で行なわれた戦争だったために,世界的な規模でキリスト教を弱体化させるものであった」― ブリタニカ百科事典。
キリスト教それともキリスト教世界?
実は,第一次世界大戦の勃発はすべての人に衝撃を与えたわけではありません。幾年にもわたって,熱心なクリスチャンから成る小さなグループは,1914年に世界を揺るがす出来事が起こることを予告していました。そのグループは国際聖書研究者と呼ばれ,今日ではエホバの証人として知られています。
ジョージ・ハナンは当時のことを思い起こしてこう語っています。「聖書研究者は1914年に関するその見解のゆえに非常によく知られていました。そして,同年の前半,すべてが実に平和そうであった時,彼らはかなりの嘲笑を浴びていました。聖書研究者は『その日付を撤回して』別の日付を定めなければならなくなるであろう,と人々は言っていました」。
戦争が突然勃発したため,多くの人々は国際聖書研究者の予告していた事柄を思い起こしました。1914年8月30日付のニューヨーク・ワールド紙はその雑誌欄を割いて,聖書研究者に関する記事を載せました。その記事は,「ヨーロッパでの恐るべき戦争の勃発は,まれにみる預言の成就となった」と述べていました。
キリスト教世界の主要な教派にとっては寝耳に水であったのに,クリスチャンのこの小さなグループが苦難の臨むことを予期していたのはなぜでしょうか。それはこれらエホバの証人たちが聖書預言を熱心に研究していたからです。聖書預言はこの20世紀の状況について多くのことを語っています。
-
-
1914年以降の出来事の意味を知る目ざめよ! 1981 | 8月8日
-
-
1914年以降の出来事の意味を知る
「第一次世界大戦が始まった時,それは私にとって驚き以外の何ものでもありませんでした」。当時18歳でトルコに住んでいたジョージ・ギャンギャスはこう語り,さらに次のように言葉を続けています。「私は恐れの気持ちに捕らわれました。次にどんなことが起きるか分からなかったのです。ギリシャへ行けば安全だと思い,ギリシャへ逃れました。ところが,連合軍が同国を包囲し,その結果深刻な食糧不足が生じました。食べる物と言えばイナゴマメのさやとそれから作った粗末なパン以外にほとんど何もありませんでした。路上に落ちているパンを一切れ見付けて,ほかの人に取られる前にそれを取りに走ったことを今でも思い起こします。
「後にパリに連れて行かれ,フランス軍のための要塞を構築させられました。スペイン風邪が流行した時,私はパリにいましたが,人々はハエのように死んでゆきました。その病気の実体を知る人はだれもいませんでした。治療法もなく,だれもがおびえていました。
「当時,自分が目撃していた戦争や飢きんや疫病の意味を理解してはいませんでした。後日,ある人がそのすべての意味するところを聖書から示してくれました」。
お手持ちの聖書のマタイ 24章を開けば,ジョージ・ギャンギャスや他の大勢の人に示された事柄を読むことができます。マタイ 24章にはイエスご自身の語られた非常に長い預言が収められています。その預言は,1914年以来世界に生じている出来事に注目させるものとなります。
マタ 24章3節から分かる通り,イエスはご自分の臨在(あるいは『来り給ふこと』,文語訳)およびこの事物の体制(「世」,文語)の終わりをしるし付ける出来事について語っておられます。ありそうもないことだと思われますか。第三次世界大戦で人類が地球上の全生物を滅ぼし尽くすことについて,新聞や雑誌が絶えず書きたてているというのに,どうしてそんなことが言えるでしょうか。
この事物の体制がその終わりに近付いていることを示す最初のはっきりしたしるしに注目しましょう。それは次のようなものです。「あなたがたは戦争のこと,また戦争の知らせを聞きます。恐れおののかないようにしなさい。これらは必ず起きる事だからです。しかし終わりはまだなのです。というのは,国民は国民に,王国は王国に敵対して立ち上がり,またそこからここへと食糧不足や地震があるからです。これらすべては苦しみの劇痛のはじまりです」― マタイ 24:6-8。
世界戦争
『しかし,イエスの時代からこれまでに数多くの戦争があったではないか』と異議を唱える人もいるでしょう。確かにその通りです。そして,イエスはそのことをマタ 24章6節の中で指摘しておられます。しかし,マタ 24章7節の中でイエスはご自分の弟子たちに特別な種類の戦争に注意するよう警告しておられます。それは軍隊だけではなく,人民全体が戦いに参加する戦争です。マタイ 24章7節に出てくるギリシャ語,エトモスは政治国家を意味しているのではなく,人民の集団,言うなれば民族<エスニック>集団である「国民」を意味しています。
そのような世界的な規模の戦争としては,第一次世界大戦が最初のものであるということに,歴史家たちの大多数は同意しています。文化史家のジャック・バルザンは第一次世界大戦をそれ以前の大きな戦争と比べ,それ以前の戦争の際には「大きな産業がなかったので,ヨーロッパ中の大人という大人が同時に,身体的にも精神的にも参戦するということは避けられた」と語っています。ところが,第一次世界大戦は異なっていました。「1914年には,ベートーベンやヘーゲルやゲーテも塹壕の中にいたであろう」と言われています。
確かに,世界は1914年に本当に変化しました。人類はイエスが19世紀前に予告されたような戦争を遂行する力をついに持つようになり,破壊的な結果をもたらしたのです。1914年以来,世界は決して同じ状態にとどまってはいませんでした。
食糧不足,地震
1918年に第一次世界大戦が終了した時,ヨーロッパの農地の大半は荒廃し,深刻な食糧不足が生じました。一方,中国は1916年に飢きんに見舞われました。1921年にソ連を襲った飢きんのために,推定300万人が死亡したとされています。食糧不足は20世紀の生活の悲惨な現実として続いており,最近ではビアフラや,カンボジア,バングラデシュなどの各地で幾百万もの人々が死んでいます。世界食糧理事会の推定によれば,1979年だけでも5,000万人の人が餓死しました。
1914年以来,人類は少なくとも46の大地震に見舞われ,その大半は幾千もの人命を奪いました。興味深いことに,そのうちの21の地震は1970年以来起きたもので,つい昨年にもアルジェリアとイタリアで非常にひどい地震がありました。
世界大戦の後に食糧不足や地震が続くとイエスが予告されたのは単なる偶然の一致なのでしょうか。たとえイエスが世界大戦の後に飢きんが続くことを推測できたとしても,地震の起きる頻度が高くなることをどうして推測できるでしょうか。科学技術により今世紀になって初めて可能になる総力戦をどうして見通すことができたでしょうか。
不法の増加
ジョージ・ギャンギャスはこう語っています。「私が1928年にニューヨークにやって来た時,見知らぬ人と一緒にエレベーターに乗ることを恐れる必要はありませんでした。ところが今では違います。人々は犯罪におののいています。アパートの部屋のドアに,『押し入ってもむだです ― めぼしいものはもう何もありません』という標示が掲げられているのを目にします」。
犯罪の増加はニューヨーク市だけの問題ではありません。かつて犯罪を著しく減少させたと主張していた中国は,同国の至る所で犯罪がはなはだしい割合に達していることを最近認めました。ロンドンの一新聞は,「1970年代にはイングランドとウェールズで暴力犯罪が間断なく増加した」と伝えています。
このことも第一次世界大戦に続く期間について予告されていました。イエスは,「不法が増すために,大半の者の愛が冷えるでしょう」と言われました。―マタイ 24:12。
エワート・チティーはこう語っています。「人々は隣人愛をほとんど失ってしまいました。しかし,なお悪いことに,近ごろは神への愛を全く失ってしまったかの観があります」。読者もこの同じ点に気付いておられますか。
希望を抱く理由
言うまでもなく,20世紀に降り懸かる災いが予告されていたことを知るだけで,それに耐えやすくなるわけではありません。しかしイエスは,将来に関する悪い知らせで聴衆を憂うつにさせようとしたのではなく,むしろ積極的な音信を伝えようとしておられました。それは何ですか。
イエスは世界大戦や食糧不足,地震,不法などに言及し,「これらのすべてのことを見たなら,彼が近づいて戸口にいることを知りなさい」と言われました。(マタイ 24:33)だれが近付いているのですか。イエスはご自身,つまり「人の子」(マタ 24章30節)について語っておられました。どれほど近いのでしょうか。「あなたがたに真実に言いますが,これらのすべての事が起こるまで,この世代は決して過ぎ去らないのです」― マタ 24章34節。
世界情勢が急に悪化の一途をたどると同時に,第一次世界大戦の勃発を目の当たりにした世代も年を取ってきています。しかし,イエスが予告された通り,その世代はまだ『決して過ぎ去っていません』。米国だけでも,第一次世界大戦が始まった時にすでに学齢期に達していた人がまだ1,000万人以上存在しています。この体制の終わりが到来する時,そのうちの幾人かはまだ生きていることでしょう。―マタイ 24:3。
「事物の体制の終結」が迫っていることはどうして希望の根拠になるのでしょうか。それは,戦争に苦しめられ,飢きんに見舞われ,犯罪に悩まされた20世紀が,この事物の体制はうまくゆかないことをかつてないほど明確に証明したからです。1914年当時には思いもよらなかった科学技術の恩恵をもってしても,人間は地球を治める能力が全くないことをあらわにしてきました。確かに,現在の国家主義的な世界体制に何らかの形で終止符が打たれないなら,人間は核戦争で地球を灰にしてしまうと考える人はいよいよ多くなってきています。
では,何がこの事物の体制に取って代わるのでしょうか。「人の子がその栄光のうちに到来」する時,イエスが忠実な追随者たちに何と言うと約束されたかに注目しましょう。イエスはこう言われます。「さあ,わたしの父に祝福された者たちよ,世の基が置かれて以来あなたがたのために備えられている王国を受け継ぎなさい」― マタイ 25:31-34。
神はみ子の手中にある王国を備え,アダムとエバがエデンの園で神に離反して以来初めて,この地を正しく治めるよう取り計らわれます。ふさわしいこととして,その王国は最初の反逆によって失われたパラダイスの状態を地上に回復します。―創世 2:15-17; 3:1-24。
詩篇作者は預言的にこう述べています。
「その日に,義なる者はもえでて,月がもはや存在しなくなるまで,平和が満ちあふれます。それは,助けを叫び求める貧しい者,また,苦しんでいる者や,助け手のない者を,彼が救い出すからです。地には穀物がじゅうぶんにでき,山々の頂は豊かにみのります」― 詩 72:7,12,16,新。
ですから,『この世界はこれから先どうなるか』という苦渋に満ちた質問に対する答えは,励みを与えるものです。この世界は神の王国の支配する新秩序を間近に控えています。戦争や飢きん,地震,犯罪,神および隣人に対する愛の欠如などが記憶の中から消えてゆく時代がいよいよ近付いているのです。
間近い将来に関する神のすばらしい約束についてもっと多くを知りたいと思われるなら,エホバの証人のだれかに尋ねてみてはいかがですか。エホバの証人が喜んでお伝えできる良いたよりはまだまだ沢山あるのです。
-