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不正直がこれほどはびこっているのはなぜかものみの塔 1982 | 4月15日
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不正直がこれほどはびこっているのはなぜか
英語の古いことわざに,「機会が盗人を作る」というものがあります。逆に,「盗人が機会を作るのだ」と言う人もいます。
どちらが先にしても,様々な形の不正直が驚くほどはびこっています。ところが,その多くが余りに一般化してしまったために,多くの人はそれをもはや不正直とはみなさなくなっています。
代表的な状況を幾つか挙げてみましょう。雇い主は社員に,売上高を帳簿に記入する際にその額を減らして記帳するよう告げます。社員は,雇い主に言われる通り行なっているだけなので,別に問題はないとみなします。主婦は家計を幾らかごまかして,自分のためにちょっとした物を買う権利があると自分に言いきかせます。主人は妻に残業があると言っておきながら,友だちや別の女性と出掛けます。
ある商店の経営者は,最近,若者たちが一団となって店に入って来ると述べました。一人が物を買っている間に,ほかの者たちがカウンターを襲うのです。この商店主はこう語っています。「私が子供のころ,男の子たちは捕まると震え上がったものです。今では捕まっても平気な顔をしています。実に嘆かわしいことです。土地によっては,しかりつけると,連中が引き返して来て,店の窓を壊してゆきます」。
しかも,そのすべてを行なっているのは恵まれない人々ばかりではないのです。つい最近のこと,英国に住む立派な肩書のある初老の婦人が万引きで有罪の判決を受けました。また,ほんの少額から幾億円という額に及ぶまで,公金の横領について読んだことのない人がいるでしょうか。
不正直へのこうした抗し難い傾向の原因はどこにありますか。その原因は様々です。大抵の子供は幼いころからその影響力に知らぬ間にさらされています。昔話,「アリババと40人の盗賊」のような古典文学,映画,テレビ番組,そして数々の本は何らかの仕方で不正直を称揚しています。
ブラジルのサンパウロ市のある男性はインタビューを受けた時に,悪行の多くの責任は,告白すればすぐに許されるといった宗教慣行のもたらす影響にあると語りました。一婦人は,“サンタクロース”が親族であることを知った時に,自分の描いていた正直な世界がもろくも崩れ去ったことを認めました。赤ん坊を運んで来ると言われるコウノトリから政治家の空手形まで,人生のあらゆる分野でわたしたちは思いを不正直に慣れさせようとする強力な影響力に取り囲まれています。
“ちょっとした罪のないうそ”と自分たちが呼ぶものに何ら害がないと思う人々もいますが,キリスト教の創設者は,「小さな事柄に不正直な者は大きな事柄でも不正直である」と言われました。その方はまた,悪魔を「偽りの父」と呼び,人類一般がその者を支配者とし,それに服していることを示されました。これは確かに思考の糧となり,不正直がこれほど広範に見られる理由を理解するのにも役立ちます。―ルカ 16:10,「今日の英語聖書」。ヨハネ 8:44; 14:30もご覧ください。
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なぜ正直にすべきかものみの塔 1982 | 4月15日
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なぜ正直にすべきか
聖書はいみじくも,エホバを「真理の神」,また「偽ることのできない」方としています。(詩篇 31:5,新。テトス 1:2)人間の創造の時以来,エホバはご自分の崇拝者がすべての事柄において正直であるよう一貫して要求してこられました。―ゼカリヤ 8:16,17。
正直であろうとする場合,一般社会の態度ではなく,エホバ神ご自身の規準を導きにするのは大切です。その規準は聖書の中に記されています。
神がイスラエルを扱われた方法
エホバはイスラエル国民にお与えになった律法の中でこうお命じになりました。「あなた方は盗んではならず,欺いてはならない。あなた方のだれも自分の仲間に対して不実な行動をしてはならない。またあなたがたはわたしの名において偽り事に対する誓いをし,こうしてあなたの神の名を汚してはならない。わたしはエホバである」― レビ記 19:11,12,新。
盗人は軽微な罰だけで放免されることはありませんでした。被害者に賠償をしなければならなかったのです。そして律法の求める賠償額を所持していなければ,働いてその借金を返済するために奴隷になりました。―出エジプト記 22:1-4。
エホバは詳細に至るまで具体的に述べて,ご自分があらゆる形の不正直を非としているという事実に誤解の生じる余地のないようにされました。エホバは,『こうかつな舌』,滑らかで不正直な言葉,暴力的にまたひそかに行なわれる盗み,および商売に不正なてんびんを用いることなどについて強い言葉で警告しておられます。―箴言 1:10-19。ダニエル 11:32。ミカ 6:11,12,新。
クリスチャンに対する要求
クリスチャン会衆の設立に伴い,正直に関する神の原則は変化しましたか。決してそのようなことはありません。
偽りと盗みに関して,聖書はクリスチャンにこう命じています。「互いに偽りを語ってはなりません」。「あなたがたは偽りを捨て去ったのですから,おのおの隣人に対して真実を語りなさい。……盗む者はもう盗んではなりません。むしろ,ほねおって働き,自分の手で良い業をなし,窮乏している人に分け与えることができるようにしなさい」。「あなたがたのだれも……盗人,悪行者……として苦しみに遭ってはなりません」。―コロサイ 3:9。エフェソス 4:25,28。ペテロ第一 4:15。
次の警告の言葉は,事の由々しさを強調しています。「惑わされてはなりません。淫行の者……盗む者,貪欲な者,大酒飲み,ののしる者,ゆすり取る者はいずれも神の王国を受け継がないのです。でも,あなたがたの中にはそのような人たちもいました」― コリント第一 6:9-11。
それら初期クリスチャンの中には,盗む者やゆすり取る者だった人がいたことに注目できますが,そうした人々は生き方を変えました。クレタの人々の評判について,使徒パウロは詩人エピメニデスと思われるあるクレタ人の言葉を引用しました。「クレタ人は常に偽り者,害をなす野獣,無為に過ごす大食家」。(テトス 1:12)ギリシャ人の間では,「クレタ人」という名称は“うそつき”と同意語になりました。しかし,クレタの住民の中には,生き方を変えて,真のクリスチャンになった人々もおり,『とがめがなく,不正な利得に貪欲でなく,善良さを愛し,義にかない,忠節であり,自制心がある』との評判を得てクリスチャンの長老になった人もいました。―テトス 1:7,8。
何が人々を変えたか
「真理の神」であるエホバを知り,ご自分の僕に対する神のご要求を知ったことが変化を生みました。『彼らがしっかり付いて来るよう手本を残された』イエス・キリストがその模範者になりました。イエスの生き方を調べ,『その口に欺きがなかった』ことを悟り,イエスの教えから,「あなたがたは,自分にして欲しいと思うとおりに,人にも同じようにしなさい」ということを学びました。―ペテロ第一 2:21,22。ルカ 6:31。
言うまでもなく,そうした人々は一夜にして変化したわけではないでしょう。使徒パウロがテトスに,敬虔な振舞いとの関連で,ある事柄をクレタのクリスチャンに『引き続き思い出させる』よう書き送ったことからもそれが分かります。(テトス 3:1-3)当初,新しい人格を身に着けることなど不可能に思えたかもしれません。後戻りしたような時には,意気消沈したことでしょう。しかし人々の心を動かしたのは,イエス・キリストの犠牲に対する信仰に基づいて過去の罪深い歩みを許すためにエホバの設けてくださったすばらしい備えに対する感謝の気持ちでした。また,エホバに依り頼み,その霊の助けを求めることを学んで,自分の力では到底成し遂げられないような変化が起きることを知りました。―コリント第一 6:11と比較してください。
どうしてそうするのか
でも,どうしてそのような苦闘を経なければならないのでしょうか。どうしてすべてのことにおいて飽くまでも正直であろうとするのですか。
では,まず家庭について考えてみましょう。夫婦が互いに信頼し合えなくなるとどうなりますか。きっかけはささいに思えるような事であっても,やがてそれが結婚関係全体を徐々に損なってゆきます。一方,すべての事柄において正直であれば,結婚のきずなは強まります。そして,それは子供の生活にも大変良い影響を及ぼします。
家庭外で他の人々に正直であることは,仲間の人間に対するその人の見方を反映しています。この分野では刑罰がある人々を悪行に走らないよう抑制します。しかし,それ以上に人を動かす力があります。使徒パウロはこう書きました。「『あなたは……盗んではならない,貪ってはならない』,そしてほかにどんなおきてがあるにしても,その法典は,このことば,すなわち,『あなたは隣人を自分自身のように愛さねばならない』に要約される(の)です」。(ローマ 13:9)愛されるには自分が愛を示さねばなりません。正直な人は他の人との良い関係を享受します。また,自分の心にも安らぎがあります。良心に責められて,夜眠れないということはありません。肩越しにいつも後ろを振り返り,捕まることを恐れる必要もありません。―ローマ 13:3-5。
しかし,何よりも大切なのは神との関係です。自分の不完全さと闘い,他の人が正直でなくても正直になるよう人を動かすのは,エホバに対する熱烈な愛と神の是認を得たいという願いです。―詩篇 15:1-5。
今日,本当にそうしている人々がいるでしょうか。実例を考えることにしましょう。
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正直さは家族の中に信頼感を築き上げる
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正直な人は清い良心を保てるので,夜安眠できる
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神と良い関係を保つには正直に振る舞うことが求められる
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見事に正直さを実践した人々ものみの塔 1982 | 4月15日
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見事に正直さを実践した人々
泥棒に入られる恐れを抱かずにドアを開け放して外出できるようになったらどんなにかすばらしいでしょう。すべての人を信頼できるようになり,人々から信頼されるようになるなら,生活に豊かな恵みと喜びがもたらされるでしょう。
しかし,そのすべては個々の人から始まるのではありませんか。まずわたしたち個人の努力が求められるのです。
自分の持つ悪い傾向を克服した人々,またそう願うゆえに懸命に努力してそのような傾向から離れた人々の例を幾つか検討してみましょう。
この人は上司のために不正行為をするだろうか
ブラジルのリオデジャネイロに住むある男の人は,顧客をごまかし続けなければ職を失うという事態に直面しました。どうしてそのような事態に陥ったのでしょうか。良心の呵責を感じることなしに雇い主の命令に従ってきたこの人は,その後聖書から神の規準を学ぶようになりました。次いでこの人はどうしたでしょうか。すぐに聖書の述べる事柄を実践しましたか。いいえ,この人は安易な道を取り,聖書研究をやめてしまいました。その後少しの間その仕事を続けていましたが,話はここで終わっているのではありません。
良心の呵責を感じ,もはや安んじていられなくなり,この人は辞職願いを提出しました。(ローマ 2:14,15)正しい良心を求めて神に祈ったその祈りが聞かれたに違いありません。神の言葉の研究を続けるために,近所に住むエホバの証人を捜し当てたからです。興味深いことに,以前の雇い主はほどなくしてこの人を迎えに来ました。その人に戻って来てもらいたいと考えたからです。代わりに雇われた人は顧客に対してだけではなく,雇い主に対しても不正直だったのです。一方,正直さを保つ決意をその間にさらに強められていたこの聖書研究生は,復職してもよいが,条件があると言いました。自分はどんなときにも正直に振る舞う,というのがその条件でした。条件は受け入れられ,正直な生き方は勝利を収めました。この人は今ではバプテスマを受けたクリスチャンです。
強盗犯人は変化する
強盗がその生き方を変えることができますか。ブラジル南部の19歳になるある若者は,家々に押し入るギャングの一味でした。その人は服役中にものみの塔協会の出版する聖書文書に接し,その中で学んだ事柄に衝撃を受けました。この人は一応ローマ・カトリック教徒でしたが,クリスチャンに対するエホバのご要求が自分の生き方と余りにも異なっていたのです。
若者は徐々に進歩を示し,疑いが除かれるにつれ,認識が深まりました。今では自ら他の服役者たちと共に聖書を研究しており,その驚くべき変化は刑務所当局者や弁護士や裁判官によく知られています。当局者はその振舞いの変化に深い感銘を受け,40人ほどの出席するグループの聖書研究を毎週開くことを許可しています。
もはや盗人でもうそつきでもない
英国ロンドンのある若者は,自分を取り巻く体制にうんざりする余り,公然と反抗するようになりました。定職もなく,働きたくもなかったため,強い力で盗みへと引き寄せられるのを感じました。配達の仕事をしていた時には包みをくすね,さらに店のキャンデーを盗んでいました。やがて窃盗団に加わり,捕まって裁判に掛けられ有罪の宣告を受けました。まだ16歳だったので,ボースタル感化院と呼ばれる英国の更生施設に送られました。2年後に釈放され,しばらくは再び拘禁されるのを恐れて問題を起こしませんでした。
この人はその施設で更生したのでしょうか。本当に更生したわけではありませんでした。1年後には,盗みの機会を求めてうろついていました。バスの車掌をしながらラッシュアワーの混雑に乗じて,切符を切るかわりにお金をすり取っていました。この人は再び失業しました。その間に結婚しましたが,大酒と情事のために,初めから深刻な問題がありました。
この時点で,つまり結婚後2か月して,この夫婦は聖書に接するようになり,聖書研究に同意しました。その結果生活は急に変化しましたか。現実にはそうではありませんでした。不正直な傾向が余りにも深く染み付いていたのです。この人は研究に参加しなくなりました。それでも,種はまかれていました。
この人は当時を振り返り,数週間聖書研究をして聞いた事柄が真理で,自分を正す唯一の方法であると心の奥底では感じていたことを認めています。心ではそうしたかったのですが,そのための力が欠けていたのです。ある日のこと警官と渡り合い,無保険車に乗って飲酒運転をしたかどで逮捕されました。翌朝,鏡を見て,自分の白いシャツが血に染まっているのを目にし,この人は自分の立場をつくづく考えました。
この人はこう語っています。「前途には二つの道しかありませんでした。死んで葬られるか,自分を清めるか,自分の立場を決めなければなりません。エホバに祈り,あるエホバの証人を遣わしてくださるよう求めました。果たせるかな,その人が間もなくやって来たので,聖書研究をしてくれるよう頼み込みました。それは1973年11月のことでした。私は1974年3月にバプテスマを受けました」。
かつて盗人でうそつきだった人に,それは容易なことでしたか。「いいえ,いい時と悪い時があり,態度がわずかながら後退することもありました。エホバの助けなしには,自分が陥っていたあのひどい有様から決して抜け出せなかったでしょう」とこの人は語っています。
この人は幸福になれるかどうかは神の愛の律法をあてはめるかどうかにかかっていることを知っています。「私の家族は王国会館で一つに結び合わされています。そして,子供を神の道に従って育て上げようと努力しています。自分の両親が私の今知っていることを知らずにいたため,私を助けることができなかったのは残念です」。
将来の見込みのある生活
この複雑な世界にあって,「機会が盗人を作る」と考える人もいるでしょう。しかし,かつて盗人であった人でさえ正直に生きるほうが得るところが多いことを悟っているのです。
どうしてそう考えるのですか。正直な生き方は高潔さ,正しい良心,相互の信頼感,そして何にもまして神の好意を得るものになるからです。それは間近に迫った神の新秩序での命を受けるための基本的な要求であり,その時にはもはや盗みも不正直もなくなります。
キリスト・イエスの千年統治のもとで味わうパラダイスの地における極めて満足のゆく充実した生活において,愛が支配的な要素になります。正直さは全地に君臨します。この価値ある希望について,今,さらに多くのことを調べてご覧になってはいかがですか。ご近所に住むエホバの証人は喜んでお力になるでしょう。
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