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東南アジアにおいて「人々を弟子とする」ものみの塔 1967 | 12月1日
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の学校のもっと良い勤め口への転任をすすめられました。しかし彼女は移動を断ってこう説明したのです。「私は今の任命地が好きです」。その理由を問われた時こう答えました。「それは土地でも,境遇でも,私の愛している仕事のためでもありません。一緒に住んでいる人々のためなのです。この人たちと一緒に住んでいますと,丁度私の家族と一緒に生活をしているように,安心感があります。大酒飲みもばくち打ちもいなければ,犯罪も,青少年犯罪もありません。皆,私に協力してくれ,子供たちは私の使いにも行きそのうえ丁寧でよく言うことを聞きます」。そこの人々がそんなにも違う理由について問われた時,彼女は自分の考えをこう述べました。「その理由はその人たちの宗教だと思います。ほとんどの人はエホバの証人です。これほどよく訓練を受けたグループを今まで見たことはありません」。
神権宣教学校の訓練を十分に活用している人は,筋道の通った証言をする「用意をいつも」していて,エホバに賛美をもたらします。ルソン島のある町の公立学校での記念祭のプログラムの中でこの事が示されました。その地方の宗教家たちはその祝典の際に講演をするように,その前の日に頼まれましたが,そんなに突然頼まれても用意がしてないと言って断わりました。ついに儀式の当日,御国会館に主催者が来て,エホバの証人のだれかに話をしてもらいたいと招いたので,一人の若い兄弟が喜んでこの招待を受け入れました。もうプログラムは始まっていたので兄弟は服を着換えて一緒に学校に行き,「今日の青少年問題に対処する」という話の筋書きを使って,40分間話しました。州の主任視学官が次の来賓演説者として立ち上がった時,彼は兄弟をほめてこう言いました。「私が用意してきた話をするならこの若い人が話したことを単にくり返すにすぎないでしょう。そのうえこの若い人の上手な話し方に及ばないと思います」。こう言って彼は腰をおろしましたが,聴衆はそれに拍手を送りました。驚いた学校の教職員はあとで,「無学でただの」人である彼がどうして著名人の前でそんなに上手な話ができるのかと兄弟に尋ねました。この時にもう一度よい証言がなされました。―ペテロ第一 3:15。使行 4:13。
マーシャル群島
奉仕年度の終わりには,マーシャル群島の孤立した伝道者の群れは円熟に向かってよく進歩してきました。5人の伝道者と二人の宣教者は今,合計73の聖書研究を司会しています。そして,新しい研究を始めるかわりに,関心のある人々を,すでに行なわれている研究に加わるように招待し,その結果,聖書研究の出席者の平均は4人ないし7人で,二,三家族が出席します。神権宣教学校には今9人はいっており,この集会の出席者は平均23人です。そして今急速に進歩している少なくとも4人の男の人が近い将来に献身して浸礼を受けられるでしょう。また昨奉仕年度中,会衆の書籍研究の出席者数は5人から19人に増加し,「ものみの塔」研究の出席も同様に増加しました。今奉仕年度中に新しい会衆が設立される見込みはますます大きくなっています。
その二人の宣教者は休暇を利用して周囲の八つの島々や環礁をめぐりました。ところが同じ船に,米国人で新教の教会の牧師が乗っていました。それで二人の宣教者は,この牧師がこれらの島々をめぐることが,御国の良いたよりを島の謙遜な人々に伝えようとする自分たちのわざにどんな影響をもたらすだろうかと考えました。しかし,その牧師が訪れたことは宣教者たちの努力の妨げになるどころか,かえって,エホバの証人の宣教者と大いなるバビロンのそれとの違いを明らかに人々に示す結果となりました。二人の兄弟たちは,朝早くから夜遅くまで島の人々に彼らのことばで伝道し,人々の質問に聖書から答えました。一方,その牧師はマーシャル群島に3年以上住んでいながら島のことばを何一つ話せず,島の一教会で集会を1回司会しただけで,あとは見物をしたり,写真をとったりして過ごしました。
島の人々は深い興味を示し,英語は読めませんが,さし絵だけでも見て,マーシャル語の聖書で聖句を読んで勉強するために「失楽園から復楽園まで」の本を求めました。その二人の兄弟は,その本を二箱と他に鞄にぎっしり詰めて持っていたのですが,人々の求めにはとても応じ切れないことがわかったので,それらの島々全部に少しづつでも配れるように割り当てることにしました。伝道で話し合えた人々は真理に飢えかわいており,次の船便の時までその二人の宣教者たちに島に滞在してほしいと懇願したほどです。「食べ物や宿舎のことは私たちが引き受けますから,何も心配いりません。ただ,このすばらしい事柄について聖書から私たちに是非教えてくださいませんか」と人々は何度も願い出ました。そして宣教者たちは将来に再び訪ねることを約束して,去りがたい気持ちを押えて,これらの羊のような人々に別れを告げたのです。
昨年の中で特筆すべき事柄は2月に巡回のしもべがマーシャル群島を訪れたときの出来事です。「神の御心国際大会」と題する協会の映画が上映されたとき,合計2550人もの人々が出席し,エホバの証人の組織やその愛に関して映画で見た事柄に多くの人々が賛辞を寄せました。そして人々は,浸礼について,またエホバの証人の一人になるにはどうすれば良いかについて多くの質問をし,説明を聞きました。映画は,関心を持つ多くの人々にとって大きな励ましとなりました。
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読者からの質問ものみの塔 1967 | 12月1日
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読者からの質問
● イエスが不完全な妻から完全な子供を生み出し得たとどうして言えますか。遺伝の法則に従えば,子供は母親の不完全さを受け継ぐのではありませんか。
イエス自身の誕生の時に起きた事例は,この可能性を提議する基礎となっています。母親のマリヤは不完全でしたが,彼は完全な人間として生れました。
この事を論ずる際に,私たちは,両方とも染色体と遺伝子を内蔵している精子と卵子が結合して,両親からの遺伝的な性質を持った新しい生命ができるという科学的に証明された事実を否定しません。この過程は確認されており単なる説ではありません。
イエス自身の場合,エホバは処女マリヤの胎内の卵子のひとつを用いられたものと思われます。しかし彼女は完全ではありませんでした。(ローマ 3:23)もしエホバがそうされなかったとすれば,イエスは血のつながりから言って,預言されていた通りのアブラハムそしてダビデ王の本当の子孫ではあり得なかったでしょう。(創世 22:18。イザヤ 11:1,2。ルカ 3:23-38)それで,私たちはイエスがユダヤ人らしく見え,彼の母親に見られる人間的な特徴を持っていたと思います。
すると,イエスはマリヤからの不完全さを,ある程度受けつがなかっただろうかとの疑問が起きます。そのような事はありません。聖書は明らかにイエスが完全な人として生れた事を示しています。(ペテロ第一 2:22。ヨハネ 8:46)この点で彼は完全なアダムと同等であり,罪を取り除く贖となることができました。(ヘブル 7:26; 9:26。ローマ 5:18)私たちがここで優性と劣性についての遺伝の法則だけを論じているのではない事を心にとめてください。完全さと不完全さという問題も含まれます。完全なものと不完全なものを結合した時どうなるかは経験することも知ることもできません。科学者は人間の完全さまたは罪に由来する不完全さを測定できません。それに不完全な卵子に対して完全な人間の精子がどの位強力に作用するかを予測できません。しかしイエスの場合に起きた事から見ると,生殖において完全な男性のはたす分が,マリヤに受け継がれていた不完全さを圧倒したことは明らかです。完全なイエスの父は子の完全な生命をマリヤの胎に移され,その結果,全く完全な子イエスが生まれました。―ガラテヤ 4:4。
霊感された聖書がイエスの受胎と誕生について述べることを受け入れる時,私たちは,イエスが全く完全な人であったという理由で,妻が不完全でもイエスは完全な子供たちを持ち得たと結論することができます。もちろん,それはイエスに対する神の御心ではありませんでした。(ヘブル 10:5-10。マタイ 26:39)それにもかかわらず,明らかにその可能性は存在していました。
● モーセの律法のもとで,安息の年とヨベルの年とはどのように違いましたか。そのどちらの年にも負債が帳消しにされたのではありませんか。
ヨベルの年には7年目ごとの安息の年の特徴が幾つか含まれていますが,両者の間には明らかな違いがあります。安息の年について,申命記 15章の1,2節には負債のゆるしが述べられています,「あなたは七年の終りごとに,ゆるしを行わなければならない。そのゆるしのしかたかたは次のとおりである。すべてその隣人に貸した貸主はそれをゆるさなければならない。その隣人または兄弟にそれを督促してはならない。主[エホバ,文語]のゆるしが,ふれ示されたからである」。この「七年目の終りごとに」という表現は『七年目に』という意味に理解できます。申命記 14章28節と比較してください。
この安息の年は適切に「ゆるしの年」と呼ばれています。(申命 15:9; 31:10)この年のあいだ,土地が耕作されず安息すなわち解放を得ただけでなく(出エジプト 23:2)負っている負債に関しても安息すなわち解放がありました。(申命 15:3)それは「エホバのゆるし」(文語)でありエホバの誉れとなるものでした。
この安息の年に負債をゆるすことについて,ある注釈者は別の見解をとっていますが,明らかに負債は帳消しになりませんでした。しかし債権者は,仲間のヘブル人に,負債の支払いを促してはなりませんでした。その人はこの年に負債を払うことからまったく解放されていました。これは,特に安息の年には土地が耕作されず,収穫がないので,農夫に収入がないことから,あわれみのあるご準備でした。
この負債の督促から解放される年は,多く負債の
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