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  • ダホメーの湖上生活者訪問記
    目ざめよ! 1971 | 4月8日
    • その流れにはおのおの異なった型の橋がかかっていました。最初の橋は見るからに旧式のものでした。竹のはしごを登って,しっかりと竹を結びあわせた幅約2メートル,長さ約7メートルの橋を渡りました。歩くたびにいくぶん揺れるように思われる竹のすきまから見おろすと,下の泥の中でブタがころがっているのが見えました。見えたのはその目と鼻だけでしたから,一度見ただけではブタだということがわかりませんでした。続いて,2本の竹を結びあわせた橋,古びて捨てられた,一部こわれたところのあるピログエでできた橋,それから10センチ幅の鉄の橋げたを渡りました。それらの橋はみな浅い流れにかかっているのですが,下の泥を見ると,渡るのにやはり勇気がいります。土地の人々は敏しょうで,足元がしっかりしていますから,頭に荷物を載せたり,おそらく背中に子どもをおぶったりしても,素足で速くわたることができます。

      湖上生活をしている,友好的なここの村民たちは勤勉に働きますが,娯楽をする時間も取ります。ときには,歌や踊りに合わせる太鼓の音が,夜ふけまで聞こえることもあります。子どもたちは手製の楽器をひいておもしろがっています。それは,たまご型をした,イワシのかん詰めのあきかんと,彫刻のしてある反響板に,長さの異なる5本の金属線を結びつけた小型の「ギター」とも言うべきものでしょうか。竹で作った笛や,二つの小さなヒョウタンを10センチぐらいの糸でつないで作ったカスタネットも見ました。一つのヒョウタンを手のひらに持ち,糸を人差指と中指のあいだにかけて,手首をじょうずに振ると,二つのヒョウタンがぶつかります。中には種とか砂がはいっていて,それが軽快なリズムをつくり出します。

      王国の音信に対する関心

      ここの人たちは聖書について話すのが好きです。そして,多くの人が自分たちのことばであるガン語の聖書を持っています。学校に通う子どもたちはフランス語の読み書きもできます。先祖を祭る物神崇拝をする人はほとんどいません。キリスト教世界の幾つかの宗派が,人々のあいだに強い影響力を持っています。とはいえ,忙しすぎてエホバの証人の聖書の話が聞けないという人はめったにいません。

      その結果,この村にはたいへん大きなエホバの証人の会衆があります。晩になると,わたしたちはピログエでゆっくりと他の村々に出かけて行き,そこで聖書の映画を見せました。村人たちはこぞってやってきました。巡回大会そのものも大成功を収めました。とくにうれしかったのは,献身に関する聖書の見解を十分に知った7名の人が,新たにバプテスマを受けたことです。

      別の地域に向かって出発するときが来ました。大ぜいの友だちを振り切るようにしてヘチンを去るのは,ほんとうにつらいことでした。わたしたちと荷物を乗せたピログエがゆっくりと水面にのり出すと,霊的な兄弟や姉妹たちは手を振り,「オ・ダ・ボ」(さようなら)とか「ボ・イ・ボ・ワ」(またきてください)と呼びました。エホバの御意志ならば,できるだけ早い機会にそうしたいものです。

  • 「心臓」か「こころ」か?
    目ざめよ! 1971 | 4月8日
    • 「心臓」か「こころ」か?

      ● 文字どおりの心臓は動機の宿る所であるという事実に調和するものとして,「ものみの塔」の出版物にかぎらず,有名な著述家も,つかみどころのない“こころ”の代わりに,“心臓”という語を用いて表現上の効果を収めている。その一例は,福田恆存氏の訳(1960年)になるシェークスピアの「アントニーとクレオパトラ」の冒頭に出てくる,ファイロのせりふである。「その勇める心臓の高鳴りが胸に食入る鎧の締金をみごと弾きとばしたことがある。今は同じ心臓が自制の箍を脱ぎすてて,鞴,団扇も同然,熱っぽいジプシー女の欲情をさます道具になりさがってしまったのだ」。アントニーのたどった情欲の道は,確かに彼の文字どおりの心臓に発していた。

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