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知恵によつて心を守るものみの塔 1958 | 3月1日
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知恵によつて心を守る
1 この現代において,肉体的と霊的の両方で何を守ることが大切ですか。
現代の医学の研究や進歩にもかかわらず,心臓の病気は一番大ぜいの人を殺しています。正しい状態下にある心臓は,永久に鼓動しつづけて生命を支える血液を体内に送り出すことができます。肉体的な面だけでなく,むしろ霊的な面において心を守ることは遙かに重要です。そして,心の働きをなさせるために心を良い状態に保つことは重要です。
2 (イ)どのような面でソロモンは自分の心を守らず,神なるヱホバにその心を全く向けませんでしたか。(ロ)私たちは何をつくして神を愛するように忠告されますか。従つてこれに対して何をすることが要求されていますか。
2 ソロモンは,霊的な面と肉体的な面の両方における心について,シンゲンの中で多くのことを語つていました。実際のところ,31の章の中で心という言葉は94回も述べられているのです。ソロモン王は霊的に言つて,自分の心を守りませんでした。彼は自分自身の助言をないがしろにしたのです,『私の子よ,私の言葉に注意を払いなさい。私の語ることに耳を傾けなさい。それらをあなたの目から離してはならない。それらをあなたの心の中に保ちなさい。それらを見出す者には生命であり,その全身を健康にするのである。守るべきすべてのものにまさつて,あなたの心を守れ。生命の源はそこから流れ出るからである。』(シンゲン 4:20-23,新世)ソロモン王は,崇拝を受けるにふさわしい唯一つの神ヱホバに愛を保ちつづけなかつたのです。創造主は専心の献身を求める神であるという事実を彼は見失つたのです。それで,ソロモンは神なるヱホバに心を全く保ちつづけませんでした。心は愛情の中心です。それで私たちの愛情の対象は,極めて大切なものです。私たちは,すべての心を傾けて神なるヱホバを愛するように命ぜられています。彼は永遠から永遠までの唯一つの神であり,彼に対する被造物の愛で,いかなる敵対をも許さないからです。(出エジプト 20:4,5)私たちは,自分自身のごとく隣人を愛することができ,また愛さねばなりません。しかし,隣人の中からでも,または他のどんな者からでも,神をつくり出すようなことがあつては決してなりません。敵対の神または神性に愛を注ぐことは,魂なる私たちがヱホバの御手から死を受けることを意味します。ヱホバは生命の泉です。それですから,守るべき他のいかなるものにまして私たちの心を守ることは全く重要なものです!
3 (イ)私たちの魂を愛するとは,どういう意味ですか。(ロ)『心を得る』という表現は,何を意味しますか。それで,善を見出すために私たちは何を見定めねばなりませんか。
3 シンゲン 19章8節(新世)は,生命を魂として語つて,こう述べています,『心を得る者は,自分自身の魂を愛している。分別を守る人は,善を見出す。』自分自身の魂を愛するとは,幸福の中に永久に生きたいと欲することを意味します。現在の私たちの生命,そして特に神の新しい世における私たちの生命に対して,私たちの愛を示すという意味です。しかし,現在私たちの魂を生きつづけさせるために,私たちはすでに心を持つています。それでは,『心を得る』という表現は何を意味しますか。ここのところの『心』は,ヘブル語聖書新世訳(英文)の下欄にもあるごとく,『良い動機』という意味を持つています。心は愛情だけの中心ではなく,動機の中心だからです。愛情は人をして行為をなさしめます。『愚かなること子の心に結ばる』という格言もあります。それで,私たちは次のことを知ります,すなわち人間の心は若い時から悪に走る傾向があり,愛情を悪く置くことによつて悪い衝動を持つ傾向があるのです。それで,私たちの動機を清くて良いもの,および無私のものにするため,私たちの愛情を高尚なもの,高いもの,親切なもの,敬虔なものに置かねばなりません。このことをするなら,私たちは私たち自身の魂,私たち自身を真実に愛しています。心を見分けて裁く神は,私たちの心が善くて愛を持つものであり,かつ神をよろこばせようと努めているのを知ります。そして,私たちの永遠の生命のための御準備に私たちがあずかるようにいたします。それですから,私たちは自分の心の動機がどんなものであるかを注意深く見定め,その動機が良いものであり,神に受け入れられるものであるようにしなければなりません。そのとき,神の御手に善を必ず見出します。
4 教訓者は,シンゲン 23章26節で,子にむかつてその心を与えよ,そして教訓者の道に彼の目が楽しむようにとすすめていますが,その意味は何ですか。
4 賢人は,論しを与える者に向いシンゲン 23章26節(新世)でこう述べています,『私の子よ,あなたの心を私に与えよ。私の道にあなたの目が楽しむようにせよ。』シンゲンを読む者は,ヱホバ神に全き献身をするようにと,この聖句はすすめているのですか。そうではありません。教えを受けている人が,教訓者に全心の注意を払い,教訓者の教えることに心を傾けて聞き入り,学ぶようにとすすめ諭しているのです。彼は父親のような教訓者の与える教えに愛情を抱かねばなりません。彼の心も,彼の目も,その教訓者に向つていなければなりません。彼の目は,その教訓者の採る道に楽しみ,教訓者にならつてその道に行くよう願うべきです。それだけにかぎらず,彼の心は教訓者に全く恵念して,彼を愛し,教訓者の語る助言の言葉を真剣に採るようにしなければなりません。特に教訓者がいま論じようとしている事柄においてはそうです。それには一番真剣な考慮,専心の注意,一番深い認識を払うべきです。何ですか。
5 シンゲン 23章27-35節で,教訓者が,子のごとき生徒にむかつて専心の注意を払うようにと欲しているものは何ですか。
5 食べること,アルコール飲料を飲むこと,そして清い道徳のことです。それで,教訓者は,息子のような生徒に向つて言葉をこう続けているのです,『淫売婦は深い坑であり(淫売で生活をする)異国の女は狭い井戸である。彼女は盗人のように待ち伏せする。そして,人々の間に不信な者たちを増加せしめる。災ある者は誰か。不安を持つ者は誰か。争いを持つ者は誰か。憂慮を持つ者は誰か。理由なしに傷を持つ者は誰か。目の鈍くなつている者は誰か。長い時間,酒を飲む者,混ぜ合わせた酒を探しに来た人々である。』思いがけず深い坑に入りたいと欲する人は誰ですか。逃れることのできない狭い井戸に落ちこんで傷を受けたいと欲する人は誰ですか。それであるなら,不道徳な女,すなわち神の『聖なる国民』には異国の者である淫売婦のすすめ言葉に屈してはなりません。そのような女は,あなたの純潔,童貞,清い記録,清い良心,潔白,そしてヱホバの聖なる会衆と交わるにふさわしい価値を奪つてしまうでしよう。また,アルコール飲料を一びん飲むか,あるいは一杯飲んでその犠牲者になりたいと欲する人は誰ですか。現実にないことを見たり,曲つた話をしたいと欲する人は誰ですか。荒れ狂う海の只中で舟の檣上にいる船乗りのように,ふらふらと足場の定まらない人になりたいと欲する人は誰ですか。他の者から虐待を受けても無感覚になりたいと欲する人は誰ですか。いつまでも自分の感覚の欲求を満たすために起きていて,強い欲求を満たそうとする人は誰ですか。それであるなら,アルコール飲料をいつまでも飲んで,無節制に多く飲みすぎることがあつてはなりません。自制をいたしなさい。―シンゲン 23:27-35,新世。
6 女と姦淫をする者が心の足らない者であるとは,どうしてですか。そして,会衆内の彼に生ずる結果は何ですか。
6 姦淫をする者は,神に対しても,また不道徳を行う相手に対しても良い動機を持つていません,『女と姦淫をする者は,心の足らない者である。姦淫をする者は,自分の魂を滅ぼす。彼は災と不名誉を見出し,彼のそしりは消し去られることがない。』(シンゲン 6:32,33,新世)その者は,自分自身にそしりをもたらすだけでなく,神の会衆にもそしりをもたらします。それですから,その者を追い出し,排斥しなければなりません。悔い改めて行いを変えた後に復帰しても,悪い記銀は身につきまとい,彼は神の群にとつて好ましくない手本であると示されます。淫行をする者または淫売婦と関係を持つ者は,良い動機を持つていません。その人は,一つの事を心に留め,計画を立てても不道徳な人に近づきます。そして,誘惑されることに同意するのです。
7 ソロモン王は,自分の窓から見ていたとき,このことについてのどんな例を私たちのために記述していますか。
7 物事を良く観察したソロモン王は,窓から見た一つの例をこう記しています,『若い男子たちの中に心の足りない一人の男を見た。彼は道を通つて彼女の街角に近づき,その家に向つて行く,そして,見よ! 淫売婦の衣服を着けて,心の邪悪な一人の女は彼と会つた。』(シンゲン 7:6-10,新世)不道徳な女は,自分の方にやつて来て,彼女の誘惑を受けようとする男は,良い動機を持つていないと知ります。『そして,彼女は町の高い所にある自分の家の入口の椅子に坐つていた。そして道を歩む人々,道を真直ぐ歩む人々にむかつて,「未経験な者よ,心の足りない者よ,誰でもここに来よ。」と呼ばわる。』― シンゲン 9:14-16,新世。
8 (イ)私たちの真実の教訓者に対して採るべき正しい道とは何ですか。不道徳な女だけでなく,それ以外の誰が心の足らない者に呼ばわりますか。そして,なぜ私たちはこのものといつしよに食事しなければなりませんか。
8 それですから,採るべき賢明な道とは,これらの重要な事柄について私たちを戒める教訓者に心を傾けるということです。私たちの大いなる教訓者はヱホバ神です。そして私たちは彼の言われることに,すべての心をこめ目をよく見開いて注意すべきです。不道徳な女は,心の足りない者または良い動機の足りない者に向つて呼ばわります。しかしまたヱホバの与える知恵もそのような者に向つて呼ばわるのです。彼らが良い動機,良い行いをなさしめる力を得るためです。神からの真の知恵は,彼女の言葉を聞く者たちに御馳走を準備しました。真の知恵は,『その侍女たちをつかわして町の高いところで呼ばわせる「未経験な者よ,誰でもここに来よ。心の足りない者よ,私は話をしたい。来て私のパンを食べ,私の混ぜた酒を飲みなさい。未経験な者を棄てて生きつづけ,理解の道をまつすぐ歩きなさい。」』(シンゲン 9:1-6,新世)神から与えられる知恵と共に食することは,傷も残さず,そしりも残さず,後悔も残しません。かえつて人は向上して,心に正しい動機をつくりあげます。謙遜な中に知恵のこらしめを受け,死を拒否して,名誉と幸福の中に生命を選びなさい。『こらしめを拒否する者は,自分自身の魂を棄てる。しかし,こらしめに耳を傾ける人は,心を得ている。ヱホバを恐れることは,知恵に対するこらしめであり,栄光の前には謙遜がある。』― シンゲン 15:32,33,新世。
今日,知恵は私たちをどのように呼ぶか
9,10 (イ)いまと将来の生活の為にどんなものが必要ですか。それで,ヱホバは何を叫ばしめますか。(ロ)シンゲン 1章20-33節に述べられているごとく,このものの叫ぶものは何ですか。
9 今日と将来に生活するために,知識と知恵と理解は必要です。ヱホバ神はこのことを一番良く御存知です。ヱホバ神はこの現代をあらかじめに見られ,またあらかじめに告げられました。それですから,ヱホバ神はその知恵をして曾つてない程に叫ばしめ,警告を与えしめているのです,『真の知恵は,街路で声高く叫びつづける。それは,広場で声を挙げる。それは騒がしい街路の端で叫ぶ。邑に通ずる門の入口のところでそれはこう言う。
10 『あなた未経験な者よ,いつまで未経験を愛しつづけるのか。あなた方,嘲笑をする者よ,いつまであからさまな嘲笑を欲するのか。愚かな者たちよ,いつまで知識を憎みつづけるのか。私のこらしめに戻りなさい。そのとき,私は私の霊をあなた方に注ぎ,私の言葉をあなた方に知らせる。私が呼ばわつても,あなた方は拒絶しつづけ,私の手を伸ばしても注意を払うものは一人もいない。あなた方は私の助言をことごとく無視しつづけ,私のこらしめを受け入れなかつた。私はあなた方の災に笑おう。あなた方の恐れるものが来るとき,あなた方の恐れるものが暴風雨のごとく来るとき,あなた方自身の災が暴風のごとくここに来るとき,災と苦しい時があなた方に臨むとき,私は笑うであろう。そのとき,彼らは私を呼びつづけても,私は答えない。彼らは私を探し求めても,私を見出さない。彼らは知識を憎み,ヱホバの恐れを選ばなかつたからである。彼らは私の助言に同意せず,私のこらしめをことごとくないがしろにした。それで,彼らは自分の道を行つた実を食べることになり,自分自身の諭しで一杯になるであろう。未経験な者の背教は自分を殺し,愚か者の無頓着は自分を滅ぼす。私に身を傾ける人は,安全の中に住み,災の恐れで心をかき乱されることはない。』― シンゲン 1:20-33,新世。
11 今日,人々は何を恐れますか。しかし,彼らの上に何が来ると,神の知恵は知つていますか。
11 今日,人々は世界の災を恐れています。そのような災は,人間自身が戦争の近代手段を用いたために生じたのです。私たちがこの世の『終りの時』に入つたという証拠を予言したイエスの予言は,恐れにうちのめされる今日の状態を言い表わしました,『人々は世界に起ろうとする事を思い,恐怖と不安で気絶するであろう。』(ルカ 21:25,26,新口)しかし,神の知恵は次のことを知つています,すなわち世界の災は人間や悪鬼共の破壊的な手によつて来るのでなく,天と地にあるサタンの世の制度に対する全能の神の正義の戦いによつて来る,ということです。その災は,恐怖に戦く人間の心で想像し得るもの以上にはるかに悪いものです。
12 今日,神の知恵はどこで叫びを挙げますか。それは,どのようにそうしますか。
12 それですから,神の知恵は神の恵みを表わすため,遅過ぎない前のいま叫びを挙げているのです。それは,多数の人々に会える場所のところで,最も広範囲な警告を与えています。すなわち,街頭で,公共の広場で,人通りのはげしい大道の十字路で,都会の近代設備すべてに入る入口のところなのです。知恵というこの神の特質,すなわち神の知恵は,どのようにこれをしますか。最高の神ヱホバ
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