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くじゃくの目を通して物事を見る目ざめよ! 1970 | 5月8日
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ためにやってくる猟師で,羽を目あてに出かけてくる商人をどうしてのがれられますか。わたしの種に属する鳥を捕殺することは,法律で禁じられてはいますが,法律を無視したがる人はどの時代もいます。身の安全を図ることがわたしにとってどんなにむずかしいことか,わかっていただけますか。
危険をのがれる一つの方法は,毎年,羽の抜け変わる時期に古い羽を記念品として地面に残しておくことです。そうすれば羽の収集家たちは,その羽を拾って去って行きます。また,この不都合な羽にもかかわらず,わたしはコブラに負けないほど軽快に深い茂みの中を走り抜ける能力を持っています。さらに,多くの人はわたしを尊崇の対象物としていますから,くじゃく狩りの猟師でもそうおおっぴらに非道なまねはできません。
くじゃくの歴史
最後にくじゃくの歴史について少しお話しなければなりません。わたしたちがキジ科に属することはご存じかと思います。しかし,キジ科には親類が多いため,専門家はわたしたちに「パーオ・クリスターツス」という分類名を与えました。たぶん,わたしたちを遠い親類と区別する特徴が冠羽にあるからでしょう。わたしの祖先はノアの箱船から出た後,時たつうちインドに住みつきました。そこで,何千年もの間,わたしたちは宮廷や貴族の邸宅における鑑賞鳥として仕えてきました。外国の宮殿で,羽のはえた大使として奉仕したことさえあります。
くじゃく史上記念すべき日となったのは,わたしの著名な先祖数羽がフェニキア人の船から降らされ,エジプトの土地を踏んだときのことです。それから彼らはエジプトの宮廷に護送され,くじゃく式盛装よろしく,羽の信任状を提出したという次第です。聖書の歴史を調べますと,ソロモン王の取りよせた高価な輸入品のなかに,くじゃくがはいっていました。シオンの宮殿は3,000年も前,美しく着飾ったくじゃくを輸入することにより,一段とその壮麗さをまし加えました。(列王上 10:22,23)それから数世紀後,マケドニアのアレクサンダーは200羽のくじゃくをヨーロッパに持ち帰りました。
くじゃく史を通じていつも十分に納得できないことがあります。それは,人間の物の見方です。たとえば,インドでは何千年もの間,くじゃくは聖なる鳥とされ,時には崇拝されることさえありました。その人たちの間につたわる宗教伝説の中で,くじゃくは重要な役割を果たしたことになっています。今日のインドでも,くじゃくを殺すと刑法に触れる所があります。一方,古代ローマでは盛んに賞美され,中世ヨーロッパにおける富豪の宴には,油の乗ったくじゃくの料理がつきものでした。ですから,くじゃくの目から見ますと,解釈に苦しむことがおわかりでしょう。
さて,話を終える前に,わたしが誤解されている点に一つ触れましょう。英語には,「くじゃくのように尊大ぶる」という表現がありますが,この表現のおかげで,くじゃくと言えば尊大さや見え坊を意味するようになっています。わたしの身にもなってみてください。この表現は真実だと思われますか。最高の知恵を持たれる創造者が,物言えぬ創造物のひとつにそのような好ましくない特性を与えられると,本気に考えていらっしゃいますか。とは言っても,くじゃくの特性を完全に理解していただくためには,くじゃくの目を通して物事を見てもらわなくてはならないのですが。
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北米大陸分水界目ざめよ! 1970 | 5月8日
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北米大陸分水界
● 北米大陸分水界とは,北アメリカのロッキー山脈を南北に縦走する分水界のことです。高い峰々が雨や雪どけ水を分け,全く反対方向に流すことからこう呼ばれます。これら小さな水の流れが実は川の源流なのです。モンタナ州にあるグレーシャー国立公園のカットバンク峠からは3本の小さな流れが発し,互いに10メートルと離れていません。ところが,分水界によって分けられた結果,一つは太平洋に,もう一つはメキシコ湾に,そして最後の一つは大西洋のハドソン湾に注いでいます。
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