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  • あなたは,やもめや父なし子を「その患難のときに」助けることができますか
    ものみの塔 1980 | 12月15日
    • に自分の命を捨てることは喜んでするとしても,「自分の兄弟が窮乏しているのを見(る)」時に,“パン”を分け与えることについてはどう感ずるべきでしょうか。―ヨハネ第一 3:17。

      20 自分の聖書的な責任に気を配る人は,例外なく多忙を極めています。わたしたちは,他の人々を助けるためにもっと多くの事ができたらよいのにと願います。しかし,もし自分にできることを進んで行なうなら,エホバはわたしたちの限界をご存じであり,わたしたちの行なうことを高く評価しておられるということを確信してください。「時に恵まれているかぎり,すべての人,ことに信仰において結ばれている人たちに対して,良いことを行なおうではありませんか」― ガラテア 6:10。

      患難に耐えるためにすべての人が共に働く

      21 (イ)配偶者のいない親は,今日の圧迫に対処するために何を行なえますか。(ロ)会衆内の他の人々は彼らをどのように援助できますか。この援助は重要ですか。

      21 以上のことをまとめてみると,配偶者のいない親は,次の事を行なうことによって忍耐できます。(1)今,神に絶えず信頼を寄せ,神がすべての人の願いを満たされる時の永遠の命の希望を仰ぎ見る。(詩 37:3,4)(2)聖書研究と熱烈な祈りを通して神との親しい関係を維持する。(3)王国を証しすること,家事をきりもりすること,子供を育てることなどの有益な業にいつも携わること。自己犠牲的な愛は会衆内の人すべてを動かして,配偶者のいない窮乏している親を助けることの必要性に敏感にならせます。どのようにでしょうか。「思いやり」を持ち,その子供たちに関心を示し,霊的また物質的にその人々を援助することによってです。これらは彼らのためになる優れた行ないのわずかな例に過ぎません。こうした援助はどれほど価値のあるものでしょうか。配偶者のいないある親は次のように語りました。「私は忘れたいと思う不愉快な事柄を数多く経験してきました。しかし,これだけは言わせてください。親切で忠実な兄弟姉妹たちからの助けがなかったなら,私は決して成功することはなかったでしょう」。

      22 困窮しているやもめや父なし子を世話することからどんな結果がもたらされますか。

      22 そうです,難儀している,片親しかいない家族を心から「世話する」人々は,これらの人々が忠実に忍耐するのを見ることになるだけではありません。(ヤコブ 1:27)そうした人々は,「やもめと,父親のいない子供に助けを与える」わたしたちの天の父の特質をあざやかに反映することにもなるのです。―詩 146:9,基礎英語聖書。

  • レニングラードにある,聖書に関する貴重な宝
    ものみの塔 1980 | 12月15日
    • レニングラードにある,聖書に関する貴重な宝

      出発当初はフィンランドからのごくありきたりの観光旅行でした。観光客としてレニングラードにやって来た夫婦は,聖書に関して特別な事柄を経験できるなどとはほとんど期待していませんでした。観光局のガイドブックには,「宗教文書をこの国に持ち込む事は禁じられている」と書かれていたからです。しかしこの人が,書物としての聖書に関して生涯で最も胸を躍らせる事柄を経験したのはこの都市だったのです。

      レニングラードには教会堂が数多くありますが,そのうち建てられた当初の目的を果たしているものはほんのわずかにすぎません。教会堂の多くは博物館に変えられています。ローマの聖ペトロ大聖堂を思わせる,塔のそびえたつ聖イサーク大聖堂もその例外ではありません。

      宗教に対する当局の態度を極めてよく物語っている展示物が,レニングラードの目抜通り,ネフスキー大通り<プロスペクト>にあるカザン大聖堂に見られます。この壮大な大聖堂は宗教・無神論歴史博物館に変えられています。その地下には,現代に至るまでの宗教史に関する展示物が年代順に並べられています。そこには宗教裁判の時代に用いられた刑具が見られます。特に印象的なのは,等身大のろう人形で作った,宗教裁判の審理の情景です。哀れな犠牲者は鎖につながれ,告発者と黒い衣に身を固めた僧侶の前にひざまずかされています。刑執行者はそのそばに立ち,いまや遅しと身構えています。

      ネフスキー大通りをはさんでカザン大聖堂の反対側には,市で一番大きな書店があります。その2階で,フィンランドから来た二人の観光客は,読む人に宗教を退けたいという気持ちを起こさせようという意図のうかがわれる絵やスローガンを数多く見ました。一つのポスターには,頭にスカーフを巻いた老婦人の姿をした魚が幾匹も描かれていました。それらの魚は“天国への切符”に引き寄せられていましたが,それは“宗派”というレッテルのはられたつり針の先に付いていました。

      ネフスキー大通りをさらに東に下り,エカテリーナ大女帝の像のすぐ手前を右へ曲がると,観光客夫婦はサルティコフ・シチェドリン記念図書館の前に来ていました。この図書館は1,700万冊以上の蔵書を擁し,ソ連で2番目に大きな図書館とされ,世界でも最大級のものの一つです。ここを訪れた観光客がお目当ての写本について尋ねると,図書館の職員は丁重ながらも鋭い質問を幾つか浴びせました。それからこの職員は中へ入って行き,ほどなくして赤茶色の箱を持って戻って来ました。職員はその箱をテーブルの上に置き,ふたを開けました。すると,1008年(あるいは1009年)にまでさかのぼるレニングラード写本が姿を現わしました。しかしこの写本はいったいどんなものなのでしょうか。また,それはなぜそれほど貴重なのでしょうか。

      レニングラード写本

      聖書翻訳の底本となったヘブライ語聖書の写本を見ることに関心をお持ちですか。レニングラード写本は正にそうした写本なのです。

      しかしこうお考えになるかもしれません。ヘブライ語聖書はキリスト前に完成していたのではないだろうか。では,その本文はどうして1008年からのものであってよいだろうか。この点をよりよく理解するために,マソラ学者について少し知る必要があります。

      マソラ学者(ヘブライ語で,バアレイ・ハマーソーラー,「伝承の主たち」)は,キリスト後の世紀に活躍した,ヘブライ語聖書の極めて正確な写字生たちです。マソラ学者たちは本文を変えることをせず,むしろ初期の書士たちの行なった改変に注目し,それらをヘブライ語本文の欄外に注記しました。また,母音符号とアクセント記号の体系を作りだし,読者が正確な発音に到達できるよう助けました。マソラ学者が細心の注意を払ったことを考えると,原文が書かれてから,1,000年以上たってからのものであるとはいえ,その本文は聖書を翻訳する

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