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若い人たち,世の圧力に抵抗しなさいものみの塔 1979 | 7月15日
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者となる人をよりよく知ることにあります。したがって,エホバの崇拝者は別の信仰の人と結婚しないようにという聖書の助言を考えるとき,そういう人のデートの申し込みを受けることも,またそういう人にデートを申し込むことも,賢明とは言えないでしょう。では仲間のクリスチャンとのデートについてはどうでしょうか。
13,14 決まった人とデートすることは一般にどのように考えられていますか。にもかかわらずしばしばどんな結果が生じますか。
13 若いクリスチャンたちにデートをさせようとする圧力は強いものがあります。ギャラップの青少年調査によると,アメリカの10代の少女三人のうちひとりは,決まった男友達を持っていると言いました。しかし,そういうデートは賢明ですか。どんなことが起きますか。ひとりの少女はこのように説明しています。「好きな男の子と暗いいなか道を歩いたり,自分の居間のソファーに一緒に座ったりしていると,問題が起きます。……『今度は潔白でいよう』と自分に言い聞かせるのですけれど,キスしたり,抱き合ったりしていると,しだいに男の子に愛の営みをさせずにはいられなくなってしまうのです」。
14 これは例外的な,異常な反応でしょうか。そうではありません。ごく当然の反応です。別の若者が書いているとおりです。「二人の若者が何か月も何年も,朝昼晩と顔を合わせていれば,親密な間柄にならずにいられるわけがありません。手を握ることもキスも,しばらくするともの足りなくなり,自分たちは“愛し合っている”と考えるようになります。わたしは今18歳で生後一か月の子供がいます。……そうです,わたしたちは結婚しなければならなかったのです。ですからこの問題についてはよくわかっているつもりです」。証拠はこの若者の言葉が真実であることを示しているようです。1978年6月18日付のニューヨーク・タイムズ紙は,「増えるティーンエージャーの妊娠」という見出しで次のように報じました。「毎年,10代の少女約100万人,つまり15歳から19歳までの年齢の少女10人にひとりが妊娠する。そのうち実際に子供を生むのは約60万人で,子供の誕生は,その後の母親の生活を暗いものにしてしまう場合が多い」。それは確かに重大な,そして考えさせられる事実です。
15 (イ)若い人々のデートを弁護して,ある人々はどのように論じますか。(ロ)しかし,エホバを愛する人々が悪行に巻き込まれることがあり得ますか。どんな例がありますか。
15 それでも中には,デートを弁護して,『わたしたちはクリスチャンです。淫行が悪いことは知っていますから,そのようなまねはしません』と言う人がいるかもしれません。実際,そういうことをするつもりはないでしょう。しかし,心を引かれている人とふたりだけでいるなら,性的衝動によって間違った行為に引き込まれないとは言えません。ダビデ王のことを考えてご覧なさい。彼はエホバの著名なしもべで,『神ご自身の心にかなった』人でした。彼は神の律法を知っていました。人妻であるバテシバと性関係をもつことは間違いであることを知っていました。それなのに間違いを犯したのです。なぜでしょうか。それば性的誘惑にさらされる場所に身を置いたからです。―サムエル前 13:14,新。サムエル後 11:1-4。
16 (イ)若いクリスチャンたちにとって一番良いのはどんな交わりですか。(ロ)結婚するつもりでデートする人たちはどんなことに注意する必要がありますか。
16 ですから,デートとなれば確かに注意が必要です。若い人たちが一緒に交わりを楽しめるのは良いことです。しかし一番良いのは,デートをしてふたりだけで出かけるのではなく,グループの中で交わることです。親とか会衆内の他のおとなが時々ピクニックその他の健全な集いを計画するのもよいでしょう。しかし,そのような時にクリスチャンにとって大切なことは,自分の振る舞いがいつでも自分の崇拝する神の誉れとなるように注意することです。もし結婚するつもりで正式にデートしているなら,個人的な問題を話し合うふたりだけの時間がほしいという気持ちはわかります。しかし,淫行につながる恐れのあるキスや抱擁や愛ぶなどを避けるように注意しなければなりません。性行為に追い込まれやすい人目につかない場所は避ける方が賢明です。
ディスコ音楽とディスコテック
17 (イ)ディスコテックおよびディスコ音楽とは何ですか。(ロ)それはどれほど流行していますか。
17 最近,多くの若者はディスコ音楽を聞いたりそれに合わせて踊ったりすることを楽しむようになりました。ではディスコテックに行くことについてはどうでしょうか。ディスコ音楽は非常な人気を集めており,ディスコテックは人々が好んで出かける娯楽場となっています。ディスコテック ― 略してディスコ ― とは,レコード音楽をかけて踊らせるところですが,ダンス・バンドが生演奏をすることもあります。今日のディスコ音楽は,独特のビートを繰り返す,モダン・ダンシングのためのものです。狭いダンス・フロアの小さなサパー・クラブから,ぜいたくな装飾の施された広いダンス・ホールに至るまで,様々なタイプの場所がディスコと呼ばれています。ニューヨーク市内だけでも1,500以上のディスコがあると言われています。「これらの店は,音楽と刺激の強すぎる雰囲気とが共通しているために,他の点では異なっていても,同じ部類に入れられる」と,エスクワイア誌は説明しています。
18 ディスコについてどんな質問が生じましたか。なぜですか。
18 クリスチャンがそうした場所に娯楽を求めるのはふさわしいことですか。これは多くの人から受けた質問です。例えば16歳の少女から手紙が来ています。この少女は,お姉さんがディスコに行くようになって変わってきたことを嘆いています。「私はいま,姉が永遠の命を得そこないそうな気がしてならないので,これはとても大切なことなのです。……兄弟たちにお願いしたいことは,そういうところで受ける影響やそのような場所に行くことの危険を説明した記事を出していただきたいということです。多くの人の助けになると思います」。
19-21 (イ)ディスコテックとはどんなところですか。(ロ)クリスチャンにはそういう場所を避けねばならないどんな理由がありますか。(コリント第一 15:33。ヨハネ 17:16)
19 では考えてみましょう。ほとんどのディスコの特徴であるこの『共通している強すぎる刺激』とは何でしょうか。ニューヨーク・デーリー・ニューズ紙は次のように見ています。「官能を刺激する思わせぶりな装飾,原始的なビートのきいた音楽,人々の服装と踊り方 ― ディスコテックと関係のあるものはすべてが性的である。ディスコの踊りは,体を前後に突き出したり,回したり,しなやかにくねらせたりする動作を自由にミックスしたものである。……ディスコテックでは,性を刺激するような上音と低音をただ強くし,誇張し,大きくして演奏しているだけのことである」と評しました。またエスクワイア誌は,「ライト,サウンド,動き,麻薬,見せ物,幻覚」などの氾濫を指摘し,「あらゆるものを取り入れ得る限り取り入れ,それを他のあらゆる極端と組み合わせて,最終的に人間の感覚中枢をめちゃくちゃに刺激するものを作り出すのである」と述べています。
20 もしある店が性を強調し,そこの常連が全体的に神の優れた健全な道徳規準に少しも関心を持たない人々であるなら,そこは明らかにクリスチャンにふさわしい場所ではありません。その場所が“ディスコ”として知られていようと,別の名前で知られていようと同じことです。サタンの世はわたしたちをその型にはめ込もうとしてあらゆる手を使っていることを忘れないようにしましょう。ですから,わたしたちをわなにかけるための偽えさとしてサタンは誘惑的な娯楽を利用するものと見なければならないのです。イスラエル人が誘い込まれたものは,最初のうちは無害な娯楽を一緒に楽しむことのように見えたかもしれませんが,それでも2万4,000人が約束の地で生活する機会を失ったことを思い出してください。わたしたちはそのようになりたくないと思いませんか。そうであれば世の圧力に抵抗しなければなりません。自分をこの事物の体制に合わせないように戦う必要があります。欺かれてはなりません。道徳上の問題 ― 排斥することが必要になる問題であることもある ― を起こす人は,多くの場合,ディスコまたは他のいかがわしい娯楽場に出入りしていた人です。
21 ディスコというディスコが性的刺激を「強くし,誇張し,大きくしている」わけでないことは事実です。例えばあるレストランは“ディスコ”として宣伝されているかもしれませんが,音楽や踊りはほかの店に比べて極端ではないかもしれません。そしてそういう“極端でない”店にも行くべきではないと他の人々に言うことはエホバの証人の統治体や地元の長老たちのあずかるところではないでしょう。しかし,非常な注意が必要であることは確かです。ディスコが道徳的慎みをすべてかなぐり捨てたという評判は事実なのです。ディスコ音楽もそれに含まれます。その傾向を指摘して,歌手兼作詩作曲家のジョニー・ブリストルは,「今日,音楽が働きかける対象は性である」と言いました。まだかなりよい映画がいくらかあるように,ディスコ音楽の中にも,道徳的な堕落を招く恐れのないものもいくらかあることでしょう。しかしその傾向のあることは間違いのないところです。世が提供する娯楽は質が低下しており,淫行は必ずしも悪いことではないという見方をそれとなく持たせるように仕組まれているのです。しかし,淫行は悪いことです。そして神は「淫行の者」に不利な『裁き』を下されるのです。―ヘブライ 13:4。
22,23 自分はディスコテックに行っても霊的に害を受けないと考えても,円熟したクリスチャンはなぜそういう場所を避けるべきですか。
22 以上述べて来たことは,子供であれおとなであれ,あなたから楽しみを奪うのが目的であるなどと思わないでください。そのような考えは毛頭ありません。わたしたちはあなたが幸福であることを望んでおり,健全な生活を存分に ― 永遠に楽しまれることを願っています。しかしサタンは,遠い昔の時と同じように,エホバの不興をもたらす活動にあなたを誘惑するもの,つまり娯楽をもっています。その落とし穴に落ちないようにし,また他の人たちがそれに落ち込まないように助けてください。たとえ自分はあるディスコに行っても道徳的な害は受けないと考えようと,あなたがそこへ行くことが他のクリスチャンたちに影響を及ぼす可能性のあることを考えてください。あなたが行くのを見たために,潜在する危険への警戒を解き,悪行に巻き込まれるクリスチャンがいるかもしれません。使徒パウロは,それ自体は必ずしも悪くはない事柄でも,クリスチャンの兄弟たちの霊的健康を保護するためなら進んで断念する心構えをもっていました。「食物がわたしの兄弟をつまずかせるなら,わたしは二度と肉を食べません。わたしの兄弟をつまずかせないためです」とさえ言いました。もしパウロが現在わたしたちと一緒にいるとしたら,彼がディスコに行ってくつろいでいるところなどを想像できますか。―コリント第一 8:13。
23 ではわたしたちは一つに結合したクリスチャン団体として共に励み,エホバの恵みと義の新秩序における命をひとり残らず享受できるように,世の圧力に抵抗しましょう。
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夫なしで息子を育てるものみの塔 1979 | 7月15日
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夫なしで息子を育てる
夫の助けなしに子供を育てねばならないという問題に直面しておられますか。そうした重い責任を担うことはとてもできないと感じておられますか。私自身こうした状態に置かれていました。
私は自分の経験から,子供が成長するにつれ様々な問題や失意に直面することを知っていたので,子供たちにこうした事柄に立ち向かう準備をさせようと決意しました。
激動と混乱の子供時代
第二次大戦の始まる数年前,私はオーストリアで生まれました。1945年に私たちの国を襲った無意味な流血で最後まで苦しんだときのことを今だにはっきり記憶しています。戦争に疲れ果て,飢えと渇きで死寸前の状態だったドイツ人兵士たちは,捕虜として連行され,その列は
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