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  • 音楽 ― 脅威となるものがありますか
    ものみの塔 1983 | 4月15日
    • が「合奏と踊り」とをもって祝ったことを語っておられます。―ルカ 15:25。

      音楽は哲学を伝えることがあるか

      現代においては音楽は,日常生活の中で,以前よりもずっと強烈な役割を演じています。過去二,三十年の間に,巨大な世界産業が急速に発展し,幾百幾千万ものレコードやカセットが毎年製造されています。100年前なら,音楽に接する機会といえば,生の演奏を聴くか実際に演奏に参加するくらいのことで,それもたまにしか行なわれませんでしたが,今日では音楽を聴くのは毎日のことになっています。それで,音楽は一つの哲学を伝えることがあるかという質問を考えてみるのは適切と言えます。音楽が人の考えや生き方に影響を与えることがあるでしょうか。

      そのことを知る身近な手掛かりはラジオやテレビによる宣伝に見られます。コマーシャルの多くは音楽付きです。音楽の助けがあるので,商品の名前は人々の頭に ― 幼児や小児の頭にさえ ― 刻み込まれるのです。

      古代イスラエルにおいても,音楽が同じように利用されましたが,その目的ははるかに崇高なものでした。詩編は音楽に合わせて歌われました。それは人々が聖句を覚えるのに助けになったに違いありません。例えば,聖書の記録によると,ソロモンの神殿の奉献式の時に,レビ人の歌うたいたちが集まり,他の人々も「シンバル,弦楽器およびたて琴を持って」集まりました。また「彼らと共に百二十人もの祭司たちがいてラッパを吹き鳴らし……そして,ラッパを吹く者と歌うたう者たちが一人のようになって一つの声を聞かせ,エホバを賛美し,これに感謝し」たのです。この場合,音楽は人を感動させる建設的なものでした。音楽はエホバを賛美するのに役立ちました。―歴代第二 5:12,13。

      その時には詩編 136編が歌われ,演奏されたと思われますが,音楽は確かに歌詞を思い出すのに助けになったことでしょう。これは,音楽が一つのメッセージを伝え得ることを示す実例です。音楽はまた,歌詞があってもなくても,一つの商品を宣伝する,あるいは一つの哲学を伝達する,さらにはある生き方を勧める手段になることもあるのです。このことは,クラシック音楽の表現形式についても,現代の音楽の表現形式についても言えることです。

      例えば,ブリタニカ百科事典は,「多くの人々から歴史上最も偉大な作曲家とみなされている」ルートウィヒ・ファン・ベートーベンの伝記の中で,「彼は,歌詞の助けを借りずに人生哲学を伝達する音楽の力を,先人のだれよりも鮮明に示した」と述べています。世界的に知られている「田園交響曲」はその一例です。確かに音楽は人を動かし,人の感情に影響を及ぼします。

      別の例として,クラシック音楽愛好家の間で今人気のあるオーストリアの作曲家,グスタフ・マーラーの作品を考えてみましょう。ある音楽学者は,この作曲家に付きまとっていた「死の強迫観念」について述べ,彼が「人生に何らかの意義を発見することを求めてやまなかったこと,そしてそれがマーラーの生活と音楽を満たすようになった」ことを説明しています。マーラーの交響曲第1番の内容についてはその筆者は,「生の歓びが,死の強迫観念によって曇らされる」と述べ,さらにこう付け加えています。「交響曲第2番は死の強迫観念を持って始まり……霊魂不滅に対するキリスト教徒の信仰の率直な告白によって最高潮に達する。……これらの作品における宗教的要素は極めて重要な意味を持つ」。そこで生じる疑問は,マーラーの宗教的混乱,付きまとう強迫観念,そして神経症は,その音楽を聴く人々に影響を及ぼすかということです。

      別の例はストラビンスキーの「春の祭典」です。これはバレエ音楽で,一人の若い乙女が春の神をなだめるために死ぬまで踊り続ける異教の儀式を描いたものです。ある評論家は次のように書いています。その儀式が「この音楽に表現されているのである。この音楽からじかに印象づけられる最も著しい特徴はそのリズムの力 ― リズムのパターンの催眠的,脅迫的な力である」。その影響は驚くべきものであり,恐らく不安な気持ちにさせるとも言えるでしょう。事実,「ヨーロッパの音楽の伝統の確実性を覆すことが計算されていた」のです。

      ですから,クラシック音楽についても次のような自問をしてみなければなりません。特定の形式の音楽を聴き過ぎると自分は失意を感じたり,興奮し過ぎたりする傾向があるだろうか。作曲家の哲学がいつの間にか入り込み,自分の考えにマイナスの影響を与える可能性があるだろうか。もちろん,その作曲家の音楽が創造者とその偉大な業に対する信仰を覆すものでなければ,その作曲家の影響は中立的なものになるかあるいは大変プラスになることさえあるかもしれません。さらにまた,作曲家が何を意図していたかを全く知らずに音楽を聴くということもあり得ます。その場合,音楽に意味があったとしても,それは全く聴く人の想像次第ということになります。

      ところでこれらの規準は現代の音楽にも当てはまるでしょうか。現代の音楽は建設的でしょうか,それとも人を堕落させるものでしょうか。クリスチャンの道徳や霊性に脅威となるものでしょうか。次の記事ではこうした点や他の問題を検討してみましょう。

  • 音楽に見られる現代の傾向 ― あなたを動かすことができますか
    ものみの塔 1983 | 4月15日
    • 音楽に見られる現代の傾向 ― あなたを動かすことができますか

      では,現代の音楽,つまりロック,パンク,ファンク,リズム・アンド・ブルース,カントリー・アンド・ウェスタン,そして今日めまぐるしく登場する様々な傾向についてはどうでしょうか。歌詞のあるなしを問わず,それらの音楽は人の考え方に影響を及ぼしたり,霊性を覆したりすることがありますか。

      米国ニュージャージー州出身の元ロック・ミュージシャン,ビル・ミューレーンはこのことについて次のように説明しました。「私はロック・グループに入ってベースギターをひいていましたが,そのときに受けた影響はすべて肉的なものでした。絶えまない激しいビートと攻撃的なスタイルが身に染み込んできます。私は演奏するほうなので,そうしたビートやスタイルと一体になってしまいます。そして,聴衆がそれに反応を示し,同じ野蛮な衝動に巻き込まれるのを見守っていると,聴衆に一層強い影響を与えてやろうという気持ちになりました。サウンド

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