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  • あなたはどんな音楽が好きですか
    ものみの塔 1983 | 4月15日
    • それから何世紀か後に,神殿で行なわれる奉仕のために,「『わたしは賛美するために造った』とダビデの言った楽器でエホバを賛美する者[レビ人]は四千人」いました。(歴代第一 23:5)イスラエルの王であったダビデ自身も,十弦のたて琴の名手でした。ダビデは新しい楽器を考案したかもしれません。―詩編 144:9。歴代第二 7:6; 29:26,27。アモス 6:5。

      現代の音楽

      音楽が今日ほど普及したことはかつてなかったでしょう。音楽はラジオ,テレビ,レコード,カセットなどを通して広まっています。それに何と種類の多いことでしょう! フォーク,合唱曲,クラシック,オペラ,ジャズ,カントリー・アンド・ウェスタン,リズム・アンド・ブルース,ディスコ,様々な形式のロック・ミュージックなど,数え上げれば際限がなく,しかも常に変わっているのです。一つのポピュラーな形式が人気を失ってくると早速次のものが登場します。

      さて,あなたのお好みの音楽はどれでしょうか。好みによって実際に何らかの相違が生じますか。それは物の見方 ― ひいては将来に影響を及ぼすことがありますか。

  • 音楽 ― 脅威となるものがありますか
    ものみの塔 1983 | 4月15日
    • 音楽 ― 脅威となるものがありますか

      『音楽がどうして脅威になるのだろう。音楽も結局はただの音にすぎないではないか』と言う人があるかもしれません。なるほどそうです。しかし,音というものは人に大きな影響を与えることがあります。真夜中に聞こえる鋭い叫び声に反応しない人がいるでしょうか。また伝染しやすい笑いはどうでしょうか。聴衆の一人が無遠慮に笑うと,聴衆全体も爆笑するのはよくあることです。

      音楽には力がある

      さて,その音を音楽に換えてみましょう。歌や音楽のタイプによっては,足はやがてトントン床を踏み鳴らし,体は左右に揺れ,指はパチパチ鳴り,声はハミングし始めます。聴衆全体が影響を受けることもあります! 何の影響ですか。音楽の音の影響です。

      一つの例を挙げてみましょう。先に述べたダビデは一時,サウル王の宮廷で音楽を奏でる者として仕えていました。この若者はたて琴を『上手に弾き』ました。彼の奏でる音楽は苦悩するサウルの気持ちを静めました。―サムエル第一 16:18-23。

      音楽は人の感情をかき立てます。ジャズバンドがなじみの曲を演奏し始めると,群衆は立ち上がって踊り出すかもしれません。クラシック音楽の好きな人たちなら,チャイコフスキーの「1812年序曲」を聴くと感情の高まりを覚えるかもしれません。激しい戦闘,とどろく砲声,響き渡る勝利の鐘の音,まるで自分がその場にいるような錯覚にとらわれるかもしれません。確かに音楽には力があります。

      政治家や支配者たちは人々の心を動かすのにこの力を何世紀もの間利用してきました。国歌や愛国的な歌を歌わせるという方法でそれは行なわれました。ヒトラーとナチ党は,一般の人々を死と破滅への道に導くのに,当時のドイツ国歌「ドイチュラント,ドイチュラント イーベル アレス(ドイツよ,世界に冠たるドイツよ)」という国歌をどんなに利用したことでしょう。面白いことにこの国歌は,ハイドンの作曲したクラシック音楽を基礎にしていました。これに対抗して英国人は,「ゴッド・セイブ・ザ・キング(神よ王を守らせたまえ)」を熱心に歌いました。ヒトラーはワーグナーの音楽にも傾倒していました。

      聖書時代にも音楽が人を動かす力を持っていたことは明らかです。出エジプト記の中の記録によると,モーセがホレブ山に登ってエホバから律法の書き板をいただいていた間に,イスラエル人は待つのがもどかしくなり,モーセの兄弟アロンに別の神 ― 子牛の鋳物の像 ― を造るよう命じました。それから彼らは宗教的な祭りを行ない,その偶像に犠牲をささげました。次に何をしたでしょうか。「民は腰を下ろして食べたり飲んだりし,また立ち上がって打ち興じた」のです。―出エジプト記 32:1-6。

      モーセとヨシュアは山を下ったときにイスラエルの宿営で叫び声が上がるのを聞きました。ヨシュアはそれを戦闘のざわめきかと思いました。しかしモーセはその音が何であるか正確に判断しました。それは歌声でしたが,力ある戦いの業について歌う声でも敗北について歌う声でもなく,「ほかの歌声」でした。耳なれない音だったので,モーセにはその音楽が悪い事と関係のあることが分かりました。ではそれは何だったでしょうか。人々が金の子牛を囲んで歌い踊っていたのです。彼らは舞えや歌えの奔放な偶像礼拝を行なっていました。その間違った,不道徳な崇拝において音楽は大きな役割を果たしていました。―出エジプト記 32:7-25。

      この出来事には,今日のクリスチャンにとって幾つかの教訓となる事柄が含まれています。その一つは,音楽は人の心を動かし得るということです。現代の社会は音楽を非常に重視する社会です。しかし,エホバの証人がパーティーを開くとき,不品行に誘うような性的含みを持つ,騒々しい音楽や他のポピュラー音楽が幅をきかせてよいものでしょうか。そのようなことは決してあってはなりません! ところがここ数年,長老や親の中にさえそれを大目に見る人がいたために,この点で締まりのなくなる傾向が見られました。この種の音楽には,不道徳,反抗,麻薬,そして心霊術さえもほめたたえるものがあるのです。

      これは,音楽そのものに必ずマイナスの影響力があるという意味でしょうか。決してそういうことではありません。先にも述べた通り,音楽はエホバに対する神聖な崇拝においても用いられました。またイエスは,戻って来た放とう息子の例えの中で,父親が「合奏と踊り」とをもって祝ったことを語っておられます。―ルカ 15:25。

      音楽は哲学を伝えることがあるか

      現代においては音楽は,日常生活の中で,以前よりもずっと強烈な役割を演じています。過去二,三十年の間に,巨大な世界産業が急速に発展し,幾百幾千万ものレコードやカセットが毎年製造されています。100年前なら,音楽に接する機会といえば,生の演奏を聴くか実際に演奏に参加するくらいのことで,それもたまにしか行なわれませんでしたが,今日では音楽を聴くのは毎日のことになっています。それで,音楽は一つの哲学を伝えることがあるかという質問を考えてみるのは適切と言えます。音楽が人の考えや生き方に影響を与えることがあるでしょうか。

      そのことを知る身近な手掛かりはラジオやテレビによる宣伝に見られます。コマーシャルの多くは音楽付きです。音楽の助けがあるので,商品の名前は人々の頭に ― 幼児や小児の頭にさえ ― 刻み込まれるのです。

      古代イスラエルにおいても,音楽が同じように利用されましたが,その目的ははるかに崇高なものでした。詩編は音楽に合わせて歌われました。それは人々が聖句を覚えるのに助けになったに違いありません。例えば,聖書の記録によると,ソロモンの神殿の奉献式の時に,レビ人の歌うたいたちが集まり,他の人々も「シンバル,弦楽器およびたて琴を持って」集まりました。また「彼らと共に百二十人もの祭司たちがいてラッパを吹き鳴らし……そして,ラッパを吹く者と歌うたう者たちが一人のようになって一つの声を聞かせ,エホバを賛美し,これに感謝し」たのです。この場合,音楽は人を感動させる建設的なものでした。音楽はエホバを賛美するのに役立ちました。―歴代第二 5:12,13。

      その時には詩編 136編が歌われ,演奏されたと思われますが,音楽は確かに歌詞を思い出すのに助けになったことでしょう。これは,音楽が一つのメッセージを伝え得ることを示す実例です。音楽はまた,歌詞があってもなくても,一つの商品を宣伝する,あるいは一つの哲学を伝達する,さらにはある生き方を勧める手段になることもあるのです。このことは,クラシック音楽の表現形式についても,現代の音楽の表現形式についても言えることです。

      例えば,ブリタニカ百科事典は,「多くの人々から歴史上最も偉大な作曲家とみなされている」ルートウィヒ・ファン・ベートーベンの伝記の中で,「彼は,歌詞の助けを借りずに人生哲学を伝達する音楽の力を,先人のだれよりも鮮明に示した」と述べています。世界的に知られている「田園交響曲」はその一例です。確かに音楽は人を動かし,人の感情に影響を及ぼします。

      別の例として,クラシック音楽愛好家の間で今人気のあるオーストリアの作曲家,グスタフ・マーラーの作品を考えてみましょう。ある音楽学者は,この作曲家に付きまとっていた「死の強迫観念」について述べ,彼が「人生に何らかの意義を発見することを求めてやまなかったこと,そしてそれがマーラーの生活と音楽を満たすようになった」ことを説明しています。マーラーの交響曲第1番の内容についてはその筆者は,「生の歓びが,死の強迫観念によって曇らされる」と述べ,さらにこう付け加えています。「交響曲第2番は死の強迫観念を持って始まり……霊魂不滅に対するキリスト教徒の信仰の率直な告白によって最高潮に達する。……これらの作品における宗教的要素は極めて重要な意味を持つ」。そこで生じる疑問は,マーラーの宗教的混乱,付きまとう強迫観念,そして神経症は,その音楽を聴く人々に影響を及ぼすかということです。

      別の例はストラビンスキーの「春の祭典」です。これはバレエ音楽で,一人の若い乙女が春の神をなだめるために死ぬまで踊り続ける異教の儀式を描いたものです。ある評論家は次のように書いています。その儀式が「この音楽に表現されているのである。この音楽からじかに印象づけられる最も著しい特徴はそのリズムの力 ― リズムのパターンの催眠的,脅迫的な力である」。その影響は驚くべきものであり,恐らく不安な気持ちにさせるとも言えるでしょう。事実,「ヨーロッパの音楽の伝統の確実性を覆すことが計算されていた」のです。

      ですから,クラシック音楽についても次のような自問をしてみなければなりません。特定の形式の音楽を聴き過ぎると自分は失意を感じたり,興奮し過ぎたりする傾向があるだろうか。作曲家の哲学がいつの間にか入り込み,自分の考えにマイナスの影響を与える可能性があるだろうか。もちろん,その作曲家の音楽が創造者とその偉大な業に対する信仰を覆すものでなければ,その作曲家の影響は中立的なものになるかあるいは大変プラスになることさえあるかもしれません。さらにまた,作曲家が何を意図していたかを全く知らずに音楽を聴くということもあり得ます。その場合,音楽に意味があったとしても,それは全く聴く人の想像次第ということになります。

      ところでこれらの規準は現代の音楽にも当てはまるでしょうか。現代の音楽は建設的でしょうか,それとも人を堕落させるものでしょうか。クリスチャンの道徳や霊性に脅威となるものでしょうか。次の記事ではこうした点や他の問題を検討してみましょう。

      [5ページの図版]

      音楽は悪い目的のために用いられることがある

      [6ページの図版]

      この作曲家たちの音楽はすべて建設的なものですか

      マーラー

      ワーグナー

      ストラビンスキー

  • 音楽に見られる現代の傾向 ― あなたを動かすことができますか
    ものみの塔 1983 | 4月15日
    • 音楽に見られる現代の傾向 ― あなたを動かすことができますか

      では,現代の音楽,つまりロック,パンク,ファンク,リズム・アンド・ブルース,カントリー・アンド・ウェスタン,そして今日めまぐるしく登場する様々な傾向についてはどうでしょうか。歌詞のあるなしを問わず,それらの音楽は人の考え方に影響を及ぼしたり,霊性を覆したりすることがありますか。

      米国ニュージャージー州出身の元ロック・ミュージシャン,ビル・ミューレーンはこのことについて次のように説明しました。「私はロック・グループに入ってベースギターをひいていましたが,そのときに受けた影響はすべて肉的なものでした。絶えまない激しいビートと攻撃的なスタイルが身に染み込んできます。私は演奏するほうなので,そうしたビートやスタイルと一体になってしまいます。そして,聴衆がそれに反応を示し,同じ野蛮な衝動に巻き込まれるのを見守っていると,聴衆に一層強い影響を与えてやろうという気持ちになりました。サウンドがそういう種類のサウンドなのです。音が人をとりこにしてしまうのです。もちろん,当時の私は大抵麻薬の影響下にありました。聴衆の中にもそういう人が大勢いました。ですから陶酔感が高揚してくるわけです。それは,ご承知の通り,慎みというものを全部かなぐり捨てたも同然です。自由奔放になって自制心も何も忘れてしまえるのです。

      「若い人々が,このごろ出る様々なサウンドの多くを好む理由はそこにあると思います。それらのサウンドとそれが伝えるメッセージに彼らは共感を覚えるのです。振り返ってみると,そのメッセージは世界と現代生活について彼らが感じていることを反映しているのが分かります。結局,人類の頭上には核の脅威がぶら下がっています。我々がこれから先どれほど生きられるかはだれにも分かりません。だから彼らは,『できるうちに人生を楽しめ。人生から得られるものを最大限に楽しめ』という態度を取るのです」。

      共感についてのこの意見は,問題の最も重要な点にわたしたちを導きます。(コリント第一 15:32と比較してください。)現代の音楽に見られる傾向のほとんどは真のクリスチャンが共感を覚えてよいようなものでしょうか。最近,カナダの新聞トロント・スター紙は,「ザ・チューブス[サンフランシスコのロック・グループ]のコンサートはセックスとサディズムの融合である」と伝えています。筆者はさらに,「ザ・チューブスにとって社会風刺なるものは,第三者にとってはサド・マゾヒズム,性のとりこ,冒とく,倒錯でしかないであろう」と評しています。キリスト教がそのようなものと何を共有できるでしょうか。

      ニューヨーク・ポスト紙は,「ローリング・ストーンズのサタン的な世界」と題する記事を掲げました。それは,このグループが麻薬に関係していることを伝える丸1ページの記事でした。麻薬,セックス,サタンなどに対するローリング・ストーンズの態度は,彼らの音楽にはっきり表われています。そのような態度に同調しながら他方でキリストに共感を覚えることができるでしょうか。―コリント第二 6:14,15。

      音楽と心霊術

      残念ながら,多くの現代の音楽にひそむ危険で,良心的なクリスチャンが考慮に入れなければならないのは,それだけではありません。使徒パウロはクリスチャンに次のように勧めています。「悪魔の策略[「悪巧み」,ギリシャ語聖書の王国行間逐語訳]にしっかり立ち向かえるように,完全にそろった,神からの武具を身に着けなさい。わたしたちのする格闘は……この闇の世の支配者たちと,天の場所にある邪悪な霊の勢力に対するものだからです」。(エフェソス 6:11,12)この警告を決してなおざりにすべきではありません。悪霊の影響は広まり放題です。人々を,とりわけ精力的な世代をだますのに音楽を利用すること以上にうまい方法があるでしょうか。

      今では現代のグループの多くが,心霊術やオカルトの儀式に深いかかわりを持つようになっています。また自分たちの音楽を通して東洋の宗教や哲学を奨励しようとするグループもあります。例を挙げてみましょう。

      ジャズ評論家のロバート・パーマーは,「ジャズ・アルバムに浸透する妖術」という見出しで,ザ・アート・アンサンブル・オブ・シカゴと呼ばれる黒人ジャズ・グループについてニューヨーク・タイムズ紙に次のように書いています。「ザ・アート・アンサンブル・オブ・シカゴの掲げるスローガンは,『古代から将来にまで及ぶ偉大な黒人音楽』である。……しかし,この音楽は黒人音楽という意味においてのみ黒いのではない。真夜中になされるブードゥー教の呪術の黒さ……がある。悪意のある黒さとまではいかないが,これは最も騒々しいパーティーの時にさえかけないような種類のレコードである。……それは暗黒の奥深くに分け入る幻想の旅である」。キリストの弟子である者がその種の音楽を自分のコレクションの中に入れておきたいと思うでしょうか。

      パウロが邪悪な霊の勢力についてエフェソスのクリスチャンに語った事柄に照らして考えるなら,現代のクリスチャンが悪霊崇拝や心霊術を称揚するレコードを自分のコレクションの中に持っているのは道理にかなったことでしょうか。あるグループがオカルトの研究や儀式に深いかかわりを持っていることが分かっている場合に,その影響が歌詞やビートやレコード・アルバムのカバーなどに少しも入り込まないと考えるのは安全でしょうか。

      例えば,一つのグループは「ミスター・クローリー」と呼ばれる曲を演奏します。ミスター・クローリーとはだれのことでしょうか。この人は20世紀の悪魔崇拝者で現代の魔法を奨励している人です。多くの場合,エホバのクリスチャン証人はアルバムのカバーを一見しただけで,そのレコードを買うかどうかを決められるはずです。魔法や悪霊崇拝を表わすもの,あるいは異教やオカルトのシンボルなどが描かれているならなおのことです。

      以前ナイトクラブで演奏していたゴードン・グラントは,米国のロサンゼルスでジャズを,次いでロックを演奏して生計を立てていましたが,このように述べています。「わたしが関係していたグループは皆ある程度心霊術に手を出していました。初対面の人と話すときの最初の話題は『君は何座?』です。彼らは占星術を信じているので,人が十二宮のどの座であるかは非常に大切なのです」。あなたは占星術や他の悪霊崇拝的な儀式を行なう者と見られたいと思いますか。―申命記 18:10-13。

      音楽と不道徳

      使徒パウロはエフェソス人に送った手紙の中で,今日においても,音楽の分野にもやはり当てはまる,もっと率直な助言を与えています。パウロは次のように勧めました。「聖なる民にふさわしく,あなた方の間では,淫行やあらゆる汚れまた貪欲[性に関係した貪欲も含む]が口に上ることさえあってはなりません。また,恥ずべき行ない……卑わいな冗談など……があってもなりません」― エフェソス 5:3-5。

      親の皆さんも若い人たちも,店頭にある,あるいはすでに家庭にあるかもしれないレコードの歌詞を調べたことがありますか。あなたは曲が覚えやすいと考えているかもしれず,そのビートが好みに合っているのかもしれません。最初のうちは歌詞のことなど考えず,いつの間にかメロディーをハミングするようになります。スケート場にもこの種の音楽をかけるところがあります。エホバの証人がその音楽のかかっている中でスケートをするのは正しいことでしょうか。『でもそれがどうして危険なのですか』と尋ねる人があるかもしれません。

      ポピュラー・グループは自分たちの音楽を通して,淫行や麻薬を一つの生き方として受け入れさせるのです。その音楽は彼らの生活様式を伝えます。最近出たあるアルバムには,「ベッドの中の君を知りたい」とか「あの娘はホット,あの娘はセクシー」といった歌詞が見られます。ある有名な歌手はアルバムのカバーそのものに,「相手がだれであろうと,合意した者同士のセックスが間違っているとは少しも思わない。……道徳的に過ぎる哲学がいいとは考えていない」という意見を述べています。真のクリスチャンたちの思いと,そのような歌詞や哲学に表わされている態度とが一致するどんな可能性があるでしょうか。キリストの追随者たちがこのような『疎外された考え』に共感を覚えてよいものでしょうか。―エフェソス 4:18。創世記 39:7-12と比較してください。

      音楽と年配の世代

      年配の世代の人々は,こうしたことはみな若い人々と彼らの音楽だけに当てはまるのだと考えがちです。しかし,昔を懐かしがる人々が今でも楽しんでいる二,三十年前のヒットソングはどうでしょうか。「ビッグ・スペンダー」はお客を“引っ掛け”ようとする一人の売春婦を描いた歌です。「フィーバー」には激しい性欲を薄く覆っただけのような表現が用いられています。「日曜はだめよ」も売春婦の歌です。当時,それらのメロディーがどんな事柄と関係しているかを考えずに楽しんでいた人はどれほど大勢いたでしょうか。

      普通ならばわたしたちがただちに拒否するような堕落した考えや哲学を,音楽を通して心に抱かせようとするサタンの悪巧みの巧妙さを示す例は枚挙にいとまがありません。このことは何を示しているでしょうか。老若を問わずわたしたちすべてが自分の楽しんできた音楽の種類を真剣に考えてみる必要があるということです。わたしたちは気付かずにこの世の「下劣なよどみ」と一体になってきたかもしれません。―ペテロ第一 4:4。

      これは会衆内の長老であろうと,親であろうと若い人々や子供であろうと,すべてのクリスチャンが考えてみなければならない事柄です。スペースが限られているために,一部の“堅い”音楽や現代の音楽の特色が退廃的な影響を与えることについての証拠をすべて挙げることはできません。しかし,良心的なクリスチャンはみな音楽に対する自分の趣味と自分がどんなレコードを集めているかをよく検討し,聖書に基づく健全な考え方に従って行動するのはよいことです。

      クリスチャンはどうすることができるか

      パウロがエフェソスで神の言葉を宣べ伝えた時,その宣教は非常な成功を収め,オカルトを習わしにしていた人々が多数キリスト教を受け入れ,自分たちの将来の霊性を守るための行動を取りました。次のように記録されています。「実際,魔術を行なっていたかなり大勢の者が自分たちの[心霊術の]本を持ち寄って,みんなの前で燃やした。そして,それらの値を計算してみると,合わせて銀五万枚になることが分かった。このようにして,エホバの言葉は力強く伸張し,また行き渡っていった」― 使徒 19:18-20。

      あなたの場合にもエホバの言葉が伸張し,また行き渡るでしょうか。必要とあらばあなたは,エホバの「聖なる民」の一員にふさわしい者と考えていただけるような行動を取るでしょうか。(エフェソス 5:3)このほど,エホバに全時間仕える僕たちの大きなグループの前でこの問題を正面から取り上げたところ,内容が不道徳であったり,悪霊的な傾向があったり,この世の堕落した生き方を支持したりしているという理由で数個のごみ箱が一杯になるほどのアルバムが捨てられ破壊されました。重視すべき要素は,それらのアルバムの金銭的価値ではなく,それらが霊的価値を持つものに対して及ぼし得る有害な影響でした。

      中には,現代のグループや音楽の形式についてもっと明確に述べてほしい,と考える人があるかもしれません。しかし使徒パウロは,「固い食物は,円熟した人々,すなわち,使うことによって自分の知覚力を訓練し,正しいことも悪いことも見分けられるようになった人々のものです」と述べています。(ヘブライ 5:14)円熟したクリスチャンなら,聖書で訓練された良心を働かせることによって,受け入れ得るタイプの音楽を見分けるのは難しくないはずです。エホバの証人は,自分の行動を律するのにタルムードのような禁止条項のリストや,禁じられた音楽のいわば“禁書目録”のようなものを必要としません。各自が,音楽を選ぶことをも含めすべてのことにおいて,天の父に喜ばれるよう識別力を働かせるようにしましょう。―エフェソス 5:18-20。フィリピ 1:9-11。

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