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  • 細胞がわたしたちに告げること
    目ざめよ! 1974 | 4月22日
    • ば(学生たちは植物についても同様の疑問を提出した),染色体数の増加という面で何か一定の型があるのではなかろうか,という点である」。

      そのようなものがありますか。人間の場合,その体細胞の染色体数は46です。では,人間ほど複雑でない植物や動物の場合,その染色体の数はそれより少ないであろうと考えられます。ところが,実際はそうではありません。幾つのか例を挙げると,ハツカネズミは48,シマスカンクは50,オナガザルは54,牛は60,そしてロバは62の染色体を有しています。じゃがいもでさえ48,綿は52の染色体を持っています。そして,オーラカンサと呼ばれる単細胞の原生動物には1,600もの染色体があります。

      このように,進化論を真実と見る場合に当然期待されるような,染色体数の定型的な増加は見いだされません。むしろ,見いだされるのは,それぞれのグループの生物が固有の染色体構成を持ち,常にその状態にとどまっていることです。それこそ,それぞれの種類が固有の特性を持つものとして個別的に創造され,他の種類と関連を持たないものであれば,当然に期待されることです。

  • それはどのように起きるか
    目ざめよ! 1974 | 4月22日
    • それはどのように起きるか

      もう一つ直面しなければならない問題があります。つまり,進化が事実であるとすれば,それはどのようにして起きるのか,という点です。単細胞の動植物を変様させ,より高等な形態の生物へと変化させてゆくものがあるとすれば,それはなんですか。

      進化論者は,細胞の核の中に起きる変化がこれと関係を持っている,と言います。そして,遺伝子が進化の主要なしくみを支配している,と信じています。遺伝子とは染色体の主要構成分であり,遺伝の担い手です。

      そうした遺伝子に起きる変化は突然変異と呼ばれます。そして,この突然変異が,新しい特性の出現や,単細胞の生物が人間にまでも進化した理由を説明するものである,と言われています。英国の遺伝学者P・カーラーはこう述べます。「突然変異が生物変異の道を与える。それゆえ,突然変異は進化の過程に欠くことのできない要因である」。

      突然変異によって新しいものが作られるか

      しかし,そうした変化,つまり突然変異によって,新しい特性がほんとうに作り出されるのですか。いいえ,そうではありません。ムーア教授はこう指摘します。「遺伝子に起きる突然変異はすべて,すでに存在し,あるいは知られている形質を変化させたかたちで現われるにすぎない」。したがって,遺伝子に起きる突然変異はすべて,すでにそこにある形質の変異にすぎません。それによって生物の変種は作られますが,全く新しいものが作り出されることはありません。

      例えば,遺伝子に起きる突然変異によって,人の髪の毛の色・堅さ・長さなどの変わることがあるかもしれません。しかし,髪の毛は常に髪の毛です。それが羽に変わるようなことはありません。また,突然変異によってある人の手に何か変化の起きることがあるかもしれません。しかし,それは常に手であり,鳥の翼になるようなことはありません。さらに,そうした変化は,平均的な状態を中心として,その周辺の一定の範囲内で起きているにすぎません。例を挙げれば,身長が2㍍に達する民族(アフリカの一種族)と,120㌢ほどの民族(ピグミー族)とがあり,2㍍を超える人(聖書は2㍍80㌢を超えたゴリアテのことを述べている)や,120㌢に達しない人もいます。しかし,突然変異によって,身長が6㍍を超えたり,あるいは20㌢に満たなかったりする人が生まれ出ることはありません。身長差はおおむね,中心的な平均である150㌢から180㌢の間,あるいはその前後で起きています。

      また,突然変異による変化は普通はごくわずかなものであり,それによって全く別の特性が現われ出ることはありません。「ダーウイン再考」の著者が,信頼される遺伝学者であった故リチャード・ゴールドシュミットについて次のように述べたのはそのためです。「ミバエの突然変異を幾年にもわたって観察したのち,ゴールドシュミットは絶望感をいだくようになった。変化はどれも全く微細であり,同一標本に一千の突然変異が重なっても,依然として新しい種は生じないであろう,というのが彼の嘆きであった」。

      さらに大きな問題

      しかし,ここにはさらに大きな別の問題があります。それは,正常なかたちから離れたそうした変化の性質と関係しています。染色体に起きるものであれ遺伝子に起きるものであれ,それらの変化は概して好ましくない変化なのです。

      例えば,「染色体と遺伝子」という本は,染色体に生じる変化について,「身体的にも知能的にも欠損を生み出す場合が多い」と述べています。人が46ではなく47の染色体を持って生まれると,その人はモウコ症その他の知能および身体的な欠損を持ちがちです。そして,染色体数が48になると,その人は知能的に不全,身体的に奇型になります。

      遺伝子性の突然変異についても同じことが言えます。進化論者カーラーは次のことを認めています。「遺伝子に起きる突然変異の多くは退行的なもの,また有害なものであり,致命的な作用を持つ場合が多い」。彼はさらにこう語ります。「広範囲な研究の結果として証明できることであるが……突然変異の大部分はその変異の起きた遺伝子を持つ個体に対してマイナスの影響を持つ。実験から言えば,好結果のもしくは有用な突然変異は数千の突然変異につき一つであり,他はすべて有害なものである」。

      したがって,一般にも認められていることですが,突然変異は,それの起きた個体を,変異の起きていない正常な個体よりも弱く,繁殖力に乏しく,短命なものとするのが普通です。ステビンズは,突然変異の起きた昆虫を正常種といっしょにして競争させると結果はいつも同じになったことを述べています。つまり,「何世代かかるかは場合によって異なるとしても,突然変異体はやがて除去されてしまう」のです。それらは退歩したものでしたから,十分に成育することができませんでした。

      突然変異が進化のためにそれほど重要なものであるなら,当然わたしたちはそれを歓迎し,それをできるだけ多く起こそうとします。しかし,アシモフの述べることに注意してください。「放射線にさらされる度合が大きくなると,突然変異の発生率は高まる。これはやっかいな事実である。たいていの突然変異は悪い方向への変異だからである」。それでも,この点を自認したあとで,彼はこう結んでいます。「しかし,結局のところ,突然変異が進化の過程を前へ上へと押し進めることはまちがいない」。これは分別のある言い方ですか。

      複雑で驚嘆すべき機能を備えた細胞・組織・器官また生体作用などのすべてが,実際には打ち壊す働きをするものによって作り上げられたというのは,筋の通った考え方ですか。進化論者自身が認めるとおり,「好結果のもしくは有用な突然変異は数千の突然変異につき一つである」ことを忘れないでください。

      あなたが家を建てようとする場合,数千の仕事をしてやっと一つだけ正しい仕事のできるような建築士にそれを依頼したいと思いますか。数千回の判断のうちやっと一度だけ正しい判断のできるような人の運転する車に乗りたいと思いますか。手術のさいに数千回の手違いをしてやっと一度だけメスを正しく操れるような外科医がいる場合,あなたはその人に自分の手術を担当して欲しいと思いますか。

      突然変異によって目ができるか

      さらに例を挙げましょう。人間の目はそのようなまちがいだらけの過程を経て作り上げられたのでしょうか。視覚が作用するためには,目を構成する多くの部分がすべて整い,完全に作動しなければなりません。ごく微小の部分が働かず,あるいは何かが欠けているだけでも,目はその機能を果たせません。それは役にたたないのです。

      進化論者は,“自然”はその生体に当面役だつ変化あるいは利点となる変化だけを受け入れる,と論じます。その理論にしたがえば,目は決して形成されなかったでしょう。

      人間の目,動物の目,昆虫の目,鳥の目,魚の目など,目にはいろいろな形状のものがあることも考えてください。こうした多様な目があることは,目の進化がいろいろなしかたで何度も繰り返し起きなければならなかったことを意味しています。あなたは,いろいろな形式のカメラがそのようにして「偶然に」でき上がったという話を聞いたことがありますか。もとよりないはずです。カメラにはその設計者と製作者が必要です。しかも,カメラは,目に比べればずっと単純なのです。

      したがって,進化論者サリスベリーが目に関して語った次のことばも理解できます。「一度でもそのようなものが生じたことに関してそれはきわめて下手な説明であるが,現代の[進化]理論にしたがってそうしたことが幾度も起きたと考えなければならないことを思うと,わたしは頭のくらくらするものを感じる」。

      加えて,突然変異はどれほどのひん度で起きるのですか。「ワールド・ブック百科事典」は,「自然の突然変異はきわめてまれにしか起きないために,研究者たちはこの分野の研究にそれほどの成果を上げることができなかった」と述べています。そして,突然変異の研究をするためには,それをX線や化学薬品によって誘発しなければなりませんでした。進化論者ステビンズはこう述べます。「突然変異の発生率にはかなりの幅があるが……それは常に低度のものである。『自然性の』突然変異の原因を突きとめる直接の実験は,その発生ひん度が低いためにほとんど不可能である」。また,カーラーはこう述べます。「そうした過ちが遺伝子内に起きる確率は一億分の一である」。

      進化,それとも退歩?

      ここにあるように,突然変異は一種の「過ち」と呼ばれています。そうした過ちの起きる可能性は「一億分の一」です。しかも,そうして起きるもののうち,「好結果のもしくは有用な突然変異は数千の突然変異につき一つ」です。

      こうした証拠を見て,あなたはどのように結論されますか。突然変異は進化論の核心をなしていますが,その核心は確固たるものですか。あるいは,生物の基本種類内の各個体は突然変異によってむしろマイナスの影響を受けることのほうがずっと多いのではありませんか。そして,なんらかの良い変化が起きる場合でも,それは基本種類内の変種を生み出すにすぎないことを,事実は示しているのではありませんか。

      進化論の主要な支柱であるこの突然変異に関する問題の要約として,ミシガン州立大学のムーア教授のことばに注意してください。

      「DNA(デオキシリボ核酸)の突然変異的な変化は一種の過誤であり,基本的には,既知の身体的特性の退歩・衰退という結果になる遺伝子の突然変異が,多くの場合,生育力の喪失,生殖力の喪失,さらにはその個体の致死的な状態をさえ招くことは容易に証明できる。……

      「遺伝子の“好ましい”突然変異についてとかく口にする人々がいる。ガの色の変化,バクテリアの食性の変化などは遺伝子の“好ましい”突然変異の例としてよく挙げられる。しかしながら,ガやバクテリアなどのそうした変化は,生物のその種類内のものにすぎず,種類の限界を越えたものではない。……

      「厳密な調査と分析をする場合,……遺伝子の突然変異がいっさいの進化過程の原材料であるという独断的な主張は……神話的な言説にすぎない」。

      [13ページの図版]

      一回の正しい判断をするためにいつも数千回の誤った判断をするような人の運転する車に乗ることを,あなたは望むだろうか。ところが,有用な突然変異は,有害な突然変異数千回に対して一回しか起きない

      [14ページの図版]

      突然変異のようなまちがいだらけの過程によって人間の目が作られたのだろうか

  • 生物が証言する事がら
    目ざめよ! 1974 | 4月22日
    • 生物が証言する事がら

      大きな生物の世界に目を向ける場合,一つの種類の生物が別の種類の生物に変わってゆくという証拠がどこかに存在しますか。“下等な”形態の動植物と“高等な”形態の動植物との間に,その両者をつなぐ漸進的な変化のあとがありますか。

      進化論が真実であるとすれば,そうしたものが存在するはずです。一方,聖書が真実であるとすれば,それは存在しないはずです。

      今日生存している動物の世界を見る場合,それはわたしたちに何を告げますか。一つの種類の生物が別の種類の生物に徐々に変わってゆく過程を観察することができますか。

      進化論を支持する「生物進化の過程」という本の中に次のことが記されています。「確かに,生物の主要な種族が進化によって発生するのを実際に見た生物学者はいない」。

      なぜですか。生物の主要な種族の進化を見た人がいないのはなぜですか。

      進化論者は,進化が幾百万年という歳月をかけて起こるのに対して,人間はそれを観察できるほど長く生きないからである,と答えます。しかし,そのような結論を証拠づけるものはありません。これも「推測」です。実際の証拠だけに基づいて考える場合,それから得られる答えは異なったものとなります。

      過渡的な段階のものはない

      今日生きている生物の間にそうした進化を見ることができないのは,どのような形態の生物もそれぞれ完全に整った状態にあるからです。別の種類の生物に移行しつつある過渡的な段階のものは一つも観察されません。別のものへの進化の過程にある,部分的に発達した器官や体の部分などはどこにも見いだされません。目・耳・翼・手・足・その他の器官は,どのような動物に備わっている場合でも,“中間的な”段階にはありません。それは全く整っており,それを持つ生物体の有用な器官となっています。

      人間の体にある虫垂や扁挑などの器官を指摘して,それらが進化の“なごり”である,と唱えた人もいます。しかし,知識が進むにしたがって,そうした器官が決して遺物などではなく,明確な用途のあるものであることが明らかにされました。

      現存している生物の中に過渡的な形態のものがないということは,現代進化論の“父”とされるチャールズ・ダーウインの時代にも注目された点でした。今から一世紀以上前,ダーウインはこう記しました。

      「現存の種がごくわずかな変化を重ねて他の種から徐々に変わってきたというのであるなら,過渡的な形態のものがいたるところに無数に見られないのはなぜか。今日見るとおり,それぞれの種がはっきり

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