ものみの塔 オンライン・ライブラリー
ものみの塔
オンライン・ライブラリー
日本語
  • 聖書
  • 出版物
  • 集会
  • 諸国民すべてが神と正面衝突する時
    ものみの塔 1972 | 1月1日
    • 領域の諸国民は,エホバ神のための証言を行ない,かつキリストによる神の王国の良いたよりを世界中に広く宣べ伝えている油そそがれたクリスチャンを迫害するという点ですでに悪評を得ています。したがって,それら諸国民が大いなるバビロンを滅ぼし,次いで,これら召されて選ばれた油そそがれた忠実な者たちに恐るべき仕方ではむかう時,諸国民は「キリストの大使」に逆らって,つまり「天のエルサレム」なる神の都の市民に敵して不敬虔な行動を取っていることになります。彼らが自分たちのただ中で見ているそれら,忠実な者たちと戦う時,彼らはイエス・キリストもエホバ神をも見ることはできなくても,王の王であられる小羊イエス・キリストと戦っていることになります,目に見えない神とそのキリストとの戦いで,これ以上に明らかな戦いがあるでしょうか。この点についてイエス・キリストご自身,「事物の体制の終局」に関する最後の預言の中で,こう言われました。「わが兄弟なる此等のいと小き者の一人になしたるは,即ち我に為したるなり」― マタイ 25:40; 24:3。

      衝突! その生存者たち

      48 何が生ずるのは必至ですか。それはどんな預言的な場所で起こるのですか。

      48 神との衝突は必至です。それは何を意味しますか。それは「全能の神の大いなる日の戦い」にほかなりません。その時までに諸国民は最後の戦場,すなわち「ヘブル語でハルマゲドンと呼ばれる場所」として預言的に述べられている世界情勢の危機的な段階に達していることでしょう。黙示 16:14-16,新。

      49 諸国民すべてはどこに向かって行進していますか。何をするよう,神は彼らを招いていますか。比較していえば,諸国民は神にとってどんなものといえますか。

      49 今や諸国民はすべてハルマゲドンに向かって行進しています! 聖書の時間表および聖書預言の成就としての世界のできごとからすれば,これだけは確かです。神との対決が迫っています! 神が言われるとおり,神にとって諸国民すべてはいっしょにしても,水をからにしたバケツから落ちるしずくの一滴にすぎません。(イザヤ 40:15)行動すべき時が来たゆえに,神はヨエル書 3章9-12節の預言のことばをもって諸国民すべてに挑戦し,神と相会して戦うよう招いています。いかに徹底的に備えようと,神とキリストによる神の政府とをあなどれるほど強力であると感じようとも,諸国民の立場は,あたかも1匹のありが鉄道線路にじっとすわって,驀進してくる巨大なディーゼル機関車に向かって昂然と,「止まれ! おれをひけるものか! ひけるものなら,ひいてみろ!」と叫ぶようなものです。

      50 いまやどのようにして衝突が生じますか。国際連合が政治支配の「像」の危難を救えるかどうかについて預言はなんと述べていますか。

      50 すさまじい音をたてて正面衝突が起こります! ご覧なさい,国際連合機構が見えます! それは一歩も引かずに,神からの猛攻撃をはねつけられるでしょうか。神の預言は否と答えます。神の宇宙的な山から切り出され,神ご自身の手で投げつけられたその王国の石は,地球に対する人間の支配を表わす象徴的な「像」を今や打つのです。石が鉄に激突すれば,耳をつんざくばかりのごう音がとどろきます。聞こえますか。何かが砕かれています! 砕かれているのはその石ですか。そうではありません。人間の支配者による世界支配を目ざす鉄のような抗争者たちすべてを打ち砕いているのはその石なのです。今度は,何かをすり砕く,あの耳ざわりな音を聞いてごらんなさい。バビロンを表わす金の頭をもって始まった,悪魔に制御される政治支配を表わす倒れた「像」全部を,その石が粉々にすり砕いているのです!

      51 象徴的な「像」の粉のような残存物はどうなりますか。勝利を収めて戦場に残るのはだれですか。

      51 神の義憤の暴風は,神に敵するその政治的な「像」のそれら粉のような残存物を,脱穀場からもみがらを吹き払うように一掃します。古い事物の体制のこん跡はことごとく永遠に拭い去られます。聖書巻末の書に描写されているとおり,(黙示 19:11-21,新)ハルマゲドンにおける「全能の神の大いなる日の戦い」は,戦場に残る唯一の者たちであるエホバ神と天のその軍勢の輝かしい勝利をもって終わります。その時,世界支配の論争は,エホバに利するものとして永遠に解決されるでしょう!

      52,53 生存者の避難所となるのは地上のどこですか。彼らはその戦いに参加しますか。彼らは神の至上権のためのどんな祈りに神が答えられるのを見ますか。

      52 このすさまじい衝突が起こる時,地上にはどこか安全な場所がありますか。その衝突に生き残れる人間がいますか。そのような場所はありますし,そのような人もいます。ただし,それはエホバ神の側だけに限られます。「なんぢの眼はただこの事をみるのみ,なんぢ悪者のむくいを見ん なんぢさきにいへりエホバはわが避所なりと なんぢ至上者をその住居となしたればなり 災害なんぢにいたらず」という神の約束のことばがあてはまるのは,神の側に,そしてキリストによる神の王国の側に立つ人たちだけです。(詩 91:8-10)いまエホバの宇宙主権を擁護して確固とした立場を取る人たちは,側線外の場所に立つので,「全能の神の大いなる日の戦い」に実際には携わりません。それらの人びとは神からの保護を受ける避難所にあって,エホバとそのキリストが,反対する諸国民すべてに対して勝利を収めるのを見ます。こうして彼らは,「神はたたかひを好むもろもろの民をちらしたまへり」という預言の成就を目撃します。(詩 68:30)そして,神の敵に対する詩篇 83篇17,18節の祈りに神が答えられるのを見るでしょう。その句はこう述べます。

      53 「かれらをとこしへに恥おそれしめ惶てまどひて亡びうせしめたまへ 然ばかれらはエホバてふ名をもちたまふ汝のみ全地をしろしめす至上者なることを知るべし」。

      54 像を打った石で表わされているように,勝利を収める神の王国はその時,どれほど広範に及ぶものとなりますか。

      54 象徴的な像の足を打った石で表わされている,勝利を収めた神の王国はその時,その石の場合のように大きくなって,全地を満たす『大いなる山』のようになります。(ダニエル 2:35)キリストによる神の王国は地上のあらゆる場所に及びます。諸国民と神の最後の衝突を生き残って,その王の山で生活するのはなんという特権でしょう。

      55 その時「山」に住む人たちに関して,イザヤ書にはどんな預言がしるされていますか。

      55 その同じ山に喜びのうちに住む人たちについてイザヤ書 11章9節はこう述べます。「[彼らは]わが聖山のいづこにても害ふことなく傷ることなからん そは水の海をおほへるごとくエホバをしるの知識地にみつべければなり」。これに加えて,魂を満足させずにはおかない次のような預言がしるされています。「万軍のエホバこの山にてもろもろの民のために…宴をまうく…[彼は]とこしへまで死を呑たまはん 主エホバはすべての面より涙をぬぐひ全地のうへよりその民の凌辱をのぞき給はん これはエホバの語りたまへるなり」― イザヤ 25:6-8。

      56 正しい立場を取るためにこうむる人間のはずかしめを恐れるべきですか。わたしたちは昔のだれのように歩むべきですか。どんな報いがもたらされますか。

      56 ゆえに,主権者,主エホバとキリストによるその王国の側に立場を取るにあたり,いま人間のはずかしめを恐れないでください。前途の回避できないその衝突に向かって神に逆らう道を諸国民とともに歩まないでください。人間のはずかしめをものともせずに,『真の神とともに歩んだ』忠実なノアのようであってください。(創世 6:9,新)そうすれば,ノアの場合のように,この国際的な事物の体制の終わりを生き残る希望をいだいて歓喜し,統治する王イエス・キリストの王国の治める,神の新しい事物の体制のもとで生活できるでしょう。その時,あなたは神が勝利のうちに死をさえ呑みつくされるのを見るでしょう。それはあなたが永遠の命を享受し,決して消失することのない全地にわたる楽園で完全な健康と幸福のうちに神に仕え,神を崇拝するためです。

  • 神はなぜ衝突を阻止されないのか
    ものみの塔 1972 | 1月1日
    • 神はなぜ衝突を阻止されないのか

      宇宙の創造者にとって地球がごく小さなものであるということは,思慮ある人には明らかです。したがって地の諸国民は,創造者と比較すれば取るに足りない存在です。ですから神は,衝突への道をたどる諸国民の進行方向を変えさせるとか,あるいは衝突をさけるために道を譲ることができるのではないでしょうか。神はその優勢な力をもって,衝突を起こるままにし,弱い者いじめをするのでしょうか。

      そうではありません。神はご自身の威厳と正義の要求のゆえに,衝突を阻止するわけにはゆかないのです。神は諸国民に,人間によるあらゆる種類の支配を行なう時間を許されました。神は諸国民のなすがままにさせて何千年にもわたる歴史の証拠をつくり,諸国民が地を平和に治めえないことを実証しておられるのです。それでも諸国民は今歩んでいる道を進むことを欲しており,神は,ご自分の確定された時がくるまで,諸国民の行動の自由を妨げることを差し控えておられるのです。

      とはいえ,諸国民は誤った悲惨な道から離れようと思えば,自らそうすることもできましたし,またその機会もありました。神は諸国の歩むべき道を示されました。異教徒の支配者たちでも,神から与えられた良心をある程度もっています。キリストの使徒のひとりは,そのことを次のように説明しています。

      「律法をもたぬ異邦人,もし本性のまま律法にのせたるところをおこなふ時は,律法をもたずとも自から己が律法たるなり。すなはち律法の命ずるところのその心に録されたるをあらはしおのが良心もこれがあかしをなして,その念,たがひにあるひは訴へ或は弁明す」― ロマ 2:14,15。

      そこで,クリスチャンと呼ばれている諸国民については,さらに言いわけのしにくい立場にあると言わねばなりません。それら諸国民には正しい政治と正義の原則が,神のことばである聖書をとおして明確に示されており,また彼らは聖書の律法に拘束されていると公言するからです。しかし彼らは聖書の原則の大部分を拒否してきました。

      こうした事実を考え合わせると,神が諸国民を専横な態度で,または性急に扱っておられるとは言えません。神が正しい国民に不利なことをしている,と非難できる人はひとりもいません。むしろ神は,エレミヤ記 18章7,8節で述べておられる原則を常に守ってこられました。

      「われにはかに民あるひは国をぬくべし敗るべし減すべしということあらんに,もし我いひしところの国その悪を離れなばわれこれにわざはひを降さんと思ひしことを悔ん」。

      神は諸国民に,ご自分が地の正当な所有者であることを示しておられます。「全地はわが所有なればなり」と神は言われています。(出エジプト 19:5)もし神が人間を地上に置かれなかったなら,人間が地上に存在することはなかったでしょう。諸国民は,自分の所有権を認めて,購入,発見,または征服によって得た領土を熱心に守ります。しかし,神の所有権を認めようとはしません。彼らは,自分たちの従うべき行為の規準を定める神の権威を否定します。

      しかし神は,彼らの権力行使の期間に限りがあること,そして地の支配権は,ご自分がお立てになるメシヤの王によって行使されることを諸国民に知らせておられます。(詩 2:6-8)諸国民はいこじにも,地球が,動揺,国家的猜疑心,紛争,戦争などの絶えない,相争う幾百もの政府に分裂したままでいることを好みます。自分たちの政府が国民を幸福にしなかったことを認めて神に地の支配を願う代わりに,自分たちの支配権を保持するため,依然として同じ古い政策を行使しつづけています。もし諸国民がみずから進んで服するなら,神との衝突を避けることができるのです。神は親切にも諸国民に対して次のように警告しておられます。

      「されば汝等もろもろの王よさとかれ,地の審士輩をしへをうけよ 畏をもてエホバにつかへ戦慄をもてよろこべ,子にくちつけせよ,おそらくはかれ怒をはなち,なんぢら途にほろびん」― 詩 2:10-12。

      神は地球と人間の益のために行動される

      しかし,地球の諸政府は,地が破壊されて,日に日に人間の住みかとして不適当な場所となっていくことに対し,非難に価する無関心ぶりを示しています。犯罪,汚染,世界的飢餓の恐れその他さまざまのひどい事態が,自分たちの手におえないことを認めます。地球の住民を実際に絶滅させずにはおかない第三次世界大戦はいつでも起こりうると考えている人もたくさんいます。それにもかかわらず,諸政府の理念,または運営方法は基本的に言って少しも変わらず,依然として政治的術策をめぐらし,外交的うそを言い,国際スパイ活動を行なっています。

      ですから神は,自分の持ち物を大事にする人と同じように,地が破壊され住めなくなっていくのを手をこまねいて見てはおられません。そういう事態が起こるままに放置するとすれば,それは確かに神の怠慢といわねばなりません。地上で生じている腐敗や忌むべき事柄をきらい,良い生活,正しい生活を望む者たちに対し真実をもって行動しているとは言えないでしょう。神は,諸国民のたどる道をご存じでしたから,そうした歩みを停止するよう命ずる時が来ることを予告して,次のように言われました。

      「諸国の民,怒をいだけり,なんぢの怒もまたいたれり,死にたる者を審き,なんぢの僕なる預言者および聖徒,また大なるも小なるも汝の名を畏るる者にむくいをあたへ,地を亡す者を亡したまふ時いたれり」― 黙示 11:18。

      実際に神は,正しい原則のための断固とした行動により,諸国民がやってくる方向に面と向かう進路を取って一歩も譲らないでしょう。ですから正面衝突が生じます。諸国民が全人類を完全な自滅に追いやるのを阻止する方法はそれ以外にないからです。神はまず,主権の論争を解決する目的で,ご自分のために,そうした行動を取られます。しかし,義と公正を求め,神の主権を認める者たちのこともお忘れにはなりません。

      したがってわたしたちは,神は随意に行使できる全能の力をお持ちになること,また宇宙と比較して非常に小さいにもかかわらず,この地球上に住む人間に神が関心を払ってくださることを喜べます。また,神が,ご自分から進んで,地球の住民の永遠の福祉のために,この小さな地球に注意を向け,その偉大な力を行使してくださることをもわたしたちは喜べます。

      しかし,諸国家の腐敗した政治支配だけが,神の不興を買う原因なのでしょうか。そうではありません。それにはさらに大きな理由があります。次の記事はそのことを明らかにしています。

日本語出版物(1954-2026)
ログアウト
ログイン
  • 日本語
  • シェアする
  • 設定
  • Copyright © 2025 Watch Tower Bible and Tract Society of Pennsylvania
  • 利用規約
  • プライバシーに関する方針
  • プライバシー設定
  • JW.ORG
  • ログイン
シェアする