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『神とともに働く』ように励まされた宣教者たちものみの塔 1975 | 2月1日
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の人々の良い業によってその隊列に加わりました。伝えた人々は初めは宣教者を通して良いたよりを聞いたかもしれませんが,熱心にその業を続け,生活や,仕事の面,また神のことばに従って自分の家族を養っていく面でも良い模範を示しました。その人々は達するのがより困難な場所にも良いたよりを携えて行き,自分たちと共に真理の側に立つよう幾万もの人々を助けました。ギレアデの宣教者たちはそれを見て幸福を感じてきました。
このすべてを通してエホバの知恵は明らかにされ,霊的な繁栄と増加に対する感謝はすべてエホバに帰せられます。宣教者として多くの業を行なった使徒パウロが述べるとおりです。「わたしは植え,アポロは水を注ぎました。しかし,神がそれをずっと成長させてくださったのです」― コリント第一 3:6。
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神の支配権を堅く擁護するものみの塔 1975 | 2月1日
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神の支配権を堅く擁護する
「エホバの証人たち釈放さる」。これは,1974年7月31日付のオランダの主要な日刊新聞の第一面に載った多くの同様の見出しの一つです。こうした報道の背後にはどんな事があったのでしょうか。
その日の新聞が伝えたのは,徴兵年齢に達した,エホバのクリスチャン証人たちに関してオランダの国防省と法務省が取ってきた一連の処置の最高潮をなすものでした。問題は,行状の良い,身だしなみのきちんとした若者たちが,常習的な犯罪者と共に,時にはそれら犯罪者より長い期間投獄されている,という点でした。しかも,それら若者の唯一の“犯罪”といえば,人を殺すための訓練を受けるのを拒否したということなのです。これら若いエホバの証人たちがそうした立場を取るのは,自分たちの生活においては神の支配権が優先するという点を認めたからです。
数年前,一連の処置の第一段階が法務省によって取られました。その結果,エホバのクリスチャン証人は,刑務所内で聖書文書を所持することを許可されました。その後,証人たちは刑務所内の別の場所へ移され,比較的緩やかな環境の中で生活することを許されました。彼らは自分たちの集会を持つことさえ許され,アムステルダム市にあるものみの塔協会支部事務所の代表者たちは,彼らを訪問して話をすることが許されました。さらにその後,これらの若い証人たちは,エホバの証人の全国大会や国際大会に出席するため,刑務所を離れることを許可されました。一定の週には自分の家に帰ることさえ許されました。
さらにこの問題について協議するため,国防省の係官は,ものみの塔協会の代表者たちと数回にわたって話し合いました。そして1974年7月11日,国防省は,バプテスマを受けた証人たちはもはや徴兵のために出頭しなくてよい,と協会のそれら代表者たちに通告しました。
その後法務省が再びその場に登場しました。この問題について国防省が明確な法措置を進めている以上,すでに投獄されている証人たちはそれ以上刑務所にとどまっている必要はないとの決定が下されました。こうして,これらの証人たちは皆釈放されたのです。
1974年7月31日付ニューズブラッド・ファン・ヘト・ノルデン紙は次のように述べました。「バプテスマを受けたすべてのエホバの証人たちの兵役を免除する法律が目下作成されている。この法案が議会で審議されている間,エホバの証人に不利な処置はいっさい中止された」。
それで現在のところ,バプテスマを受けたオランダの若い証人たちは兵役の対象となっていません。彼らは,オランダ政府当局者が取った行動に感謝しています。政府当局者は,これら若者たちの誠実さを認めたのに違いありません。これらの若者は,自分たちの命に対する優先権を持たれる方として認めたエホバ神に献身しており,そのゆえに神の支配権を堅く擁護する決意をしているのです。
「[エホバ]おほくの民の間を裁き強き国を戒め遠き所にまでも然したまふべし彼らはその剣を鋤に打ちかへその鎗を鎌に打ちかへん国と国とは剣をあげて相攻めずまた重ねて戦争を習はじ 皆その葡萄の樹の下に座しそのいちじくの樹の下に居ん之を懼れしむる者なかるべし万軍のエホバの口これを言ふ すべての民はみな各々その神の名によりて歩む然れども我らはわれらの神エホバの名によりて永遠に歩まん」― ミカ 4:3-5。
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