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善意を持つすべての人に対する新しい歌ものみの塔 1958 | 4月15日
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善意を持つすべての人に対する新しい歌
1 シンゲン 25章20節にもかかわらず,今日どんな歌が適当ですか。それを歌う者にはどんな結果が生じますか。
いまから約3000年むかしのシンゲンの言葉は次のように述べています,『心の傷める人の前に歌を歌うは,寒き日に衣を脱ぐがごとく,曹達の上に酢を注くがごとし。』(シンゲン 25:20)今日の全世界は痛い心の状態になつて,混頓とした現在と恐ろしい将来に直面しております。心配憂慮している人々は,歌を歌うような気持ちではないでしよう。しかし,人々がどの国家に属していようとも,すべての人々を真実に元気づける一つの歌があるのです。それは,以前の時代の人々が歌うことのできなかつた新しい歌です。人々がこの歌の異常な創造主に善意を持つなら,この歌を楽しむでしよう。そして,この歌により暖められ,元気づけられます。そして,暗胆とした,苦痛の状態から救い出されるでしよう。この歌の創造を良く知るようになると,それらの人々もその歌を歌い出したいと欲します。これは彼らに健康を意味します,まつたくのところ,彼らの救いを意味します。
2,3 (イ)なぜその歌を作つた者の名前は多くの人に新しいものですか。(ロ)なぜ彼は私たちに真実に新しい歌を与えることができましたか。それについて何をせよと,彼は私たちに告げていますか。
2 その歌を歌い始めた人々にとつて,その歌は新しいものです。しかし,そのつくり出された歌を聞く多数の人にとつて,その作者は恐らく新しいものでしよう。全世界の多くの指導者たちは,その作者と作曲者の名前を隠して,人々に知らせまいとしました。しかし,今から約6000年前に生存した最初の人間はその名前を知つていました。その名前はヱホバです。彼は新しい歌の創造者であるだけでなく,天と地の創造主でもあられます。私たちの創造主によつてつくられた歌は,どれもみな重要であり,私たちにとつて終りのない幸福な生命を意味するものです。ヱホバは,その霊感した筆記者の一人を通して,次のように語つています,『我はヱホバなり。是わが名なり。我はわが栄光をほかの者に与えず。わがほまれを偶像にあたえざるなり。さきに予言せるところはや成れり,我また新しきことを告げん。事いまだ兆さざる前に我まず汝らに聞かせん。』そのようにして彼は私たちに真実に新しい歌を与えられます。他の作曲者たちは,そのような新しい歌を私たちに与えることができません。そのわけで,彼は善意を持つ人々に次の言葉を述べているのです。
3 『海に浮ぶもの,海の中に充つるもの,もろもろの島およびその民よ,ヱホバに向いて新しき歌を歌い,地の極よりその頌美をたたえまつれ。』― イザヤ 42:8-11。
4,5 伝道之書 1章9,10節を考慮するとき,この歌がどのように新しいとなぜ尋ねることができますか。しかし,どの場所では新しい事柄は制限されていませんか。
4 しかし,この歌がどうして新しいものであり得ましようか。千年むかしの賢明な一支配者の次の言葉を憶い起すときに,私たちはこの質問をすることができます,『先にありしものは,[また後にあるべし。先に成りし事はまた後に成るべし。日の下には新しきものあらざるなり。見よ,これは新しきものなりと指して言うべきものあるや。それは我らの前にありし世々に,すでに久しく在りたるものなり。』(伝道之書 1:9,10)1954年に初めて爆発した恐ろしい水素爆弾でさえも新しいものではありません。人類以前の幾十億年という年月のあいだ大いなる創造主ヱホバは太陽内で水素を爆発させていました,この地上に光が来るのは水素原子の爆発によるのです。『日の下には新しきものあらざるなり』かもしれませんが,しかし太陽の上に新しいものがないという意味ではありません。この自然界を越えたところ,すなわち霊界において新しいものがないという意味ではありません。賢明な王ソロモンは,太陽の下には新しいものがないと言いましたが,彼はこの自然世界の事柄について,そして太陽の陽光を浴びる人類の普通一般の事柄について語つていたのです。彼はこの直ぐ前のところで,次のように言いました。
5 『世は去り,世は来る。地は永久に存つなり。日は出で日は入り,またその出でし処に喘ぎゆくなり。……河はみな海に流れ入る。海は充つることなし。河はその出できたれる処に復かえり行くなり。よろずの物は労苦す。人これを言いつくすこと能わず,目は見るに飽くことなし。耳は聞くに充つることなし。』― 伝道之書 1:4-8。
6 なぜヱホバは私たちに新しい歌を与えることができますか。それで,彼は何をされましたか。
6 太陽の下では,自然の仕方による新しいものは必要でありません。しかし,ヱホバは太陽よりも上に居られます。彼は最高の神だからです。彼は太陽よりも上のところ,すなわち目に見えない霊界で新しいものを創造することができます。また地上の人類と関係を持つ霊的な事柄でも新しいものを創造することができます。このようにして,彼は全く新しい歌の主題に対する事実を私たちに与えることができます。そのすべての栄光に輝く意味を悟るときに,私たちは抑えることのできないよろこびと恍惚に全くよろこびます。彼は全能者であられ,また全く新しいものを私たちに供給することに失敗することはありません,彼は私たちにそのような歌を与えられました。
7 何時この宇宙は良い希望の約束を必要としましたか。そしてなぜ? そのとき,ヱホバはどんな女について述べましたか。
7 人類の生存が始まつてすぐ,ヱホバ神は今日の新しい歌の基礎的な主題を私たちに与えられました。それは宇宙そのものが良い希望の約束を必要とした時でした。私たちの最初の人間の父親は罪を犯したところでした。彼はよろこびの楽園であるエデンの園にいて,また神の子として人間の完全さ,および自由の中に永久に生きつづけるのに必要なすべてのものを持つていましたが,それでも罪を犯したのです。彼の妻は,蛇のまどわしにより禁ぜられた実を食べてしまいました。それから,彼女は自分の夫にも共に食べて,天的な父のいましめを破るようにとすすめたのです。このような意識的な不従順をなした両人に対して,ヱホバ神は永遠の死の宣告を告げられました。しかし,その宣告を告げる前に,ヱホバ神はこのすべての事の最初の張本人,大いなる誘惑者,悪魔サタンに向つて次の言葉を告げられました。神は彼を蛇のようであるかに見なして,こう語つています,『我なんじと女のあいだ,および汝の裔と女の裔のあいだに怨恨を置かん。彼は汝の頭を砕き,汝は彼の踵を砕かん。』(創世 3:15)神がここで語つている『女』は,アダムの妻で,罪を犯した地上の女エバではありません。それは天にある聖なる女,すなわち聖なる御使たちで構成されている神の宇宙的な制度,神の制度的な妻です。これは,神の目的について聖なるものを産み出すことができます。
8 蛇に告げた神の言葉は,なぜ新しいものでしたか。神の女の忠節な成員たちは何を見守る態勢を採りましたか。
8 蛇に告げた神の言葉そのもの自体も,この地にとつては新しいものでした。それは,人類の聞いた神の最初の予言でした。それは次のことを予言しました,すなわち神の御意によると,悪魔サタンと神の天的な制度である女との間,そして悪魔サタンの裔と神の忠実な女なる妻とのあいだに戦争があるはずです。どちらが戦争に勝つでしようか。踵を砕くことは勝利をもたらす打撃でしようか。頭を砕くことは勝利をもたらす打撃でしようか。頭を砕くことは勝利をもたらします。それですから,神の妻のごとき宇宙制度の裔は,最初は踵を砕かれましたが,勝利を得るものとなり,人類に対する神の最初の予言を立証するでしよう。神の象徴的な女,すなわち神に嫁いで神に従つている神の忠実な御使の制度を構成する御使の成員にとつて,これは大きな慰めであつたに違いありません。その女の裔が誰であるか,この約束された裔はどのようにつくり出されるか,彼はどのように踵が砕かれるか,しかも彼を砕いた悪魔の頭をどのように砕くかは,神の天的な女の忠節な成員全部の興味をそそつた質問でした。彼らは直ちにこのエデンの園で告げられた予言の発展を見守る態勢を採りました。この予言は,人類に対する将来の予言全部の基礎となるものです。
9 そのとき,その予言について生物は何をすることができませんでしたか。しかし,それについての興味は,人類のあいだにどのようにひろまりましたか。
9 神の規則はこうです,『予言は決して人間の意志から出たものではない。』それですから,アダムとエバはヱホバの予言を理解することもできず,解釈することもできませんでした。悪魔サタンはその存在において,また力と理智において人間よりも遙かに高い力のある霊者でしたが,しかし彼もその預言を理解して解釈することができなかつたのです。(ペテロ後 1:20,21,新口)アダムとエバが,エデンの楽園から追放されて死ぬという罰を受けて後に,両人は子供をつくり始めました。アダムとエバは,或る女の裔についての神の約束に利己的な興味を持つていた故に,そのことを自分の子供たちに告げました。それで,その予言に対する興味は人類のあいだにひろがりました。
10 その予言は,カインがアベルを殺したことにどう影響しましたか。
10 自分の利害を求めた人間は,約束された裔になろうと躍起に努めました。そして,自分こそ真実の裔であると主張することにより,他の者以上の力と地位を得ようと希望したのです。カインは人類の長子でした。アダムとエバの2番目の息子アベルは,羊の群の中から犠牲を神に捧げて,庭園の産物のごとき生命のない犠牲を神に捧げませんでした。かくして彼は神の是認を受けたのです。そのとき,カインはアベルを殺して,弟が恐らくはその裔になり,自分の代りになることを妨げたのです。『信仰によつて,アベルはカインよりもまさつたいけにえを神にささげ,信仰によつて義なる者と認められた。神が,彼の供え物をよしとされたからである。彼は死んだが,信仰によつて今もなお語つている。』それで,アベルはヱホバの最初の忠実な証人と私たちに語つています。神御自身の書かれた御言葉は,アベルをそのように呼んでいるからです。―ヘブル 11:4そして12:1,新口。
11,12 (イ)エノクは約束された裔とどんな関係を持ちましたか。(ロ)神が彼を連れ去られたとき,エノクはなぜ天に行きませんでしたか。
11 人間を通して述べられた神の最初の予言は,アダムから7代目にあたるエノクを通して告げられました。エノクはヱホバ神に信仰を持つた人で,ヱホバの証者になりました。エノクは又約束された裔の先祖にもなりました。彼は約束された裔に興味を持つていたのです。エノクは死ぬ前に,ヱホバの目的について証を立てるようヱホバより霊感を受けました。ヱホバの目的とは,蛇の頭が砕かれるときに,大いなる蛇,悪魔サタンの裔,すなわち不敬虔な人々全部に罰を加える,すなわち裁きを執行するということです。(ユダ 14,15)カインはアベルを殺しました。しかしエノクの敵はエノクを殺すことが許されなかつたのです。なぜなら,神自身はエノクを地より取り去られたため,『彼は見えなくなつた。』なぜ? なぜなら『彼が移される前に,神に喜ばれた者と,あかしされていたからである。』(ヘブル 11:5,新口)神は彼を天に連れ去つたのではありません,アダムからの罪の中に生まれた人間が,天に行く道はまだ開かれていなかつたからです。
12 最も聖なる天に入る『新しい生きた道』は,エノクから3072年後まで開かれませんでした。それですから,その時まで次の言葉は真実です,『天から下つてきた者,すなわち人の子のほかには,だれも天に上つた者はない。』(ヨハネ 3:13,ヘブル 9:6-8; 10:19-22,新口)このことがどのように行われるかという奥義は,ヱホバの予言者エノクが見えなくなつて後,神の目的が堂々と実現して行くにつれて,人間に理解できるようになつたのです。
約束された裔の系統
13 ノアはその約束された裔とどんな関係を持ちましたか。ノアの時代には,その裔の代りに何が来ましたか。
13 アダムから10代目にあたる人で,約束された裔の先祖となつた人は,メトセラの孫ノアです。このメトセラは,罪の中に生まれ,そして死の処罰の下に生まれましたが,それでも地上の人間の中で一番長い年月,969年も生きた人です。(創世 5:25-32)ノアは,信仰を抱いて神の女の約束された裔の来ることを待ち望みました。その裔は,ノアの時代に来ませんでしたが,神の女の敵の裔,すなわち大いなる蛇であるサタン地よりも高いところにあつて,天蓋のように取り囲んでいた大水が降り注いだために生じたものです。その大水は,40日と40夜のあいだ絶えず降り注ぎました。洪水前の古い世は,その時に滅びました,しかしノアと神を恐れるその正義の家族は悪しき世の終りにも生き残りました。
14 ノアとその家族が洪水の滅びから逃れたことに,今日の私たちはなぜ信仰を示すべきですか。
14 全能の神は,動物や鳥の数多い種族の類を方舟,すなわち大きな箱のようなものに入れて,ノアとその家族ともどもに保護せられました。ノアはヱホバのいましめに信仰を持つて,そのいましめに従つて方舟を建てたのです。この方舟は,トルコのアララテ山にあると言われていますが,洪水の大水が減いたときに,その方舟はアララテ山上につきました。(創世 6:1から8:4。ヘブル 11:7。ペテロ前 3:20)今日の私たちも,ノアと同じようにこの洪水の事実に信仰を示しましよう。その不敬虔な世の終りの時に,ノアとその家族は滅びから救われました。そのことは,今日生存している善意者たちが,間近かになつているこの悪しき世の終りにどう生き残るか,そして神の正義の新しい世にどのように生き延びるかを示す一つの予表になつているからです。―マタイ 24:36-42。
15 ノアの子の中の誰が,裔の先祖として選ばれましたか。セムは彼のどんな特別な子孫を見るまで生き長らえましたか。
15 ノアと共にその世の終りに生き残つたノアの3人の息子の中,神はどの息子を選んで,神の天的な女の約束された裔の先祖にならせましたか。それはセムでした。このことを証明するものとして,彼は父なるノアを通して告げられた神の特別な祝福を頂いたのです,『セムの神ヱホバは讃むべきかな。(ハムの子)カナン彼の僕となるべし。』(創世 9:18-26)セムは洪水後の幾百年も生きて,子孫の中の特別な者を見ました。約束された裔は,その者を通して人類の中に現われ,そして,地上の全家族および全国民から来た善意者には,その者を通して祝福が来るのです。セムは信仰を持つこのアブラハムという人に,神の祝福を告げたかも知れません。
16 アブラハムはヱホバからのどんな約束の相続者になりましたか。何の故に,私たちはその子孫の歴史をたどろうと欲しますか。
16 セム人であるこのアブラハムは唯一つの生ける真の神に信仰を持つた故に,神は彼を選びました。神はアブラハムの信仰を験して,その故郷を去つて神の導きに従い南西の国に行くようにと告げました。アブラハムが神の導きに従つて昔のパレスチナに入つたとき,彼はヱホバの約束を相続するにふさわしい者となりました,『我なんじを大なる国民と成し,汝を祝み,汝の名を大ならしめん。汝は幸いの基となるべし。我は汝を祝する者を祝し,汝を詛う者を詛わん。天下のもろもろの宗族汝によりて幸いを得んと。』(創世 12:1-3)アブラハムはセム人でヘブル人でした。しかし,その事実にもせよ,もし私たちがこの祝福に永遠に分ち与りたいと欲するなら,アブラハムの子孫の歴史を辿ろうと欲するでしよう。大切なことは,アブラハムは約束された裔の父である神にたいして忠実であることを立証したということ,および約束された裔の地的な生命は,ずつと後のアブラハムの娘を通して来るということでした。
17 約束された裔が死ぬということは,アブラハムの時代にどう予表されましたか。それで,アブラハムの裔により私たちは何をすることができますか。
17 アブラハムの全部の息子の中で,その真の妻サラから生まれた独り子が,その子孫の系統になるべく神より選ばれたものです。神の女の裔の踵が大いなる蛇とその裔により砕かれることを予め示すため,ヱホバはアブラハムに命じ,奇蹟的に与えられたイサクを犠牲にするよう告げました。アブラハムがこの犠牲を捧げ終える以前に,ヱホバは犠牲を整えるために必要なアブラハムの刀を止めて,こう言いました,『我已を指して誓う。なんじこのことを為し,汝の子すなわち汝の独り子を惜しまざりしに因りて,我大いに汝を祝み,また大いに汝の子孫を増して天の星のごとく,浜の砂のごとくならしむべし。汝の子孫はその敵の門を捉えん。また汝の子孫によりて天下の民みな幸いを得べし。』(創世 22:15-18)ヱホバの約束された裔にあつて,私たちは永久に幸いを得たいと欲しますか。それでは,裔が誰であるかの奥義が解かれるときには,彼がセムの家系の者であり,ヘブル人アブラハムの子孫であるにしても,私たちはよろこんで,そして感謝の念の中に彼を受け入れねばなりません。
18 ヱホバは,イサクの息子の中の誰に祝福を与えましたか。御国の祝福は,特定な一人の孫の上にどのように与えられましたか。
18 イサクの双児の息子の中で,ヤコブはヱホバ神とその貴重な約束にたいして真実の燃えるような信仰を示しました。それでヱホバは幻の中にヤコブに現われ,全国民の祝福は,彼の子孫を通して来ると約束しました。ヤコブが12人の息子を持つたという事実に面しても,ヱホバは驚かれず,むしろそれらの12人の息子を通して彼はイスラエルの12の支族をつくり出しました。イスラエルとは,神がヤコブに新しく与えた名前です。しかし,12支族の中のどの支族を通して,その裔は来るでしようか。ヱホバは,死の床についたヤコブをして,4番目の息子ユダに向い次のような祝福を述べさせました,『ユダは獅子の子のごとし……杖ユダを離れず,法を立る者その足の間をはなるることなくしてシロの来る時にまでおよばん。彼にもろもろの民したがうべし。』(創世 49:9,10)これは御国についての祝福でした。それにより次のことが確かとなつたのです,すなわちユダの支族から王権を持つ支配者が出で,彼は王杖を振つて,支配の杖をにぎり,ユダの支族の獅子となるでしよう。(黙示 5:5)地上の全家族と全国民は,彼に従うべきであります。彼にはその権利があるのです。それですから,この者こそ裔になるべき者です。
19 どのようにダビデは,約束された裔の来る王となりましたか。
19 死の床に就いたヤコブなるイスラエルが,ユダにこの祝福を述べてから293年経つて後に,ヱホバ神はその曾祖父アブラハムに約束した地にイスラエルの12支族をみちびき入れたのです。それから幾百年も経つて後に,神はイスラエル人の要求に応じ,彼らの上に御国を設立しました。最初の王はベニヤミンの支族の者です。その王が死んで後に神はその祝福を成就し,ユダの支族の者,すなわちダビデと言われる油注がれた者をイスラエルの国の王座に就かせました。油注がれた王としてダビデは,メシヤであり,またキリストでしたが,彼はアブラハムに約束された裔でなく,神の女の裔でもありません。ダビデは神の天的な妻,すなわち神の霊的な宇宙制度から来た者ではありません。しかし,ダビデは清い崇拝を熱心に押し進めた者であり,従つてヱホバの忠実な証者であつたために,神は長く持ち望まれていた裔はダビデの王統を通して来るとダビデに誓われました。神の言葉は次のようです,『我なんじの身より出る汝の種子を汝の後に立ててその国を堅うせん。彼わが名のために家を建てん。我ながくその国の位をかとうせん。……なんじの家と汝の国は汝のまえに永く保つべし。なんじの位は永く堅うせらるべし。』― サムエル後 7:12-16。
20 キリスト前607年にエルサレムが滅びた時,ユダヤ人を驚かせたことに,約束された裔の御国について何が明瞭になり始めましたか。
20 不思議なことに,クリスチヤン時代より607年前に,ユダの支族とダビデの家族の国は滅ぼされ,そしてエルサレムの王都は滅びました。今日にいたるまでダビデの家族に属する者による国は,エルサレムに建てられたことがありません。永遠の御国についてダビデ王と結ばれた神の誓い給うた契約は,失敗しましたか。そのようなことはありません。しかし,全能の神は全く驚くべき新しい事柄,人間の期待していたものとは全然異なる事柄を準備していました。このことの故に,今日生存している善意者のすべてが,言葉に言いつくせないよろこび溢れる新しい歌を歌う道が設けられたのです。神が事柄を処理している仕方から判断すると時経て次のことが明瞭になりました,すなわち神の女の約束された裔の永遠の御国は天的なものであり,地的のエルサレムにあつたダビデの国よりも遙かに高いということです。しかしながら,ダビデの家族の地的な国が滅びてから後の600年のあいだ,忠実なイスラエル人はダビデの王国がエルサレムに再建されることを待ち望みました。それで,全く驚きに足る新しいものが彼らの上に臨む筈でした。
奇蹟的な新しい事柄
21 約束された裔は,どんな地的な系統を通して来なければなりませんか。しかし,なぜ彼は真実に神の子でなければなりませんか。
21 王権を持つ約束の裔がアブラハムの家族から,そしてダビデ王の家系から生まれるためには,彼は一ヘブル人として生まれ,ダビデの王系をひく女から生まれなければなりませんでした。同時に,彼が神の女の裔である為には,彼は神の宇宙的な霊的の制度の天的な成員から来なければなりませんでした。これは,宇宙的な歴史の中で新しい或る事柄を意味しました。つまり,裔は天から,霊者のいる見えざる界域から降つて来ることを意味しました。全く真実な意味において,そして直接の意味において,彼は神の子でなければなりませんでした。なぜなら,地上にいる人間は誰一人として神の天的な女なる妻と結婚して,約束された裔の父親になることはできないからです。神だけがその裔の父親になることができます。
22 なぜ,神の子が天から降つて化身することは,アブラハムとダビデの家系の者でなければならぬという問題を解決しませんか。
22 それでは,裔はどのように天から地に降つてきて人間になりましたか。彼は,神の霊者なる子たちの一人として人間に化肉することにより,つまり化身することにより,そうしましたか。そうではありません。それでは新しい事にはならず従来のことと違わず,またこの場合の必要な事柄に適うものではありません。アダムとエバがエデンの楽園から追放されて,その罪の故に死ぬようになつた時から,神の天的な子たちは時おり化身しました。神はケルブたちをエデンの園の東に置いて,園の中の生命の木に通ずる道を守らせましたが,それらのケルブたちは化肉により姿を現わしました。つまり,目に見える肉,手で触ることのできる肉を,目に見えない自己に奇蹟的に着けたのです。しかし,それらのケルブたちは裁き主なる神の目的に従つて人間の肉を身につけた故に,彼らはアダムとエバの子たちにはなりませんでした。化身したそれらのケルブたちは,アダムとエバから肉と血を受けたのではありません。時が経つにつれて,御使たちも化身してアブラハムやダビデ王に現われました。しかし,彼らはアブラハムやダビデから肉の体を受けて,アブラハムとダビデの肉的な裔になつたのではありません。天から神の子が化肉して化身しても,この問題を解決することはできません。それでは,どういうことになりますか。
23 どのようにガブリエルは,マリヤが母親になるという音信を伝えましたか。
23 クリスチャン時代前の3年も終りに近づいた頃,神の御使ガブリエルは化肉して,化身しました。ガブリエルはこのようにしてダビデ王統の血筋を引く未婚のユダヤ人の娘マリヤに現われました。彼は人間としての彼女の結婚が行われずに生ずる新しい事柄を説明しました。ガブリエルは次のように説明しました,『見よ,あなたはみごもつて男の子を産むであろう。その子をイエスと名づけなさい。この者は,偉大な者となるであろう。そして最高者の子と呼ばれるであろう。ヱホバ神は父ダビデの座位を彼に与え,彼はヤコブの家の永遠の王となるであろう。彼の御国には終りがない。』『どうして,そんな事があり得ましようか。わたしにはまだ夫がありませんのに。』とマリヤは尋ねました。ガブリエルは次のように説明しました,『聖霊があなたに臨み,いと高き者の力があなたをおおうでしよう。それゆえに,生れ出る子は聖なるものであり神の子と,となえられるでしよう。』マリヤはこの奇蹟的な仕方で神により用いられることに同意しました。彼女はこう言いました,『見よ! ヱホバのはしため! あなたの言われた通りのことがこの身に成りますように。』(ルカ 1:26-38,新世と新口)しかし,どのように?
24 マリヤが処女なる胎内に神の子を妊娠するために,どんな新しい事柄が天で生じましたか。
24 太陽よりも遙か高いところ,物質界よりも更に高い目に見えない天では,そのとき不思議な新しい事柄が生じました。最初に生まれたヱホバの独り子は,神の天的な子たちの中に見えなくなりました。何が生じましたか。神はこの長なる子をして御自分の女,すなわち天的な宇宙制度の懐から去らしめました。そして,神は彼を天から遣わして,処女マリヤより人間の幼児として生まれしめたのです。(ヨハネ 3:16,17)神の愛子は,天的な栄光と力をことごとく棄て,そして栄光に輝く天的な体,すなわち神のごときかたちをも断念したのです。(ピリピ 2:5-8)神はそのとき御子の生命の力を天からマリヤの処女の胎に移しました。かくして,マリヤは神の聖霊,すなわち活動力の働きの下にあつて胎内に妊娠したのであつて,男との性交によつて妊娠したのではありません。
25 マリヤの胎から生まれたものとして,神の子は何でしたか。
25 マリヤの妊娠が現われ始めてしばらく経つて後に,ダビデの王系を引く大工のヨセフは,神のいましめに従つてマリヤを自分の妻となし彼女の保護を図りました。それで,神の時が満ちるに及んで神の天的な女なる妻から生まれた聖なる子『神の子』は生まれました。彼は正真正銘の人間として,マリヤから生まれ,ダビデの相続者としてダビデの王系に生まれました。彼は天にあつて全能の神の代弁者であり,また言葉であつたために,奇蹟的に行われたことは,このように述べられています,『そして言は肉体となり,わたしたちのうちに宿つた。わたしたちはその栄光を見た。それは父のひとり子としての栄光であつて,めぐみとまこととに満ちていた。』― ヨハネ 1:14,新口。
26 それではなぜ,地上の神の子は,化肉ではなかつたのですか。
26 この言葉によると,神の子は天的な体を持ちつづけて単に化身して化体した,または肉を身につけた,などと述べられていません。そのようなことはなく,神の天的な子は『肉体となつた』と述べられています。彼は一人の人間になり,罪のない天的な父を有する聖なる人になりました。それで,罪のない神の子であり得たのです。―ガラテヤ 4:4。ロマ 1:3,4。
27 (イ)神は御子の誕生についての証者をどのように起しましたか。(ロ)それは天にとつても良いたよりであると,どのように示されましたか。それは,何を実現するための基礎を置きましたか。
27 これは,まつたく栄光に輝く新しいことでした。そして,また善意を持つ人々に対して神の愛が比べることのできない程に大きく表わし示されたのです。この重要で奇蹟的な新しい事柄 ― 一人の処女から完全で罪のない幼児が生まれたということ ― を知らせるため,そしてこの良いたよりの出来事についての証者を持つため,神はベツレヘムの近くにいた羊飼のところに御使を遣わしました。そのベツレヘムでは,ダビデ自身も羊飼をしていたのです。神は御使をして羊飼にこう告げしめました,『すべての民に与えられる大きな喜びを,あなたがたに伝える。きようダビデの町に,あなたがたのために救主がお生れになつた。このかたこそ主なるキリストである。』それは又天にとつても良いたよりでした。それで,天の大軍は羊飼のところに現われて,神を讃美しました。彼らはこのように言つたのです,『いと高きところでは,神に栄光があるように! 地には善意者のうちに(あるいは神のよしと認められる人のうちに)平和があるように。』(ルカ 2:10-14,新世,欄外)この出来事が人間の間で再び行われることは決してありません。ダビデの王権と御座の正当な相続者は,罪のない仕方で生まれました。このことは,栄光に輝く他の新しい事柄を実現する基礎を置いたものです。
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新しい歌を歌う時ものみの塔 1958 | 4月15日
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新しい歌を歌う時
1,2 (イ)30歳になつたイエスは,彼の目標として何を以つて始めましたか。(ロ)そのときのイエスは,どのように人間以上の者になりましたか。
敬虔な完全さの中に,人間イエスは30歳に達しました。それから,大きな変化が彼の生涯に生じました。彼はナザレでしていた大工の仕事を止めて,ヨルダン河でヨハネから洗礼を受けたのです。彼がマリヤの胎内で妊娠したことは,新しい種類の奇蹟でした。しかし,今や彼の目標として,もともとの住家なる天の霊的な生命を始めるにあたつて,さらに大きな新しい事柄が生じたのです。
2 イエスが洗礼を受けて,水から出たとき,『見よ,天が開け神の御霊がはとのように自分の上に下つてくるのを,ごらんになつた。また天から声があつて言つた,『これはわたしの愛する子,わたしの心にかなう者である。』(マタイ 3:13-17,新口)イエスとヨハネの両人の聞えるところで,神はこの洗礼を受けたイエスが御子であると天から語りました。このことは次のことを示しています,すなわち神はその活動力なる御霊によつてイエスを産み出し,再び神の霊的な子にならせたということです。かくして彼は,エデンの楽園内にいた人間アダム以上になりました。神は御霊によつてイエスに油を注ぎ,ダビデ王の正当な相続者にならせました。しかし,ダビデの座位よりも遙かに高くて崇高な座位に即けたのです。つまり,天的な御座にあつて神の右の座に即けたのです。(詩 110:1,2。マタイ 22:41-45。ヘブル 10:12,13)イエスは,肉体として更に3年半もこの地上にいましたが,それでもいまや『新しい創造』であり,油注がれた神の霊的な子となつたのです。―コリント後 5:17,新世,欄外。
3 イエスはどのように新しい音信を伝道しましたか。これは予言のどんな苦痛に満ちる成就にみちびきましたか。
3 その後にイエスは,人間としての彼の母の民すなわちユダヤ人なるイスラエル人に新しい音信を宣べ伝えました。それは,人類を支配する新しい政府の音信でした。『悔い改めよ,天国は近づいた。』洗礼者ヨハネはイエスよりも6ヵ月前に,それと同様な音信を伝道していました。しかし,イエスはその時のヨハネには与えることのできなかつた意味を付して伝道したのです。イエスは,天の御国は近いと伝道しました。なぜなら,彼自身,ヱホバ神から天的な御座に油注がれた者として存在していたからです。イエスはまた,多数の弟子たちを遣わして,これと同じ音信をユダヤ人たちに伝道させました。(マタイ 3:1,2; 4:17; 10:1-7。ルカ 10:1-9,新口)王国の音信を伝道したために,イエスは悪魔なる蛇サタンとその裔により踵を砕かれることになりました。
4 イエスが死んだときに,弟子たちはなぜ動揺困乱しましたか。しかし,神はそのときにどんな力ある新しい事柄をしましたか。
4 弟子たちは,イエスが『生ける神の子キリスト』であり『イスラエルの王』であると信じていたため,イエスが西暦33年に敵より苦しみの杭にかけられて殺されてしまい,王位に即くことなく,エルサレムの座位に坐さなかつたために,たいへん動揺困乱してしまいました。(マタイ 16:16。ヨハネ 1:49)彼らは神の女の裔についての神の予言を理解していなかつたのです。また,裔が王として支配し,蛇の頭を砕く前に,先ずその踵が砕かれねばならない,ということを理解しなかつたのです。イエスが死んでから3日目に,彼の天的な父は新しい事柄をいたしました。その新しい事柄は,私たちの想像をはるかに凌駕するものです。『神はその力をキリストのうちに働かせて,彼を死人の中からよみがえらせ,天上においてご自分の右に座せしめ,彼を,すべての支配,権威,権力,権勢の上におき,また,この組織制度ばかりでなくきたるべき組織制度においても唱えられる,あらゆる名の上におかれたのである。』(エペソ 1:19-21,新世)たしかに,ヱホバの予言者たちや,イエス自身によつても,それ以前にも死人の復活が行われていました。しかし,死んだイエスになされたような復活は一つとして行われたことはないのです。(ヘブル 11:35。ヨハネ 11:1-44)なぜですか。
5 イエスの復活のような復活は,いままでになぜ一度も無かつたのですか。
5 それ以前の復活は,人々を人間の生命によみがえしました,しかし,彼らは不完全と死の処罰の故に,再び死んでしまつたのです。全能の神は,忠実な御子を天的な生命の完全さにまたたく間によみがえしました。神はイエスを人間によみがえさせず,霊者によみがえしたのです。イエスは『肉においては殺されたが,霊においては生かされたのである。』(ペテロ前 3:18,新口)神は彼をよみがえして不滅にならせました。彼はもはや死ぬことがなく,不滅性を着けているのです。(ロマ 6:9,10。コリント前 15:42-54)イエスの復活は,『第一の復活』の始まりでした。(黙示 20:6)それは本当に新しいものでした!
6 それでは,なぜ新しい不滅の者は天に現われましたか。彼は何によつて信者に益となるものを天で捧げましたか。
6 神の全能の力がこのように堂々と表わし示されることによつて,ひとりの新しい不滅の者が天に現われました。ヱホバ神は不滅の方です。彼は「不定の時から不定の時にいたるまで神」であられるのです。(詩 90:2,新世)ヱホバは,常に忠実を保つ独り子イエス・キリストに不滅と不朽という比較し得ることのできない報いを与えたのです。死人から復活してから後の40日のあいだ,イエスは化身して自分の弟子たちに現われました。それから彼は天に昇つて天の御父の前に現われ,人間の犠牲の価値を御父に捧げたのです。その犠牲の価値の故に,御子というヱホバの御準備に信仰を置くすべての者は,その罪が許されます。つまり,罪のない神の小羊の血により罪が洗い流されるのです。
7 それで何に対する基礎は置かれましたか。なぜそれを産み出す時でしたか。
7 ここに,新しい国民に対する基礎が置かれました。信仰を働かせたユダヤ人の残れる者を除いては,生来のイスラエルの国民はメシヤなる神の女の裔とその犠牲を棄てました。そのわけで,イスラエルは神から棄てられるにふさわしいものと表明したのです。イエスは,ヱホバ神の証者として死ぬ直前に,エルサレムにあつたイスラエルの家,イスラエルの宮は神より棄てられたもの,そしてその動物の犠牲はもはや神の御前で価値の無いものと語りました。神がその新しい国民を産み出す時が来ました。新しい国民とは,外面的にはどのような出生をした者であろうと,そのことにはかかわりなく,内なるユダヤ人すなわち,神の霊により心に割礼を受けた者で成り立つ霊的なイスラエルです。
8 新しい国民はどのように産み出されましたか。それはどんな王国の契約にみちびき入れられましたか。それは死にいたるまでなぜ忠実でなければなりませんか。
8 この新しい国民が産み出される日は来ました。五旬節の日,神はヨルダン河で洗礼を受けた後のイエスに為されたことをその最初の成員にいたしました。ヱホバは,天の右にいるイエスを通して,エルサレムのある2階の部屋にいた120人の忠実な弟子たちに御霊を注ぎました。かくして,彼は彼らを産み出して霊的な子にならせました。彼らは頭なるイエス・キリストの下にいる「新しい創造」の聖なる国民になつたのです。彼はまたこの御霊によつて彼らに油を注ぎ,神の御国を伝道させると共に,その天的な御国のイエスと共に共同相続者にならせたのです。彼らはこのようにして「御国契約」に入れられました。(ルカ 22:29)その天的な政府の王冠と座位に相応しいことを証明するために,彼らは肉体として死ぬまでキリストの足跡に従つて忠実に歩まねばなりません。それは,彼らが神の予定の時に『第一の復活』にあずかり,その頭なるイエス・キリストと共に不滅の生命を受けるためです。―ロマ 8:16,17。黙示 2:10。
9 仲保者なるキリストを通して,神は彼らと何を結びましたか。それにはどんな大きな益が伴いましたか。彼らは何の為に人間としての生命を犠牲にしなければなりませんか。
9 生来のイスラエルの古い国民は神の女の裔を受け入れなかつたために,棄て去られました。その時以来,ヱホバ神が予言者モーセを仲保者として始められた契約,すなわち国家的な協約は過ぎ去りました。神の子の人間としての犠牲は,新しい契約を施行せしめ得るに必要な血を供給したのです。この新しい契約は,神からの新しい約束,より良い約束に基づいており,また悔い改めた罪を真実に許すものです。(ヘブル 8:7-13; 10:9-18)それで,ヱホバ神はその御霊によつて産み出した霊的なイスラエルの新しい国民と新しい契約をむすびました。それは犠牲となつたキリストを仲保者とする契約です。神はまた新しい国民を永遠の御国の契約にみちびき入れました。彼らはその永遠の御国のために,人間としての生命を永久に犠牲としなければなりません。―ルカ 12:32。テモテ後 2:11,12。
10 ペテロは彼らの忠節について,どのように指摘しましたか。その故に,彼らは正しい実をどのように産み出しましたか。
10 神は,霊的なイスラエルのこの新しい国民に向い,使徒ペテロを通して次のように語りました,『しかし,あなたがたは,選ばれた種族,祭司の国,聖なる国民,神につける民である。それによつて,暗やみから驚くべきみ光に招き入れて下さつたかたのみわざをあなたがたが語り伝えるためである。』(ペテロ前 2:9,新口)約束された御国の実を産み出すことは,この聖なる国民の義務になりました。その国民の成員として油注がれたすべての者は,このことをするために御国の伝道に出かけました。彼らは見たところ新しい仕方でこのことをいたしました。つまり公共のところで伝道するだけでなく,家から家に伝道したのです。
なぜ新しい歌の時
11 神の聖なる国民の何が地上に残りますか。そして,今日の国際連合に加わろうとする企てはなぜないのですか。
11 キリスト教時代のこの20世紀にあつて,今日でもその聖なる新しい国民の者は地上にいますか。います。霊によつて油を注がれた者の残れる者,すなわちまだ地上に残つている者がいるのです。彼らには,天の御国においての場所が備えられているという神からの保証を受けています。彼らは一つの国民,すなわち霊的イスラエルの新しい国民の残れる者ですが,国際連合制度に加わつている一員になつていません。最近に形成された現代イスラエルの国家は,国際連合に参加しています。国際連合に参加している81ヵ国は,その聖なる新しい国民の加入を欲しません。しかし,キリストに従うヱホバの国民の残れる者は,その加入を決して申請したことがありません。国際連合は,極く間近かな悲惨な終りに直面しているこの古い世に属します。霊的イスラエルの残れる者は,天的な王イエス・キリストにもとづく新しい世に属しています。古い世は,私たちの時代の中に必ず過ぎ去ります。新しい世は必ず永久に存続します。
12 なぜ現在はこの悲しみに打ちのめされた古い世と共に歎き悲しむ時ではありませんか。
12 1914年という年は,すでに44年も昔の年です。その時以来,この古い世の悲しみと苦難は極めて多くふえました。このすべてのことから見るとき,いまはこの古い世と共に歎き悲しむ時ですか。そうではありません。むしろ,それとは全く反対のものなのです。何ですか。新しい歌です! 音楽の作曲者なる神は,人類に臨んでいるこの恐ろしい時代を見越し,全地を取りかこむ大合唱を呼び求められました,『新しき歌をヱホバにむかいて歌え。全地(の民)よ,ヱホバに向いて歌うべし。ヱホバに向いて歌い,その御名をほめよ。日ごとにその救を宣べ伝えよ。』― 詩 96:1,2。
13 新しい歌の主題について,私たちはなぜ一つの質問をしますか。どんな知識のないままに伝道は幾世紀ものあいだ行われましたか。
13 しかし,善意を持つ人々は,どのようにしてヱホバに新しい歌を歌うことができますか。1900年むかし,イエスの誕生したときに天の大軍はヱホバを讃めたたえたのです。何が新しいのですか。新しい主題は何処にありますか。1900年むかし,イエス・キリストが地上にいた時には,『天の御国が近づいた』という驚くべき音信がイスラエル人の地のいたるところで宣べ伝えられました。王の王になるべく油注がれた神の女の裔が,霊者として復活し,天に再び入つたとき,油注がれた地上の弟子たちは彼のいましめに従つて神の御国を遠く広く伝道し,すべての国民に伝えようと努めました。(マタイ 28:19,20。使行 20:25)何時この御国が天で生み出されるか,そして全地と全国民の政府の支配に取つて代るかについては,当時の御国宣明者は知らなかつたのです。―黙示 12:1-10。
14,15 (イ)今日,その知識の不足はなぜ存在していないのですか。(ロ)予言された証拠は何時現われ始めましたか。その年は,その時よりも以前にどう計算されましたか。
14 しかし,私たちは知つているのです! 全く,私たちは知つているのです! それは人間の知識によるのでもなければ,20世紀の科学によるのでもありません。20世紀の科学は,神の約束された御国をすこしも考慮していないのです。しかし,ヱホバ神は,私たちに証拠を示されました。もしその証拠がないなら,神の御国が天で誕生したことをどうして知ることができますか。イエス・キリストが天に昇る時よりも2ヵ月前に,そして御使がその昇天を見守る弟子たちにイエス・キリストは再び戻ると告げたときよりも2ヵ月前に,イエス・キリスト自身も,この古い世の終りについての予言を与えました。その予言の中で,彼は私たちの時代の中に必ず起る証拠を弟子たちに告げました。善意を持つ人々は,この証拠によつて,彼が天的な御国に来て,敵の只中で支配し始めたことを知ります。彼らはこれらの証拠が聖書の啓示とこの古い世の出来事の両方に現われるのを見て,御国が天で誕生し,そして彼が御座について王位についたことを知るのです!
15 疑問を持つ人は誰でもマタイ伝 24章と25章,マルコ伝 13章,ルカ伝 21章,そして黙示録 6章を読んでみるなら,これらの証拠が1914年に現われ始め,この古い世が予告された「ハルマゲドンの戦い」での悲惨な滅びに向い始めたことを知るでしよう。(黙示 16:14,16)聖書に述べられている年代により,またこの世の歴史の絶対的な日時によつて,1877年の昔の時においてさえその時の計算はなされました。そして,「ものみの塔」誌の最初の編集者になつた聖書研究者により出版されたのです。祈りの中に計算されたこの重大な年は,第一次世界大戦の年,すなわち1914年でした。発表された年は,印刷されているものであり,論議の余地のないものです。
16 1914年には音信の変化はどのように必要なものとなりましたか。
16 忘れることのできないその年以前でも,油注がれたクリスチャンたちは来るべき神の御国の良いたよりを伝道しました。その年以来,神は新しい歌の主題を供給しました。1914年,天の御父でもあり,かつ神権的な政府の根源者は,御自分の女の裔を即位せしめて王位に即けることにより,その栄光に輝く御国を誕生せしめたのです。神の女の裔は,永遠の御国に関してダビデと結ばれた契約の相続者です。それは確かに新しいものでした。そのメシヤによる政府の誕生したことは,御使と人間に対して,全宇宙に対して,新しい支配制度を運営せしめることになりました。それによつて,ヱホバの宇宙制度の首都部分が存在するようになり,聖なる御使と善意を持つすべての人は,神のいましめに従つてそれに服しなければなりません。そのようなものは以前の宇宙内に一度たりといえども無かつたのです。全宇宙にとつてこれは良いたよりでした。それで,1914年になると,神の御国についての良い音信は古いものとなり,時勢より後れたものになりました。神の御霊によつて伝道するように油注がれたクリスチャンに対する音信は,今後はすでに来た神の御国の音信でなければなりません。それは誕生した神の御国,天に設立されている神の御国,そして天と地のすべての敵の只中で支配している神の御国の音信でなければなりません。ここにヱホバに捧げる新しい歌の心とろかすような主題があります。ヱホバは歌を歌うすべての快い事柄の全部を予めに告げ,またその通りに為されたからです。
17,18 イエスの油注がれた弟子たちがこの新しい歌を歌うとイエスはどのように予告しましたか。幾億人という人々は,それが誰によつて歌われていると認めねばなりませんか。
17 イエスは御自身の予言の中でも,彼の油注がれた弟子たちはこの新しい歌を歌わねばならず,そして歌うであろうと予言しました。イエスは,飢饉や,疫病や,地震や,宗教的な迫害を伴う第一次世界大戦がこの古い組織制度の終りの始まつたしるしになると述べてから,次のように言いました,『そしてこの御国の福音は,すべての民に対してあかしをするために,全世界に宣べ伝えられるであろう。そしてそれから最後が来るのである。』(マタイ 24:14,新口)1914年以来,私たちは終りの時にいます。現在,新しく誕生した御国の良いたよりは,全地に伝道されて居り,共産主義のロシヤやその衛星国にも伝道されていますか。
18 公けの仕方にもせよ,または家から家の伝道にもせよ,御国のたよりを伝えられた全地の幾億という人はみな「然り!」と答えざるを得ません。それでは,事実に即して見るとき誰によつてですか。今日のヱホバの証者によるのです。彼らの中のなかには,油注がれて全く献身したクリスチャンたちの残れる者がいます。彼らは天的な御国の相続者ですが,今では彼らと共に幾十万人という善意者がいるのです。
19 その歌を最初に歌う者は誰であると予言されましたか。その歌を歌う大いなる数の中に誰が加わつていますか。
19 彼らのすべては神から与えられた『新しき歌をヱホバに向いて歌え』といういましめに従つています。黙示録 14章1-15節に予告されているごとく,天的な御国に属する14万4000人の相続者の残れる者が先ず『新しい歌』を学んで歌い始めました。しかし,因襲を破るこの『新しい歌』は,すでに幾十万人というよろこびに満ちる聴衆の間で人気のあるものになつています。そして,善意を持つこれらの人々は,全国民の中で歌われているこの歌に参加しているのです,『ヱホバは統べ治めたまう。』(詩 96:10)1914年以来,ヱホバは私たちの地を治めておられるのです。ヱホバは,即位して力を受けた王,イエス・キリストにより支配をしておられるのです。
20 御国が誕生して後に,他のどんな新しい事柄は天をかき乱しましたか。そして,新しい歌は何についても語つていますか。
20 それですから,神の女の支配している裔が悪魔なる蛇サタンの頭を砕く時は急速に近づいています。そして,天と地にいる悪魔の裔は,悪魔と共々に滅ぼされてしまうでしよう。天と地から悪を打ち砕くというこの最高潮の前に,そして第一次世界大戦が地上で行われている間,御国が天で誕生してすぐ後に,新しい事柄が天の平和をかき乱しました。この異常な事柄についての予言的な描写は『天では戦いが起つた』と告げています。それは,聖なる天使により支持され,新しく即位した王と,悪魔的な裔なる不敬虔な御使により支持されている大いなる龍,最初の蛇,サタン悪魔との間の戦いでした。終りには,王の王に従つていて勝利を得る御使たちは次のように歌い出ました,『今や,われらの神の救と力と国と神のキリストの権威とは現れた。われらの兄弟を訴える者は,投げ落された。……それゆえに,天とその中に住む者たちよ,大いに喜べ。しかし,地と海よ,おまえたちはわざわいである。悪魔が,自分の時が短いのを知り,激しい怒りをもつて,おまえたちのところに下つてきたからである。』(黙示 12:7-12,新口)大いなる蛇と,悪鬼の裔は極度に怒つています,というのは,勝利を得る神の女の裔がハルマゲドンの宇宙的な戦争で蛇の頭を砕く時が間近いと知つているからです。新しい歌はこの「天における戦争」とキリストの勝利のことを告げています。
21 歌を歌う者はみな新しい歌の主題の一部を形成する何を待ち望んでいますか。
21 サタンとその悪鬼なる霊者たちとで成り立つ古い天は,今や滅びに向つています。人類は,間近かい中に圧迫を加える,悪鬼的な力をもはや感じないでしよう。イエス・キリストの新しい天や,『第一の復活』によつて彼と共になつた忠実な弟子たちは,いまや支配しています。そして,善意を持つすべての人が歌を歌う油注がれた残れる者の側にあつて新しい歌の大合唱に集め入れられる時まで,敵を滅ぼすことを差しひかえています。これらの人々は,間近い中に古い世の廃虚の上に新しい世が全く設立されること熱心に待ち望んでいます。彼らは使徒ペテロの次の言葉を心に留めています,『天は鳴り轟く音と共に過ぎ去り,非常に熱した諸要素は溶けさる……ヱホバの日の臨在を待ち望んで心にしつかりと憶えていなければならない。しかし,神の約束により,私たちは正義の宿る新しい天と新しい地を待つている。』(ペテロ後 3:12,13,新世)正義の新しい天と新しい地によつて成り立つ来るべき世も,ヱホバに捧げる『新しい歌』の主題の一部を形成しています。
22 その新しい歌の中では,4000年以上のあいだ恐らく歌われなかつたどんな節は,1918年の始め頃から歌われましたか。
22 しかし,耳を傾けてごらんなさい! 普通の歌とは全く異なるこの歌の中で,あの特別に際立つ一節を耳に聞きますか。それは何ですか。すくなくとも,それより以前の4200年のあいだ昔の時代の人が歌わなかつたものです。それは,1914年に御国が誕生して以来,はじめて伝道され始め聞え始めたものです。それは,1918年の初め以来,ヱホバの油注がれた残れる者が善意を持つ人々に歌つてきたものです。数知れぬ幾百万という人々は,不信の中にそれを笑いました。しかし,それは心の痛める善意者を勇気づけ,彼らはその実現を楽しむという心を躍らす期待をするようになつたのです。それは次のような啓示された聖書的な事実です,すなわち数知れぬ大いなる群衆,いま生きている善意者は決して死なないという事実です。数えることのできないこの大いなる群衆は,現在生存している幾百万人を含むようになるかもしれません。ハルマゲドンの戦場でそれらの者たちが神の御国の側に最終的に整列して,彼ら自身を全く表明するとき,私たちはそのことをもつと明確に知るでしよう。
23,24 イエスのどんな言葉から見て,この時代の人々が,洪水に際してもノアの生き残つたことを記憶するのは大切ですか。
23 しかし,なぜ新しい歌は,善意を持つ人々の心の中に,決して死ぬことなくこの地上に生きつづけるという希望を起させるのですか。ノアと方舟にいたノアの家族が,以前の不敬虔な世の終りに生き残り,現在の世に人間家族を新しく出発させたという歴史的な事実を憶えていますか。1914年以来生存している現代の人々は,神のこの奇蹟を心に留めることが大切です。なぜですか。なぜなら,マタイ伝 24章33節-42節の中で,イエスはこの世の終りと御自身が御国に来られることについての予言の中で,次の言葉を述べられたからです。
24 『すべてこれらのことを見たならば,人の子が戸口まで近づいていると知りなさい。よく聞いておきなさい。これらの事が,ことごとく起るまでは,この時代は滅びることがない。天地は滅びるであろう。しかしわたしの言葉は滅びることがない。その日,その時は,だれも知らない,ただ父だけが知つておられる。人の子の現れるのも,ちようどノアの時のようであろう。すなわち,洪水の出る前,ノアが箱舟にはいる日まで,人々は食い,飲み,めとり,とつぎなどしていた。そして洪水が襲つてきて,いつさいのものをさらつて行くまで,彼らは気がつかなかつた。人の子の現れるのも,そのようであろう。……だから,目をさましていなさい。いつの日にあなたがたの主がこられるのか,あなたがたには,わからないからである。』
25 なぜ私たちの時代は,その成員が古い世の終りに生き残る時代ですか。油注がれた残れる者の希望は何ですか。
25 私たちが見守るときに,1914年以来この世の終りの時を示すとイエスの予言したすべての証跡を見ました。私たちの知るごとく,私たちの時代こそ予言された多くの事柄の実現を見た時代であります。それですから,私たちの時代にそのすべての事柄が実現して,イエスの言葉の成就が見られるに違いありません。このわけでこの時代はノアの時代の場合と同じく,この古い世の終りを見るでしよう。ノアと方舟に乗つていた家族と動物は,洪水前のその世の終りに生き残りました。その予言的な劇を成就するものとして,ノアとその家族のような或るヱホバの証者は,今日の古い世の滅びにも生き残るに違いありません。そのようなこの時代の生存者たちは,新しい天と新しい地で成り立つ神の世に入るでしよう。油注がれた残れる者は,14万4000人の御国相続者の他の者のなした如く,忠実の中に死んで『第一の復活』に与ることにより,その新しい天の一部になると希望しています。
26 他の生存者たちが死ぬことなしに生き得るのは,どうして可能ですか。
26 善意を持つ他の生存者たちは,新しい世の地的な社会を形成したいと希望しています。彼らは今後ともヱホバ神に祟拝を捧げ,そしてヱホバ神の御国に従順を保つ故に,私たちの主なるキリスト・イエスを通して与えられる永遠の生命という神の賜物を受けるにふさわしいと証明します。その結果,ハルマゲドンの宇宙的戦争の忠実な地的な生存者たちは,地上で死ぬことは決してなく,神の御国の支配下にある新しい地上の楽園で永久に住むでしよう。統治している王が呼び召すときに,記憶の墓にいる者が復活して戻つてくるのを歓迎する彼らのよろこびはなんと大きなものでしよう!―ヨハネ 5:28,29。
27 なぜ私たちは,その新しい歌に信仰を働かせるべきですか。その歌について私たちはどのようにヱホバを最もよろこばせますか。
27 ヱホバに捧げるこの新しい歌の中にあるすばらしいすべての事に不信を抱く理由がありますか。ありません。むしろ,彼の言葉と,その予言の成就にもとずいて,私たちは新しい歌に信仰を働かすべきであります。ヱホバ神については,次のように言われています,『御座にいますかたが言われた,「見よ,わたしはすべてのものを新たにする」。また言われた,「書きしるせ,これらの言葉は,信ずべきであり,まことである」。』(黙示 21:5,新口)彼の作曲した新しい歌を信ずるなら,彼をよろこばすことになり,彼は私たちを是認するでしよう。新しい歌のすばらしい事柄をみな学んで,それから私たちもその歌を歌つて,すべての者が聞くようになる,全くヱホバにも聞えるようにして私たちの信仰を証明するなら,彼をより一層よろこばせるでしよう。
28 歌を歌えという神の命令に従うとき,どんな結果が生じますか。
28 『ヱホバに向つて新しい歌を歌え』は,今日の私たちに対する神の命令です。私たちがその命令に従つて,愛の心から恐れなしに歌うなら私たちは幸福です。それは私たち自身の救いと善意を持つ人々の救いを意味するでしよう。彼らは私たちの歌を聞いて,私たちと共々に歌うようになり,ヱホバ神の誉と,その約束された裔,すなわち新しい世の王に誉を帰すのです。
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読者よりの質問ものみの塔 1958 | 4月15日
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読者よりの質問
● もしヱホバが最高至上者であるならば,なぜ彼は何世紀にもわたつて悪が続くのを許してこられたのですか。
この最高至上権こそこの問題の骨子になるものです。悪は,神の霊の子が神の至上権に対して反逆した時から始まりました。この反逆した霊者について聖書はこう述べています,『汝はその立られし日より終に汝の中に悪の見ゆるにいたるまではその行い全かりき。』(エゼキエル 28:15)神の宇宙的至上権に反逆することによつて,この霊者は自から悪魔になり,サタン悪魔また,『原の蛇』と呼ばれるようになりました。―黙示 12:9,新世。
サタンは,アダムとエバを誘惑して,神の宇宙至上権に反逆させました。ですからサタンは,ちようどアダムとエバを反逆させたように,誰でも堕落させることができ神の宇宙至上権にそむかせることができると自負していたのです。ヨブ記の第1章と2章には,サタンが神に向つて豪語したことが書かれています。サタンは実際に,神に挑戦したのです。つまり神は,どんなに誘惑されても神に忠実を保つ人間を一人も地上におくことはできないのだという挑戦です。ヱホバは悪魔がヨブをためすのを許されましたがヨブは忠実を保つて悪魔のいつわりを暴露しました。同様に神は最も重要な宇宙至上権の論争を試験にかけることができるように何世紀にもわたつて悪をそのままにされて来たのです。そしてこの宇宙
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