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真実の生活を待ち望むものみの塔 1954 | 12月15日
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イエスは彼に従う人々に,御国が来るように,そしてヱホバの御意が天で行われているように地上でも行われるように祈りなさいとうながしたのです。
しかし私たちが第一に興味を感ずることは,いつ,これらのすべての良い事が来るのでしようか? 私たちはそういう事を見ることができるでしようか? それは私たちの時代に来るでしようか? ということです。予言者ダニエルは私たちのこれらの質問に答えて,ダニエル書 2章44節でこう言つています。『これらの王たち〔私たちの時代の王たちと支配者たち〕の日に天の神は一つの御国を建てるであろう。その御国は滅ぼされることなく,また他の民に任されないであろう。却つて御国はこれらすべての国々を粉砕し,滅ぼすであろう。そして御国は永遠に存続するであろう。』(英文欽定訳)そのようにこの節で神は,ご自分がこの世のすべての国々を取り除き,その代りに御子イエス・キリストが支配する御国を置き代えることを決意されたことを示しております。神によつてこれらの地の国々が取り除かれた後で人類は平和を楽しむでしよう。なぜならば神の御国の支配者は平和の君であります。それはイザヤが述べている通りです。『ひとりのみどりご我らのために生れたり。われらはひとり子をあたえられたり。政治はその肩にあり。その名は奇妙,議士,また大能の神,とこしえの父,平和の君ととなえられん。その政治と平和とは増し加わりて窮りなし。』― イザヤ 9:6,7。
今日私たちは,その新しい世の政府 ― 最も高い神ヱホバが建てて,王キリスト・イエスが管理したもう政府 ― の門口に住んでいることを知ることができます。全人類はその御国のことを聞き,その大能のはたらきと,その御国が人類に何をなすかを是非学ばねばなりません。そしてまた,神の名誉のため,また神の御言葉の成就のために,このきびしい時代のあいだ希望をもつて生活しなければなりません。
人々は平和をもたらすことに失敗し,またどのように真に生きるべきかを人類に教えることに失敗しました。神は失敗しないでしよう。これらの御国の約束を信ずることによつて,またそれらを実現される神に信頼することによつて,これらの御国の約束をあなたのものにしなさい。その御国で神を信ずるすべての者らは十分に生活を楽しみ,その生活こそほんとの生活であるということを味うでしよう!
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利己的なクリスマスものみの塔 1954 | 12月15日
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利己的なクリスマス
めいめいが贈物をもらう,ある誕生日の会のことを誰もが聞いたとしても,その会が祝われている本人のことを聞きましたか? キリスト教国は丁度そのような会を祝いますが,それは『キリストの祭日』またはクリスマスと呼ばれています。この季節に人々は贈物を交換しますが,しかしキリストは悲しくもなおざりにされています。ほんとに人々は,受けるより与える方が,より大きなさいわいであるというキリストの言葉を訳もわからずに真似ているのです。(使行 20:35)しかしこれは与える動機が愛である場合にだけ適用されます。考えてごらんなさい! クリスマスの贈物を与える人は,ほんとにキリストを愛するゆえにキリストの言葉によつて,与えるようにはげまされたのですか? それともその動機は私慾ですか?
贈物を与えることはクリスマス時期の社会的要件となりました。政治家や有力者に媚びるためにクリスマスの贈物は理想的です。なぜならばそれは合法的であり,そして季節はづれの『貂の毛皮の外套』のように眉をしかめられることがないからです。利己的に与える人たちは通例に従つていて,決して例外ではありません。もしも金子氏が田中氏に安物でない贈物を与えてお返しの品をもらわなかつたならば,金子氏は多分それ以上贈物を田中氏に与えないでしよう。それゆえクリスマスは利己的です。なぜならば与える人たちはお返しを当てにして物を与えるからです。そのような与え方はキリストによつて非難されています。―ルカ 14:12-14。
しかしクリスマスの利己主義は,貧しい人々が利益を受ける時であるという理由で,ゆるされることはできませんか? これに対して私たちはたづねます,一体どれだけ多くの貧しい人々が利益を受けますか? そして貧しい人々に与える者らは愛の心から与えますか,あるいは人目を惹くように利己的な動機が存在していますか? 利己的
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