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  • 正しい交わりは生命にみちびく
    ものみの塔 1961 | 10月1日
    • に,ふたりが無学な,ただの人たちであることを知って,不思議に思った。そして彼らがイエスと共にいた者であることを認め」た。―使行 4:13,新口。

      22 イエスとの交わりから,弟子たちはどんな益を得ましたか。

      22 人間の伝説と哲学のためにユダヤの国民が腐敗していたときに,イエスは正しい交わりを与えました。その宗教指導者は神から遠く離れた者で,神のことよりも自分たちの利己的な目的を追い求めていました。イエスと共に歩いて賢くなった人々は,モーセの時代の如く,イエスの御父との親しい関係の中に再び導き入れられたのです。イエスは霊と真をもって創造主を崇拝することを教え,神の汚れない崇拝に人々を立ち帰らせました。神と共に歩むイエスのもとに来て共に歩むすべての人のために,イエスは御自分の完全な人間の生命を犠牲にして永遠の生命への道を開きました。「わたしは道であり,真理であり,命である。だれでもわたしによらないでは,父のみもとに行くことはできない。」「神の賜物は,わたしたちの主キリスト・イエスにおける永遠のいのちである。」― ロマ 6:23,新口。

      23,24 イエスが地上におられなくても,今日イエスと親しい交わりを持つことができることを説明しなさい。

      23 イエスは肉体をもってこの地上をもはや歩いていません。しかしそれだからといってイエスと共に歩み,徳を高めるその交わりから益を得られないというわけではありません。イエスの知恵の言葉を聖書から定期的に読むならばイエスと親しく交わることができ,イエスの残した敬虔な献身の手本にならうとき,クリスチャンすなわち追随者となってイエスと共に歩むことができます。「キリストも,あなたがたのために苦しみを受け,御足の跡を踏み従うようにと,模範を残されたのである。」(ペテロ前 2:21,新口)心の腐った人,神の言葉に愛と尊敬を持たない人の仲間になるなら,イエスの足跡に従うことはできません。それはイエスの足跡に従うかわりにその人々の足跡に従うことです。

      24 イエスの手本とイエスに関する記録のほかにも,イエスと交わりを持つことのできる方法があります。それはクリスチャン会衆との交わりです。イエスは言われました,「ふたりまたは三人が,わたしの名によって集まっている所には,わたしもその中にいるのである」(マタイ 18:20,新口)会衆と親しく交わるならばキリストと親しく交わることになります。

      25-27 (イ)1世紀のクリスチャン会衆はどのように一致していましたか。会衆との交わりはなぜ健全なものでしたか。(ロ)今日正しい交わりはどこにありますか。なぜそれはキリスト教国にはないのですか。

      25 クリスチャン会衆は,神の聖霊がイエスの120人の弟子たちに注がれた五旬節の時に始まりました。神と神の御子に共通の関心を持つゆえに彼らは一致していました。また彼らはみな正義を愛し,神のいましめを守って神と共に歩むことを望んでいたので一つに結びつけられていました。昇天後,弟子たちの上に注いだ聖霊によって,イエスは弟子たちの中にいました。イエスは弟子たちと共におられ,弟子たちはイエスと一致していました。彼らは高い道徳の水準を保ち,神のいましめを重んじ,汚れのない崇拝を捧げることを固く決意したクリスチャンの社会を作りあげました。

      26 この比類のない社会と交わることは大きな益となりました。それは良いものであり,生命に導くものでした。五旬節の日に3000人の人がこの事を認め,新しく作られたこの組織に加わりました。「そして一同はひたすら,使徒たちの教を守り,信徒の交わりをなし,共にパンをさき,祈をしていた。」(使行 2:42,新口)五旬節の後にも,イエスの弟子たちからできるだけ多くのことを学ぶため,その人々は資金を出し合ってエルサレムに留まりました。その後,自分たちの町に帰った彼らはイエスの手本にならって他の人々に伝道し,クリスチャン会衆を成長させました。

      27 今日でも同じクリスチャン会衆が,正義を愛する人々のために正しい交わりを与えています。キリスト教国の宗派の中に正しい交わりはありません。彼らはキリストの足跡ではなくてカイザルの足跡に従ってきたからです。特にコンスタンチンの時以来,宗教を奉ずるキリスト教国は悪しきこの世の支配者と一つの仲間になってきました。粘土の場合と同じくキリスト教国はその仲間とした者の型にはまっています。従ってその異端審問所のこと,野心をとげるために多くの血を流したことを歴史で読んでも驚くにはあたりません。外見は敬虔をよそおっていますが,その生み出したものと,悪い交わりからはっきり分かるように,キリスト教国は神の敵です。「こういう人々はにせ使徒,人をだます働き人であって,キリストの使徒に擬装しているにすぎないからである。しかし,驚くには及ばない。サタンも光の天使に擬装するのだから。だから,たといサタンの手下どもが,義の奉仕者のように擬装したとしても,不思議ではない。」(コリント後 11:13-15,新口)クリスチャンの教会あるいは会衆のように見せかけているキリスト教国は人をだます働き人であり,人を神と友なる関係に導き入れるよりは人々を神からひき離しています。

      28 正義を愛する社会は今日どこにありますか。その中に住む人々にはどんな希望がありますか。

      28 今日のクリスチャン会衆は現代のエホバの証者の新世社会と密接に結びついていますが,キリスト教国とは無関係です。新世社会はクリスチャン会衆と切っても切れない関係にあります。ここにこそ,正義を愛し,1世紀のクリスチャンと同じく神の律法を重んずる社会があります。これこそイエスと同じく世から離れ,イエスと同じく公に伝道し,イエスの如く神の御国を第一に求めてイエスの足跡に従っている社会です。これこそ腐敗した世に住みながらも神と共に歩いている社会です。大きくなりつつあるこの国際的な社会は,正義の人々から成り立っています。その多くは現在の組織制度の終りを生き延びて地をつぐでしょう。「正しい者は国を継ぎ,とこしえにその中に住むことができる。」(詩 37:29,新口)この人々との交わりは永遠の生命に導く正しい交わりです。

  • クリスチャンを作りだすには何が必要か
    ものみの塔 1961 | 10月1日
    • クリスチャンを作りだすには何が必要か

      非キリスト教の国々において宣教のわざをすすめるために,毎年何億円もの金が寄付されています。地球上広範囲にわたり,何千という人々は,この寄付による物質的な益を受け,キリスト教にはいりました。しかし,このような改宗者は本当のクリスチャンですか。その人たちが,キリスト教は自分の宗教だと言う時,その動機は正しいですか。それは試練の時にたえ得るほど強いものですか。1960年5月28日号の「オッタワ・ジャーナル」にのっていた,ひとつの記事は,これらの質問に解答を与えるものです。

      フィリピン群島のある人里はなれた所で,宣教者の医師が,非常に憂いに沈んだイゴロート人が道端にすわっているのを目にとめました。その人が,あまりにもみじめに見えたので,その医師は足をとめ,どうしたのかとたずねました。その男は,元気のない調子で,意気消沈しているのだと答えました。どうしてそうなのかと医師はたずねました。翌日,牧師がやってくるのです。とイゴロート人が答えた時,宣教者は,あの牧師なら良い人で,だれをもいじめるようなことはしないから大丈夫だ,と受け合いました。

      イゴロート人はすぐ同意して,牧師が好きだと暖く言いました。「それなら,何がいけないのかね」と医師は聞きました。「この前,牧師さんがここに来られた時,私に帽子をくださいました。それで私は,監督派になりました。」「それは,けっこうなことだ。それは良い宗教だよ。」と医師は言いました。

      それからイゴロート人は説明しはじめました。それによると少したってからカトリックの司祭がやってきて,ズボンを一着くれたので,カトリック信者になったというのです。「そうだね,カトリックだって良い宗教だよ。」と医師は言いました。イゴロート人は悲しそうに言いました。「カトリックの司祭はもう行ってしまいましたが,監督派の牧師がまたもどってきます。私は彼をがっかりさせたくありません。」イゴロート人が,この問題にぶつかって非常に悲しそうに見えたので,宣教者は最後に,どちらの派を選びたいのかと聞きました。「牧師さんに帽子を返し,司祭さんにズボンを返えし,またただの異教徒になろうと思っています。」と彼は言いました。

      これは,次の悲しむべき事実を裏づけている

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