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  • 正しい平衡を維持する
    ものみの塔 1958 | 9月1日
    • は常に心をヱホバに寄せていなければなりません。『なんじは平康にやすきをもてこころざしかたき者をまもりたまう,彼はなんじに依頼めばなり。なんじらとことわにヱホバによりたのめ,主ヱホバはとこしえに岩なり。』(イザヤ 26:3,4)心からの祈りは,ヱホバに対するより大きな信頼と依存を生じさせます。祈りは,クリスチャンが,その古い世の腐敗した状態に取りまかれ,その迫害になやまされている時にあつて,しつかりと立つことを助けます。

      将来の見込み

      25 クリスチャンの忠実の狭い道はなぜ無益な道ではありませんか。人の霊的均衡に関する弱点はなぜ無視することができないのですか。

      25 クリスチャンの忠実という狭い道は,無益な道ではありません。現在と将来においてそれにはゆたかな報いがあります。それは追い求める価値の十分ある貴重な報いです。しかし,これは,霊的平衡を持つ人々のみに与えられるでしよう。従つてこのことは,つりあいのよくとれていないクリスチャンは,その弱点を是正し,ただちにその歩みを堅実にしなければならないことを意味します。それは無視することのできない真剣な問題です。

      26,27 堅実なクリスチャンがいま享受している報いのいくらかは何ですか。彼は何を確信して期待していますか。

      26 大きな心の平和は,平衡のとれたクリスチャンが今享受している報いの一つです。世界状勢がいかに不穏になつてきても,クリスチャンは動揺しません。彼は,将来に何があるかを知つており,また自分は生き残れる道を歩んでいることを知つています。そしてこのことは,現在の悪しき組織制度の上に近づきつつある神からの滅びに対する,どのような恐怖も取り去つてしまいます。

      27 彼は,神の律法を愛する人々,神の原則によつて生活し,神への奉仕に従事する人々が持つ喜びを持つています。また,その良心は,正しくないふるまいをしたとか,彼に要求されたことを行わなかつたという理由で彼を責めません。彼の心はくつろいでいます。そして,地球が従順な人類のために,楽園の家と変るのを自分の目で見るよう楽しく期待しています。彼はまた,クリスチャンの忠実の細い道を歩んで来た人々に,永遠の生命のたまものが与えられる時には,今から千年以上も生きることを確信を持つて期待しています。

      28 霊的平衡のある人は死をどのように考えますか。

      28 彼が万一その前に死んでも,その人には復活により,キリストの花嫁の一人として,もしくは一人の人間としてこの地上の生命に再びつれもどされ,地上における永遠の生命の希望を得る見込みがあります。それは彼がその細い道を踏みはずさなかつたからです。復活の希望があるため,平衡のとれたクリスチャンは不安や恐れを持たずに死に直面することができます。ですから迫害者たちは殺すといつて彼を脅迫することはできません。彼は迫害者たちが何をしようと何を言おうと自分の忠実をしつかりと維持します。

      29 生命に通ずる細い道を発見したある人々に何が起きましたか。

      29 イエスが預言されたように,世界の全人口の中,わずかな者だけが忠実の細い道を発見しました。その中のある人々は,霊的均衡を維持することに失敗し落ちてしまいました。そしてその落ちた人々の中で,再び元気をとりもどし,苦しみながらもとの道にのぼつて来た人もかなりあります。彼らがその道に復帰することができたのは,ひとえに彼らの誠実と,心からの悔い改めと,神の過分の御親切によるものです。その道にどのくらい長く留るかは彼ら次第です。彼らがもしいま,いかに歩むかを注意し,霊的平衡を改善しそれをたもつて,賢い人のように行動するならば,永遠の生命という彼らの目標に到達するまでその道に留ることができるでしよう。

      30 霊的平衡がとれていない徴候を無視することができますか。なぜですか。

      30 道から落ちて再び立ち上らなかつた人々に起つた事柄は,その道を歩むすべての人にとつて警告となるべきです。彼らは,自分を落そうとして押したりひつぱつたりする色々な力に無関心でいることはできないのです。またつまづきの石に対する聖書の警告を無視することもできません。霊的平衡の弱さを示す徴候にも目を閉じることはできません。危険が多いからです。彼らに使徒ペテロが言つたようにさせなさい,『あなた方の心をひきしめて働き,全く平衡をたもつて,イエス・キリストの現われるときにもたらされる恵みに,あなたがたの希望を置きなさい。』― ペテロ前 1:13,新口。

      31 現代の組織制度の完全な終りが近づくにつれて,何が期待されますか。

      31 私たちが,現在の悪い組織制度の完全な終りに近づくにつれて,クリスチャンの忠実という細い道に留ることはますますむずかしくなるでしよう。従つて霊的平衡をたもつにはよりよい熟練と,より強い決意を必要とするでしよう。いま不安定なようでは,どうしてその時耐えることができますか。

      32 (イ)どのようにしてのみ,永遠の生命という目標に到達することができますか。(ロ)それまでに,平衡のとれたクリスチャンは制度にとつてどんな価値がありますか。

      32 この道の終点にある目標は,正しい平衡をたもつに必要なあらゆる努力と忍耐をするだけの価値があります。もしあなたが,将来にあるその目標から目をはなさず,クリスチャンの忠実の道にしつかりと立つならば,あなたの将来は明るく終りがありません。あなたは,正しい霊的平衡を持つことによつて,綱渡りをする人が細い綱の上を歩くと同じように,その細い道を確かな足どりで歩むことができます。すべてのことに平衡をたもつことによつてのみ,あなたは自分の目標に到達することができるのです。そこに到達する過程においては,あなたはヱホバ神の御手の中にある,またヱホバの神権制度の信頼できる有益な器となるでしよう。

  • 神学生を困らせた質問
    ものみの塔 1958 | 9月1日
    • 神学生を困らせた質問

      ユーゴースラビヤのセルビヤ地方の正統派の信者は,死人の崇拝を行つています。『万霊の日』と呼ばれる日に,各家族は連れだつて,食物の一パイはいつたバスケットを下げ,墓詣りをします。食物のなかには,特別に調理したお供用のケーキがあります。それは,純白の小麦粉,ミルク,蜂蜜,肉桂でつくられたものです。墓詣りにきた人々は,誰れにでも ― たとえ,その人が故人を知つていても知らなくても ― この一サジのケーキの御馳走にあづかります。また家族のうちの故人の『命日』にも,毎年,このケーキが供えられます。この儀式の日には,親類,友人は,みな招待されます。

      あるヱホバの証者の婦人奉仕者は,死亡した牧師の娘のところを再訪問しました。そのとき,家族は丁度『命日』の儀式を終えて,帰つてくるところに,思いがけなくぶつかつてしまいました。ヱホバの証者が部屋に入つて行くと,一群の人々に真正面に会つてしまい,そのうちには,正統派教会の二人の神学生もまじつていました。

      証者はそこに立ちどまりました! 女主人はまずサジを渡し,つぎに,命日のケーキをさし出しました。訪問者はまずケーキを食べてから,つぎに紹介されるのが習慣なのです。彼女はサヂを持つた手をそのままにして,質問しても宜しいですか?と尋ねました。沢山の人々がいるのですから,たしかに誰かが,正しい解答をしてくれる筈です。

      『もちろん,差支えありません』と女主人は答えました。証者は言葉をつづけて,から云いました。『たとえば,あなたの兄弟がある罪をきせられて,投獄されたと仮定して見ましよう。あなたは弁護士に頼んで釈放運動をします。そして,この弁護士に,時々,報酬を支払います。さて,2年たつた後に,自分の兄弟の釈放運動がどの程度まで進展したか,あなたは弁護士に聞く権利がありますか?』

      『そうですとも,権利はありますね』とその婦人は答えました。『では,弁護士は,あなたの兄弟の釈放の運動の見通しとか進歩について,知らせる義務がありますか』『もちろんです』人々は答えました。『では宜しいですね。あなたの父は何年も前に死亡しました。そして少くとも一年に一度,命日には,多額の金をミサやお墓の儀式に払いました。そして牧師は,あなたの父は天国に行くと言います。では,父は一体どのくらいまで天国へ近づいたか,牧師にきいたことがありますか? 牧師はその答をたしかに知つていなければならない筈ですね。あるいは,父はすでに天国に行つているから,もはや,ミサとかいろいろの儀式は必要ないかも知れません。だれか私の質問に答えられますか?』と証者は家の女主人に向きながら言いました。

      人々はシーンとしてしまい,誰も答えられません。人々の目は,おのずと,二人の神学生の上に集まつていました。しかし,彼らも当惑しています。証者は,お供えのケーキを口にしないで,サヂを下におきました。すると,一人の神学生は沈黙を破つてこう云いました。『こんな譬をし,この崇高な儀式をかき乱し,このように格下げをするとは,何と無礼ではないか』『どうして,無礼ですか?』とはつきりとした考えをもつているセルビヤの婦人は,答えました。『これらの質問は素晴らしいものだ,ピッタリと事実にあつている』『本当にそうだ』と他の人々も付け加えます。『あなたこそ,その質問にはつきりとした解答すべきでしように。そんな,馬鹿にした態度をとつて,自分の窮地を抜けだそうとしているのでしよう』

      そのとき,叔母は声をあげて,こう云いました。『私の父に今度会つたら,早速この質問をしてみましよう。この20年というもの,死んだヨバンのための,ミサや命日の儀式に,果てしないお金を使つてきた。もう今頃までには,行くべきところに着いていましよう。毎年,工面して,この金額をととのえる必要がどこにあるのでしよう?』 その婦人は,今聖書の研究を行つています。

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