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聖書の新しい翻訳 ― 神に誉れを帰すものですかものみの塔 1970 | 9月1日
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世界の主要な言語に翻訳・出版されている新世界訳聖書は,元のヘブル語本文で神のお名前が出ている個所にはすべて,それぞれの言語で一般に知られている,神のお名前を用いています。ですから,詩篇 83篇18節は次のように訳出されています。「エホバという名前を持たれるあなただけが全地の至上者であられることを人々が知るためです」。したがって,神を恐れる人々は,新世界訳の詩篇 148篇13節を読んで,その勧めを実行できるでしょう。こう訳出されています。「彼らにはエホバのお名前を賛美させよ。彼のお名前だけが,達しがたいまでに高いからである」。
神に対して責任を負わねばならない
この新しい聖書翻訳は,古い翻訳より読みやすいにしても,神が霊感を与えて聖書を書き著わされた目的を果たすものでしょうか。その目的は,神とはだれか,そのお目的は何かなど,神について人々に教えることです。
この点で中心となるのは神のお名前です。神ご自身のみことば聖書の中で,神のお名前が当然重きをなさねばならない個所でそれを隠す翻訳者たちは,わなに陥っています。それら翻訳者のしていることは,サタン悪魔を含め,神の敵が望んでいること,つまり神のお名前を消し去ることにほかなりません。神に誉れを帰していないことは明らかです。
聖書は,「エホバのお名前を呼び求める者はみな救われる(であろう)」と宣言しています。(ロマ 10:13,新。ヨエル 2:32)では,神のお名前を隠そうとする人々はどうなりますか。詩篇 74篇10,22節(新)はこう述べています。「敵はあなたのお名前を永遠に不敬をもって取り扱うのでしょうか。神よ,立ち上がって,係争中のあなたご自身の訴訟をぜひ処理してください。無分別な者から終日こうむる,あなたの非難を思い起こしてください」。神のお名前を軽視する人々に対し,神がその責任を問う時は近づいています。
偏見を持つ翻訳者たちが,神のお名前を聖書の翻訳から削除するのは,時好に投ずるものではあるにしても,そのために彼らは,神の命の書から自分たちの名前を取り除かれる危険を冒しているのです。
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わたしの偉大な創造者を知りたいとの願いをいだいてものみの塔 1970 | 9月1日
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わたしの偉大な創造者を知りたいとの願いをいだいて
アンナ・E・ジンメルマンの経験
わたしの偉大な創造者に献身して63年を過ごした今,わたしは感謝の気持ちでいっぱいです。そのうち58年を神への全時間奉仕に費やしました。それはなんとすばらしい特権でしょう。でもわたしは,「われらは無益なるしもべなりなすべき事をなしたるのみ」と語るようにとキリスト・イエスが勧めた,正しい態度をいつも思い起こしています。―ルカ 17:10。
わたしが,「御国の良いたより」の全時間奉仕者
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