ものみの塔 オンライン・ライブラリー
ものみの塔
オンライン・ライブラリー
日本語
  • 聖書
  • 出版物
  • 集会
  • 目80 2/8 19–20ページ
  • 地滑りを起こした郊外の住宅地

視聴できるビデオはありません。

申し訳ありません,ビデオをロード中にエラーが発生しました。

  • 地滑りを起こした郊外の住宅地
  • 目ざめよ! 1980
  • 副見出し
  • 関連する記事
  • 大災害
  • 惨状
  • 救援活動と被害額の評価
  • 猛威をふるったカリフォルニアの大火
    目ざめよ! 1971
  • どんな家に住んでいたか
    エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 2010
  • 孤独を感じるなら,どうすればいいだろう
    若い人が尋ねる質問 ― 実際に役立つ答え,第2巻
  • 家
    聖書に対する洞察,第1巻
もっと見る
目ざめよ! 1980
目80 2/8 19–20ページ

地滑りを起こした郊外の住宅地

「郊外の住宅地で地滑りが進行中……」。ニュージーランドの新聞,オークランド・スターは,昨年の8月7日付の紙面にこのような見出しを掲げました。

同紙は次のように報じました。「ダニーディンの近郊にあるアボッツフォードの閑静な住宅地で5月初旬に水道本管の破裂騒ぎがあった。[これが]アボッツフォード地滑りの発端となるしるしであった。この地滑りで200人の住民が立ち退きを余儀なくされた」。

アボッツフォードは,丘の斜面から農地へと広がる郊外の新興住宅地です。6月の初旬には,何軒かの新築まもない美しい家屋にひび割れが生じるようになりました。地面が文字通り割れて,地滑りが始まり,やがて深い割れ目ができました。家財を持ち出したいという,避難した家族の強い要請で,危険な中を短時間だけ,家に戻ることが許されました。二軒の家屋は地元の当局者が非常に危険であると判断したため,取り壊されました。しかし,その後の大破壊の前には,この程度の被害は影が薄くなってしまいました。

大災害

8月8日,水曜日のこと,地割れの西側に住むある家族が娯楽室に集まっていると,裏のへい越しに何かが引きちぎられるような物音が聞こえてきました。それに誘われて外に出てみると,頭上の電線が“ピューン,ピューン”と奇妙な音を立てて,周囲の静寂を破っていました。そして気がつくと,道路の先の方にある家が「自動車のようにバックしている」ではありませんか。

そこから三軒目の家に住むある家族は,8月10日,金曜日に避難する予定でいました。聞き慣れない物音がするので,夫が暗やみを透かして裏庭を見ると,信じられないことに,見慣れた灌木のおぼろげな輪郭が地面の下へ沈み,姿を消して行ったのです。

その家族は家を捨てて隣家に行きました。立ったまま,これからどうしたものかと話し合っている間にも,電柱は地面すれすれに大きく傾き,電線は随所で切れて火花を散らしていました。今しがた自分たちの逃げ出して来たその家がゆっくりと大きくかしぎ,広がり続ける割れ目の中に見る間に落ち込んで行きました。

丘の上にある情報センターに勤務する男性交換手は,夜9時ごろ無線局を閉めて,人影のない街路を歩いていました。すると,ガラスの割れる音や何かの壊れる音が聞こえてきました。物音のする方に走って行くと,前方で道路が大きく裂け,深い割れ目ができていました。反対側の土地は,まるで「練り歯みがき」のようにずるずる動いています。頭上では電線が音を立てて切れ,アボッツフォード全域がやみに包まれました。

深い割れ目の向こう側で人々が叫び声を上げているのを聞いて,その交換手は携帯用無線電話器で民間防衛本部を呼び出し,援助を要請しました。そして,懐中電燈に照らし出された割れ目が大きくなってゆくのを,あ然として見つめていました。地面の動きがあまりにも速かったため,消防隊が到着した時には20㍍もの割れ目ができていて,反対側の人々の所に行くことができませんでした。

割れ目の向こう側で,ある家族が避難しようとしていました。自動車のヘッドライトが前方でぱっくり口を開けている道路を照らし出します。その家族は,恐れのあまり自動車から飛び出し,人の声のする方へ走って行きました。やがて,幾百人もの公的機関の職員が投光器を携えて現場に到着しました。頭上ではヘリコプターが舞って,地滑りを起こした土地に取り残された17人の人々をつり上げようとしていました。しかし,消防士が地滑りを起こした土地の下の方に,取り残された人々を無事連れ出せるような避難路を見つけました。

惨状

日が昇るにつれて惨状が明らかになりました。アボッツフォードの郊外のかなりの部分が丘の斜面から滑り落ち,二本の街路に沿った家並みや歩道,へい,郵便ポスト,駐車中の車両がまだその姿をとどめています。コンクリートの道路が崖の縁にぶら下がっていました。乗用車と貨物自動車がいっしょに押しつぶされて横転し,半ばどろの中に埋まっていました。大規模な地滑りを起こした土地の中央付近に,庭が,乱れた様子もなく整然と元の姿をとどめていましたが,母屋のほうは消えてなくなっていました。

奇妙なことに,周囲の家屋が破壊されたり,ゆがんだりしているまっただ中で,小さな温室がひとつ,一枚のガラスも割れずに立っていました。丘の上の方では,崩れた家並みが,地滑りでできた谷を横切っていました。それらの家々は,れんがの外装がはげ落ち,骨組みがむき出しになって,風変わりなチューダー様式の建物といった趣きを呈しています。

救援活動と被害額の評価

ニュージーランド全土から,食糧,毛布,金銭,宿舎の提供が相次いで民間防衛本部に寄せられました。援助の必要が生じた場合に備えて,運転手付きのトラックが二日間屋外で待機しました。

経済的な損失は膨大なもので,被害額は幾百万㌦にも達するものと推定されました。70戸が全壊するか取り壊しを余儀なくされました。他の家屋も大きな被害を受けました。ところが,驚いたことに,これほどの被害があったにもかかわらず,死者は一人も出ませんでした。また,けがをした人は,くぎを踏んだ作業員一人だけでした。

落ち着きを取り戻した被害者の中には,1870年,1925年,1939年,1968年にもその地域で小規模の地滑りが発生していたことを知って,憤りを覚える人が少なくありませんでした。事前にこのような事実を知っていれば,多くの人が自分たちの家の建築計画に何らかの考慮を払ったことでしょう。郊外のこの惨事は,自分の家の立地条件の安全性を再検討するよう促すものとなるでしょう。―寄稿。

    日本語出版物(1954-2026)
    ログアウト
    ログイン
    • 日本語
    • シェアする
    • 設定
    • Copyright © 2025 Watch Tower Bible and Tract Society of Pennsylvania
    • 利用規約
    • プライバシーに関する方針
    • プライバシー設定
    • JW.ORG
    • ログイン
    シェアする