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互いに対する熱烈な愛を培いなさいものみの塔 1975 | 9月1日
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22 (イ)その地域全体にどんな状態が存在していましたか。(ロ)当時クリスチャンがペテロの諭しに従うことはなぜ重要でしたか。
22 彼らは最後にペラの周辺に仮小屋を建て,山の難民収容所のようなものを設けたかもしれませんが,わたしたちにはわかりません。しかし,いずれにせよ,それは彼らにとって困難なことでした。それはその地域全体にわたる物資の不足と辛苦の時でした。ユダヤ教の体制全体の終わりが近づいていたのです。ですから,彼の手紙の読者,すなわち「寄留者」であった人々に対する霊感によるペテロの次の励ましは,なんと適切だったのでしょう。「すべての事物の終わりが近づきました。……何よりも,互いに対して熱烈な愛をいだきなさい」。(ペテロ第一 1:1; 4:7,8)そのような愛があれば,クリスチャンは,利己的になったり,互いに憤慨し合ったりすることはなく,互いに分け合い,自分たちが直面している苦しい状況に耐えるよう,互いに築き上げ,強め合うでしょう。
熱烈な愛が今必要な理由
23 終わりの近いことについての聖書の警告は,今日のわたしたちにとって意味がありますか。
23 しかしながら,わたしたちは,当時を振り返って見るだけで終わることは望みません。「事物の体制の終結」に関するイエスの預言は今日にも適用するからです。事実,それが大規模に適用するのは今です。そして,「すべての事物の終わりが近づきました」というペテロの同様の警告についても同じことが言えます。神の目的は,この邪悪な体制全体を一掃して,間近い将来にご自分の「新しい天と新しい地」を招来することです。(マタイ 24:3-22。ペテロ第二 3:13)それでわたしたちは,エルサレムとその周辺の恐ろしい滅びも,今や間近に迫っている「大患難」に比べるならものの数ではなくなる時に住んでいます。前途にある「大患難」の間にほとんどのクリスチャンが直面しなければならないであろう試練は,最近起きた二つの出来事にさいして耐えねばならなかった試練に似ているかもしれません。
24,25 (イ)マラウィのエホバの証人たちはどんな経験に耐えましたか。ペテロの諭しに従順であることは,彼らにとってなぜ重要でしたか。(ロ)どのように自分を調べてみることは賢明ですか。
24 その一つは,マラウィのエホバの証人が受けた試練でした。1972年10月22日付のニューヨーク・タイムズ紙は,「エホバの証人 ― 安全を求めて逃亡」という見出しを掲げて次のように伝えました。「先週,東アフリカの小国マラウィから,人々が非常に悩まされているという報告があった。……同団体の女性メンバーは強姦され,証人たちの家は焼かれ,同国内の2万3,000人にのぼる信者のほとんどが暴力で放逐されたも同然になった」。神の律法に対して忠実であったために,マラウィのエホバの証人たちは国境の外に追い出され,大きな難民収容所に押し込められました。最初のうちそこには,生活必需品が非常に不足していました。多くの人が困苦のために死にました。そのような苦境の下で,「何よりも,互いに対して熱烈な愛をいだきなさい」という,霊感による助言を守ることはなんと重要なことでしょう。
25 マラウィの大多数のエホバの証人は,神に対して忠実に,そして霊的に強い状態で,その事態を切り抜けました。大きな助けとなったのは上記の聖書の助言に従ったことでした。しかしわたしたち自身はどうでしょうか。前途の試練に備えていますか。ヨセフがその兄弟に対して,ヨナタンがダビデに対して,そしてエホバ神がその愛するみ子イエス・キリストに対して感じたような,お互いに対する優しい愛情という深い感情を培っているでしょうか。そのような愛を働かせることは,この「終わりの日」にあって本当に重要なことです。
26,27 (イ)1972年の12月に,ニカラグアのマナグアでどんなことが起きましたか。それは何の小規模な予告篇とも言えますか。(ロ)マナグアでその災厄が起きたときに,エホバの証人はどのように愛を示し合いましたか。
26 「目ざめよ!」誌の1973年6月8日号が伝えた災厄も,前途に横たわる苦難の予告篇であったかもしれません。その内容は次のようでした。「マナグア,人口40万4,700人と書かれたその標識は今も立っていて無言の証言を行なっています。また,市の中心にも,もうひとりの沈黙の見張番が証人として立っています。この見張番,すなわちナショナル・パレスの正門にある時計は12時35分を指しています。1972年12月23日,土曜日深夜のその時間に,ニカラグアの首都はやみの中で恐ろしい地震に見舞われ壊滅したのです」。そうです,その都市は完全に機能を停止しました。上下水道は使えなくなり,電気は消え,ほとんど全部のものがストップしました。このようなことがまもなく起こるでしょう。しかし,一つの都市だけに起こるのではありません。都市という都市は次々に崩壊し,事物の体制全体が壊滅するでしょう。そのような状況の下で,わたしたちが行なう重要なことは何ですか。
27 ニカラグアおよび近隣諸国の幾百人ものエホバの証人は,彼らの熱烈な愛を示しました。「目ざめよ!」誌は次のように伝えています。「直ちに,[地震の影響を受けた]これらの証人たちとその家族の世話をする努力が開始されました。神の民の間にある真実の愛は確かに表われました。土曜日の昼までには,25㌔離れた会衆からひとりの兄弟が約1,000リットルの水をトラックに積んで到着しました。……続いて,午後10時にコスタリカのリベリア市に住むエホバの証人たちから送られた,トラック2台分の最初の救援物資が到着しました。そのすぐ後に,ホンジュラスのテグシガルパ市の証人のトラックがさらに2台到着しました。こうして,食料,衣類,薬品,水,ガソリンが,災害から24時間そこそこのうちに手にはいったのです」。
28 (イ)マナグアの経験からわたしたちは何を学ぶことができますか。(ロ)エホバの証人は別のどんな方法で,互いに愛を示すよう訓練されてきましたか。
28 わたしたちはこの経験から学ぶことができます。至る所で大きな問題や災厄が起きつつあるときに,わたしたちが何よりもまず非常に必要とするのは,お互いに対する熱烈な愛です。そして考えてみると,わたしたちはエホバの証人として,そのような状況に立ち向かう訓練を受けてきたのではないでしょうか。わたしたちは大きな大会や小さな大会に定期的に集い,そこでお互いに愛し合うことを勧めるりっぱな教えや励ましを受けます。またわたしたちはお互いに食事を供する簡易食堂を設けましたし,仲間のクリスチャンたちを自分の家に泊めてもてなしました。実際,互いに愛を示し世話をし合うためのなんとすぐれた訓練でしょう。しかしわたしたちは,愛というこのすばらしい特質を,表わしつづけねばなりません。この愛は神が人間に授けてくださったものですが,約6,000年の間に罪と不完全さのために曲げられ,ゆがめられてきました。今わたしたちが互いに対する熱烈な愛を培いつづけることは非常に重要なことです。なぜなら,すべての事物の終わりが近づいているからです。
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愛は多くの罪を覆うものみの塔 1975 | 9月1日
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愛は多くの罪を覆う
「互いに対して熱烈な愛をいだきなさい。愛は多くの罪を覆うからです」― ペテロ第一 4:8。
1,2 (イ)わたしたちはみなどんな間違いを犯しますか。しかも,それがひんぱんでさえあるかもしれないのはなぜですか(ロ)起こってくる問題を克服する助けになるのは何ですか。
あなたは,だれかにとげとげしい物の言い方をしたすぐ後で,ああ言わなければよかった,と考えたことはありませんか。あるいは別の方法で不親切な振る舞いをして,そのことを残念に思ったことはありませんか。これはわたしたちだれもが経験していることに違いありません。この事物の体制の終わりが近づくにつれて,わたしたちの上に臨む圧力や苦難も増大しますから,お互いに感情を害したり,腹を立てたりするような場合が増えるかもしれません。それでわたしたちは問題が起きたならどうすべきですか。
2 ペテロ第一 4章7,8節で言われていることをよくみるなら,答えを求める助けになります。そこには,すべての事物の終わりが近づいたのでわたしたちは「健全な思いを持ち,祈りのために目ざめ
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