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  • 私は祈とう師でした
    目ざめよ! 1971 | 9月22日
    • んでした。そうした離れわざも,祈とう師としての私の評判を築くものとなりました。

      聖書の真理を学ぶ

      1932年のある日の夕方,私はナイジェリアの西方にあるアペオクタという町の通りを歩いていました。その時,野外での聖書講演を聞いている群衆を目にした私は足を止めました。講演者はエホバの証人であり,神のさばきが臨むときにすべての邪悪な者が滅ぼされることについて話していました。彼は,悪霊たちが諸国民を「全能の神の大なる日の戦闘」に集めていることを示す,聖書の黙示録 16章14,16節を読み,教会も神の憤りを免れることはないだろうと付け加えました。それは教会が異教の考えに基づく偽りの教えを説いたり,会員の間に見られる偶像崇拝の慣行を容認したりして,多くの点で神を誤り伝えたからであるというものでした。私は講演者が私に個人的に語りかけているような気がして,彼の話に心を打たれました。講演者はまたエホバという神の名前をも用いました。その講演はすべて奇妙に聞こえましたが,しかし理にかなっていました。

      その同じ日の晩,私は夢の中で,そんな話は二度と聞かないようにと霊者たちからきつく警告されました。すでに教義問答師として聖書を知っており,しかも祈とう師としての職業の面で人々の祝福をも得ている私が「どうしてあんなくだらない話を聞く必要があるのか」と,霊者たちは告げました。

      しかしもう2度ほど,短時間ではありましたが,エホバの証人の主催する聖書の話を聞いたことがあります。でも,そうした聖書の真理は,私が3番目の妻と結婚するまでは,たいした影響を与えませんでした。彼女の親族にエホバの証人がいたのです。といっても,彼女が証人たちに興味を示しはじめたのは,私と結婚してから後のことです。証人たちの集会に出席するようになってから,彼女は私たちの間で習慣となっている特定の行為をしなくなりました。どうして反抗的になるのかと私が聞くと,彼女は聖書の助言が動物崇拝を非としており,自分の良心もこれ以上そうした事柄をすることに耐えられない,と温和な態度で説明しました。

      私はいらだちの態度を見せました。そして,妻といっしょにエホバの証人の集会に行く決心をしました。教義問答師および祈とう師としての影響力を大いに利用して,証人たちに挑戦してやるつもりでした。妻の態度について聞きたいことがあるから,群れを主宰する奉仕者に会いたい,と私は言いました。その証人は,驚いたことに,誇り高ぶった私が大声を張り上げて叫んでいるにもかかわらず,聖書から温和な態度で答えてくれました。その仕方にはたいへん説得力がありました。結局,私はものみの塔協会が出版しているヨルバ語の本を1冊求めました。そして,さらに質問に答えてもらうため毎週証人に来てもらうことになりました。

      その週ごとの討議を通して,私は自分が偽りの宗教にどれほど深く根ざしているかをすぐに悟りました。二,三週間後に,私と3人の妻は証人の集会に出席するようになり,間もなく私は,自分の学んでいる真理について他の人に話したいと願うようになりました。

      反対にもかかわらず神の意志を行なう

      反対が始まり,私の両親が人間としての最大の反対者となりました。親の見解からすれば,私は親をなんとひどく失望させる者となったのでしょう。父は私が彼の祈とう師の名声を受け継ぐことができるよう多大の努力を払いました。それなのに,私は今や聖書に述べられている神の意志に全くそった生活をしたいと願うようになったのです。仲間の教会員はたいへん怒り,大多数の人は私が気でも狂ったのだろうと考えました。私を教会にとどまらせる誘いとして,教義問答師よりも高い地位を与えたらと考える者もいました。

      悪霊たちも私を引き止めようとして活発に働きました。さらに,魔術師たちの一団も全員,私にどこか非常に悪いところがあるのだろうと考えました。しかし私は,神がご自分のしもべたちをささえられることを示す,イザヤ書 41章9-12節などの聖句から慰めを得つづけました。悪霊や人間からの反対にもかかわらず,私は神の意志を行なうことに決めました。

      まもなく私は,祈とう師であることと真のクリスチャンであることとは両立しえないことに気づきました。聖書は魔力の源を明らかにしています。そして,心霊術にはいっさい関係しないようにと強く警告する一方,その源が悪魔とその配下にある悪霊の天使であることを明らかにしています。(使行 16:16-18。エペソ 6:10-13。申命 18:10-14)私は真のクリスチャンとしてバプテスマを受けることをほんとうに望みました。清い崇拝に転向したことの証拠として,私は祈とう師の仕事に関係のある道具 ― 白い旗,まくらの下の魔よけ,白衣と偶像などを全部集めて川に捨てました。他の物は地中に埋めました。

      聖書に明らかにされている神の意志を行なう決意をした私は,結婚したクリスチャンの男はただひとりの妻の夫であるべきことを知りました。(テモテ前 3:2,12)そこで,私は最初の妻だけを残し,他の妻たちと離婚しました。

      真の崇拝のもたらす喜びと報い

      真の崇拝を行ないはじめてから,私は多くの喜びと報いを味わってきました。たとえば,エホバの証人の大会に出席して,同じように心霊術から解放された人々の経験を聞くと胸が踊ります。私は最近,何年も病気に苦しんだというある祈とう師のことを聞きました。ありふれたことなのですが,彼も自分の崇拝していた悪霊たちの犠牲になっていたのでしょう。ある日この祈とう師は,聖書の真理を全時間伝道している女の証人に会いました。彼女から良いたよりを聞くと,彼は親族との関係がうまく行ってないこと,それは霊者たちをなだめるためにどんなに多くの犠牲をささげても,彼の仕えている呪物神が身内の者を殺すからであることを告げました。貧困に陥ってしまった彼は,自分の教会である「シオンの山」教派の指導者に助けを求め,呪物神を燃やすべきではないかとさえ司祭に話してみました。ところが驚いたことに,彼は,「とんでもない。そのために私や私の教会の人々の命が奪われたらたいへんだからね」と答えました。

      教会の指導者が呪物神を滅ぼして悪霊に対抗する行動を取るのを恐れているので,祈とう師は今度はそのエホバの証人に助けを求めました。彼女は自分の会衆を主宰する奉仕者に相談し,その奉仕者は直ちに呪物神を燃やす手はずを整えました。近所の人々は,呪物神を滅ぼした証人たちは当然死ぬものと思いました。しかし証人たちに何も起こらないのを見た彼らは,他の何者よりも強力な真の神エホバについてもっと知ろうと決心しました。問題の祈とう師とその妻は,悪霊の魔法から自由にされ,エホバの証人の集会に出席しはじめ,6か月後にバプテスマを受けました。このかつての祈とう師は現在では全時間の開拓奉仕者であり,他の人々が心霊術の束縛から自由の身になるのを助けています。

      祈とう師だった時の治療の報酬としての収入はもはやはいらなくなりましたが,キリストの弟子として神の意志を行なうことから私は魂に真の休息を得ています。(マタイ 11:28-30)そして,他の人たちにこの休息を与えられるのはなんという喜びでしょう。私は今や,神が魔術によってではなく,王そしてみ子であるイエス・キリストを通して人類に永遠の治癒を施し,人間としての完全さをもたらされると,他の人々に告げることができるのです。(黙示 21:3,4)また,エホバが近い将来,偽りの宗教のわざをことごとく滅ぼされることを私はなんと深く感謝できるのでしょう。呪術あるいは魔術はその一つに過ぎません。―黙示 22:15。

      私の喜びは増し加わっています。9人の私の子供のうち4人が今,神の新しい事物の体制の中で永久に生きるという希望を持っています。私がエホバの証人になることに両親とともに激しく反対した私の弟は,心を変えて,今では神の王国の関心事に仕えています。しかも74歳のこの私が,ナイジェリアのラゴスにあるものみの塔協会の主催する,会衆の監督者たちのための特別課程に参加する特権を得たのです。心霊術から手を引き,真の神に献身して以来,私にもたらされている喜びと報いは確かに大きいと言わねばなりません。

  • 趣味としての切手収集
    目ざめよ! 1971 | 9月22日
    • 趣味としての切手収集

      切手収集は,これを世界じゅうで最もすぐれた趣味とする人もあれば,軽べつする人もいますが,とにかく90歳の老人であれ,9歳の子どもであれ,あらゆる階層の人々を魅了しています。

      切手収集に関する最も古い記事がお目見えしたのは,切手が初めて発行された年の翌年,つまり1841年の英国においてです。ロンドンのタイムズ紙は次のような広告を載せました。

      「使用ずみの郵便切手を化粧室全体に張りつめたいと願っているひとりの若い女性がいます。これまでに友人を通して1万6,000枚の切手収集に成功し,宿願を達成する励みを得たものの,それでもまだ足りないため,だれかそうした(ほかには使い道のない)切手をたくさんお持ちの親切なかたで,この風変わりなもくろみに助力できるかたがおられれば,たいへん感謝されるでしょう」。

      以来,多数の切手収集家は単に趣味としての喜びを得たにとどまらず,それが緊張緩和に役だつものであることをも知りました。教育上の効用を認める人もいます。同時に,切手の美術的な価値にひかれる収集家もいれば,お金になるからといった理由で収集する人もいます。

      切手収集を可能にしたいきさつ

      郵便制度が設けられる以前,伝言や手紙は信用のおける旅行者の手で送り届けられました。16世紀までにはヨーロッパの数か国間に郵便制度が敷かれました。が,料金はかなり高いうえに,配達はかなりおくれるという

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