-
言葉探しゲーム目ざめよ! 1984 | 10月8日
-
-
言葉探しゲームの解答
1. さまざまなしれん
2. しんこう
3. いえすきりすと
4. さんび
5. ほまれ
6. たましい
7. すくい
8. よげんしゃたち
9. ちゅういぶかいちょうさ
10. じき
11. みつかいたち
12. むち
13. よくぼう
14. ぎょうじょう
15. せいなる
16. むなしい
17. くちる
18. きん
19. ぎん
20. こひつじ
21. きちょうな
-
-
核時代の罪のない犠牲者たち目ざめよ! 1984 | 10月8日
-
-
住民のいるロンゲリク環礁とロンゲラプ環礁 ― それらの島の住民はビキニ島から来た人々に対してとても親切だった ― にも,じゃりじゃりした死の灰が5㌢ほど降り積ったのです。440㌔ほど離れたウティリク環礁では,その灰は霧状になって降りました。合計11の島と三つの環礁が直接に影響を被りました。
その後間もなく,日本人の漁船員とウティリクおよびロンゲラプ島の人々に,ひどい被爆の影響が現われ始めました。皮膚がかゆくてひりひりし,吐き気を感じ,おう吐しました。日本漁船の乗組員の一人は間もなく死亡し,日本政府はその後2年以内に,病気になった他の乗組員に対する補償,またマグロ漁業が受けた被害の賠償として200万㌦を受け取りました。
実験が終わった時には,18キロ㌧から15メガ㌧の核爆発が既にビキニ島で23回,エニウェトク島で43回行なわれていました。中断期間もありましたが,一連の実験が始まってから平均して1日おきに1個の核兵器を爆発させていたことになります。
次に来たもの
実験が終了してからしばらくして,ビキニ島の人々はこれで自分たちの島に戻れるとだれもが考えていました。1969年に,米国の原子力委員会による初めての調査が行なわれ,ビキニ島の安全が宣言されました。実験によってできたがれきはすべて,1㌔余り礁湖の中に入った所に,3か所に分けて捨てられることになっていました。「放射能はほとんど残っていない。植物にも動物にも目立つ影響は見られない」とビキニ島の人々は言われました。8年にわたる清掃と再定住が計画されました。
しかし長い間の夢は悪夢に変わりました。戻ってみると,立ち退いた時の緑に覆われた島々の姿はそこになく,破壊された環礁は密生する役に立たない低木と,わずかの樹木と,実験でできた何トンものがれきとで覆われていました。ある人々は慟哭しました。それでも,経済援助を得て,またココヤシの木や他の作物を植え,家を建てることに取り掛かりました。
しかし,彼らの問題はそこで終わったわけではありません。1972年と1975年に行なわれた放射能テストで,最初考えたよりも多量の放射能のあることが分かったのです。幾つかの井戸は放射能が多過ぎて飲料水としての用をなしませんでした。ある食物は食用にすることを禁じられました。人々の体にも多量の放射能が発見されました。そこでもう一度ビキニ島民は島を立ち退いてキリ島に戻りました。300万㌦の復興計画の一部であった5万本のココヤシの木と40軒の新しい家が放棄されたのです。1983年4月に行なわれたビキニ島の科学調査が示すところによると,大々的な清掃でもしない限り,ビキニ島に人が住めるようになるまでには少なくとも110年かかるということです。
他の犠牲者についてはどうか
1958年に18キロ㌧の爆弾を爆発させた時には,連鎖反応が起こらなかったために,死を招くプルトニウム237が,エニウェトク環礁の40の島の中の一つであるルニト島を覆いました。破片は後程集められ,爆弾の爆発でできた穴に埋められ,その上に幅113㍍,厚さ48㌢のコンクリートのふたが置かれました。そのふたは,世界で最も危険なものに数えられる廃物8万4,000立方㍍を覆っているのです。ある報告によると,そこは「永久に」,しかも完全に立ち入り禁止になるだろうということです。その環礁の中で住居として使える島は三つしかありません。そして食物は,その土地に植えたココヤシやパンノキ,クズウコンなどが生長するまで,輸入食糧が主になります。1980年には500人がエニウェトク島に戻って来ましたが,2年もたたないうちに,そのうちの100人が生活苦のために島を離れました。清掃と復興には2億1,800万㌦(約523億2,000万円)の費用がかかるということです。
一方,放射性降下物を浴びた環礁では,甲状腺異常,白内障,発育遅延,死産,流産などが住民の間に見られ,その率はマーシャル諸島の他の島々に住む人々の場合よりもはるかに高いものがあります。1954年に行なわれた“ブラボー”の実験の時に被爆したのは250人でしたが,そのうちの多くに甲状腺腫ができており,250人全員に甲状腺の異常が見られます。その人たちは風邪やインフルエンザやのどの病気に普通以上にかかりやすく,ほとんどの人がすぐに疲れを覚え,大抵の人が自分の健康のことで心配しています。
政府のある指導者は,「被爆した人はだれもが,『明日も元気でやれるだろうか,正常な子供が生まれるだろうか』と自問します。そして病気になったらなったで,『これは普通の病気なのだろうか,それともあの爆弾の亡霊が何年もたった今私の命を奪いに来たのだろうか』と自分に尋ねるのです」と言いました。ウティリク島に住むある男の人は,「私も何人か子供を亡くしました。産まれた時は健康だったのですが,1歳にならないうちに死んでしまうのです。……全部で4人亡くしました。息子のウィントンは核爆弾の実験の丁度1年後に産まれたのですが,甲状腺のガンで既に2度も手術を受けています」と悲しそうに話しました。
「望みを得ることが長びくときは……」
島を離れてさすらいの生活をするビキニ島の人々の将来はまだ定かではありません。最近ではハワイへの移住を望んでいるので,米国政府はそのことを考慮しています。ほとんどの人はまだキリ島に住んでいます。彼らの体験は,核軍備競争がいかに悲劇的なものであるかを実証するものです。核軍備競争は人類が供給できるよりもはるかに多くのお金と努力を要し,平時においてさえ犠牲者を出し,核上位を競う大国からははるかに遠く離れた所に住む,罪のない傍観者たちまで巻き添えにします。
聖書には,「望みを得ることが長びくときは,心を悩ます」とあります。(箴言 13:12,日本聖書協会 口語訳聖書)ビキニ島の人々が人間に頼って経験してきたのはこのことです。しかし,これまで何年もの間,真の安全をもたらすものとして,軍備競争ではなく神の王国に注意を引く音信が,マジュロ島からマーシャル諸島全域にラジオで放送されてきました。神の王国こそ本当に「人類のためになるもの,世界大戦が二度と行なわれないようにするもの」です。間もなくその王国は「地の果てに至るまで戦いをやめさせ」,「地を破滅させている者たちを破滅に至らせ」ます。―詩編 46:9。啓示 11:18。
キリ島に住んでいるビキニ島の人々は,物資を手に入れるために,あるいは仕事でマジュロ島に来る時,その島にいる多数の活発なエホバの証人から個人的にこの音信を聞きます。王国が楽園の状態を地に回復する時が非常に近いということについての知識は,先に述べた聖書の節の後半を経験するのに役立つでしょう。それは,「願いがかなうときは,命の木を得たようだ」という言葉です。その王国の支配下には,もはや核の脅威はありません。したがってその犠牲者もいないのです。
-