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    ものみの塔 1960 | 3月1日
    • 良心のためです。あなたは食べることによつてその人をつまずかせるかも知れません。

      18,19 (イ)パウロはなぜ,兄弟の良心をそんなにも心にかけたのですか。(ロ)今日のキリストの追随者たちも,同様にすべきですか。なぜですか。

      18 クリスチャンの自由もしくは知識が,「弱いもののつまずき」となつてはならない,とパウロは論じているのです。たとえ神に感謝した後で,偶像にささげられた食物を食べたところで,あなたはやはりひとりの人を滅ぼすかも知れません。「このようにあなたがたが,兄弟たちに対して罪を犯し,その弱い良心を痛めるのは,キリストに対して罪を犯すことなのである。だから,もし食物がわたしの兄弟をつまずかせるなら,兄弟をつまずかせないために,わたしは永久に,断じて肉を食べることはしない」。(コリント前 8:9,12,13,新口)パウロが受けた任命,つまり彼が神への奉仕のために取り分けられたことには,どのように食べ,どのように飲むかさえ関係していたのです。それこそ日常のあらゆる行動に関係があつたのです。パウロは生命を救うことに関心をもつていました。ですから彼はこう言いました,「あなたの食べ物によつて,兄弟を滅ぼしてはならない。キリストは彼のためにも死なれたのである。……神の国は飲食ではなく,義と,平和と,聖霊における喜びとである」。「すべてのことは合法であるが,すべてのものが役にたつものではない。すべてのことは合法であるが,すべてのものが建て起こすわけではない。だれでも自分の益を求めないで,他の人の益を求めるべきである」。―ロマ 14:15,17。コリント前 10:23,24,新世。

      19 今日のクリスチャンは,異なつた物の見方をして,食べることや飲むことで,合衆内のユダヤ人や,ギリシヤ人や兄弟をつまずかせてもよいですか。決してそうあつてはなりません! 私たちはパウロと同じ立場にあります。彼ならおそらく「すべての人に喜ばれるように努め,多くの人が救われるために,自分の益ではなく彼らの益を求める」でしよう。(コリント前 10:33,新口)あなたも同じようにされますか。もしあなたがパウロと同じく任命された奉仕者ならばそうなさるでしよう。

      食べること,飲むこと,話すこと,働くこと

      20 (イ)食物を食べることは,今日のクリスチャンにとつて問題とならないかも知れませんが,一方何が,またどんな議論が,それの使用について提出されていますか。(ロ)しかし,飲むという習慣については,何が考慮されねばなりませんか。

      20 しかし,いまの時代にそんなことは起こらない。人々は偶像に食物を供えない,という人がいます。それでは,飲むという習慣はどうですか。今日人々は,よく飲みます。そして,パウロは,飲むことも注意すべきことがらとして述べています。人々はあらゆる種類の飲み物を飲みますが,ある人の心を最も乱すものは,アルコール飲料を飲むことです。お酒を飲みたい人は,胃のために少しのぶどう酒を飲むようパウロがテモテに,すすめたことを持ち出すでしよう。また他の人は,イエスの最初の奇跡は,ぶどう酒をつくることであつたと言うかも知れません。さらに他の人は,酒は心を喜ばせる,というでしよう。それは事実です。そしてアルコール飲料を所持したり用いたりすることは,ほとんどの国や州でゆるされています。しかし,それは,他の兄弟の役に立ちますか。あなたがそうした飲物を飲むことは,「建て起こす」ことに役立ちますか。自分の益ではなくて,他の人の益を考えましよう。

      21,22 (イ)不注意な監督は,兄弟たちの前で,どんなわるい手本を示すことがあるかも知れませんか。(ロ)兄弟のほかに誰がつまずくかも知れませんか。

      21 神の民のある会衆の監督が,ある晩友人と外出すると仮定します。その監督は感化力のある,尊敬されている人です。しかし,自制せずに酒を飲んで酔つてしまいます。聖書はきわめてはつきりと,酒に酔う者が御国をつぐことはないと述べています。「それとも,正しくないものが神の国をつぐことはないのを知らないのか。まちがつてはいけない。……盗む者,貪欲な者,酒に酔う者……が神の国をつぐことはないのである」。(コリント前 6:9,10,新口)あなたがたのなかには,真理にはいる前にそのようであつた者もいたが,洗いきよめられたのである,とパウロは言います。それでは,なぜそういう行いに戻つていつて,兄弟をつまずかせるのですか。さて,千鳥足で道を歩いているその監督をある兄弟が見かけるかも知れません。見た人はショックを受けます。そして,自分の会衆の任命された奉仕者が,神の任命をそんなにも軽視して,酔つぱらつているということに心をみだされ,憤りを感じます。この不注意な飲酒は,神の会衆のある兄弟をつまずかせる原因となりました。

      22 もう少しこの酔つた人の後をつけて見ましよう。彼が自分の家に近づいた時,彼と一緒に聖書を研究している隣人が,彼の酔つぱらつているのを見ます。そしてその人もつまずきます。その人は,この任命された奉仕者が,クリスチャンとしての生き方をしているとばかり思つていたからです。そこで,その隣人は,もうこんな人と聖書の研究をするのなんかやめよう,と決心して奥さんに言います,「聖書を研究していながらあんなふうなら,神に信仰をもたない人にでも,交際するのにもつと立派な人はいくらでもいる。任命された僕だなどという会衆のおもだつたあの人が,あんなに酔つぱらつているのに,わたしがいまさら生活のし方を変えて新しいことをはじめる必要なんかない」。

      23 コリント人とロマ人にあてたパウロの手紙の中の言葉は,どんな点で,非常に時にかなつていますか。

      23 「だから,飲むにも食べるにも,また何事をするにも,すべて神の栄光のためにすべきである」と言つたパウロは何と正しかつたのでしよう。(コリント前 10:31,新口)このことは神に栄光を帰しましたか。クリスチャンが,ユダヤ人,ギリシャ人,隣人,友人,あるいは神の会衆内の兄弟たちをつまずかせたくないのは言うまでもないことです。任命されたすべての奉仕者が関心をそそがねばならないのは,神の新しい世へと,すべての人々の生命を救うことです。「こういうわけで,平和に役立つことや,互の徳を高めることを,追い求めようではないか。食物のことで,神のみわざを破壊してはならない。すべての物はきよい。ただ,それを食べて人をつまずかせる者には,悪となる。肉を食わず,酒を飲まず,そのほか兄弟をつまずかせないのは,良いことである」。―ロマ 14:19-21,新口。

      24,25 クリンチャンはどんな他の面で,自分の歩みに注意しなければなりませんか。

      24 クリスチャンは,ほかの事がらにおいても,自分の歩みに気をつけねばなりません。パウロは,コロサイ人に書き送つた時,この真理を示しています,「キリストの言葉をゆたかにあなたがたの中に宿らせ,全き知恵にならせなさい。たがいに教えて励まし合い,詩と賛美とを神にささげなさい。心の中に感謝しつつ霊の歌をヱホバに歌いなさい。あなたがたのすることすべて,言葉でもすべて仕事でも,いつさいのものを主イエスの名によつて行ないなさい。そして彼を通して父なる神に感謝しなさい」。―コロサイ 3:16,17,新世。

      25 パウロは,私たちが毎日の大部分の時間をついやしている言葉や仕事に注意を払いなさいと言つています。私たちは人々に,どのように話しますか。また雇い主のためにどのように働きますか。クリスチャンとしての訓練は,これら二つの事がらに必ず表われてきます。

      26 任命された奉仕者は,どんな種類の言葉を使うべきですか。言葉を制御することが,時折むずかしいのはなぜですか。

      26 私たちの口から出る言葉はつつしみがあり,清潔で,助けになり,品がありますか。私たちのいうすべての事を,喜んで神に聞いていただきますか。ヤコブは私たちの言葉について書き,こう言いました,「泉が,甘い水と苦い水とを,同じ穴からふき出すことがあろうか。……塩水も,甘い水を出すことはできない」。また,体の中のこの小さな器官については次のように言つています,「舌は火である。……舌を制しうる人は,ひとりもいない。それは,制しにくい有害なものであつて,死の毒に満ちている。この舌で父なるヱホバをさんびし,また,その同じ舌で『神にかたどつてつくられた人間』をのろう。同じロからさんびとのろいが出てくる。わたしの兄弟たちよ,このようなことがいつまでもあるべきことではない」。任命された奉仕者の口は,他の人を親切に教えたり,いましめているべきであつて,真理に反して誇つたり,偽りを言うようなことがあつてはなりません。その口は常にヱホバをさんびしているべきです。「義の実は,平和を造り出す人たちによつて,平和のうちにまかれるものである」。―ヤコブ 3:6-12,18,新世。

      27 任命された奉任者は,二つの語彙をもつことができませんか。これについてパウロとペテロは何と述べていますか。

      27 ヱホバの任命された奉仕者たちは,ひとつは清く正しい,ひとつはけがれて悪い,二つの言葉をもつ二重人格者であることはできません。クリスチャンは自分を訓練することができ,考えを明確に力づよく表現する良い言葉を使うことができます。クリスチャンは,神の民の会衆内で使う一つの言葉と,ほかに職場で使うもうひとそろいの残酷な,荒々しい,汚い言葉とを合わせもつてはいません。パウロが,「あなたがたのすることすべて,言葉でも……いつさいのものを主イエスの名によつて行ないなさい。そして彼を通して父なる神に感謝しなさい」と言つているのを忘れてはなりません。ペテロもこれを支持して,表現力に富んだ良い言葉でこう言つています,「実に生命を愛し,よい日を見ようと思う人は,舌をおさえて悪を言わず,唇を閉じて偽りを避けなさい。悪から離れて善を行ない,平和を求めて,これを追いなさい。ヱホバの目は義人の上にそそがれ,その耳は彼らの祈りにかたむく。しかし,ヱホバの御顔は悪いことを行なう者たちに向かう」。―ペテロ 3:10-12,新世。

      28 (イ)任命されたクリスチャン奉仕者は,世俗の職業をどう見るべきですか。(ロ)あからさまに他人の物を盗むほかに,人はどのように盗人になることがありますか。

      28 それからクリスチャン生活の他の部分,すなわち仕事があります。相当の時間が,いずれかの種類の労働に費やされていますが,人はどのようにその仕事をして,生計を立てているでしようか。実際にすべての人は,雇い主と契約または協定を結びます。雇主は,ある仕事をさせるためにひとりの人を雇う時,その人にいくらかの賃銀を支払うことを同意します。雇われた者は,仕事をずるけて,同意したものよりも少なく働くべきではありません。彼は正直に,雇い主との契約を100パーセント果さねばなりません。かりにある大工さんが,1日に何時間という取り極めで雇われて,その時間に対していくらか賃金を受け取るなら,当然その時間中は,はじめから終りまで,良い大工仕事を勤勉にしなければなりません。のらくらするために賃金をもらつているのではなく,仕事をするためにお金をもつているのです。あるクリスチャンが,金持ちの経営する店に働いているならば,金持だからという理由で,その金持から盗む権利はありません。また,品物の価値よりも値段を高くし,差額を自分に取つて,お客から盗む権利もありません。それは盗みです。のらりくらりと仕事をしても雇い主から盗むことです。人は,雇い主が賃金を払うよう要求します。ではなぜ雇い主が,自分の払う賃金に対してそれだけの仕事を果すよう要求できないのですか。「あなたがたのすることすべて……仕事でも,いつさいのものを主イエスの名によつて行ないなさい」。あなたはそうしますか。

      29 使徒パウロは,クリスチャンになつた奴隷のオネシモに対してどんな態度をとりましたか。

      29 パウロは,ビレモンの奴隷オネシモを,彼の雇い主から引き離しておくべきではないと考えました。オネシモがクリスチャンになつた時,パウロは彼が奴隷であつたことを知つて,彼を主人に送り帰しました。ピレモンもクリスチャンであつたとはいえ,クリスチャンとなつたその奴隷はやはりピレモンのものでした。パウロは,オネシモについて書き,こう言いました,「捕われの身で産んだわたしの子供オネシモについに,あなた(ピレモン)にお願いする。彼は以前はあなたにとつて無益なものであつたが,今は,あなたにも,わたしにも,有益なものになつた。彼をあなたのもとに送りかえす。彼はわたしの心である」。パウロは,主人のもとから逃げていたオネシモが,彼にとつて非常に有益なことを見出しましたが,それでも彼が主人のもとへ帰るよう望みました。それは正しい事だつたからです。そして法律上彼はある人のものでしたし,ピレモンも「彼をいつまでも留めておく」かもしれないからでした。「しかも,もはや奴隷としてではなく,奴隷以上のもの,愛する兄弟としてである。とりわけ,わたしにとつてそうであるが,ましてあなたにとつては,肉においても,主にあつても,それ以上であろう」。(ピレモン 10:12,15,16,新口)聖書の示すところによると,クリスチャンは,奴隷であろうとも,また自由人であろうとも,どういう状況にあつても,主イエスの名によつて行なつているように働き,「彼を通して父なる神に感謝」しなければなりません。

      30 ですからクリスチャンは何でなければなりませんか。

      30 クリスチャンたちは正直でなければなりません。また誠実でなければなりません。そしてあらゆる種類人々が救われるよう,良いたよりを伝えている時に限らず,すべての事をなすのに,任命された奉仕者であることを証明しなければなりません。それによつて彼らは,「神の御言葉が信ずる者たちの中に働いている」ことを証明するのです。あなたは,食べること,飲むこと,話すこと,働くこと,伝道すること,あるいはその他のあらゆることをなす際に,良いわざをなしているクリスチャンですか。誰かが救われるために,すべてのことを神の栄光のためにしていますか。あなたは,「平和を求めて,それを追つて」いますか。クリスチャンは,「ヱホバの目は義人の上に」任命された奉仕者の上に「そそがれること」を知つています。―ペテロ前 3:11,12,新世。

  • あなたは光を輝かせていますか
    ものみの塔 1960 | 3月1日
    • あなたは光を輝かせていますか

      1,2 任命された奉仕者の活動を,山の上にある町およびあかりのついた燭台に比較して見るのはなぜ適切ですか。

      任命された奉仕者は重い責任をもつています。彼はイエスがやめられたところから出発します。「あなたがたは,世の光である。山の上にある町は隠れることができない。また,あかりをつけて,それを桝の下におく者はいない。むしろ燭台の上において,家の中のすべてのものを照させるのである。そのように,あなたがたの光を人々の前に輝かし,そして,人々があなたがたのよいおこないを見て,天にいますあなたがたの父をあがめるようにしなさい」。(マタイ 5:14-16,新口)この真理の光は,真のクリスチャンが活発に活動しているために,世界で昼夜輝いています。任命された奉仕者が家から家に伝道する時その光は輝きます。でも,奉仕者が自分の光を輝かすのはその時だけではありません。それは,神の民の会衆の中にいる時はいうまでもなく,食べている間も,飲んでいる間も,日常の会話をしている間も,働いてる間も,輝いていなければならないのです。クリスチャンが光をかくしたり消したり

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