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  • 現代におけるエホバの証人の活動 ― 日本
    ものみの塔 1974 | 1月15日
    • した人びとといえば,別府市に孤立していたアメリカ人のある姉妹と鹿児島市の聖書に関心を持つ一家族だけでした。しかし,宣教者たちが5都市で先峰となって働いた結果,九州における王国の業は進歩し,1971年には九州地方の2つの巡回区で,合計1,529人の巡回大会出席者数を報告するまでになりました。さらに多くの離れた都市で特別開拓者たちが業を開始したため,1972奉仕年度には九州は3つの巡回区になりました。

      1969年の「地に平和」大会とその後

      日本にとって最初の大規模な屋外大会となった第二回世界一周大会が,1969年10月14日から19日まで東京の後楽園競輪場で開かれました。日本式のわら屋根の小屋が競技場の緑の芝生の上に建てられ,舞台として用いられました。また,富士山の絵を背景に,何千本もの花で大会の名称が書かれていました。スタンドの裏側には一帯に大きな簡易食堂がしつらえられていました。和服姿の姉妹たちが,芝生の端に座って王国の歌を琴で演奏し,大会に趣を添えました。

      この大会には,沖繩を含む海外の国々から,約1,000人の兄弟たちが出席しました。大会出席者たちは,協会の統治体を代表する兄弟たちの話を聞いて胸を躍らせました。スーター兄弟は歓迎のことばを述べ,フランズ兄弟は3つの主な話をし,ノア兄弟も公開講演を含む3つの話をしました。今回,ノア兄弟は1万2,614人の大群衆に向かって話をしました。それは,同兄弟がちょうど6年前京都で開かれた先回の大会に出席して講演した時の聴衆2,479人をはるかにしのぐものでした。この大会でバプテスマを受けた人の数 ― 798人 ― も最高数でした。その結果1969-1970奉仕年度中にバプテスマを受けた人の総数は2,245人の新最高数に達しました。

      2年足らずのうちに,この同じ競輪場で,「神のお名前」地域大会が開かれ,今回は海外からの大ぜいの訪問者はいなかったにもかかわらず,1万6,508人が出席し,879人がバプテスマを受けました。その結果,同年の受浸者合計数は2,088人になりました。1972年の7月と8月に,4つの「神の支配権」地域大会が日本じゅうの兄弟たちのために開かれました。その時の出席者数は2万1,921人で,バプテスマを受けた人は931人でした。その結果,1972年にバプテスマを受けた人の合計数は2,569人に達し,これはその時までの最高数でした。3年連続して,毎年2,000人以上の人びとがバプテスマを受けたことになります。日本で過去3年間にバプテスマを受けた人の総数,つまり6,902人という数は,日本の全伝道者の48%以上にもなるのです。

      支部の拡大

      東京都港区三田5丁目5番8号に位置する木造の日本家屋は,1949年1月から1962年9月までの14年間,日本支部の中心としてりっぱにその役割を果たしてきました。しかし,組織の急速な成長に伴い文書や雑誌の配布数は増加し,予約も増えました。下の表は,どれほど大きな増加がみられたかを示しています。

      配布数: 書籍 雑誌 新予約

      1950奉仕年度 2,026 2,626 51

      1955奉仕年度 4,050 105,671 3,399

      1960奉仕年度 15,605 538,088 7,444

      1965奉仕年度 53,937 1,575,597 32,193

      1972奉仕年度 797,423 5,907,404 123,567

      1973奉仕年度 1,125,953 6,888,938 142,599

      1971年9月には,現在までの最高数である11万4,133冊もの書籍が,伝道者たちの手によりわずか1か月の間に野外で配布されました。

      年を経るうちに,その2階建の弱い造りの日本家屋は仕事を行なうのに完全に手狭になりました。そこでノア兄弟は,それまでの支部の建物を取り壊して,そこに新しい近代的なビルを建てる許可を与えました。建築にはちょうど6か月を要し,1963年10月には,10人の支部の奉仕者と6人の宣教者から成る家族が鉄筋コンクリート造りの6階建の新しい建物に移る準備が整いました。この新しい支部で王国学校が開かれた時,さらに大きな進歩がみられました。学校にやって来た兄弟たちが一度に50人もこの建物の中の幾つかの和室で寝泊まりしたのです。

      ハズレット兄弟は,新しい東京支部の建物を計画するにあたって大きな役割を果たしました。事実,これら2人の日本の最初の宣教者たちは,彼らを知っている人びとにとって大きな励ましとなってきました。ドンおよびメーブル・ハズレットは,1916年12月2日にニューヨークのブルックリンでともにバプテスマを受けた時,自分たちの命を王国の関心事の拡大のために真に捧げました。50歳をとうに過ぎていたふたりは,1947年にハワイの熱帯の“楽園”から腰を上げてギレアデ学校に行き,戦争と貧困と飢えで打ちひしがれた国で業を開始するために進んで出かけて行きました。しかしふたりは,日本でさらにすぐれた“楽園”つまり霊的な楽園を見いだしました。彼らは日本における霊的な楽園の始まりを築いた開拓者たちでした。ドン・ハズレットは1966年2月20日に最後の息を引き取り,亡くなりました。葬儀の時に彼のひつぎを運んだ6人の兄弟たちは,ドンと個人的に聖書を勉強した青年たちで,当時全員が開拓奉仕に携わっており,後にベテルで奉仕しました。メーブル・ハズレットは東京支部の宣教者ホームで,引き続き宣教者として奉仕しています。メーブルは今78歳ですが,依然,奉仕に毎月100時間近くを費やし,新しい人びとが真理の知識を得るよう助けています。

      しかし,拡大はさらに進んでいます。外人の宣教者によって開始された業は,今や日本人の開拓奉仕者の大きな一団によって押し進められています。ほとんど毎月のように,正規開拓者の新最高数が得られ,100名以上の新しい開拓者が名簿に載せられる月さえあります。右に掲げる表は,その年の4月に得られた奉仕者の最高数です。この表から,開拓奉仕の面における進歩の様子をある程度知ることができます。

      1973年の9月には,5,491人という開拓者の最高数に達しました。その月には,伝道者4人につき1人以上が開拓奉仕に携わったことになります。現在こうした開拓者が多数,人口3万から5万のまだ伝道されていない都市に出かけて行くことを求める招待に答え応じています。そのうえ,会衆の伝道者は真の開拓者精神をいだいて働いています。そのことは,1973年8月の伝道者の野外奉仕平均: 19.5時間の奉仕時間,8.7の再訪問,1.1以上の聖書研究および18.0冊の雑誌配布の記録からも明らかです。エホバは,こうした熱意を祝福してくださっています。1963年10月に現在の東京支部が仕事を開始した当時日本には106の会衆がありましたが,今では日本の709個所でエホバの証人が働いており,組織の新しい取決めによってそのほとんどすべてが会衆です。ですから,支部の仕事は10年前の約5倍にも増えています。親切にも,ものみの塔協会の会長ノア兄弟はこうした進歩に正しく対処できるよう助けを備えるために,日本支部の活動をわたしたちが想像もしていなかったほど大きな規模に拡大することを取り決めました。

      (この続きは次号に載せられます)

  • 読者からの質問
    ものみの塔 1974 | 1月15日
    • 読者からの質問

      ● 自分の注意を良い事がらに向けようと努力している時でさえ,悪い考えが時々思いに浮かぶのはなぜですか。―アメリカの一読者より

      それは人間が罪のうちに生まれ,不完全だからです。ヨハネ第一 1章8節にはこう書かれています。「『自分には罪がない』と言うなら,わたしたちは自分を惑わしているのであり,真理はわたしたちのうちにありません」。神に献身していた使徒パウロは,悪い性向に関連した自分自身の戦いについてこう書きました。「そこでわたしは,自分の場合にこの法則を見いだします。自分では正しいことをしたいと願うのに,悪が自分にあるということです。わたしは,内なる人にしたがえば神の律法をほんとうに喜んでいますが,自分の肢体の中では別の律法がわたしの思いの律法と戦い,わたしをとりこにして肢体の中にある罪の律法へと引いて行くのを見ます」。このことは,使徒パウロをかなり惨めな思いにさせました。―ローマ 7:21-24。

      わたしたちはパウロと同様,神の求めに完全に付き従おうとするわたしたちを妨げる,罪深い欲望や情欲と戦わなければなりません。わたしたちは正しい事を行ないたいと真に願っているかもしれませんが,罪深い肉的な性向にじゃまされてそのようにできないでいる自分に繰り返し気づきます。神の律法の義と正当性を認識しているわたしたちは,その律法のうちに真の喜びと満足を見いだします。しかし,それにもかかわらず,わたしたちは環境に刺激されて何らかの行為に駆り立てられることがありますし,悪い考えをわたしたちの頭の中にかもし出すような事がらが生じることもあるのです。自分でしたいと思っていることを十分に行なえないという事実はわたしたちの内に苦しい戦いを引き起こします。そうではあっても,わたしたちはパウロの場合のように,キリストの犠牲に基づいて罪からの許しを得ることができ,それによって神と人との前に清い良心を保てます。

      また,わたしたちが自分の身を神の霊の導きに委ねるなら,わたしたちは罪を習わしにする者とはなりません。ガラテア 5章16節にはこう書かれています。「霊によって歩んでゆきなさい。そうすれば,肉の欲望を遂げることは決してありません」。つまり,罪深い肉的な欲望が思いの中に『突如浮かぶ』ことがあっても,わたしたちはそれを退けて,そうした欲望を充足させたり,果たしたりはしません。わたしたちは,自分のうちに宿る罪の傾向を考慮に入れて,悪い欲望が心の中に根を張り,それがはらんで罪を産むことがないように,絶えず懸命な努力

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