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老齢の人たちとの交わりから益を得る目ざめよ! 1970 | 12月22日
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若い人は,何にもまして少しでも同情と理解をもって話を聞いてくれる人を求めます。老人の多くはこの面で,時間と忍耐強さに恵まれています。年取った,あるおばあさんはこう語りました。「近所の子どもたちの多くが立ち寄っては,ちょっとの時間話してゆくのに驚かされ,また,うれしく思っています。子どもたちはせわしい遊びをやめて,やって来ては,おもしろいことを話してくれたり,打ちあけ話をしてくれたりします。子どもたちは何よりも,優しく聞いてほしいらしいので,わたしはもっぱら耳を傾けるだけです。それらの子どもたちは,自分の子どもや孫から遠く離れて暮している老人にどんな喜びをもたらすかは知るよしもありませんが,そうした子や孫のいだく愛情のようなものを感じているのでしょう」。
老人がすることで,他に影響を与えるのは,必ずしも大きなことだけではありません。たまに作る手製の一盛りのクッキーも思い出になります。くつ下のつくろいものを手伝ってもらって,感謝しない若い母親がいますか。病気になったり,疲れきったりした時,おじいさんやおばあさんの助けは,かけがえのないものではありませんか。
老人からほんのふたことかみこと話しかけられただけで,気持ちが安らぎ,良いことをしたいという励みを受ける場合があります。老齢の一婦人は幼いころを振り返って,当時,自分の知っていた多くの老人のなかでも,もの静かで優しい親切な,ある老婦人について,こう語りました。「その人の手を取って,その目を見つめ,わたしに向けられたそのほほえみを見,『あなたに神の恵みがあるように』と言われたのを,まるできのうのことのように,はっきりと覚えています。その人の名前さえ覚えています」。この婦人によれば,そのほんのちょっとの融れ合いで,「りっぱな人になりたいと励まされた」とのことです。
老人との交わりを求めなさい
現代の生活においては,老人との交わりがおおかたなおざりにされているため,確かに老人も若い人も,ともに愛と祝福を失う深刻な事態に陥っています。この面で少し努力してはいかがですか。時々立ち寄って,いっしょに話してゆくよう,老人に勧めてはいかがですか。食事に老人を招待するなら,感謝されるだけでなく,あなたも報われるでしょう。パーティーその他,親ぼくのための集まりを計画する場合,年取った人びとを名簿に含めてはいかがですか。大ぜいの人の集まりに出ると,老人はとかく引っ込みがちになりますから,老人たちと交わって,老人たちが楽しいつどいにあずかれるよう,助けてはいかがですか。老人とともになり,老人たちをあなたの生活の中に含めてください。そのようにして親切を示すなら,老人は孤独や自分をあわれむ気持ちにさいなまれずにすむでしょう。
もとより,老人を尋ねる際,覚えておくべきことが幾つかあります。まず第一に,訪問を建設的なものにするため,適当な時間とどまれるようにしてください。若い人は飛び込んでくるなり,「残念ですが,ちょっとしかおれないんですよ」と弁解する場合がよくありますが,努めてせわしくしないようにしましょう。同時に,話の中で持ち出したいと思う,興味のあるたいせつな話題を考えておくのも良いことです。言いたいことをはっきりと述べてください。また,再び尋ねるとか,近いうちにたよりをする予定の日時を知らせて,別れるようにしてください。そうすれば,年寄りはその時を心待ちできるでしょう。
それとともに,話題になるものを何か携えてゆくのも良いことです。老人を尋ねる時,家族のひとりからの手紙を持っていき,声を出して読んであげられます。本か雑誌を読んで,深い興味を感じたものがあれば,そうした興味深い点の幾つかを話してあげられるでしょう。その場合,あなたが感銘を受けた点を強調してください。こうして年老いた人びとを助けるなら,自分にとって興味のある事がらを記憶するよう,自分も助けられます。
老人はとくに室内用の鉢植えの植物や花が好きです。何かを贈りたいと考えているなら,そうした植物や花はすばらしい贈り物になります。年寄りのために何かを編んであげるなら,そうした品物はとくにたいせつに使ってもらえるでしょう。お金を贈りたいなら,何々に使っていただきたい,と提案をしるした手紙を添えて,封筒に入れて差し上げましょう。家族の写真をはるアルバムや食べ物,また,好きな料理などは老人に喜ばれます。
老人が疲れたり,気落ちしたりしないように,注意してください。年寄りには若い人のような体力はありません。また,老人のまちがいは大目に見ましょう。批判やあらさがしなどをしない,積極的な会話をしてください。みなりに注意を払う老人には,みだしなみの良さをほめ,持ち物などを大事にしている人には,その良さを述べ,おくせずに,その関心のほどをほめましょう。年寄りが話す時には,耳を傾けてください。何かを学べるでしょう。老人はさまざまな苦しみや悩みに対処する仕方を学んできたのですから,不必要な悩みや落とし穴を避ける方法を教えて,あなたを助けることもできるのです。
昔のユダヤ人には父母を敬う義務がありましたが,今日のクリスチャンにも,それに劣らぬ義務があります。使徒パウロはテモテをこうさとしました。「老人をけん責すな,反ってこれを父のごとく勧め,若き人を兄弟のごとくに,老いたる女を母のごとくに勧め(よ)」。―テモテ前 5:1,2。
老齢の人たちを訪問したり,それらの人をわたしたちの生活の中に含めたりして,関心を示すことができます。機会をとらえて老人とあいさつをかわし,それらの人が自分たちの中にいてくださる喜びを誠意をこめて表明することができます。遠く離れていて思うように何度も会えなくても,いつでも電話ができるかもしれませんし,手紙で連絡することもできます。あなたの声に接したり,あなたの近況や,行き届いた思いやりのほどをしたためた手紙を読むのは,老人にとって愛の報いということができます。それにはほとんど費用がいらないにもかかわらず,それはたいへん貴重なものなのです。
多くの場合,人の晩年は夏の日の午後のおそい時刻になぞらえることができるでしょう。日陰は長く地に伸びてはいても,陽光はまだ保たれており,おだやかなたそがれに包まれながらも,木々のこずえでは,なおも小鳥がさえずっているのです。そうした老齢の人たちと交わるとき,わたしたちはしばしば,人生のいろいろのたいせつな事がらを学べます。地球の場合と同様,老人は,宝,それも掘り出せば,自分のものにすることのできる宝をたくさん秘めている場合があるのです。若い人たちが老人との交わりを求めるのは,親切の表われといえますが,そうする人はまた,老人しか与ええない祝福に豊かに恵まれるでしょう。
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一位となった御国会館目ざめよ! 1970 | 12月22日
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一位となった御国会館
◆ 毎週,御国会館をそうじして,きちんとしたところで,人目につくわけではないし,それはたいした報いのない仕事だとみなしてはなりません。ヤヌス島のエホバの証人は,多くの時間をかけて御国会館の庭をきれいにし,会館を手入れの行き届いた状態に保っています。
この島の地方長官および議員の主催する公式の盛大な集まりに出席するよう招かれた,エホバの証人の監督奉仕者の驚きのほどをご想像ください。というのは,御国会館が,整理整とん,および清潔さの点で団体部門の一位となり,その監督奉仕者が賞を受け取ることになったからです。それは大きな反響を呼び,地方長官をはじめ,おおぜいの人々が御国会館を見学に来ました。ある晩,ふたりのカトリック司祭が来て,見学させてほしいと言いました。司祭たちは多くの質問をしたので,良い証言が行なわれました。ですから,御国会館をそうじし,庭の手入れをするといった所定の仕事でさえ,エホバに対するように魂をこめてすれば,たいへんすぐれた証言を行なえる場合があります。
― エホバの証人の1970年度年鑑より
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