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私が受け継いだユダヤ人の遺産に欠けていたもの目ざめよ! 1981 | 9月22日
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と至高の創造者の存在とを裏付けるその論議が真の科学と一貫して調和しているのには深い感銘を受けました。
イエスを受け入れる
私が成長期にあった時,私の家では“イエス”という名前を軽べつ的な意味で口にする以外には用いませんでした。妻の家族の場合もそうでした。ある時など妻は,“イエス”という名を口にしたというだけで石けんで口をすすいだほどでした。
「メシアはまだ来ていない」と宗教教師たちは教えていました。「神に子なんかいない」と,ユダヤ人の仲間は断言しました。「イエスは私生児だった」というのが親せきの者たちの間の一般的な見方でした。
ですから,ダニエル書 9章24-27節にあるメシアに関する預言が最初に取り上げられた時私は,「どうしてこれがイエス・キリストと関係があるのですか。メシアはこれから来るんですよ。このイエスという者はすでに来てまたいなくなったではありませんか」と,反論しました。
しかしその預言や他の多くの預言を研究するにつれて,明白な事実が積み重ねられていきました。なんと,ダニエル書の預言はメシアの到来する年が西暦29年であることを正確に指摘していたのです! メシアをそれと示す詳細な事項もイザヤ書 53章に正確に記述されていました。また創世記 49章10節の預言には,メシアがどの部族から出るかということさえ明記されています。「メシアはすでに来ているに違いない。そうでなければ,系図がなくなってしまっている以上,今来たとしてもそれがメシアであるかどうか確認することさえできない」と私は結論しました。
神がみ子をお持ちであるということは私たちにとって驚くべき新発見でしたが,ヘブライ語聖書を開いて箴言 30章4節を読んでみるとそのことは明白で,否定すべくもありません。「地のすべての限りを定めし者はだれか。その名は何ぞ。またその子の名は何ぞ。なんじこれを知るや」。(聖書,アメリカ・ユダヤ人出版協会発行)メシアが乙女すなわち若い女から産まれることは正当なことで,イザヤ書 7章14節またイザ 9章6,7節に預言されている通り神のご意志であったことを学びました。
こうしてヘブライ語聖書を研究することにより,私たちはイエスがメシアすなわちキリスト,神のみ子であったことを確信しました。イエスは聖書に述べられている通りの人物でした。
欠けていたものを見いだす
勉強してゆくうちに,長い間心に掛かっていたいろいろな疑問が,一つ一つ解けてゆきました。私が受け継いだユダヤ人の遺産に欠けていたものを次々に見いだしてゆきました。
「戦争はどうなのでしょうか」と私はそのエホバの証人に尋ねてみました。「良い市民ならみな国土の防衛に当たるべきではありませんか」。戦争に賛成していたわけではありませんでしたが,神が戦争を是認しているのかどうか知りたかったのでそのように尋ねてみました。
「戦争になるとカトリック教徒はカトリック教徒を殺し,新教徒は新教徒を殺し,ユダヤ教徒はユダヤ教徒を殺します。どうして神が戦争を是認したり,仲間がお互いに殺し合うことをよしとする組織を是認したりできるでしょうか」と証人は答えました。
確かに筋が通っていると思いました。神が諸国家の戦争に無関係であることを知って私は本当にうれしく思いました。神が,一般の宗教的な人々やそうでない人々の受け入れている道徳とは大いに異なる道徳律,清い言葉や正直などに関する規準をお持ちであることを知った時の喜びは大きなものでした。私たちは聖書を読んだだけでこのことを確信したのではありません。私たちが会い,また交わった証人たちにその生きた証拠を見たからです。神がご自身の民に対して目的を持っておられること,そしてその目的に調和して働く時に,完全な環境の中で永遠に生きられることを学んだのは本当に大きな喜びでした。(イザヤ 25:6-9)『そのように愛の深い神がどうして抽象的な,あるいは非人格的な力であり得るだろうか』と私は心の内で考えました。
家族の反対
そのころまでには,私たちは一族の批判の的となっていました。勘当され,嘲笑された挙げ句,息子まで取られそうになりました。私たちがエホバの証人と聖書の討論をする時に仲間入りしていた弟のマービンとの連絡も断たれてしまいました。
大詰めは祖母の死後にやって来ました。私の一族はボストン地区でも有名なユダヤ教僧職者の一人を招いて集まりを開きました。私に恥をかかせることによって,弟のマービンが私の言うことを聞かないようになることを望んでいたのです。しかし結果的には,恥をかいたのはそのラビでした。
祖母が亡くなったばかりの時だったので,私はラビに頼みました。「霊魂は不滅であるというユダヤ教の教えを裏付ける箇所が聖書のどこにあるのかこの人たちに教えてやってください」。するとラビは,私がヘブライ語を知らないので混乱しているのだというようなことを言って,私の質問をかわそうとしました。「聖書を開いて,霊魂の不滅を裏付ける聖句を見せてくだされば,そのほうがずっとよく納得がゆくのですが」と私は答えました。それでもラビは私の質問に答えようとしませんでした。
討論が続くうちに十戒に話が及びました。そこで私は,「十戒は聖書のどこにあるのですか」と尋ねました。なんとラビはそれがどこにあるか知らなかったのです。ラビはヘブライ語でいとこに何か言いました。いとこは10分間ほど1冊の参考書を調べたあと,ヘブライ語で十戒の出ている箇所をラビに告げました。そのことに気付いて私はラビに尋ねました。「十戒を捜し出すのにそれだけの努力を払ってくださったのですから,霊魂の不滅を裏付ける聖句も,もしご存じなら私たちに見せてくださいませんか」。
しかしラビは相変わらずタルムード(ユダヤ教の信条にのっとった口伝律法もしくは伝承)や他の書物に基づいて答えるので,私は聖書を真理として受け入れる必要を強調し,エレミヤ記 31章31-34節の預言を読み始めました。
するとラビはそれをさえぎり,私の指をはさむようにして聖書を強くばたんと閉じ,「真理が欲しければ何にだってあるんだ。悪魔サタンにだってあるんだ!」と言いました。
「もしあなたが神の羊の群れの真の牧者で,私が迷える羊であるなら,なぜ文字に書かれた神の言葉から私の質問に答えて,私をその囲いに導き帰ろうとしないのですか」と私は答えました。
私がその主張を曲げないので,ラビは平静を失い,私を知ったかぶりをするばか者と呼びました。その時,親せきの一人が別の親せきの者に向かって,「ラビはなぜ質問に答えないのだろう」と言いました。彼らは,私の間違いをラビが証明できないことに失望していました。私が受け継いだユダヤ人の遺産の重要な支え手と目されていた者のそのような振舞いは,私には極めて矛盾したものに思えました。
答えの得られたほかの質問
ユダヤ教的生活様式の宗教指導者たちが答えを与えてくれなかった疑問はほかにもたくさんあります。もしユダヤ人が神の選民で,依然としてモーセの律法の下にあるのなら,エルサレムの聖なる神殿はどこにあるのか。契約の箱はどこにあるのか。アロン系祭司職はどこにあるのか。動物の犠牲はどうしたのか。部族の血統を確証する系図はどこにあるのか。安息日を守らなければならないというのであれば,7年目の安息,また50年目の安息つまりヨベルの年はどうなったのか。私が話したユダヤ教僧職者はこうした問いに対して,歯切れの悪い答えをするか,沈黙したままでした。
「聖書を研究して,メシアはすでに来たという結論を得ました」と私は別のラビに言いました。
「そんなことはあり得ない」とそのラビは言いました。
「では,あなたはメシアをどのようにして見分けるのですか。聖書の創世記 49章10節にはメシアはユダの部族から来ることが示されていますよ」と私は尋ねました。
「参りましたね。私が受けた訓練はタルムードだけに集中していたものですから。この問題についてあなたと話し合うには,私が聖書の研究をしなければなりませんね」とそのラビは言いました。
またある時,父に頼まれて一人のラビが私の家に電話を掛けてきました。それで私はこう答えました。「もしあなたが,イエスはメシアでないということや,メシアはこれから来る,ユダヤ教の伝承はすべて聖書に基づいている,といったことを聖書的に証明する用意ができましたら,それをいつ話しに来てくださるか,ぜひお知らせください」。
「そうですね,伺いましょう」とラビは言いましたが,ついぞ姿を見せませんでした。
しかし私たちはエホバの証人の助けを得ながら家庭聖書研究で多くのことを調べました。そして,こうした宗教的事柄についてヘブライ語聖書には明確に述べられていること,また最初のユダヤ人体制がなくなった真の理由についても示されていることを発見しました。
神が創始してイスラエル人にお与えになった祭司・政治体制は,イスラエル人が神を敬いその律法を守る限りにおいてのみ神の祝福を得ました。しかし人間の作った伝承ゆえに彼らはそれらの戒めを無効にし,正しくない体制を大いに支持しました。その体制は西暦70年まで続きましたが,同年にローマ人によって滅ぼされました。祭司や部族の身元を確証する系図は神殿が荒廃に帰すと共に破壊されました。神殿があったところには,今日に至るまで回教寺院の岩のドームがあります。
しかしその事件も,時と出来事の偉大な造り主が,一国民だけでなく,すべての国の人々を祝福する新しい取決めをもって前進するのを妨げ得なかったことを学びました。(創世 22:18)神が支配する一つの国際組織は西暦第1世紀の発足当初から繁栄しました。神はご自身の聖霊によって,そのみ言葉である聖書に関する教育をあらゆる種類の人々に施してこられました。(イザヤ 54:13)私たちはこれらの質問に対する答えを得てどんなに喜んだことでしょう。
神の言葉の真理に対して思いと心を開いた1956年のあの日以来,かくもやさしい思いやりと気遣いを示してくださった神に対し,ロリーと私は愛と感謝の念を深めるようになりました。私たち夫婦とジョエル,ジュリー,マークの3人の子供,そしてマークの妻のマージョリーは幸いにも命と希望の造り主であるエホバを知るようになりました。
うれしいことに,18年間疎遠になっていた弟のマービンとも,この二,三年間にまた行き来するようになりました。今では弟の家族もエホバの証人になっています。それもうれしいことです。
私は自分が受け継いだユダヤ人の遺産に欠けていたもの,つまり真の神エホバに対する崇拝を発見した,と確信をもって言うことができます。また私は,真の崇拝において一致した愛情深い家族を持っており,聖書の律法と原則に忠実な人々との親しい交わりも得ました。あらゆる背景の老若男女を交えたこの人々の中に,聖書の高い道徳律に対する深い敬意や,清潔で建設的な会話や,正直で率直な雰囲気を見いだしたのです。―寄稿。
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大きな音の音楽と人間の体目ざめよ! 1981 | 9月22日
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大きな音の音楽と人間の体
カリフォルニア大学ロサンゼルス校のマーチン・ポロンは,「思考力と音」という題の論文の中で警告しています。それによると,“ニューウェーブ”とか“パンクロック”などのコンサートで絶え間ない音圧レベル(約130デシベル)にさらされる人々が冒す危険は,聴力障害を起こす可能性だけにとどまりません。長時間大きな音を聞いた後,ストレスと関係のあるホルモンの血中濃度は2倍から3倍になる可能性がある,とポロンは述べています。また,内分泌系,生殖器系,循環器系,神経系統などに悪影響を及ぼすことも考えられると述べています。極端に高い音圧レベルによって生ずる生理的ストレスは,血圧を上げ,コレステロールとトリグリセリドの濃度を高めて,動脈と心筋の変質を招く一因となる恐れがあります。
ポロンは,過度に大きな音に長時間さらされ過ぎることから来る,他の望ましくない影響も挙げています。性機能や生殖機能の障害,敏感な人の場合はてんかんの発作,精神的異常偶発の始まり,めまい,眼球の動きの制御不能などがそれです。妊娠中の母親は,発育中の胎児への危険も悪影響として挙げられていることに注意すべきです。ポロンの主張が正しいかどうかは,今後の一層の調査に待たねばならないようですが,その間,回避できる,絶え間ない高い音圧レベルにさらされる所に身を置かないようにするのが,賢明な道と言えるでしょう。
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