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  • 『ヱホバはその聖き宮にいます』
    ものみの塔 1956 | 4月1日
    • 孤児,というような独り立ちできない人々を圧迫する者たちに対して,ヱホバは証を立てられます。ヱホバは,いまそれらの者に援助の手を差しのべて,その実際の必要物,特に霊的な必要物を与えておられます。かくして,彼らもヱホバの民に与えられている霊的な御準備に与つて,霊的な生命を全く楽しむことができます。強い者たちは,独り立ちできない弱い者の荷を負うようにと,ヱホバは教えられました。

      35 それだけに止まらず,ヱホバは,霊的なイスラエルである霊的な『ヤコブの裔』以外の人々のことを考えられました。ヱホバはまた,霊的イスラエル人ではないにしても,羊のような性質を持つ大いなる群衆のことを考えられました。急速に近づいているハルマゲドンの恐ろしい戦の時の火のような審判が執行されるとき,大いなる羊飼であるヱホバは,これらの羊のような人々に憐みの心を持ちます。たとえ,彼らが霊的なイスラエル人でないからといつて,彼らが亡びても良いというわけではありません。霊的なイスラエルも,かつては彼らのようであり,憐みを必要としました。それで,ヱホバはこれら『他の羊』級の者たちに,新しい世の生命を得させる機会を与えられました。むかしのイスラエルの内には,寄留者である旅客,すなわち外国人の住民がいて,ヱホバは彼らを愛しました。実は,それらの者たちは,現在の羊級の者たちを予表していたのです。『なんぢの神ヱホバは,神の神,主の主,大にしてかつ力ある畏るべき神にましまし人を偏り視ず,また賄賂をうけず,孤児と寡婦のために審判を行い,また旅客を愛してこれに食物と衣服を与えたもう。なんぢら旅客を愛すべし。』― 申命 10:17-19。

      36 1918年以来,ヱホバは,どのような御準備をつくることにより,キリスト教国の都の中の憎むべき事柄の故に,『嘆き悲しむ』幾百万という人々に,慰めと理解をもたらしてきましたか?

      36 宮にいるヱホバは,これら羊級の者に対して行われる悪しき行為に怒りを感ぜられます。そして,『異邦人を推し枉げ』る者たちにむかつて,速に証を立てます。(マラキ 3:5)それら羊級の者に対する大きな関心を惹き起すため,ヱホバは,1918年以来『現在生存する万民は決して死する事なし』という耳目を驚かす音信を公やけに伝道せしめられました。そして,1923年には『羊と山羊』の譬話を解釈せられました。(マタイ 25:31-46)それによると,正義の心を持つ地的な人々は,『他の羊』級の者です。ヱホバの正しい羊飼は,彼らを檻に集めて,『ひとりの羊飼』の下,霊的イスラエルの羊とともに『一つの群』にしています。さて,御予定の時になつて,集められた残れる者は,これら他の羊級の者たちに充分の注意を払わねばならぬと,ヱホバは示されました。なぜなら,1931年,ヱホバは,残れる者たちに啓示を与えられ,彼らは予言的に言われている『布の衣を着,筆記人の墨盂を腰におぶる者』の行をなさねばならぬ,と示されたからです。残れる者は,失意落胆している羊級の者の額にしるしをつけ,ヱホバのハルマゲドン執行者のもたらす亡びから救われるようにしなければなりません。それらの者の額にしるしをつけよ,とヱホバは命じている故に,もしその仕事を拒絶するなら,私たちは実体の異邦人つまり一時的に住む旅客を推し枉げていることになります。もし,そうであるなら,私たちは災であります。ヱホバは今もなお清き宮にいまし,速やかな証を立てるでしよう。そして,これらの羊に関心を示さず,又彼らの額にしるしをつけるという証言の業を熱心に行わない者たちの冷い無情の心を曝露することでしよう。―エゼキエル 9:1-4。

      『すべての国民の祈の家』

      37,38 (イ)1918年以来,審判の業をなすヱホバは,『戦いのことを再びまなばざる』者たちにたいし,真の崇拝についての教を,全世界に亘つて,どのようにひろめられましたか?(ロ)どのような資格を持つ「レビの清められた子たち」は,いつも『霊的な犠牲』を捧げ続けてきましたか?

      37 ヱホバは,いま審判の業をなすため,その聖き霊的の宮におり,イザヤの予言は,成就しております。『すえの日にヱホバの家の山は,もろもろの山のいただきに堅く立ち,もろもろの嶺よりもたかく挙がり,すべての国は流れのごとく之につかん。おおくの民ゆきて相語りいわん。いざわれらヱホバの山に登り,ヤコブの神の家にゆかん。神われらにその道ををしえ給わん。われらその路をあゆむべしと,そは法律はシオンよりいでヱホバの言葉はエルサレムより出べければなり。ヱホバは(その宮から)もろもろの国のあいだを裁き,おおくの民をせめたまわん。かくて,かれらはその剣をうち変えて鋤となし,その鎗をうちかえて鎌となし,国は国にむかいて剣をあげず,戦のことを再びまなばざるべし。』(イザヤ 2:2-4)昔の習慣は,高い場所で崇拝をささげることでした。ヱホバの崇拝も,極めて高い場所,すなわち『聖なる山』であるモリア山の上でなされました。モリア山は,地中海から2400フイートも高く,死海からは3800フイートも高いところにあります。その高いところに,ヱホバの『家』である宮は,高々と設けられていました。

      38 ヱホバは,霊的な宮の残れる者の上に御名を置かれ,そして彼らを遣して御自身の証者にならせることにより,現在の『未の日』に,全地に亘り,御名を最も高く掲げられています。宮に仕える残れる者は,『レビの契約』を守り,かつヱホバに専心の献身を捧げることにより,ヱホバの清い崇拝を,あらゆる事にも勝る最高至上のものとなし,そしてその祭司職という義務から見て,ヱホバの崇拝こそ最重要なものとなしています。いかなる国であろうと,いかなる政府であろうと,このヱホバの崇拝に干渉する権利を持つていません。ヱホバを崇拝しようか,またはヱホバに反対する人間の支配者に従おうか,そのどちらにしようかという問題のときには,宮に仕える残れる者は,先づ第一にヱホバの崇拝を重んじ,そして宮の中における自分たちの奉仕の地位をしつかり守ります。かくして,神のものを神に捧げています。(マタイ 22:21)彼らは,神を讃美するという『霊の犠牲』をいつも神に捧げ,そして神の設立した将来の御国の良いたよりを伝道しています。

      39 (イ)ヱホバの真の崇拝者の良い行に対して,どんな理由のために,誰が怒りを感じていますか?(ロ)ヱホバの崇拝に伴う高い要求は,むかしどのように象徴されましたか?

      39 全世界の見る前で,彼らはヱホバの崇拝に忠実を保つたため,『ヱホバの家』である崇拝の家は全国民の前で崇められました。愛国の熱情に駆られているこの世の人々は,ヱホバの崇拝,ヱホバの家が,この世の政府や,義務や,他の宗教よりもずつと高く崇められているのに怒りを感じています。しかし,全国民の中の羊級の人々は,ヱホバの崇拝の絶対至上性ということを,心から良く悟つています。彼らは,宮の残れる者たちから,いろいろと教をうけ,ヱホバの崇拝を各自の生活で最重要なものとし,かつ山にたとえられるサタンの世のすべての制度よりも,はるかに高い所に置かねばならぬ,と知ります。海抜2400フイートのモリア山上にあつたソロモンの宮は,エジプト,アッシリア,バビロン,ペルシャ,ギリシャそしてローマの首都にあつた邪教の宮よりも高いところにありました。丁度それと同じように,ヱホバの崇拝は,悪魔の目に見えるすべての制度よりも,ずつと高いものです。それは極めて高いところにあり,全国民の中の羊級の人々は,ヱホバの崇拝を最重要のものにしています。その故に,彼らはヱホバの最高の宮からなされる裁きと決定をうけいれます。彼らは悪魔の世と,その宗教的な山や政治的な山を去り,その戦争や戦争の武器を放棄します。それから,『ヱホバの山』にのぼり,現在の堕落した世界や悪魔崇拝よりも,はるか高きところにある「美しいところ」でヱホバを崇拝します。(詩 48:1,2)そして,できるだけの事をなしてヱホバ崇拝の高い要求に沿おうとしています。彼らは大祭司イエス・キリストを通してヱホバに献身いたします。ヱホバの家でヱホバを崇拝することは,亡びに運命づけられた現在の古い世に属する諸権力に従うことよりも,ずつと大切な義務である,と彼らは悟つています。

      40 霊的な『神のイスラエル』の残れる者の中に今一時的に住む多くの人々は,なぜ良く聴くという習慣を持つているのですか?

      40 これら羊級の人々は,ヱホバがその聖き宮に在すのを見て,うやうやしく沈黙いたします。彼らが『ヤコブの神の家』に来たのは,『神われらにその道をおしえ給わん。われらその路をあゆむべし。』と思つているからです。それで,彼らは天的シオンから来るヱホバの律法と,ヱホバの首都制度である天的エルサレムから来るヱホバの言葉を聞きます。それで,彼らは新しい世の社会の一員になつて,ヱホバの路に歩みます。彼らは霊的イスラエル人の中にあつて『一時的な住民』になります。

      41 (イ)ヱホバの真の崇拝者は,みな特別などんな「異邦人の権利」を今認め,かつ保たねばなりませんか?(ロ)イエスは,エルサレムの模型的な宮に来て清められたとき,イザヤ書(56:7)の言葉を引用しましたが,それは今日どんな深い重要性を持つていますか?

      41 今日,これら他の羊級の人々は,ハルマゲドンに生き残つて新しい世に入る,という希望を抱いています。ハルマゲドンまでの短い時のあいだ,全国民の中から集められる非イスラエル人の羊級の者が,高められた『ヤコブの神の家』に来て,ヱホバを崇拝し,そして救を得るのは,全く当然なことであります。「彼らを推し枉げる」ようなことをせず,ヱホバに従つてあらゆることをなし,彼らを助け導いて正しい道に歩ましめましよう。契約の使であるイエスは(西暦)33年に宮に来て,『強盗の巣』になつていた宮を清められたとき,強盗共にむかつてこう言われました。『「わたくしの家は,すべての国民の祈の家ととなえらるべきである。」と書いてあるではないか。』(マルコ 11:17,新口)今日,霊的な宮にいるこの同じ契約の使は,『そう書いてあるではないか。』という同じ質問を尋ねられています。まつたく,その通りです。現在のために,そう書かれている故に,ヱホバの清い宮は全国民の祈の家になるようにと,ヱホバは命ぜられています。モリア山上に建てられた宮の落成式のときに,ヱホバは宮に来て,その臨在を示す栄光の雲で宮を充しました。その後,ソロモン王はこの宮が全国民の祈の家になるようにと祈りました。ソロモンの祈つた7つの祈の中の一つは,ヱホバの御名のために遠き地より来る異邦人のための祈です。―列王紀略上 8:41-43。

      42 ヱホバの真の崇拝者たちの中の一致は,なぜ現在もつとも重要なものですか?

      42 あなたは残れる者の一員ですか? もし,そうなら,これら他の羊級の者は,天的の相続を持つ霊的なイスラエル人でないから,霊的な宮に入つて,そこで大祭司イエスを通してヱホバに崇拝を捧げる権利を持つていないなどと考えてはなりません。あるいは,あなたは遠い国から来た実体の異邦人ですか? もし,そうなら,自分は残れる者ではないから,たとえヱホバに献身しようとも,ヱホバの証者から離れてしまわねばならず,それに新しい世の社会に入ることができない,などと考えてはなりません。ヱホバによつて設立された御国による救が,間近に迫つている現在,それはヱホバの考え方ではありません。今日,外国から霊的なイスラエルのところに来る羊級の人々について,ヱホバはこう言われています『ヱホバにつらなれる異邦人はいうなかれ。ヱホバ必らず我をその民より分ちたまわんと…またヱホバにつらなりこれに事え,ヱホバの名を愛し,その僕となり,安息日をまもりて汚すことなく,すべてわが契約をかたくまもる異邦人は,我これをわが聖山にきたらせ,わが祈の家のうちにて楽しましめん,かれらの燔祭と犠牲とはわが祭壇のうえに納めらるべし。わが家はすべての民のいのりの家と称えらるべければなり。イスラエルの放逐れたるものを集めたもう主ヱホバのたまわく我さらに人をあつめて,すでにあつめられたる者にくわえん。』― イザヤ 56:3,6-8。

      43,44 (イ)1919年以来,絶えず企てられて来た誰たちの妨害は,ヱホバの導きの下に全世界にわたつて,集められるどんな業を妨げ得ませんでしたか?(ロ)神により予言されていたどんな光景は,絶えず増加している集めの業と一致していますか?

      43 1919年より1931年にいたるまでヱホバは,かつてバビロンの世界に捕われていた霊的イスラエルの残れる者を集められました。1931年以来,ヱホバは,すでに集められたイスラエルの残れる者以外に,他の者をも御自分の宮に集められています。ヱホバは,これら他の者をも集めて来られました。今日にいたるまで,誰がヱホバの業を妨げ得ましたか?『悪い奴隷』級ですか? キリスト教国の牧師や信者ですか? この世の政治独裁者,過激な政府,全体主義の政府,または他の政治権力ですか? 悪魔サタンとその悪鬼共ですか? なにものも,ヱホバを妨げることはできません。今日,ヱホバの宮にある活潑な新しい世の社会は,宮に仕える1万7000人の残れる者を中心にして60万8000人に増加しております。今日,これら実体の『異邦人』である他の羊を『わが祈の家のうちにて楽し』ませるのは,ヱホバのおよろこびであります。彼らは,ヱホバの崇拝を行つて幸福になりましたか? 全くそうです! 彼らが霊的な『燔祭』と『犠牲』を大祭司を通して,祭壇の上に捧げるとき,『ヱホバの家の聖山』は,幸福の叫びで鳴りどよめいています。そして,ヱホバは,それらの『燔祭』と『犠牲』を嘉納されておられ,その事実を彼らの奉仕の業,つまり証言の業を祝福することによつて示されています。

      44 19世紀昔,大祭司イエス,キリストは,一つのまぼろしを使徒ヨハネに与えました。そのまぼろしの中で,ヨハネは,全国民から来た『異邦人』の『大いなる群衆』が,白い衣服をつけ,手に手に棕梠の枝を持つて,宮に集り,ヱホバと自身を犠牲に捧げられた御子を讃え,その救をヱホバとイエスに帰し,そして宮にいて,毎日ヱホバに奉仕している様を見ました。まぼろしの中に,このことを見たヨハネは,全く我を忘れる程のよろこびに浸りました。しかし,今日このまぼろしのすばらしい実際の成就を見ている私たちは,なんというよろこびに浸り得るのでしよう!―黙示 7:9-15。

      45 どんな人が,どのような方法で,いまヱホバの霊的な祈の家で,ヱホバに一致した真の崇拝を捧げていますか? それにはどんな幸福の見込みがあり,神の予言を全うしますか?

      45 ヱホバは,羊級の人々を救うために,寛容を示されています。しかし,羊級の人々全部は,まだ全国民の祈の家に集められていません。私たちは,ヱホバとその正しい羊飼と共になつて,この仕事を行うべきでしようか? そうです,『彼と共に働くことに』より,また勝利の御国の良いたよりを伝道することにより,そして羊を集める業がなされるあらゆる教育の業をすることによつて,このことを行うべきです。羊級のような異邦人を助けて,『ヱホバにつらなり,これに事え,ヱホバの名を愛しその僕となる』重大な必要性と機会を悟らせましよう。また,実体の安息日を守る必要性を悟らせましよう。つまり,自分の良いと思う方法で,自分を救おうとする自己偽善の利己的な業をなして安息日を汚すのではなく,ヱホバの宮,祭司,仲立,罪をゆるすための犠牲,そして小なるも大なるもみなヱホバを知るの知識をうけいれることにより,ヱホバの新しい契約にしつかりと従うことであります。(エレミヤ 31:31-34)私たちがこのことをするなら,私たちは『異邦人を推し枉げてはおらず』自分自身のごとく異邦人を愛していることになります。それで,聖き宮に在すヱホバは,ハルマゲドンの時にも,私たちに速やかな反対の証を立てないでしよう。ヱホバが,火のごとき強烈な審判で私たちを亡すということはありません。むしろ,私たちを是認し,私たちを救つてハルマゲドンを生き残らせ,新しい世に導き入れて,よろこびに充ちるヱホバの崇拝を続けさせるでしよう。

  • その19 第二次世界大戦中 中立を保つアメリカのクリスチヤンたち
    ものみの塔 1956 | 4月1日
    • ヱホバの證者の近代歴史

      その19 第二次世界大戦中 中立を保つアメリカのクリスチヤンたち

      前の号では,第二次世界大戦中,世界各地にいたヱホバの証者の興味あるできごとについて述べましたが,同期間中アメリカ合衆国の証者たちには,どんなことが起きていたでしようか? 彼らも,亦,戦時中の動揺した人類の海の中にあつて中立を保ちつづけました。このことはとりもなおさず,アメリカの証者が近代歴史の記録上で一番ひどいクリスチャン迫害の一つを経験したことを意味します。1933年から,ものみの塔協会は逮捕件数の記録をとり始めましたが,1951年までには,1万8886人の証者が検挙されています。そして兵役関係による迫害はなおもつづいています。これは,民主主義を唱え,自由の擁護者と云われる国で行われたことですから,ほとんど信じ得ないくらいです。

      さらに,合衆国のいたるところで,証者に累を及ぼした暴動事件は,少くとも1500あります。前に指摘したように,1940年6月3日に,合衆国の最高裁判所は,ゴバイチス国旗敬礼事件で協会に不利の判定を下しました。これによつて,証者に反対する興論は湧き立つような激しいものになりました。これによつて,ヱホバの民すべてが ― 男女,子供,成人が ― この試練期間を耐え,しかも家から家や街頭伝道を同じように継続するには,強固なクリスチャン忍耐と信仰とが要求されました。丁度,ドイツとか他の国々でも示されたように,ヱホバへの絶対の信仰は,結局には,迫害を打ち負しました。

      3年ののちに(1943年)国旗敬礼事件は再び合衆国最高裁判所に提出されています。1940年の法廷の判決に対する興論のありさまは,9名の最高判事に宛てた協会の訴訟事実要領書のうちに示されています。

      『1940年,6月3日に,ゴバイチスの「不利」判定の発表直後に,証者に反対する新聞宣伝や偽りの噂話は,全国的に証者の敵により開始された。証者はおのれの良心にもとずいて,どんな国の国旗にも,またアメリカの国旗にも敬礼しないからという理由で,証者が「国旗や政府に反する者」であると彼らは不当にも非難する。その判定は乾燥した草原に火を点じたような結果を招いた。証者に好感をもたぬ新聞宣伝で生じた偏見は,公然とした暴行をよんだ。ヱホバの証者を攻撃する暴動事件は,ただちに増大していつた。2年間以上も,この国の宗教分子や「所謂」愛国分子などの数千の団体は,法律や理性に基かない手段に訴えて,幾千というヱホバの証者の男女,子供たちを攻撃するよう,人々をあやつつてきた。彼らは,証者の財産を破壊し家からも追い出した。証者の家を,崇拝の場所を,家具を,書籍を,金をも焼いて行つた。証者の群を縛つて,無理にヒマシ油を喉に注ぎ込んだ。彼らは,各地において,暑いほこりの道路や鉄道敷地に沿つて,獣を追うように証者を狩り集めて行つた。また証者を縛つて,首のまわりに綱をつけ町の目抜き通りをひつぱつて行つた。彼らは,その他無数の暴行とか,邪行を,何らの理由なく証者に加え,しかも法律から何らの干渉をうけずに,今日に至るまで,その行為を継続してきた。著名な宗教家の影響をうけた官憲は,ヱホバの証者の個人宅に侵入し,人を逮捕し,彼らを一州から他の州へと連れ去り,また個人宅での聖書研究集会を中断した。数千の子供たちも学校から追い出され,数多くのものは不良として起訴され,多数に有罪判定が下され,両親からは命令により引き離された。幾百人という親たちは,彼らの子供たちの不良性とか,ずる休みを援助した罪を問われて起訴され,多数のものは有罪とされた ― これら凡ては,親たちが子供に聖書を教え,そして子供たちは謙遜な気持の中に神の誡命に従つたために,おきたことである。』(上訴者の実情書)

      1940年,6月16日に,合衆国の司法次官,フランシス,ビイドルは,全米に及ぶラヂオの放送で,当時高まつていた暴動気運を静めるため,次のような

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