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『私は沈没したタイタニック号の生残りです』目ざめよ! 1982 | 1月22日
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兄に,『昔からやっているギリシャ正教を離れたのなら,もう兄とは思わない。三位一体のしるしである十字を二度と再び切らないなどとはとても信じられない』と言いました。
「私は兄を愛していたので,二人の間にこうしたわだかまりができてしまったことがとてもつらく思われました。数か月後,以前に入手した『神の立琴』という本がたまたま目にとまりました。ほこりがたかっていましたが,昼過ぎにそれを開いて読み始め,夜中までそれを読み続けました。神の言葉の真理が私の心の中に入り込んできました。私はアラビア語を話す人々のために司会されていた研究に加わり,1933年にバプテスマを受けました。
「私の人生でもう一つ際立ったことがあります。長年の間夢みてきた旅を,財政的に実現できるようになったのは1949年のことでした。レバノンには片親を異にする兄がおり,その人を訪問して,王国の希望を伝えたいと思っていました。レバノンへ帰る飛行機はグリーンランドの上空を通るルートをとり,タイタニック号が沈んだその場所の上空に非常に近い所を通過しました。冷たい大西洋を見下ろし,あの悲惨な出来事について思い巡らしているうちに,感きわまってしまいました。
「私が顔を涙でぬらしているのに気付いたスチュワーデスが静かに手を伸ばし,私の腕を軽くたたいて,『どうかされましたか。何かして差しあげましょうか』と尋ねました。私は,『いいえ,12歳の子供だった時のことを思い出していただけなんですよ。私はタイタニック号という大きな船に乗っていましたが,その船は丁度この真下あたりで沈没して,1,500人以上の命が奪われたのです。私はいまだにあの恐ろしい朝のこと,暗やみの中から聞こえてくる,助けを求める叫び声,そしてあの凍り付くような水のことが忘れられません』と答えました。黒い髪の美しいスチュワーデスは,『悲しいお話ですね。タイタニック号の惨事については読んだことがあります』と言いました。
「私はレバノンへの旅を終えました。うれしいことに片親を異にする兄は聖書に関心を示しました。そして後日,やはり献身したエホバのクリスチャン証人になりました」。
ルイスおじは,神の王国が現在のサタンの事物の体制に取ってかわるという希望を言い表わして,その経験談を締めくくりました。
おじはこう言いました。「神のみ言葉の真理は私の人生の導きとなる力となってきました。私は,タイタニック号の惨事に際して命を救われ,この重大な『終わりの日』の今,神に仕える機会を与えてくださったことをエホバに感謝しています」。おじは自分の兄夫婦の近所に住み,死の日に至るまで自分の最善を尽くして兄夫婦と共にエホバに仕えました。神のご意志が天で行なわれているように地にも行なわれますように,と祈ることを決してやめませんでした。(マタイ 6:9,10)ハルマゲドン前に死ぬことがあるなら,神は命への復活によって墓の力から自分を救い出してくださるという希望をおじは強く抱いていました。
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では,あなたはこの体制が沈む時,生き残りますか目ざめよ! 1982 | 1月22日
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では,あなたはこの体制が沈む時,生き残りますか
タイタニック号が沈没するなど考えられないことでした。タイタニック号の船長で,中佐でもあったE・J・スミスも,「この船が致命的な惨事に見舞われるなどということは私には考えられない。近代造船術はそれを凌駕した」と語りました。ところが,そうした惨事が生じたのです。その巨大な船が沈み始めた時でさえ,それに乗っていた人々は自分たちが本当に危険な状態に置かれているということを信じようとはしませんでした。1912年4月19日付のニューヨーク・タイムズ紙が伝えたところによると,一生存者は次のように語りました。
「乗組員はすべての人に[救命艇]に乗り込むよう勧めたが,だれも急いでそうしようとはしなかった。危険はないと考えられており,船を離れれば,数時間後にはわざわざボートをこいで船までもどって来なければならなくなり,物笑いの種になるというのが一般的な考え方であった。
「最初のうちは,船内のどこでも人々は無関心であった。不沈船であるとの確信が非常に強かったので,ほとんどの人は最後の瞬間まで船の安全性に確信を置いていた。一人の旅客係<スチュワード>が後に私たちに語ったところでは,ある婦人の部屋の戸を繰り返したたいたのに,その婦人は動こうとはしなかった。旅客係はとうとう婦人を引きずり出そうとしたが,彼女に撃退され,最後にはあきらめてしまった。その婦人は特等室の中に入ったまま,海のもくずとなったと考えられている」。
タイタニック号の救命艇には1,178人の収容能力がありました。これはすべての人を収容するに足るものではありませんが,700人という生存者の数をはるかに上回ります。“不沈”船に対する誤った確信のせいで,最初に降ろされた救命艇の幾そうかは定員の半分ほどしか乗せずに船を離れたために大勢の人がいたずらに命を失いました。
ある婦人の乗客の部屋のドアを一人の旅客係<スチュワード>がノックし,“考えられない事柄”が起きていると繰り返し警告したのに,無視されてしまったことにお気付きになりましたか。『なんと愚かなことだろう』と言われるかもしれません。
しかし,あなたの家のドアをも繰り返しノックし,差し迫った警告を与えている人々がいます。その人たちは全能の神の忠実な「家令<スチュワード>」であるエホバの証人です。それは,戦争や犯罪,残酷な暴力などがはんらんしているため,この世界的な事物の体制全体に“沈没”の危険があるという警告ではありません。むしろ,神がそれを間もなく“奈落の底”へ落とし,ご自分の天の王国により支配される義の新秩序がそれに取って代わることを可能にされるという警告です。
その警告にあなたはどのような反応を示しますか。タイタニック号の前述の女性の乗客のように,『冗談にもほどがある! そんなことは考えられない!』と言って,ドアを閉じますか。そのような態度は命を失うことにつながりかねません。
危険は容易に見て取れるはず
興味深いことに,タイタニック号に乗っていた警戒を怠らない幾人かの人は惨事が差し迫っていることを感じていました。なぜですか。その船は安全な操船術の最も基本的な原則を犯していたからです。その点を一生存者は次のように指摘しています。「私たちは昼過ぎに,大西洋横断の記録すべてを更新しているということを知らされました。この船が時速23マイル(約36.8㌔)で航行しているということが,氷山にぶつかる数時間前まで乗客の間で繰り返し話題に上りました。その日に船にもたらされた,危険を告げる警告について知らない人はいませんでした」。
どうして危険きわまりない猛スピードを出していたのでしょうか。別の生存者は次のように回想しています。「[惨事のあった晩]就寝前に,グランド・トランク鉄道会社の社長チャールズ・H・ヘイズと長話をしました。ヘイズ氏は最後にこう語りました。『ホワイト・スター社,キューナード社,それにハンブルク-アメリカン社は,その注意力と創意の才を注ぎ込んで互いにしのぎをけずり,豪華船やスピード記録に関して優位に立とうとしている。今に必ず何か恐ろしい惨事が起きて,こうした事態が正されるであろう』。かわいそうに,数時間後には当のご本人が死んでしまったのです」。
現在の世界の状況はそれと非常によく似ていませんか。安全性に注意を払わず,自らが不沈であるとの神話に確信を置いて,タイタニック号は危険な競争を行なっていました。今日,世界の諸国家はそれよりもさらに危険な軍備競争にうつつを抜かし,タイタニック号の船長同様,惨事が臨むことはないと信じています。しかし,そのような信頼を置く根拠がありますか。それとも,人々の確信は誤ったところに置かれているのでしょうか。世の有様を観察する考え深い人は,災いが臨む可能性はますます強くなっていると論じています。
この事物の体制に臨もうとしている災いについてエホバの証人が伝える警告を聞いて,『冗談にもほどがある! そんなことは考えられない!』と言いたくなる方には,次の点を銘記していただきたいと思います。この世は安全な政府,安全な生態学,および安全な国際関係にかかわる最も基本的な原則を犯しているのです。災いが臨む可能性はないとどうして言えるでしょうか。
警告に注意を払う必要
言うまでもなく,危険を察知しているだけでは,この世の体制の終わりから救い出されることにはなりません。タイタニック号に乗っていたヘイズ氏が危険に気付いていたのに,救われなかったのと同じです。タイタニック号の生存者は,危険が迫っているとの警告に応じてふさわしい行動を取った人々でした。
多くの人にとって,そのような行動は真夜中に快適な特等室を出て,ガウンを着ただけで冷え冷えする甲板にかけ上がることを意味しました。旅客係や乗組員の命令に逐一へりくだって従い,場合によっては夫や兄弟をあとにして小さな救命艇に乗り込むことを意味しました。それは,当時,「壮大な15階建ての水上宮殿,どこを見ても豪華で巨大,……広々とした談話室にレストラン,小劇場,スカッシュやテニスのコート,水泳プール,蒸し風呂や電気風呂,広々とした喫煙室,トランプ室,美しい音楽鑑賞室,サンルーム,熱帯植物の温室,ヤシの木の点在するラウンジ,体育館,そのうえ……小さなゴルフ場まで……備わっている」と言われた船から小さなボートに乗って離れて行くことを意味しました。そうしたぜいたくで
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