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  • こらしめを軽んじますか
    ものみの塔 1963 | 9月1日
    • なければどうなりますか。その人はこらしめを憎んでいます。従って箴言 15章11節のことばがその人にあてはまります,「道を捨てる者には,きびしい懲らしめがあり,戒めを憎む者は死に至る」。(新口)

      こらしめは何時になっても必要

      24 生命の道には,どこまでこらしめが必要ですか。

      24 クリスチャンにとって,こらしめは避けることのできないものです。神のことばを受け入れる人は,その事を知り,また認めなければなりません。エホバのこらしめを避けるのは,私たちの望まないところです。エホバのこらしめを受けるのは願わしいことです。こらしめはクリスチャン会衆のしるしであり,子に対するエホバの愛のあらわれです。エホバは私たちを長く忍び,その結果私たちはエホバを知ってエホバに仕えるようになりました。しかしエホバがこらしめを与えることは確かです。それで円熟と生命を目ざして一歩ずつ歩みを進めてゆくとき,その道には何時でもこらしめがあります。それは唯一の道です。

      25 (イ)新世社会はどんな援助を与えますか。(ロ)生活のいろいろな問題に直面して決定を下すことと,聖書とはどのように結びつきますか。(ハ)聖書また新世社会に対する正しい態度は何ですか。

      25 円熟した理解,エホバのことばにかなう行いを目ざして進歩してゆくとき,新世社会の与える貴重なこらしめは大きな助けとなります。神の戒め,預言,啓示,原則は聖書にしるされており,それは新世社会とその中にいるすべての人の導きです。そして新世社会は,聖書に書かれたこれらの戒め,手本,定め,原則を生活の問題に適用して,神権的な条令の体系を作りあげています。それは神権者エホバ神の律法である聖書に基づいており,聖書と一致しているゆえに神権的な条令です。それで聖書を理解すると同時に新世社会の判断,権威,教訓を尊重しなければなりません。生活のあらゆる面において神の戒めを破ることなく,神のことば通りに行なうために,それを導きにしなければなりません。それはこらしめを与えるものです。

      26 こらしめを受けるのはだれですか。

      26 子供がこらしめを受けるのは,大人にとって理解できることであり,また満足を与えることです。「父たちよ,子供をいらだたせてはいけない。エホバのこらしめと権威ある教えによって子供を育てなさい」。―エペソ 6:4,新世。

      27 (イ)ほかにだれがこらしめを受けますか。(ロ)大人は何を学ばねばなりませんか。(ハ)こらしめを受けることは,何のしるしですか。

      27 しかし責任を負う者として大人もこらしめを必要とすることを認めなければなりません。大人にも学ぶべき事がいろいろあります。子供のこらしめ方を学ぶのもその一つです。ねたみ,神経過敏,不行跡,悪口,恨み,不品行,不敬,誇り,怒り,汚れを捨てることも学ばねばなりません。それでこらしめは,大人のクリスチャンの生活全般にわたって必要です。生活にこらしめがあることは円熟また謹厳のしるしです。

      28 (イ)エホバの僕の中でも,とくにだれがここで注目されていますか。(ロ)その人々にはどんな特権がありますか。また何が必要ですか。

      28 エホバを崇拝し,円熟と生命にむかって進歩している人の中でも,おもだった人々がいます。たとえば神権的な新世社会内に大ぜいの監督がいます。これらの人々は兄弟たちや仲間のしもべに対して,愛のこらしめを与える立場にしばしばおかれます。このようなおもだった人々もまた,こらしめを受けますか。そうです。この人々もこらしめを望むべきです。こらしめはどんな人にも必要であり,またどんな地位にある人でもこらしめを受け入れるべきです。これらの人々でも他の人と同じく神のことばから常に教えを受け,自分の行いを吟味し,新世社会の与えるこらしめの益を受けなければなりません。

      29 おもだった人々は何を認識し,また何に感謝すべきですか。

      29 これらの人々は自分が兄弟に対して示した愛と忍耐だけを思わず,兄弟たちから示された愛と忍耐を考えるべきです。ある監督その他おもだった人々は,特権ある奉仕の地位を長年にわたって占めてきました。従って長いあいだ兄弟たちのために,そして兄弟たちと共に働きながら,仲間の奉仕者から協力を得てきたことになります。他の人々が監督の欠点や間違いを許し,エホバ神と御国の関心事を愛するゆえに協力を惜しまなかったことは,監督にとって感謝すべきことではありませんか。おもだった地位を占めている人でも,こらしめを必要とします。ゆえに喜んでこらしめを学け入れなければなりません。

      30,31 従ってだれがこらしめを受け入れるべきですか。それにはどんな益がありますか。

      30 それでこらしめを笑ったり,避けたりするべきではありません。その目的はエホバの崇拝をすすめることです。それによって,クリスチャンは宣教のわざをしっかり果たすようになります。また自分の立場を守って,エホバのわざを行い,崇拝を実践できます。エホバのこらしめを受け入れる人は生命を得ます。これもこらしめの目的のひとつです。ゆえにエホバの制度内にどんな地位を占めている人でも,こらしめを軽んずることはできません。「我子よ汝エホバのこらしめをかろんずる勿れ,そのいましめを受くるをいとふこと勿れ,それエホバはその愛する者をいましめ給ふ,あたかも父のその愛する子をいましむるが如し」。―箴言 3:11,12。

      31 次の記事の中では,全地のエホバの証者の行動やそのとりきめの一端を紹介し,エホバの証者が義の薫陶を受けていることを示したいと思います。こらしめの価値を知る人にとって,学ぶところがあると思います。

  • こらしめを受け入れて固く立つ
    ものみの塔 1963 | 9月1日
    • こらしめを受け入れて固く立つ

      1 どんな歴史の事実から見て,今しっかり立つことが必要ですか。

      「しっかりと立場を定めている」あるいは「方角が定まっている」― これが固く立つことの意味です。世界のハルマゲドンに首尾よく対決するには,固く立つことが必要です。ペテロは,サタンの世,その天と地のすべてが崩壊することを考え,クリスチャンの兄弟に次のように書き送りました。「愛する者たちよ。それだから,あなたがたはかねてから心がけているように……あなたがた自身の確信を失うことのないように心がけなさい」。(ペテロ後 3:11-17,新口)永遠の生命への道を歩み通し,神に喜ばれる行いをして何時までもエホバを崇拝するには,こらしめによって固く立つことが必要です。なぜかと言えば,忠実を保つかどうかが問題なのです。―ヘブル 10:38,39。

      2 どんな事柄に関してしっかりした立場をとることを望みますか。

      2 生命に至るクリスチャンの道は,エホバのわざと崇拝 ― 宣教にあります。エホバの御国と崇拝に反対するいろいろな要素が,生命に至る道をふせぐ障害物となっています。それでこれらを克服して行かねばなりません。エホバ神の恵みにより忠実を固く守る人は,それを克服できます。エホバの証者は,忠実をためすさまざまの試練に会います。困難な事態の下でエホバの証者はどのような努力をし,またどのように障害物を見ますか。

      物質主義に抗して固く立つ

      3 物質主義とは何ですか。

      3 放縦な物質主義はクリスチャンにとって危険なものであり,げんに世界中の人々を悩ましています。物質主義に抵抗して固く立つ人は,エホバを崇拝することを第一にして日々を過す人です。次のことに注目して下さい。物質主義に陥るのは,必ずしも富んだ人とは限りません。これは何を愛するかという問題です。エホバ神を愛し,エホバを崇拝して御国を第一にする人,「まず神の国と神の義とを求め」る人は,その事を必らず日々の生活にあらわします。肉の欲を満足させることに心を向け,またそのために

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