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私たちの責任に目ざめなさいものみの塔 1961 | 5月15日
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17 この経験は,私たちをどのように援助しますか。
17 弟子たちはこのとき奉仕の特権をとられませんでした。しかし後になって,彼らは最後のときにイエスとともに目ざめていなかったことについてふかく後悔したにちがいありません。それは私たちにとって良い警告です。この終りのときに私たちは二重に目をさましていることが必要です。それは,彼らと同じように叱責をうけないようにし,または奉仕の特権を失わないためです。それで,兄弟たちが祈りや研究のために御国会館で集まっているとき,家で眠っているようなことがないようにしましょう。おそらく,イエスが弟子たちに助言したように,ある人はあなたに助言を与えるかもしれません。(詩 13:3)むしろ,私たちはエホバからいただいたすばらしい信用を守って,研究しつづけましょう。また集会に出席しつづけましょう。そして,私たちに割当てられている奉仕に参加しつづけましょう。―テサロニケ前 5:21,22。
家族と会衆の責任
18 両親は自分の子供たちを霊的に援助するため,何をすることができますか。
18 クリスチャンの両親に課せられている責任の一部は,自分の家族の霊的な福祉を良く見ることです。愛の心を持つ両親はみな,自分の子供たちに対して深い責任を感じます。彼らは昼も夜も子供たちの必要物に目ざめています。子供の幼少のときでも両親は忍耐づよく子供たちを世話し,やしない,衣服を着させ,教え,援助して,子供たちが自分の身の守りをすることができるまで,その成長を援助します。賢明な両親は,生命に必要な物質を供給するだけでなく,子供たちの霊的な福祉にもふかい考慮を払い,子供たちを援助してその創造者のことと,創造者に奉仕する特権を学ばせます。(エペソ 6:4)両親が子供たちに聖書を読んだり,子供たちといっしょに研究したり,子供たちを集会や,野外の御国奉仕に連れて行って,このことを卒先指導するなら,子供たちはその指導によろこんでしたがうでしょう。(箴言 22:6)聖書の訓練は,子供の霊的な福祉にきわめて大切なものです。それで,両親は,子供たちを教える責任を他の者に渡してはなりません。新しい世の社会の会衆内の僕には,会衆を指導して,会衆を霊的に援助する責任があります。同様に両親は自分たちの家族に対して責任を持っています。両親は家族の監督あるいは僕たちです。賢明な父親は,自分の家族の宗教的な訓練を卒先して行ないます。あなたはこの責任に目ざめていますか。
19 両親は子供たちをどのように教えることができますか,なぜそれはそんなにも大切ですか。
19 子供たちにエホバ神の目的を教えることは,週の安息日までのばしてはなりません。むしろ,それは1週間の毎日,朝も昼も夜も行なわれる責任でなければなりません。このことについての聖書の助言は,申命記 6章5-7節に記録されています,「なんぢこころをつくし精神をつくし力をつくして汝の神ヱホバを愛すべし 今日わが汝に命ずるこれらの言は汝これをその心にあらしめ つとめて汝の子どもに教え家に坐する時も路を歩む時も寝る時も起る時もこれを語るべし」。もし神のいましめがあなたの心の中にあるなら,あなたはそのいましめを子供たちに教えることができるでしょう。しかし,あなたは御自分の知らないことを子供たちに教えることはできません。またあなた御自身でしないこと,あるいは良い結果が得られるとのぞめないものを子供たちにしなさいと語ることはできません。ノアが箱舟建造のわざに卒先指導したことを忘れてはなりません。彼は息子たちの援助をうけつつその仕事をしました。あなたは御自分の家族に同じことをすることができます。あなたが個人的に教えたり,卒先して奉仕の指導をしたり,また開拓奉仕にはいるよう彼らをはげますことにより,真理の良い,健全な基礎知識を得させるようにしなさい。あなたの家族は,長なる宮の検閲者による最終的な検閲をうけるのに準備をととのえねばならないのです。それで,イエスの指示にしたがって,「見張りつづけ」あなたの家族を真理に目ざめさせ,奉仕に進歩させつづけなさい。
20 クリスチャンである僕の持ついくらかの責任は何ですか。
20 家族のかしらが,指導卒先して正しいクリスチャンのかしらの地位を行使することによって,家族に対する自分の責任の認識を示すなら,その人はクリスチャン会衆内の僕として奉仕の特権をうけることができると示します。そのような場合には,小さな家族の福祉が関係するだけでなく,会衆の福祉も関係するのです。それで,僕たちは特に霊的に目ざめている責任を持っています。僕たちは聖霊によって油そそがれているゆえ,エホバに責任を負わねばなりません。羊の群れをみちびいて守るとき,僕たちに援助がないわけではありません。物事を神権的に扱うためにエホバの御言葉があり,また彼らに助言を与えて彼らを援助するエホバの制度があります。(イザヤ 50:4)僕たちは欠点のないものであって,外部の人々から非難をうけてはなりません。日々,神の律法を読んだイスラエルの王のように,今日神の民のなかに監督として,僕として任命される者は,聖書を知らねばなりません。彼らは真理を無料で他の者と分かち,光を照らす星のように光をかがやかしてすべてのものに見させます。迷える羊を探し出す良い羊飼のように,僕は集会に出席している者だけに注意を払わず,集会に欠席している者にも注意を払います。それらの者たちを訪問して,援助するためです。羊の群れは神のものであると,良い僕は知っています。彼は羊の群れをエホバからゆだねられたものとして扱います。―テサロニケ前 5:14,15。
21 どんな出来事は私たちを目ざめさせますか。どんな助言が与えられていますか。
21 地をおおう霊的な雲がますます黒くなって行くいまこそ,新しい世の社会の楽しむ光に来るべき時です。この真理の光は,キリストが1914年に天で御座について以来ますます明るくなってきました。「日の出る方から来る王たち」エホバ神とキリスト・イエスは,諸国民をハルマゲドンの大いなる戦争に集める準備をしています。その戦争のときに中立の立場はなくかくれる場所もありません。時代についてのイエスの詳細なしるしから分かる聖書的なすべてのしるしは,ちょうど私たちに警告と保護を与えるためにはっきり鳴りひびく神からの目ざましの音のようです。(ヨエル 3:12-17)いまは,幾年ものあいだ良いわざをしてきたからといってつかれを感ずる時ではなく,また生活の重荷で速度を落とす時ではありません。むしろルカ伝 21章34,35節(新口)にあるイエスの言葉を記憶しなさい,「あなたがたが放縦や,泥酔や,世の煩いのために心が鈍っているうちに,思いがけないとき,その日がわなのようにあなたがたを捕えることがないように,よく注意していなさい。その日は地の全面に住むすべての人に臨むのであるから」。
22 霊的に目ざめている人々は,何を待ちのぞむことができますか。
22 他の者の妨害をうけるために,あなたがエホバ神の奉仕という開かれた戸からはいれない,などということがあってはなりません。あなたが時代の緊急性を認識していること,あなたがエホバに愛を持っておられること,およびあなたの学んだ真理を愛しているということをエホバに示しなさい。真心こめて御国奉仕にはげむことにより,それをあなたの隣人と分かちなさい。これは終わってしまうわざです。それで,いま楽しみなさい。(エレミヤ 31:34)諸国家と共々にハルマゲドンの滅びをうけるのをさけるため霊的に目ざめていなさい。幸福な者たちの中にいなさい,時代に目ざめていなさい,エホバの制度の一部としてあなたの家族および会衆と共々に,奉仕する機会に目ざめていなさい。そうするなら,あなたもエホバの是認を受けて,キリストがハルマゲドンの検閲をする後の新しい世で生命を得るでしょう。これは信仰を持つ人々に対する幸福な将来であります。
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実を結んだパンフレットものみの塔 1961 | 5月15日
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実を結んだパンフレット
ひとりの特別開拓者は次のような経験を話しています,「ある日私は,八百屋のカウンターのうしろで働いていたひとりの娘さんに,マダガスカル語の「新しい世における生命」というパンフレットをあげました。つぎにその店を訪ねた時は,その娘さんは店をやめてほかのところで働いているということでした。2ヵ月のち,そことは別の場所で買い物をしていた時,ある店で働いていたその娘さんを見つけました。この機会を利用して私は,あのパンフレットを読んだあとの感想を娘さんに聞いて見ました。彼女は,非常に興味を感じました,家に来て家族の者にもその新しい世のことを説明してやって下さいませんか,と言いました。勉強が取りきめられ研究がはじまりました。この研究には,5人が定期的に参加し,2年間つづきました。その娘さんは,御国会館での集会に出席する必要を悟りました。また,地域大会で洗礼を受けて,いまでは開拓者として奉仕しています」。これはみな1枚のパンフレットからはじまったことでした!
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