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  • ヱホバの民の監督
    ものみの塔 1957 | 9月15日
    • を惹かしめ,そして私たちを援助してそれらの提案を実際に行わせます。その『奴隷』や他の任命された監督たちは,聖書を書くために用いられた者の場合とはちがつて,霊感を受けている者ではありません。しかし,会衆内の者たちは,それらの者の占める地位に対して正しい尊敬を示します。すなわち,それらの者の与える助言に答え応ずることによつて尊敬を示すのです。なぜなら,これこそ現在の神の民を教えるヱホバの御準備であると,知つているからです。―ヘブル 13:7,17。

  • 新世社会内の責任を受け入れる
    ものみの塔 1957 | 9月15日
    • 新世社会内の責任を受け入れる

      『小事に忠実な人,は大事にも忠実である。そして,小事に不忠実な人は大事にも不忠実である。』― ルカ 16:10,新口。

      1 新しい世の社会にあつて,奉仕の割り当てを受けることに対する私たちの見地はどのようですか。

      ヱホバの新しい世の社会を正しく認識すると,人はその社会内で奉仕することを幸福な特権とも認めます。ダビデは,奉仕についての自分の感情をこのように良く表わし示しました,『なんじの大庭に住まう一日は千日にもまされり。我は悪の幕屋におらんよりはむしろ我が神の家の門守とならんことを願うなり。』(詩 84:10)イエスは,古い世にいる者たちの負う不幸な重荷と対照しつつ,次のように言われています,『私は柔和で心のへりくだつた者であるから,私のくびきを負うて私に学びなさい。そうすれば,あなた方の魂に休みが与えられるであろう。私のくびきは負いやすく,私の荷は軽いからである。』(マタイ 11:29,30,新口)責任が与えられて,そして自分の兄弟たちに奉仕するため多くのことができるのは,真のクリスチャンにとつてよろこびであります。

      2 どのように,そしてなぜ,人は「監督の職を望む」ベきですか。

      2 テモテ前書 3章1節には,こう書かれています,『もし人が監督の職を望むなら,それは良い仕事を願うことである。』(新口)もしそれが正しい事であるなら,私たちはそうしたいと欲します。どのように? 制度内で自分の頭角を表わすとか,地位を狙つて運動をするということによるのではありません。この制度は絶えず増大して行く制度であつて,御国の事柄を監督する僕たちは,ますます多く必要になつて来ているのです。それですから,新しい会衆が形成されたり,又は会衆内の新しい奉仕中心地が組織されると,その責任を担う円熟した兄弟がもつと必要になつて来ます。あなたは奉仕するだけの資格を身につけますか。あなたは,ヱホバに仕えようと献身したとき,『我ここにあり,我をつかわしたまえ』と言われました。(イザヤ 6:8)いま,ヱホバ神にむかつて述べたその言葉通りに行うのは,あなたの義務であります。あなたは,次の事実を十分良く気づいています,すなわち聖書に記されている要求に適わないなら,あなたはヱホバの民の会衆の監督としてヱホバの代表者にもならず,またヱホバからつかわされることもないでしよう。それですから,あなたは円熟を目がけて熱心に励み,監督に対する高い要求にかなうよう絶えず一生けんめいに努めなければなりません。(ヘブル 5:12–6:3)そして,監督が必要になると,ヱホバはあなたをつかわすでしよう。あなたはヱホバの御言葉に述べられている通りの人だからです。しかし,たとえその必要が直ぐに起きなくても,損をするということはありません。新世社会の円熟した奉仕者は,みな任命された僕たちと全く同じく制度の発展に深い関心を持つべきです。それですから,任命された人々には心から進んで協力をなし,神権的な仕方で業を拡大するために自分の能力を用います。

      3 将来の発展のために,どんな準備が賢明にも設けられていますか。

      3 会衆内の監督たちも,同じように進歩的な見方を持ちます。そして,僕の地位を良く果す兄弟たちがもつと必要になる時が来ると,認識しなければなりませ

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