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霊的なパラダイスに関する約束世の苦難からの人間の救いは近い!
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の宗教状態とは全く対照的な霊的パラダイスに招じ入れられることになりました。こうして,国際的に憎まれたそれらの人たちは霊的な魅力を与えられ,エホバに賛美をもたらしました。
44 (イ)霊的なイスラエルの残りの者は,最初知らなかった「国民」をどのようにして「呼び」ましたか。(ロ)そうする際に,彼らは自分たちの神のみ名をどのように十分顕著なものとしましたか。(ロ)他の人たちは何に動かされて霊的なイスラエルの残りの者のもとに走って来て,エホバのクリスチャン証人となりましたか。
44 それで,西暦1919年以降,霊的なイスラエルの残りの者は,ますます多くの国の民に「王国のこの良いたより」を宣べ伝えることによって,最初自分たちの知らない「国民」を呼び始めました。(マタイ 24:14)彼らは自分たちが神の名によって呼ばれるゆえに忌避されることを恐れるどころか,幾年にもわたって神のために世界中で証しを行なった後,自分たちのためにエホバの証人,つまりそのクリスチャン証人という適切な名称を採用しました。これは1931年7月26日,日曜日,オハイオ州コロンバスで開催した国際大会で始まりました。キリスト教世界にさえ神のみ名に対する偏見があったにもかかわらず,神を探し求める大勢の人びとは霊的イスラエルの残りの者のもとに走って来はじめました。彼らは霊的なイスラエル人の残りの者のうちに,キリスト教世界や異教世界が見分ける,もしくは認めることをしなかった霊的な美しさを見たのです。そして1935年の春以降,幾百人もの群れをなして走って来るようになりました。彼らは,残りの者の成員がエホバの恵みを得る立場に回復されて以来享受していた霊的なパラダイスを享受したかったのです。そして,非難を恐れることなく,彼らもまた,エホバのクリスチャン証人という名称を受け入れました。
45,46 (イ)世界的紛争にもかかわらず,エホバの崇拝者たちの人数はどれほど増えましたか。(ロ)彼らは現在どんな祝福にあずかり,また将来のどんな見込みを持っていますか。
45 以来,これまでの年月中ずっと,あらゆる国籍の人たちが残りの者のもとに走ってやって来る事態は続いています。一層大きな世界的紛争となった第二次世界大戦さえ,崇敬と奉仕を受けるにふさわしい神を探し求める人たちが走ってやって来るのをとどめるものとはなりませんでした。彼らは残りの者を助けたので,「招き」の言葉はますます多くの土地や区域に広められ,「ああ,渇いている者は皆,水に来なさい」という威厳のある招きの言葉によって霊的パラダイスの霊的な宴に注目させられる人びとは幾千人となく増えています。
46 走ってやって来る人たちは増加して,最終的な人数の知られていない「大群衆」となっています。(啓示 7:9,10)イザヤ書 55章3節(新)が,「聴きなさい。そうすれば,あなたがたの魂は生き続けよう」と勧める通り,彼らは霊的に生きるようになりました。このことには,大いなるバビロンとこの世の事物の全体制が消滅する来たるべき「大患難」を肉身のままで保護されて生きて通過することも含まれていると考えられます。霊的なパラダイスは存続し,その幸福な住民は生き残って,エホバに賛美を,そしてそのメシアの王には誉れをもたらすでしょう。―マタイ 24:21,22。啓示 7:14。
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霊的なパラダイスに入るための必要条件世の苦難からの人間の救いは近い!
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7章
霊的なパラダイスに入るための必要条件
1,2 霊的なパラダイスに入るには,イザヤ書 55章6,7節に述べられているどんな必要条件を満たさねばなりませんか。
霊的なパラダイスに入る道は依然として開かれています! 入ってそれを享受するようにとの招きの言葉は依然として世界中で鳴り響いています! その招きの言葉を聞く人が入りたいと願う場合,何が求められますか。霊感を受けて記されたイザヤ書 55章の預言の言葉はさらに,その必要条件を次のように美しく述べています。
2 「あなたがたは,エホバを求めなさい。見いだせるうちに。近くにおられるうちに,呼び求めなさい。邪悪な人は己の道を捨て,害を加えようとする人は己の考えを捨て去りなさい。そして,エホバに帰りなさい。あわれみをかけてくださるであろう。わたしたちの神に帰りなさい。豊かに赦してくださるからである」― イザヤ 55:6,7,新。
3 (イ)なぜ今は「エホバを求める」べき時ですか。(ロ)どんな意味でエホバは「近くに」おられますか。
3 西暦1914年以来,わたしたちはこの世の事物の体制の「終わりの時」代に生活してきましたから,有利な仕方でエホバを見いだせる期間として残されている時間は,今や非常に短くなっています。それで,今こそエホバを求めるべき好機です。が,エホバを見いだすために遠くまで行くには及びません。依然として,誠実に求める人の届く近いところにおられるのです。ゆえに,今はまた,エホバを呼び求めるべき時です。声の届かぬ所におられるわけではありません。「〔エホバ〕の大いなる恐るべき日」の前の今は,「すべて〔エホバ〕の名を呼ぶ者は救われる」という励みを与える言葉が当てはまる時です。―ヨエル 2:31,32,口語〔新〕。ローマ 10:13。
4 (イ)「邪悪な人は己の道を捨て(去りなさい)」という必要条件の意味を説明しなさい。(ロ)『害を加えようとする考え』を捨て去ることには何が関係していますか。そうするのはなぜ重要なことですか。
4 こうしてエホバを求めるに際し,またそのみ名を呼び求めるためには何をすべきかをわたしたちは告げられています。自分の生活の仕方,また心の状態と大いに関係のある自分の考え方に注目しなければなりません。このことは,「邪悪な人は己の道を捨て,害を加えようとする人は己の考えを捨て去りなさい。エホバに帰りなさい」という勧告の言葉に示されています。(イザヤ 55:7,新)確かに,もし邪悪な人がエホバを求めて見いだし,エホバを呼び求めて受け入れていたたきたいと願うのであれは,その人は自分の邪悪な道を捨て去らねばならなかったでしょう。エホバは邪悪を憎まれます。邪悪な人はまた,害を加えようとしますから,その人の考えは他の人びとに危害を加えることを企てるものです。したがって,そのような人は,慈悲深い神であるエホバを求めるには,自分の考えを害を加えようとする意図のそれから,有用で有益な考え方に変えなければなりません。「邪悪な者たちの犠牲は忌むべきものである。まして,不品行を伴ってそれを持って来る時はなおのこと」という箴言 21章27節(新)の言葉の中で神が言っておられることを真剣に考えねばなりません。義の神の是認なさる道や考えこそ,神の崇拝者また僕たちの霊的なパラダイスに入るための必要条件なのです。
5 (イ)「エホバに帰りなさい」という言葉の示す必要条件は,流刑に処された古代のユダヤ人にどのように当てはまりましたか。(ロ)その必要条件に留意した人たちの前途にはどんな見込みがありましたか。
5 害を加えようとする邪悪な人については,こう言われています。「そして,エホバに帰りなさい」。これは害を加えようとする邪悪な人が,エホバから離れ去って悪くなっていたことを示しています。かつては,エホバと平和で親密な良い関係を持っていたのです。古代のイスラエルはバビロンに流刑に処される時までそのような状態でした。が,預言者イザヤはその預言の中で早くから彼らが流刑に遭うことを予言していました。それで,「エホバに帰りなさい」という勧告の言葉はそれが最初に,また直接適用されるものとしては,バビロンに流刑に処されていたユダヤ人に宛てたものでした。彼らは自分たちの故国の荒廃と異教バビロニアで流刑に処される事態をもたらした自分たちの不行跡や悪事を悔い改めねばなりませんでした。その故国は限られた期間つまり七十年間荒廃したままになり,次いでバビロンから解放されるユダヤ人の,神を恐れる忠実な残りの者が再びそこに居住することになっていました。バビロンから解放される定めの時が近づくにつれ,流刑の身のユダヤ人にとって,故国に帰ってそこをパラダイスに変える特権にあずかる人のひとりになるよう用意するのは,いよいよ望ましいこと,そうです,急を要することとなったでしょう。
6,7 (イ)預言者ダニエルはイザヤ書 55章7節と一致してどんな行動を起こしましたか。そのような行動はどうして適切でしたか。(ロ)ユダヤ人の残りの者とその僕たちはいつ故国に帰りましたか。
6 エルサレムとユダが荒廃する11年も前に流刑の身としてバビロンに捕らわれていた年老いた預言者ダニエルは,イザヤ書 55章7節
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