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  • あなたは楽園での生活を受け入れますか
    ものみの塔 1984 | 2月15日
    • あなたは楽園での生活を受け入れますか

      楽園! この言葉からあなたは何を連想しますか。現実ですか。それとも夢ですか。地上で起こり得る事柄ですか,それとも,キリスト教徒,ユダヤ教徒,イスラム教徒と称する多くの人々が信じているような,死後の祝福された状態の単なるシンボルでしょうか。

      実は,イエス・キリストが楽園<パラダイス>について語っておられるのです。ご自分の傍らで杭に掛けられていた悪行者に向かってイエスは,「今日あなたに真実に言いますが,あなたはわたしと共にパラダイスにいるでしょう」と言われました。(ルカ 23:43)ですから,楽園に関する事実を知るのはわたしたちにとって重要なことです。

      楽園といえば,聖書に出て来るエデンの園を連想する場合が多く,明確な地理的場所と関係のあるものというよりも,むしろ神話的なものとみなす人が少なくありません。あなたはどのようにお考えですか。聖書の創世記に示されているように,小アジアには人間の最初の住みかとして特別に設けられた地域が本当にあったのでしょうか。

      興味深いことに,楽園だったエデンの園に関する聖書の記述は,「むかし,遠い国に……」といったあいまいな表現で始まってはいません。それどころかエデンについて教えている聖書中の書は正確な期間について述べ,聖書全体を通してたどることのできる年代と家系の基礎を確立しています。(ルカ 3:23-38。聖書百科事典である「聖書理解の助け」,英文,333-348ページ参照。)聖書はまた『エデンの中の東のほう』の特定の地域と,「エデンから発して」四つの川となったある川のことも明らかにしています。今日,その四つの川の二つはユーフラテス川とチグリス川であることが分かっています。そのことから推すと,エデンはメソポタミア平野の北部,そして東部トルコのワン湖の南部にあたる,現在は山岳地帯になっているところにあったということになるでしょう。―創世記 2:7-17。

      聖書の記述によると,最初の人アダムは,一つの園,つまり公園のような環境に置かれ,その周囲には命を支えるのに必要な物がすべてあったことが分かります。植物や,「見て好ましく食物として良いあらゆる木」が豊富にありました。そのようにさまざまな種類の木があったとなると,その園もしくは公園は小さなものでなかったと思われます。

      楽園にあこがれる人間

      現代になって人間は多くの大都市の中やその周辺に庭園や公園を造ってきました。なぜでしょうか。都会に住む人々は,自然に触れて清々した気持ちになりたいと思うことが多いからです。美しい公園や庭園に足を踏み入れる時,そしてとりわけ草木が花をつけている時に,わたしたちは時々どんな反応を示すでしょうか。「まるで楽園だ!」と叫びます。そのような楽園の環境の中で生きられることをわたしたちは本当にうれしく思います。そうです,それはまさしくエデンの楽園という公園における人間の起源にまでさかのぼる自然の欲求なのです。

      これこそイエスが,ご自分の傍らで死んでゆく悪行者の前に置かれた希望です。イエスはその悪行者に,「今日あなたに真実に言いますが,あなたはわたしと共にパラダイスにいるでしょう」と言われました。(ルカ 23:43)ここでイエスはその悪行者に,あるいはその悪行者のいわゆる不滅の魂なるものに,天的運命を約束しておられたのではありません。ご自分の王国の支配下にある楽園<パラダイス>の地での地的な永遠の命を差し伸べておられたのです。あなたはその約束にどのように応ずるでしょうか。―マタイ 6:9,10。ヨハネ 5:28,29。使徒 24:15。

      あなたは500年の寿命をもらいますか

      面白いことに,「今日の心理学」という雑誌は最近,「これを飲むと500年は生きられるという錠剤があって,だれかがそれをくれると言ったら,あなたはもらいますか」という,上記の点と幾分関係のある質問を読者に投げかけました。もちろん,完全な健康を得ることや楽園の状態については何も言われていませんでした。しかしどんな反応があったでしょうか。50%以上がその錠剤をもらうと言ったのです。多くの人は「もっと多くのことを成し遂げたい,もっと多くのことをしたい,もっと人生を楽しみたい」と言いました。ある男性はごく簡単に,「生きることが好きだ」と言いました。また,「生きるのはとても楽しいことです。やることが多すぎて時間が足りません」と説明した女性たちもいました。あなたは生きることについてどう考えますか。あなたは生きることが好きですか。もし500年生きるのではなくて,楽園の状態の中で,しかも完全な健康を楽しめる永遠の命が得られるとしたらどうでしょうか。聖書はまさにその見込みを提供しているのです。―ヨハネ 17:3。詩編 37:11,29。イザヤ 33:24。

      その反面,同じ世論調査で,そんなに長く生きたくないと遠慮なく述べた人々もいました。なぜでしょうか。「ある人々は,人生はただ退屈なものと考えている」のです。エホバの証人も時々,神の目的は楽園の状態の地上で従順な人類に永遠の命を与えることですと説明すると,同様の異議を唱える人々に会うことがあります。ある人は,「楽園で永遠に生きて何をするのですか。生活は,比較対照してみるものも,挑戦もないものになってしまうでしょう。そんな生活は退屈です」と言います。

      本当にそうでしょうか。地上の楽園における永遠の命は退屈なものでしょうか。次の記事はこれらの質問に答えます。

  • 楽園での生活 ― 退屈なものですか
    ものみの塔 1984 | 2月15日
    • 楽園での生活 ― 退屈なものですか

      「人間の幸福には二人の敵がいる。それは苦しみと退屈である」。19世紀のある哲学者のこの意見にあなたも同感ですか。大抵の人は時々退屈になりますが,なぜでしょうか。

      退屈と言えば,「のろさ,繰り返し,長たらしさ」,「疲れた感じや不満の気持ち」などを連想します。仕事や活動が刺激のないもの,満足のゆかないものである場合に退屈な気持ちになることがよくあります。しかし退屈が主観的状態であることもまた事実です。ある人にとっては退屈なことでも,別の人にとっては心を奪われるほど魅力のあるものかもしれません。

      永遠の命は退屈なもの?

      人間の現在の状態とは対照的に,約束の楽園で命を得る人々はみな,置かれている環境によく合った,またその環境の造り主と一致した状態にあるでしょう。なぜなら,その人々は,楽園の環境の中で興味深い,そして実り多い生活を送る用意をするための適切な教育を受けるからです。どうしてそのようなことが分かるのでしょうか。預言者イザヤが霊感により,「水が海を覆っているように,地は必ずエホバについての知識で満ちる」と書いているからです。確かに地上の楽園の永遠の命を本当に楽しむためのかぎとなるのは,人類の最高の恩人であるエホバについての知識です。―イザヤ 11:9。

      完全になった地球は全体が偉大な創造者のすばらしい特性を反映することでしょう。従順な人類は神に対して深い愛を抱き,それゆえに,地上に縮図的に示されている神の道と知恵を知りまた理解したいという気持ちを持つでしょう。今日でさえ不完全な人間が自然の驚異と複雑さを研究して驚嘆しているのです。しかし,どんな分野においても同じですが,最も優れた専門家でも決して満足しません。さらに深く知りたいと常に考えています。そして,知るべきことがなくなることはありません! 人間の理知と,飽くことを知らない好奇心とはそのようなものですから,永遠に生きても興味は尽きないでしょう!―ヨハネ第一 4:7,8。

      不完全な状態のもとにある現在においてさえ,この事実を示す良い例があります。それは世界的に有名なクラシックギター奏者で90歳になるアンドレス・セゴビアの態度です。この人は生きることを退屈なものに思っているでしょうか。セゴビアは今でも世界を回ってコンサートを開いています。厭世的な人々を見てきたにもかかわらず,「彼はすこぶる意気軒昂で,仕事に打ち込んでいますから,退屈にはなりません」。セゴビア自身,「私は歴史の本や哲学書,あらゆる分野の芸術や音楽の本を読みまた勉強する」と述べています。確かに,学ぶべきことはまだ非常にたくさんあります。しかし,完全な地上の楽園では,学ぶべきことが今よりどれほど多くなるかを考えてみてください。永遠の命という喜ばしい見込みが回復すると,人類はそれらを学ぶための時間を得ることになります。

      アンドレス・セゴビアの場合はもう一つの点,つまり知識に対する人間の潜在的能力を示す例と言えます。心理学者のピーター・ラッセルは「頭脳の本」の中で次のように書いています。「我々の頭の中には,知られている宇宙の中でも最も複雑な仕組みの一つが入っている。……その潜在的能力を余すところなく使いこなしたと言えるような人間など一人もいない」。70年か80年ほどの限られた寿命では,頭脳のその潜在的能力は使われなかったも同然の状態です。「我々は精神の潜在的能力全体のわずか10%しか使わないとよく言われる。これも今では過大な見積もりのように思われる。我々は1%も用いないかもしれない ― 恐らく0.1%かそれ以下であろう」と,ラッセルは言います。病気や老化の圧迫から解放された楽園で,人間の頭脳に何が行なえるか想像してみてください!

      千年計画

      次のことを認めなければなりません。それはつまり,今日多くの人にとって生活が退屈なものになっているのは,思いに何の変化も刺激も与えない決まりきった仕事に閉じ込められているからにすぎないということです。しかし,聖書が,キリストによる神の王国の支配下における永遠の命と言う場合,それは現代人が全く知らない生活様式を指しているのです。まずこの王国政府は,現代の幾つかの国が立てているような5か年計画ではなく,千年にわたる準備期間を持っています。しかもそれは始まりにすぎません。この目的は聖書のいろいろな部分で説明されており,さまざまな活動の行なわれることが予想されて興味深いものがあります。それらの活動はすべて建設的なもの,また創造的なものでしょう。―啓示 20:1-7。

      行なうことや学ぶことが非常にたくさんあり,それに加えてどちらに対する動機づけも強いものであるため,「退屈」という語は忘れられてしまうでしょう。例えばエホバは,「地を破滅させている者たちを破滅に至らせる」ことを約束されました。(啓示 11:18)これは,破滅した地をきれいに片づけなければならないことを意味します。地球を元の美しい,清い状態に戻すための膨大な仕事を考えてみてください。スラム街や家屋密集地域を取り除き,地球の川や海の汚染を浄化しなければなりません。従順な人々は,神と隣人に対する愛に動かされて,この大仕事に喜びをもって参加するでしょう。

      建て,植え,教育する計画

      楽園の環境の中で,今日見られるような住宅問題があることは当然考えられません。老朽した家屋や貧民街や路上のごみごみした状態の中で生活することを実際にだれが望むでしょうか。ほとんどの人は自分の家や耕地を持つことを喜ぶでしょう。それこそ,いま神に忠節を示す人々に神が約束しておられることなのです。最終的結果として地球は,意義ある生活に満足した,そして他の人々に仕えることから喜びを得る幸福な人々の住む楽園となるでしょう。―使徒 20:35。

      神は「新しい天と新しい地」を保証されましたが,これは,何百万もの人々にとって生活状態が完全に変化することを意味するでしょう。イザヤは次のように預言しました。「彼らは必ず家を建てて住み,必ずぶどう園を設けてその実を食べる。……わたしの民の日数は木の日数のようになり,わたしの選ぶ者たちは自分の手の業を存分に用いるからである」― イザヤ 65:17-23。ペテロ第二 3:13。

      これらの約束は,西暦前537年にユダヤ人が彼らの土地に帰還したことで小規模な成就を見ました。この20世紀に,これらの約束は霊的な方法ではるかに大規模な成就を見つつあり,地を治めるキリストの王国の千年統治期間中の生活がどのようなものかを示唆しています。イザヤの言葉をいま分析してみると,その言葉は意義深い活動や創造的な業がなされることを暗示していることがすぐに分かります。建てたり,植えたりするこの計画は長期にわたるでしょう。なぜなら,家はハルマゲドン生存者だけでなく,復活の時に徐々に戻って来る幾十億もの人々にとっても必要となるからです。建築技術の独創性やデザインの多様さの可能性は無限と言えるでしょう。―啓示 16:14-16; 21:3,4。

      復活そのものが何を意味するか考えてみてください。あなたの先祖が死人の中からよみがえらされるのです。あなたの家系があなたの目前で明らかになってゆくでしょう! 無味乾燥な記録によるのではなく,復活させられた先祖たちと話すことによってルーツや血統をたどることができるでしょう。それは確かに退屈なことではないでしょう!―ヨハネ 5:28,29。

      加えてキリストの王国の千年統治期間には,地球に対する神の目的の成就,および永遠の命に値する者となるためにしなければならない事柄に関して,復活させられた人々に最新の情報を与えるための世界的な教育計画が実施されます。エホバは,人類の変化した境遇にふさわしい,新しい指示をお与えになるに違いありません。ですから人々は,キリストの千年統治期間中に開かれる「数々の巻き物」の中に収められている律法や指示に従って裁かれるでしょう。―啓示 20:12。

      頭脳の潜在的能力を用いる

      では,千年統治期間中とその後の生活は退屈なものでしょうか。頭脳が持つすばらしい潜在的能力を思い出し,自分が今知っていることと,まだ知らないこととを比較してみてください。

      例えば,自分の経験からどれほど多くの動物,植物,昆虫の名を挙げることが,あるいはそれらを説明することができますか。20ですか。50,それとも100でしょうか。都会に住んでいて自然に触れることのない人々にとっては,それは啓発的な挑戦となるかもしれません。それでもある生物学者は,「[生物とその環境で成る]生物圏には500万種もの生物が住んでいる」と書いています。この500万種の地球の住人の名前を幾つほど挙げることができますか。例えば,生まれてこのかた何種類ほどの昆虫を見てきましたか。分類すると70万以上の種類になります。また,さまざまに異なる羽毛,造り,さえずりを持つ,すばらしい変化に富む鳥はどうでしょうか。あなたが見て分かる鳥は何種類ぐらいですか。今生きている鳥は8,600種に上ります。もし樹木がないとしたら人間はどうなるでしょうか。人間は食物や木陰,木材,燃料などを樹木から得ます。2万種に上る樹木をすべて知るにはどれほど時間がかかるでしょうか。

      それでもこれらは,人間の好奇心をそそる,幾千もの興味深い問題のほんの数例にすぎないのです。(ヨブ 38章,39章と比較してください。)問題の種類や深さも,人間の頭脳の収容能力にとっては問題にはなりません。実際に人間は,無限の潜在的能力を持つように造られている頭脳を持っているのです。したがって活発な探究心を授けられている人類は,退屈になる余地はありません。しかし必要なのは,その頭脳の潜在的能力にふさわしい十分な命です。そして神はまさにそれを,すなわち地上の楽園における終わりのない命を,従順な人類に約束しておられるのです。―ヨハネ 17:3。啓示 22:1,2。

      永久に生きても退屈ではない

      しかし楽園で期待できるものがもう一つあります。地球全体を少しずつ知るようになることです。国境もなければ旅行の制限もありません。国家的,人種的,部族的な狭量な物の見方はもはや存在しないでしょう。自分たちが一つの一致した人間家族に属するものであることをすべての人が認めるでしょう。旅行して,平和に暮らす全地の幾百万もの「兄弟たち」や「姉妹たち」を徐々に知るようになるのは,どんなに大きな喜びでしょう。それは終わりのない喜びの源となり,退屈の原因とはならないでしょう。

      この地球に関するエホバの次の約束と目的は完全に成就されます。「柔和な者たちは食べて満ち足り,神を求める者たちはエホバを賛美します。あなた方の心が永久に生きつづけますように。地のすべての果ては思い出して,エホバに立ち返ります。そして,諸国民のすべての家族はあなたの前に身をかがめるのです」。もしあなたが永遠に生きる柔和な者たちの一人になりたいと思われるなら,エホバの証人か本誌の発行者に遠慮なくご連絡ください。質問に無料でお答えいたします。そうすればあなたも地上の楽園で永遠の命を得る希望を持たれるようになるかもしれません。―詩編 22:26,27。テトス 1:2。

      [6ページの図版]

      あなたは,鳥や動物や魚や植物を何種類ほどご存じですか。楽園ではそのすべてについて学ぶ時間があるでしょう

  • イエスは再創造を約束する
    ものみの塔 1984 | 2月15日
    • 神のことばは生きている

      イエスは再創造を約束する

      使徒ペテロがイエスに向かって「ご覧ください,わたしたちはすべてのものを後にして,あなたに従ってまいりました。実際のところ,わたしたちのためには何があるのでしょうか」と尋ねています。これに対してキリストが与えた次の驚くべき答えを考えてみてください。『あなた方に真実に言いますが,再創造のさい,人の子が自分の栄光の座に座るときには,わたしに従ってきたあなた方自身も十二の座に座ります』― マタイ 19:27,28。

      ここでイエスがなさっている約束によると,ペテロと他の使徒たちは王座に座り,王としてイエスと共に支配します。しかしそれはいつのことでしょうか。「再創造のさい」と,イエスは言っておられます。この再創造とは何でしょうか。そしてそれはいつ実現するのでしょうか。

      聖書にはこの同じ時の事柄に関するルカによる記述がありますが,それを見ると「再創造」が何であるかを知ることができます。次のように記されています。「ペテロは言った,『ご覧ください,わたしたちは自分のものを後にして,あなたに従ってまいりました』。イエスは彼らに言われた,『あなた方に真実に言いますが,家,妻,兄弟……を後にした者で……来たらんとする事物の体制で永遠の命を得ないものはいません』」― ルカ 18:28-30。

      この聖句では,「再創造」は「来たらんとする事物の体制」と同一のものとみなされています。キリストが天で,ご自分と共に支配する者たちと栄光の王座に座られると,それに続いて義にかなった事物の体制の再創造が始まります。(テモテ第二 2:11,12。啓示 5:10; 14:1,3)神がエデンでわたしたちの最初の両親にどんな出発をおさせになったかを考えると,再創造がどんなものかを想像することができるでしょう。

      エホバ神は最初の人間夫婦,アダムとエバを完全な者に造り,エデンの園に置かれました。そこは楽しみの楽園でした。人間に対するエホバの最初の目的は,人間が地上で永遠に生き,この絵にあるように真の平和と安全を楽しむことでした。しかし,反逆が起きてその最初の楽園は損なわれ,その結果,時がたつうちに今あるような邪悪な事物の体制ができ上がりました。

      地上に楽園を造るという神の目的は成就せずに終わるのでしょうか。いいえ,そのようなことは決してありません。人類がこの地上で生活を始めた時の義にかなった体制は再創造されるという,キリストご自身の約束があります。エデンの状態は回復され,その状態はやがて地球全体に広がるでしょう。こうして創造者は,永続する義の事物の体制を造るというご自分の最初の目的を立証されます。わたしたちは確かに,聖書に基づくこの見込みに喜びを抱くことができます。―詩編 37:29。啓示 21:3,4。

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