-
マリファナに関する民間神話目ざめよ! 1981 | 8月22日
-
-
神話 その4 「マリファナを吸うとより機敏になり,車の運転が上手になる」。
「酒を飲んだら決してハンドルは握らないが,陶酔感を味わっている時にはいつでもハンドルを握る。……実のところ,吸引したあとの方が上手に運転できるように思えることさえある」― 17歳のマリファナ吸引者。
事実 マリファナ吸引者が車を運転すると特に危険です。大抵の場合,自分たちの運転能力が低下していると思っていないからです。自分がどれほど危険な状態にあるかが分からず,時には運転能力が実際に向上しているとさえ考えます。
「ブリティッシュ・コロンビア大学のハリー・クロノフは64人の男女を対象に実験を行ない,ほとんどの場合にマリファナが運転能力を低下させたことを明らかにした」― ニューズウィーク誌。
「死亡事故を起こしたドライバーを対象に全米道路交通安全局の実施した一調査は,マリファナの使用が重大な要素になっていることを示している」― メディカル・トリビューン誌。
神話 その5 「マリファナは単純で,比較的軽い麻薬であり,アルコールと変わらない」。
事実 アルコールは,それに含まれる活性成分がエチル・アルコールだけであるという意味で,“単純な”薬物であると言えます。ごく最近の計算によるとマリファナには400種以上の異なった化学物質が含まれています。そうした成分の中にはどんな働きをするのか科学者たちには皆目見当のつかないものもありますが,あるものは危険であることが知られています。
ベンゾアントラセンとベンゾピレンという有名な種類の発ガン性物質が,マリファナの煙の中にはたばこの煙より50ないし70%多く含まれています。
神話 その6 「今の若者たちが吸っているマリファナは私が若いころ吸っていたものと同じである」。
事実 今日のマリファナはほんの数年前のマリファナよりもずっと強いものになっています。「1975年当時,押収されたマリファナの平均的な試料には脳に影響を及ぼす化学物質THC(テトラヒドロカンナビノール)が0.4%しか含まれていなかった。昨年には,栽培方法が向上したため,その平均は4%になった。……効力が10倍になったわけである」― ニューヨーク・タイムズ紙。
「子供が薬物を用いているかどうか,どうしたら分かるでしょうか」。ニューヨーク健康保険協会は次のような手掛かりを挙げています。
□ ほかのだれもおかしいと思わないような事柄で大笑いする。
□ アルコールのにおいがしないのに酔っているように見える。
□ 空間を見つめて座っている傾向がある。
□ 食欲が減退し,急速に体重が減少する。
□ その反対 ― 激しく冷蔵庫をあさる。
□ 普通より遅くなっても家に帰らず,それについて尋ねてもあいまいな返答しかしない。
□ 麻薬文化に関する本や記事をしきりに読む。
-
-
人々はなぜ薬物に頼るようになるのですか目ざめよ! 1981 | 8月22日
-
-
第7部
人々はなぜ薬物に頼るようになるのですか
「驚くべきことであるが,米国の種々の研究は,白人の中流階級の主婦が精神安定剤乱用の主な志願者になっていることを示している」― マクリーンズ誌。
人々は何がきっかけで薬物に取りつかれるのですか
興味深いことに,動物実験は次の点を示しています。「薬物中毒は肉体の弱さというより,ストレスや孤独,社会の腐敗に対する反応である。……孤独な人,社会に適応できない人,自分が下積みの生活をしていると感じる人などは,定期的に薬物を使うようになることがずっと多く,薬物中毒になる可能性が極めて強い」― トロント・スター紙の社説。
「愛と中毒」の著者であるスタントン・ピール博士はこの見解を支持し,『薬物中毒に代わる唯一の道は自分で責任を取ることである。自尊心こそ唯一の治療法なのである』と述べています。
「猫もしゃくしも,それこそビールを数杯ひっかけてから帰宅する父親であれ,“その日を切り抜けるだけのために”医師に頼んでバリアムを数錠もらう母親であれ,だれもが薬を飲んでいる。……我々は10年前ほどそのことを気にしなくなっている。親の無関心は今や信じられないところにまで達している」― 社会事業家の言葉。
立派な模範で子供を守る
オンタリオ州の1万4,000人の学生を対象にしたカナダの調査は,家族生活と薬物乱用との間に緊密な結び付きがあることを示しています。
「母親が合法的に処方された精神安定剤を毎日用いている場合,その子供たちがマリファナを用いるようになる可能性は3.5倍,LSDや覚せい剤のようなものを用いる可能性は5倍になり,非合法の精神安定剤を用いるようになる可能性は7倍,催眠剤を用いるようになる可能性は10倍になる」。
一方,「その危険が低い家庭[子供たちが麻薬の問題をほとんど起こさない家庭]……は放任主義的な家庭ではなく,互いの交わりを楽しみ,一緒に笑い合えるような家庭であった。父親はき然としており,母親は愛情深いがそのいずれにも温かみがある。両親は宗教を持ち,はっきりした信念があり,自分たちの価値基準をためらうことなく子供たちに知らせていた。子供たちにはなすべき仕事が与えられ,門限があり,懲らしめが与えられ,親は子供の活動すべてに関心を抱いていた。父親はアルコール中毒ではなく,母親には精神安定剤を用いる傾向はなかった。親は,子供の意見を聴くが責任の所在をはっきりさせる良い聴き手であるとみなされている」― トロント・スター紙。
-