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二つの救いについての絵ものみの塔 1962 | 4月1日
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です。
イスラエルの初子の救い
8 (イ)10番目の災に対する保護として,イスラエルはどんな指示を守るべきでしたか。(ロ)どのようにそしてなぜこのことを記憶すべきでしたか。
8 エジプト中の人間と動物の初子は死ぬという最終的なおそろしいわざわいについて,モーセはパロに通告しました。その直後エホバはモーセに,イスラエル人全部の守るべき特定な指示を与えました。かんたんに言うと,どの家族もこの月 ― それから後この月は彼らにとって1年の最初の月になりました ― の10日に1匹の羊を取って,『月の十四日までそれを大事に守る』ことが要求されました。そのとき,その羊は殺されて,その血は家の戸の柱や鴨居に塗られたのです。その夜,「肉を火にやきてくらひまたたねいれぬパンに苦菜をそへて食ふべし」。また,彼らは次のように言われました,「腰をひきからげ,足にくつをはき,手に杖をとりて急てこれを食ふべし是ヱホバのすぎこしなり,その血なんぢらが居るところの家にありて汝らのためにしるしとならん我血を見るときなんぢらをすぎこすべし又わがエジプトの国を撃つ時災なんぢらにくだりて滅ぼすことなかるべし」。それから後,毎年の同じ日,イスラエル人は同じ奉仕を繰り返して行ない「この日をおぼえてヱホバのいはひびとなし世々これを祝いました。子孫たちがその意味をたずねるなら,彼らは次のように答えるべきでした,「是はヱホバのすぎこしのまつりなりヱホバエジプト人を撃ちたまひし時エジプトにをるイスラエルの子孫の家をすぎこしてわれらの家を救ひたまへり」。―出エジプト 12:1-14,27。
9,10 イスラエルの初子の救われたことは,全国民の救いにどのように関係していましたか。
9 それで,イスラエルの初子にはこの独特な方法で特別な救いが準備されました。彼らは,その夜実に危険な状態にいました。彼らの生命は危険にさらされていました。しかし,『過越の犠牲』の血によって,彼らは過越され,突然の死から救われました。初子がこのように特別に救われたことは,紅海を横断してイスラエルの国民全部が救われたことに先立っていたことに,どうぞ気をつけて下さい。―出エジプト 12:21。
10 ヨハネは,イエスの死が「わたしたちの罪のためばかりではなく,全世界の罪のため」の犠牲であると書きました。それでは,前述のことによって,その言葉をどのくらい明白に理解することができますか。―ヨハネ第一 2:2,新口。
その絵の成就
11 ヘブル人に宛てた手紙の主題は何ですか。それはどのように初子に言及していますか。
11 これらのことの正しい理解は,私たちの想像や「勝手な解釈」にゆだねられていません。使徒パウロはヘブル人に手紙を書いたとき,明白にこう述べています,すなわち律法契約の下にいたイスラエルが行なったことは,「きたるべき良いことの影」であり,「比喩」として与えられました。まったく,これこそこの特定な手紙の中でパウロの述べている主要な論議です。律法とその規定および犠牲は,来たるべきすばらしいものを予め示したもの,あるいは予表したものであることを彼は繰り返し示しました。ヘブル書 1章6節で,彼はイエスを神の「初子」と言っています。彼はたしかにそうです。後のところで,彼は類似の関係を持つ一群の人々について述べています。彼は彼らのことを「天に登録されている初子たちの会衆」と述べています。―ペテロ後 1:20。ヘブル 10:1; 9:9; 12:23,新世。
12 ヘブル書 12章23節に述べられている初子はだれですか。
12 これらの人々はどんな人たちですか。彼らは真のクリスチャンであり,群れとして「生ける神の会衆なる神の家」を構成します。彼らは「大祭司」なるキリスト・イエスと共に「天的な召にあずかる者たち」です。神の忠実な御子であるイエスは,神の建てた家のかしらに任命されています。そして,パウロが仲間のクリスチャンたちに告げているごとく,「わたしたちは神の家なのである」。―テモテ前 3:15。ヘブル 3:1-6,新口。
13 キリスト教国は真の教会の成員についての安全な指標ですか。
13 これらの聖句から判断するとき,それはキリスト教国のどれかの教会にはいって,会員名簿にのせられるものでないことは,はっきり分かります。ある地的な宗教制度によって,真の教会の一員になることはできず,また聖徒として認められることはできません。「御旨のままに,肢体をそれぞれ,からだに備えられた」のは,「万民の審判者なる神」です。イエス自身も,御国が与えられる者たち,そして天の御座で彼とともにあずかる者たちは「小さな群れ」なる少数者であると言われました。すると,教会員であり,教会に出席しているという理由にもとづいて,クリスチャンと称する幾百万という人々は,この群れの中にはいれません。また,ミサとか聖餐式として良く知られている主の夕食に定期的にあずかっているだけのクリスチャンも除外されます。―ヘブル 12:23。コリント前 12:18。ルカ 12:32。
14 イスラエルの初子によってだれが予表されましたか。どんな聖書的な権威にもとづいて?
14 真の教会,「初子の会衆」は,その夜エジプトで特別に救われたイスラエルの初子に相当し,予表されています。その聖書的な権威がありますか。たしかにあります。パウロは,「キリスト・イエスにあってきよめられた……コリントにある神の会衆」に手紙を書き送ったとき,特定な堕落の影響を捨てさるように彼らにすすめ,また律法により予表された事柄を論じつつ,次のように述べています,「わたしたちは,古いパン種や,また悪意と邪悪とのパン種を用いずに,パン種のはいっていない純粋で真実なパンをもって,〔種入れぬパンの〕祭をしようではないか」。真のクリスチャンがこのような象徴的な方法で,ただの1日だけでなく,1年の毎日この種入れぬパンの祭りをするどんな権威を彼は与えていますか。彼の次の答えに気をつけて下さい,「わたしたちの過越の小羊であるキリストは,すでにほふられたのだ」。―コリント前 1:2; 5:7,8,新口。出エジプト 13:6。
15 真の教会には,将来と現在の両方のために,どんな特別な救いが設けられましたか。
15 「きずも,しみもない小羊のようなキリストの尊い血」によるこの高価な犠牲により,二つの面においてこれらのクリスチャン初子たちは特別な救いを受けました。それによって,ペテロの述べるごとく,彼らが「わたしたちの主また救主イエス・キリストの永遠の国に入る」ことが保証され,「天にたくわえてある,朽ちず汚れず,しぼむことのない資産を受継ぐ」ことが保証されました。しかしそれだけでなく,実際の意味においては,信仰により,現在楽しめる救いをも意味したのです。パウロはそれを次のように述べました,「神は,わたしたちをやみの力から救い出して,その愛する御子の支配下に移して下さった。わたしたちは,この御子によってあがない,すなわち,罪のゆるしを受けているのである」。特に1919年以来,この群れの者たちはイザヤがあらかじめに告げた「暗やみ」と「暗黒」から救い出されました。彼らは人間でいても,同じ預言に述べられている御国に奉仕することと開明をいただくというすばらしい祝福を持ちました。―ペテロ前 1:4,19。ペテロ後 1:11。コロサイ 1:13,14,新口。イザヤ 60:1-3。
16 (イ)アブラハムのすえに関し,小さな群れはイエスとどのような関係にありますか,(ロ)このことは特別な救いを大きな絵にむすびつけることに,どう役立ちますか。
16 それで神の御言葉は,特に選ばれた会衆,「小さな群れ」を明白に指摘しています。彼らは,人類の他の者よりも先にキリストのあがないの犠牲の益をいただきます。すでに述べたごとく,イエスご自身は神の主要な初子です。しかし,彼のかしらの下に他の者たちも彼と密接にむすびつき,「初子の会衆」をつくりあげています。また,同様に,キリスト・イエスご自身はアブラハムの約束されたすえです。しかし,エホバの過分のご親切により,これらの初子たちは,「キリストにつく洗礼をうけて」「キリストに属している」ため,「真実にアブラハムのすえ」でもあります。このすえにより,「地の全国民は」神の御国を通し,ハルマゲドンで現代のエジプトからの偉大な救いを受けて後,「自らを祝福する」のです。それで,初子級の特別な救いについての小さな絵がまず示されて,大きな絵に先行しなければならぬということが,十分なっとくできます。その大きな絵が成就するとき,エホバに向かって「彼は高くあがめられた」という勝利のさんびの歌が歌われるでしょう。そのわけで,象徴的に言うと,彼は先ずエジプトにくだり,「御名を取られた」のです。―ガラテヤ 3:16,27,29。創世 22:18。出エジプト 15:21。サムエル後 7:23。
17 ヨハネ第一書 2章2節をどのように理解するべきですか。
17 それで,これらの初子たちに手紙を書いたヨハネの言葉の意味が分かります。イエスはまず「わたしたちの罪のための,あがないの供え物である。ただ,わたしたちの罪のためばかりではなく,全世界の罪のためである」。―ヨハネ第一 2:2,新口。
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親密で貴重な関係ものみの塔 1962 | 4月1日
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親密で貴重な関係
1,2 (イ)どんな面でイエスは彼の「兄弟たち」と親密な関係を持つようになりましたか。(ロ)このことは,主の夕食とどのようにむすびついていますか。
イスラエルの初子についての絵の成就を考慮するとき,ひとつの事柄がはっきり大うつしに示されます。それは,エホバによりイエスと初子の霊的な会衆のあいだにもたらされる,極めて親密な関係です。初子はアブラハムのすえの一部として彼とともにあずかります。ヘブル人に宛てたパウロの手紙をふたたび見ると,彼はヘブル書 2章10-18節(新世)でこのことを強調して,次のように説明しています,「多くの子らを(天的な)栄光に導くのに,彼らの救の君〔イエス・キリスト〕を,苦難をとおして全うされたのは」,ふさわしいことでした。これら多数の子たちは「血と肉とにあずかっているので,イエスも同様に同じものを備えておられる。それは死をもたらす手段を持つ者,すなわち悪魔をご自分の死によってほろぼし,……たしかにイエスは御使たちを助けられず,アブラハムのすえを助けておられる。そこで,イエスは,神のみまえにあわれみ深い忠実な大祭司となって,民の罪をあがなうために,あらゆる点において兄弟たちと同じようにならねばならなかった。主ご自身,試練を受けて苦しまれたからこそ,試練の中にある者たちを助けることができるのである」。
2 たしかにこれらの子たちは,約束されたすえの一部としてイエスと親密な関係を持っています。しかし,いま別の親密な類似点に注意をひきたいと思います。すなわち,イエスと彼の「兄弟たち」の両方とも「血と肉とにあずかる者」であることです。このことによって,主の夕食とそのときイエスの論じた真理は密接にむすびつけられます。その点を研究することは,前に約束しておきました。
3 イエスは弟子たちと共にこの最後の過越にどのように近づきましたか。
3 忠実なユダヤ人イエスは,ニサン14日の恒例の過越の祝いをいつも守ってきました。しかし,
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盲人が目あきに伝道ものみの塔 1962 | 4月1日
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盲人が目あきに伝道
トルトラにて
目がほとんど見えないある年配の兄弟が,どのように伝道し,文書を配布するかを聞くと,心の暖まる思いがします。その兄弟の御国会館は,人々が足しげくかよう道のそばにあります。彼は御国会館の石段にすわります。そして,足音が近づいてくると,その人に声をかけるのです。このような方法でその兄弟は,1ヵ月に43冊という多くの雑誌を配布することができました。それは,会衆の1ヵ月間の平均配布数の半分以上に当たります。その兄弟は,石段の上である人と一緒に研究さえすることができました。彼はその石段を自分の伝道区域と呼んでいます。―1962年のエホバの証者の年鑑(英文)より
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