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    ものみの塔 1961 | 7月15日
    • 忍耐を働かす

      「だから,兄弟たちよ。主の来臨の時まで耐え忍びなさい。見よ,農夫は,地の尊い実りを,前の雨と後の雨とがあるまで,耐え忍んで待っている」。―ヤコブ 5:7,新口

      1 だれが忍耐の神ですか。彼はどのようにそれを示しますか。

      エホバは忍耐を持たれる偉大な神です。この忍耐は,彼の大いなる愛とあわれみにもとづいています。エホバは,多くの場合にその過分の御親切と忍耐を表わし示されました。エホバは次のような方法でそれを示されました。たとえば,彼はノアの日に地を暴力でみたしていた人々に警告を与えました。また,モーセを用いてパロに通告し,エジプトの初子を殺す前に一連の災を送りました。またソドムとゴモラの人々に御使をつかわしました。預言者たちをイスラエルに送り,ついには御自分の御子をつかわしました。エホバの忍耐は,人間の短い歴史中に幾度も表わされました。人間は幾度も正義の道からはなれそむきました。しかし,エホバは忍耐づよく矯正や警告を与え,幾世紀ものあいだ人間に対する過分の御親切,愛,そしてめぐみを示されてきました。―ペテロ前 3:20

      2 イエスは,たとえ話の中でエホバの忍耐をどのように示しましたか。

      2 イエスは,次のような話によって,このことを良く説明されました。「ひとりの家の主人がいたが,ぶどう園を造り,かきをめぐらし,その中に酒ぶねの穴を掘り,やぐらを立て,それを農夫たちに貸して,旅に出かけた。収穫の季節がきたので,その分け前を受け取ろうとして,僕たちを農夫のところへ送った。すると,農夫たちは,その僕たちをつかまえて,ひとりを袋だたきにし,ひとりを殺し,もうひとりを石で打ち殺した。また別に,前よりも多くの僕たちを送ったが,彼らをも同じようにあしらった。しかし,最後に,わたしの子は敬ってくれるだろうと思って,主人はその子を彼らの所につかわした。すると農夫たちは,その子を見て互に言った,『あれはあと取りだ。さあ,これを殺して,その財産を手に入れよう』。そして彼をつかまえて,ぶどう園の外に引き出して殺した」。―マタイ 21:33-39,新口。

      3 エレミヤはイスラエルに対する神の忍耐について何を記録しましたか。

      3 それと同じく,ぶどう園の所有主のごときエホバは,多くの場合に忍耐を示しました。しかし,エレミヤがイスラエルについて語ったごとく,「彼らは聞き従わず,耳を傾けず,自分の悪い心の計りごとと強情にしたがって歩み,悪くなるばかりで,よくはならなかった。あなたがたの先祖がエジプトの地を出た日から今日まで,わたしはわたしのしもべである預言者たちを日々彼らにつかわした」。しかし,エホバは彼らに警告を与えつづけて,次のように言われました,「あなたが彼らにこのすべての言葉を語っても彼らは聞かない。また彼らを呼んでもあなたに答えない。それゆえ,あなたはこう彼らに言わなければならない,『これはその神,主の声に聞き従わず,その戒めを受けいれなかった国民である』」。それでもなおエホバは御子をつかわして忍耐を示されました。御子はそのたとえ話のなかで預言したごとく殺されました。―エレミヤ 7:24-28,新口。

      悪い者に対する忍耐は限られている

      4 神の忍耐は永遠につづきますか。どうして分かりますか。

      4 しかし,エホバの忍耐は永久につづきません。イエスはそのたとえ話に関連してこのことを示しました。彼は次のようにたずねています。「このぶどう園の主人が帰ってきたら,この農夫たちをどうするだろうか」。ユダヤ人は彼にこう答えました,「悪人どもを,皆殺しにして,季節ごとに収穫を納めるほかの農夫たちに,そのぶどう園を貸し与えるでしょう」。(マタイ 21:40,41,新口)エホバは現在の悪い世に対して同様の忍耐を示されました。しかし彼の言葉の示すところによると,エホバは彼を捨てたことに対する当然のむくいを間もなくこの世にもたらすでしょう。かつて神は,ノアの大洪水前に罪を犯した御使たちを罰することをさしひかえず,彼らをさばきと滅びに保留しました。エホバは,世界的な洪水によりノアの時の悪い全世界を正しく罰することをさしひかえませんでした。そして,焼きつくす火によってソドムとゴモラの悪い町々を清めました。エホバはイスラエルの国民がバビロンに捕えられるのをゆるし,後日にはエルサレムがローマの兵士によって破壊されるのをゆるしました。なぜなら彼の定めたもうた忍耐の時は極限に達したからです。

      5 現在の制度はエホバの忍耐を受ける価値がありますか。

      5 現在のこの世界に対するエホバの忍耐は終りに達しています。そのことを信ずる正当な理由があります。パウロが霊感のもとに預言したごとく,人々は「自分を愛する者,金を愛する者,大言壮語する者,高慢な者,神をそしる者,親に逆らう者,恩を知らぬ者,神聖を汚す者,無情な者,融和しない者,そしる者,無節制な者,粗暴な者,善を好まない者,裏切り者,乱暴者,高言をする者,神よりも快楽を愛する者,信心深い様子をしながらその実を捨てる者と」なったからです。(テモテ後 3:2-5,新口)このような人々に対してエホバが忍耐を持たれず,現在の悪い世の制度に対して処置をとられるのは,まったく当然であります。現在の世の諸国家は争い合い,国際的な強国のブロックが分裂し,そして人種的な憎しみや宗教的な憎しみが存在しているのです。

      6 どんな理由のためにエホバはかくも長いあいだ悪をゆるされましたか。

      6 エホバは大きな忍耐を示されたので,多数の人々はエホバの存在を信じないほどです。しかし,エホバがこのように忍耐されたことには理由があります。エホバは代表者モーセによりパロにこう告げました。『すべての者が私の最高の力を認めて,私の名前が全地に宣べ伝えられるためである』。エホバがいま時間を許されておられるのは,現在のこの制度に終りが来る以前に警告が与えられるためです。この時は,エホバという御名が知らされ,信仰を持つ人々が集められて,その御国についての良いたよりが伝道されるときです。―出エジプト 9:16。

      7 嘲笑者にはかかわりなく,神はどんなわざを成しとげますか。

      7 現在,エホバは人々を分けておられ,もみがらのごとく滅びにふさわしい者たちを,とり分けます。そして正義と真理を愛し,神聖な原則に従う者たちを保存する準備をしています。(マタイ 3:12)滅びに面している者たちの中には神の存在をたえず疑問視する者たちもはいっています。それらの者はこんなふうに言います。もし神がいるなら,なぜ神は地上の状態に対して何もしないのか。彼らは,ペテロの預言したごとく,次のように言う嘲ける者のようです,「主の来臨の約束はどうなったのか。先祖たちが眠りについてから,すべてのものは天地創造の初めからそのままであって,変ってはいない」。しかし,そのような嘲ける者たちにとっては,この制度の終りはあまりに早く来るでしょう。大洪水前の悪に対しては,神は120年間その怒りを抑えられました。それから,その不敬虔な制度の上にあの大洪水をもたらしたのです。その悪い世に対する神の忍耐は終わりに達しました。同じように,ペテロは次のように注解しています。『今の天と地は火で焼かれて終わるために貯えられ,不敬虔な者たちのさばきとほろびの日まで保たれている』。―ペテロ後 3:3-7,新口。

      忍耐の必要

      8 (イ)なぜエホバはおそいと言えませんか。(ロ)ノアはどんな態度を表わしましたか。

      8 人間の寿命は約70年という短いものです。人間は,時折りエホバの目的の遂行について忍耐できなくなります。人間は即刻の行動を見たいとのぞみます。しかし,全能の神の無限の時間という観点に立って見るとき,人類の創造以来,時間は1週間にも達しないわずか6日(その1日は1000年)しか経過していません。ペテロは次のように説明しています,「しかし,愛する者たちよ,この事を見過してはならない。エホバにとって一日は千年のようであり,千年は一日のようである。人々はおそいと考えているが,エホバは彼の約束を果すのにおそいのではない。エホバはあなたがたに対して忍耐されているのである。というのは,彼はひとりでも滅びるのを望まれず,すべての者が悔い改めるよう望まれているからである」。(ペテロ後 3:8,9,新世)悪がこの地上にはびこっていた大洪水前に,ノアもこのことを理解していました。ノアが箱舟を建造したとき,彼は当時の嘲笑者たちからいろいろの反対を受けたにちがいありません。しかし,ノアはエホバに確信をいだいていました。ノアは次のようには言わなかったのです,『主よ,また1年が経過しましたが,何事も起こりませんでした。もし,世界歴史1641年までに終りがもたらされないなら,私はやめます』。彼はそのようなことを言わず,むしろそれから10年後に大洪水が来るまで信仰をいだいて忍耐しました。

      9,10 いま従うべき賢明な道とは何ですか。

      9 聖書の記録は次のことを示しています。すなわち,私たちはいまこの組織制度の終りの時に生活しています。このとき,エホバのすばらしい目的は,彼の御国により全く行なわれ,そして信仰を持つ者に対しては楽園の状態がこの地上で復興されるでしょう。詩篇記者ダビデは,神の霊感の下に次の言葉を書きしるしました。「悪をなすものの故をもて心をなやめ,不義をおこなふ者にむかひてねたみをおこすなかれ,かれらはやがて草のごとくかりとられ青菜のごとく打しほるべければなり,ヱホバによりたのみて善をおこなえ,この国にとゞまり真実をもて糧とせよ。ヱホバによりてよろこびをなせ,ヱホバはなんぢが心のねがひを汝にあたへたまはん」。―詩 37:1-4。

      10 このことから判断するとき,いま生存している人々はエホバのめぐみと保護をうけるためにどんな行動をしなければなりませんか。エホバはノア,ロトそしてエルサレムの生存者たちにめぐみと保護を与えられました。(ペテロ後 2:5-9)賢明な人は,自ら忍耐を表わすことによりエホバにならいます。特に,神の御言葉の富を会得するために時間と努力をかけます。それは,彼にとって生命を意味するでしょう。それで,もしあなたが短気で,忍耐できない人なら,全能の神が私たちに示したもうたすばらしい忍耐の模範について良く考慮してください。もしあなたが,気短かに物を言ったり事を行なったりするなら,忍耐という特質をつちかうように努力しなさい。特にこの終りの時において,クリスチャンが持たねばならぬものは,美徳あるいは神のごとき特質です。エホバが私たちに対して忍耐を示されたと同じく,私たちも家庭生活とか,友人関係において,また職場の人や見知らぬ人々のあいだで忍耐を他の人々に示すことができます。―マタイ 18:23-35。

      11 なぜ忍耐は知恵のしるしですか。

      11 忍耐は弱さのしるしであると,多くの人々は考えています。すべての人が忙しいこの時代にあって,人々が他の人に忍耐を持たないのは往々あることです。しかし,神の言葉は,私たちにこう助言していまし,「耐え忍ぶ心は,おごり高ぶる心にまさる。気をせきたてて怒るな。怒りは愚かな者の胸に宿るからである」。賢い者は,エホバと彼の目的を早く学びます。そして,はやく怒るということをせず,むしろ神の恵みと保護をうけるにふさわしい道に自分自身と自分の家族をみちびきます。―伝道の書 7:8,9。

      宣教における忍耐

      12 (イ)どんな大きなわざはなされる必要がありますか。(ロ)どんな準備は必要ですか。

      12 エホバの忍耐を,おそいことと混同してはなりません。エホバはノアの日の地を清めるために処置を取られました。それと同じく,エホバはいま地をほろぼす者たちをほろぼす目的を立てておられます。しかし,この組織制度の終りが来る前に,大きな仕事が行なわれねばなりません。洪水前の時代にノアは正義の伝道者として奉仕しました。それと同じくイエスは,次のことをあらかじめに告げています。すなわちエホバの設立された御国についての良いたよりは,この制度の終りが来る前に諸国民への警告として全地に伝道されるということです。この良いたよりは,エホバの証者の一致した活発な宣教奉仕によりいま全国民に知らされています。彼らの宣教は,ある面で農夫の仕事になぞらえることができます。このたとえは,神が今日の真のクリスチャンに課しておられる宣教奉仕に必要な大きな忍耐を強調するのに役立ちます。農夫の仕事を一度もしたことのない人は,農業の方法をすこしも学ばず,また最初に指示を受けずに,土地を買って農業の仕事を始めることなど,とうてい考えないでしょう。同じく,人が宣教の奉仕をする前に,研究,会衆の指示そして訓練をうける期間は必要です。イエスはこの訓練の必要を認めました。そして,彼は弟子をふたりづつの組にしてつかわし,彼らが互いの交際と有益な提案によって益をうけるようにしました。

      13,14 宣教は,農夫のわざとどのように比較されますか。なぜ忍耐は要求されますか。

      13 農夫は一日だけ出かけて種子をまき,翌週また畑にもどって収穫を得るということをしません。むしろ,彼は土をたがやし,土に肥料を与え,畦をつくり,まぐわでならし,種子をまき,土をたがやして,雑草を取り除き,そして,鳥を追い払わねばなりません。あるいは虫害があるかも知れません。それで,作物に駆虫剤を散布することが必要でしょう。それでもまだ,干ばつがあって作物がすっかりだめになるかも知れません。農夫は断念して町に出かけて他の仕事を求め,就職しますか。もしその人が真実の農夫なら,そのようなことをしないでしょう。彼は翌年になって,ふたたび同じことをするでしょう。彼はちりをさけるために風よけをつくるかも知れません。土地の灌漑用の水を得るために深い井戸をつくるかも知れません。ともかく,彼は断念しません。彼は忍耐を持っています。そして,エホバの祝福によりついに彼の労働の実を受け,作物を収穫するまで働きつづけます。

      14 イエスの足跡に従いたいとのぞむ真実のクリスチャンは,自分の学んだ真理を他の者と分かちます。彼は,まず第一に,地をたがやさねばならぬと知ります。これはクリスチャンとして近所に良い模範を示すことによって行なわれます。人々は,その人の行動とか話し方について気をつけます。そしてそれが聖書的な原則と一致しているなら,人々は彼のもたらす音信にもっとよろこんで耳をかたむけるでしよう。そして,人々のところを何度も何度も訪問して彼らに聖書のことを話した後でも,人々は多くの反応を示さないかも知れません。しかし,忍耐を失ってはなりません。エリコの石垣は,そのまわりをただ一度行進しただけではくずれなかったことをおぼえてください。イスラエル人は,その石垣のまわりを6度まわって,7日目に彼らが7度歩いたときに石垣はついにくずれ落ちました。宗教的な教えとか信条の言伝えによる石垣のような障害は,幾世紀もかかって建てられたものです。私たちが真理の音信を一度だけ声高らかに語るとき,それらがくずれ落ちるなどと考えるべきではありません。しかし,私たちはたずさえている音信の重要性を認識しています。それで,礼儀正しく忍耐づよく,かつ愛を示すことが必要です。私たちは農夫のように作物を相手にしているのではありません。私たちは生命を相手にしているのです。それで,なおいっそう大きな忍耐を持つ必要があるのです。

      15,16 (イ)なぜクリスチャンは,その奉仕において容易に失意してはなりませんか。(ロ)ヤコブはどんな良い助言を与えましたか。

      15 善意者を訪問して,ここかしこに真理の種子をまき,時折りの偶然の証言にせよ,再訪問にせよ,それに水をそそぎ,ついにわずかな興味が表われる,あたかも植物が地上にそのあたまを出しはじめたと同じようだと奉仕者が知るなら,彼はその成長を援助して,霊的に強くならせるように努力します。彼は聖書研究によって新しい興味をつちかいます。しかし,植物が弱くなる,あるいは興味がなくなると,『もう私には十分だ。私は教える者になれない』と彼は言いますか。もし彼が真実にエホバ神に献身しており,心をこめ,思いをつくし,魂と力をこめてエホバ神に奉仕したいなら,彼はそのように言わないでしょう。世界は畑で,収穫は大きいのです。それで,ふたたび行なって忍耐を示す機会はたくさんあります。

      16 ヤコブはこの点を強調して,次のように語りました,「だから,兄弟たちよ。主の来臨の時まで耐え忍びなさい。見よ,農夫は,地の尊い実りを,前の雨と後の雨とがあるまで,耐え忍んで待っている。あなたがたも,主の来臨が近づいているから,耐え忍びなさい。心を強くしていなさい」。(ヤコブ 5:7,8,新口)ヤコブは次のことを認識しました。すなわち種子をまいて後に種子の発芽のために初期の雨が必要であること,そしてまた植物を熟させるために後の雨も必要であるということです。宣教についても同じです。真理の水は,人の心と思いの中に神の御言葉についての認識を芽生えさせます。しかし,水をそそいでたがやしつづけることによってのみ,人は正義の植物のようになります。そして,実を結んで創造者に賛美とほまれをもたらすでしょう。

      17 私たちの生活している時代について顕者なことは何ですか。

      17 ヤコブは,主の臨在の時まで忍耐するようにと初期のクリスチャンたちに告げました。マタイ伝 24章3節で,弟子たちはイエスの臨在すなわちパルーシアのしるしを求めました。それで,彼は数多くの証拠を与えました。それは総合のしるしであって,すくなくとも39の明白な特徴を持つものです。(「凡てのものを確かめよ」(英文)337頁を見なさい)このしるしの一部は,1914年以来成就されています。それは,御国のこの良いたよりが全国民へのあかしのため全地に伝道されるということです。このことは,今日実際に成就されました。なぜなら,若い者も年老いた者も,男も女も,エホバの証者は全世界の179の国々や島々で伝道のわざや教えるわざに活発に参加しているからです。エホバの目的が成就されているという証拠は,新しい世の社会が拡大しつづけ,増加しているということに見られます。キリストの再臨が目に見えぬさまで始まった1914年には,わずか数千名の伝道者だけが宣教を活発に行なっていました。1938年には5万9000人の伝道者がいました。いまでは,91万6000人以上の伝道者がいます。エホバは,植えるわざと水をそそぐわざを祝福して,増加を与えられました。

      活動に忍耐を持つ

      18 いまクリスチャンは忍耐をどのように働かすことができますか。

      18 1914年にしるしが成就され始めて以来,私たちはもはや主の臨在を将来に待ちのぞんでいません。しかし,伝道のわざが十分に成しとげられてエホバがハルマゲドンのときに十分であると言われるときまで忍耐することが必要です。私たちは忍耐しなければならぬとヤコブは言いました。しかし,これは待つだけで何の活動もしない期間という意味ではなく,むしろ信仰と希望をもって,私たちの学んだ真理を他の者に分かち与えるということです。同時にエホバの御言葉に確信を持ち,エホバの目的を早く行なうということです。詩篇記者が前もって告げたように,エホバの民はエホバの力の日によろこび進んでことを行ないます。(詩 110:3)彼らはエホバの奉仕に参加できることを幸福に感じています。そして,多くの家族は自分の家を売り,世俗の仕事を中止して新しい区域に移転しました。その地でいま行なう彼らの宣教活動は,善意者たちにより,ふかく感謝されています。

      19 私たちはいまどんな良い聖書的な助言に従うべきですか。そして,なぜ?

      19 これらの誠実なクリスチャンたちは,イエスの述べた次の助言にふくまれる知恵を認識しています。「手をすきにかけてから,うしろを見る者は,神の国にふさわしくないものである」。(ルカ 9:62,新口)それで,古い世の制度やそれが提供する一時的な利益を振り返って見る代わりに,彼らは新しい世の祝福を見つめ,御国の目標から目をはなしません。そして宣教の活動によって御国の事柄を拡大するためにあらゆる努力をはらいます。彼らは次の助言に従います。「あなたがたは耐え忍ぶことによって,自分の魂(あるいは『将来の生命』)をかち取るであろう」。(ルカ 21:19,新口)新しい世における生命というすばらしい贈り物は,忍耐して働くだけの価値があることを彼らは認識しています。ですから彼らは失望しません。彼らは次のことをも理解しています。すなわち人が真理を認識する前に,たくさんの聖書研究が必要かも知れないということです。しかし,これはみなわざの一部であって,イエスが予めに告げたごとく羊と山羊を分けることです。彼らはそれに参加できることを幸いに感じています。彼らは,このわざが行なわれて生ける者がみなエホバを知る時を待ちのぞんでいます。―エレミヤ 31:34。

      20 私たちの伝道のわざがエホバの祝福を得ることについて,何が関係していますか。

      20 エホバが制度を通して指示される仕方にしたがって伝道と教えるわざを続ける限り,それはむだにならずエホバの祝福をいただくでしょう。いつでもエホバの導きを求め,エホバの御霊による援助を祈り求めなさい。パウロは奉仕者と神との関係を次のように説明しました,「アポロは,いったい,何者か。また,パウロは何者か。あなたがたを信仰に導いた人にすぎない。しかもそれぞれ,主から与えられた分に応じて仕えているのである。わたしは植え,アポロは水をそそいだ。しかし成長させて下さるのは,神である」。宣教から刈りとるものは,それに費すもの次第であると聖句は説明しています,「それぞれの働きに応じて報酬を得るであろう」。あなたは神の同労者のひとりであるという特権を貴重なものと見なしていますか。もしそうなら,神の御前にあって宣教を良いものにするためあらん限りの努力を払いなさい。「わたしたちは神の同労者である。あなたがたは神の畑であり,神の建物である」。(コリント前 3:5-9,新口)神の畑の一部として,あなたは霊的な円熟に成長していますか。ぶどうの木のむだ枝のようであってはなりません。それはいつでも滋養物を取りますが,実を結ぶということは決してありません。むしろ研究しなさい。会衆の集会に出席しなさい。そして良く教える者になるため一生懸命に努力しなさい。真理の中に強くなり,神の同労者として実を結ぶ準備を整えなさい。そのときパウロの次の言葉はあなたに適用するでしょう,「だから,愛する兄弟たちよ。堅く立って動かされず,いつも全力を注いで主のわざに励みなさい。主にあっては,あなたがたの労苦がむだになることはないと,あなたがたは知っているからである」。―コリント前 15:58,新口。

      21 なぜ私たちはもう古い世の指導に従ってはなりませんか。

      21 異邦人の時は過ぎ去って,いま私たちはキリストの再臨している時に生活しています。故に私たちの宣教を忍耐して行い,しっかりかたく立つことはまったく当然であります。クリスチャンは,この古い世の制度にしたがわず,またこの世の不道徳な行いや放縦な行いに従ってはなりません。クリスチャンは,より良いものを目標にして生活すべきです。(ペテロ前 4:3)彼は御国の事柄を拡大するために働きたいとのぞみます。彼はすばらしい御国の希望と,エホバの約束された御国の祝福の全部を持っています。そして,神の言葉がむなしく神に戻ることはないと彼は知っています。(イザヤ 55:11)新しい世の社会は拡大しています。それで,各人はさらに霊的な円熟を増し加え,神の御言葉について円熟した理解を持ち,そして神の奉仕によく参加しましょう。

      22 パウロはどんな助言をコロサイ人に与えましたか。

      22 「待っていて見てから」と言う人々は,信仰の不足を表わしています。それらの人々は,ノアの日の箱舟の外で出来事のおきるのを待っていた人々と同じ級の者たちです。彼らは神の御言葉あるいは目的に確信を持たなかったため溺死しました。クリスチャンの真の信仰は,知識と希望を合わせ持ちます。それは忍耐と辛抱を必要とします。使徒パウロは,コロサイ人にあてて書いた手紙の中で,毎日の生活における忍耐の必要を強調しました。彼は絶えず祈りをして,やめたことはないと述べました。彼はコロサイ人が,正確な知識にみちるのを見たいとのぞみました。しかし,それには時間と努力が必要であるということも知っていました。彼は,彼らが実をむすびつづけて,正確な知識を増し加え,霊的に強いもの,力あるものになり,あらゆる反対を全く耐えしのび,忍耐づよいことを示すようにすすめました。もし彼らがこれらのことをするなら,彼らはエホバにふさわしく歩き,あらゆる良いわざに実をむすんでエホバをよろこばすであろう。そしてこれこそたしかに真のクリスチャン全部の目標であると,彼は言いました。(コロサイ 1:9-11)エホバは御自分の目的を行なわれるときに忍耐を持たれています。私たちは,そのことに感謝の念を持つべきでありましょう。なぜならそれによって,私たちはいま奉仕する機会を持ち,そして正義の新しい世における永遠の生命という将来が得られることになるからです。―ペテロ後 3:15。

  • 忍耐と辛抱
    ものみの塔 1961 | 7月15日
    • 忍耐と辛抱

      1 新しい世の社会内にいる者たちは,どんな祝福を楽しむことができますか。

      忍耐と辛抱の力の真実の源は永遠の神,エホバです。エホバのクリスチャン制度の一部になる者たちはその中での立場を保つために努力を払わねばなりません。それは名誉の地位ではありません。正義の新しい世に実際に入れられるまで忍耐は要求されています。真理の光はますます明るくなっています。そして新しい世を期待するとき,彼はエホバが御自分の民に豊かに注がれる霊的な富を楽しむことができます。それに加えて,彼はイエスがこの時代になすべく指定した大きな収穫のわざに参加することができます。彼がこのわざをするとき,エホバの御霊は彼を支持するでしょう。(ゼカリヤ 4:6)かくも大ぜいの男,女,子供たちが,この大きぼな国際的な伝道のわざによろこび進んで参加している事実は,キリストが再臨していることを示す強い証拠であり,宣教に耐え忍ばねばならぬ理由を示します。

      2 イエスと彼の弟子たちは,どのように辛抱づよいことを示しましたか。

      2 イエスは最初この大きな伝道活動を率先指導しました。群衆が彼を嘲笑して,「あなたには悪霊がいる」と言っても,またいっしょうけんめいに教えた後に多くの弟子たちが以前の道に戻って,彼とともに歩かなくなったときでも,彼は落胆しませんでした。彼の弟子たちも正しい心を持っていて,失意落胆するということはありませんでした。彼が「あなたがたも去ろうとするのか」とたずねたとき,ペテロは次のように答えました,「主よ,わたしたちは,だれのところに行きましょう。永遠の命の言をもっているのはあなたです」と答えました。(ヨハネ 7:20; 6:66-68,新口)同じく,興味を示してしばらくのあいだいっしょに歩く人々がわきにそれるときでも,イエスの始めた宣教のわざに参加し始めた人々が失意落胆する理由はすこしもありません。(エゼキエル 33:32)完全な人間イエスは,大群衆に向かって効果的に語ることができ,また大きな説得力をもって教えることができました。イエスは,彼らの知っていた事柄を譬話の中に織りこみました。たとえば,羊と山羊,農業に関するもの,漁業に関するたとえ話です。同様に,私たちもそれと似たことをすることができます。たいてい聴衆の数は少なくても,私たちは時代の出来事について語ることができます。私たちは人々の家庭を訪問して,忍耐づよく再訪問し,家族の群れの聖書研究を司会し,すべての者に対して愛のある思いやりを示します。あなたは,野外奉仕のためにイエスの残されたこの手本にしたがいますか。そして,名前だけのクリスチャンではなく,行いでもクリスチャンですか。

      3 どんな招待がさしのべられていますか。それに対する応答はどうですか。

      3 イエスは 収穫のときが間近い大きなぶどう畑を持つひとりの人について語りました。彼はふたりの息子にこのわざに参加するようたのんだのです。長男は行くことに同意しましたが,行きませんでした。次男は,最初は父親の願いを拒絶しましたが,後になって後悔し,出かけました。いまはイエスがあらかじめに告げられた収穫の時です。そして,エホバは収穫のわざが終了するまで忍耐を示しています。天の御父の子であると称する多くの人々は,エホバから割り当てられるわざをよろこんでしようとのぞみません。まったくのところ,次のように語ったイエスは祭司長や大きな影響力を持った古い人々について述べました,「取税人や遊女は,あなたがたより先に神の国にはいる」。(マタイ 21:28-31,新口)ちょうどイエスの時代にあらゆる社会層の誠実な人々や謙遜な人々が音信をうけいれて宣教に参加しはじめたのと今日は同じようです。そのような人々は悔い改めの態度を示します。そして神のわざをすると称する人々の級より先に神によろこんでつかえるという態度を示します。―マタイ 23:23。

      忍耐して辛抱することは実を結ぶ

      4 イエスは音信に対する人々の反応をどのように示しましたか。

      4 家から家の奉仕に活発に参加するとき,ルカ伝 8章9-15節に述べられているイエスのたとえ話が真実であることが分かります。たくさんの種類の地がある,たとえばある地は岩地で,ある地にはいばらが生いしげり,ある地は正しい種類のもので耕作に適したものであるように,いろいろの種類の人がいます。イエスは次のように説明しました,「種は神の言である。……良い地に落ちたのは,御言を聞いたのち,これを正しい良い心でしっかりと守り,耐え忍んで実を結ぶに至る人たちのことである」。たいていの人の場合,忍耐づよい個人的な援助は必要です。彼らは音信の重要性を理解しないかも知れません。あるいは彼らの心は偏見や誤解でいっぱいかも知れません。または,彼らの両親の持っていた信仰は正しいものであると誠実な気持で確信しているかも知れません。証者が戻って聖書的な真理についてさらに語ろうとすると,家の人は証者を避けようとつとめるかも知れません。しかし,それでも羊は主の声を聞くであろうとイエスは保証しました。私たちは宣教に忍耐して,「耐え忍んで善を行う」ことにより,そのことを可能にすることができるでしょう。―ロマ 2:7,新口。

      5 御国の実を産出することに,忍耐はどのように示されますか。

      5 昨年,64万6000の家庭聖書研究が毎週司会されました。そして,この中から全世界にわたり6万9027名は洗礼をうけました。実を結ぶためには多くの努力を払わねばなりません。イエスが指摘したように,まかれた真理の種子のいくらかは,道のかたわらに落ちます。すると,悪魔が来て,彼らの心から御言葉を取りさります。それは彼らが信じて救われることのないようにするためです。他の種子は,岩地に落ちます。神の言葉はよろこんで聞かれます。しかし,地は岩地であるので音信は深く根づきません。彼らは一時だけ信じますが,はげしい反対にぶつかると,そのような者はしぼんで枯れてしまいます。人々が音信を聞くとき,他の種子はいばらの中に落ちます。しかし,この世のわずらい,富,そして快楽に忙しすぎるため,種は死滅して,そだちません。正しい種類の地を見つけるためには多くの研究が必要です。そして,実を結ばぬものを忍耐づよく取りのぞかねばならないでしょう。

      6 ある人々が音信を拒絶するとき,なぜ私たちは失望すべきではありませんか。

      6 フランス人のひとりの証者は,職場の仲間に7年間伝道しましたが,すこしの結果も得られませんでした。しかし,ついに彼は幾人かの者と聖書研究をはじめることができ,そのうちの数人は真理に良い進歩をとげました。彼の忍耐はむくわれました。それで,多くの人々に良く受けられなくても,宣教に忍耐を失ってはなりません。すべての人がイエスの言葉に耳を傾けて,その言葉をうけいれたわけではありません。そして,好奇心から彼の言葉に耳を傾けた多くの人々は,彼の教えに信仰を働かそうとしませんでした。今日でも同じことが期待されるでしょう。イエスが天の御父の真理を人々に説明したとき,彼らはイエスの言葉に耳を傾けませんでした。それでは,それらの人々がイエスのいまの僕たちの言葉に耳を傾けるというようなことはとうてい期待できないでしょう。世界が改宗してすべての人が音信に耳を傾けるなどと考えることはできません。しかし,エホバの報復の日について警告は与えられています。それで,答え応じたいとのぞむ人々は,滅びをのがれることができます。羊のような人々を,山羊のごとき気質を示す人々から分ける仕事は,全世界で行なわれています。人々が音信に答え応じて,音信をたずさえる人々を取りあつかう仕方次第で,彼らが王キリスト・イエスの恵みの右手にいるか,あるいは不興の左手にいるかを決定します。キリスト・イエスは次のように言われました,「あなたがたによく言っておく,これらの最も小さい者のひとりにしなかったのは,すなわち,わたしにしなかったのである」。それで,ある人が「忙しすぎる」とか「興味がない」と言って御国の音信をたずさえる者を拒絶するとき,実際にはキリストに向かってそのことを言っていることになります。私たちはキリストの大使としての働きをするからです。―マタイ 25:45,新口。コリント後 5:20。

      7 私たちは,あらゆる種類の人々に,真理をどのようにすすめることができますか。

      7 キリストの代表者は,後に証言の道が開ける仕方で宣教を行ないたいとのぞみます。使徒パウロはこのことについて次のような良い指示を与えました,「主の僕たる者は争ってはならない。だれに対しても親切であって,よく教え,よく忍び,反対する者を柔和な心で教え導くべきである。おそらく神は,彼らに悔改めの心を与えて,真理を知らせ,一度は悪魔に捕えられてその欲するままになっていても,目ざめて彼のわなからのがれさせて下さるであろう」。(テモテ後 2:24-26,新口)最初,音信に強く反対する人々のうちのある者は,タルソのサウロの場合のように,以前に教えられていたことを誠実な気持で信じていたために反対します。タルソのサウロは,見当ちがいのことに熱心であったため初期クリスチャンたちに対してはげしい迫害をもたらしました。しかし,彼がクリスチャンの生き方をうけいれたとき,彼はキリスト教に対する反対の矢面に立ちました。彼は次のように書いています,「かえって,あらゆる場合に,神の僕として,自分を人々にあらわしている。すなわち,極度の忍苦にも,患難にも,危機にも,行き詰まりにも,むち打たれることにも,入獄にも,騒乱にも,労苦にも,徹夜にも,飢餓にも,……」。―コリント後 6:4-10,新口。

      8 私たちの生活は,真理をどのように反映すべきですか。

      8 あなたは,クリスチャン行動をしているために,それほどのはげしい反対を身をもって経験したことはないでしょう。しかし,献身しているどのクリスチャンも,パウロが次のように述べている仕方で神の奉仕者として,自分をすすめることができます,「真実と知識と寛容と,慈愛と聖霊と偽りのない愛と,真理の言葉と神の力とにより,左右に持っている義の武器により,ほめられても,そしられても,悪評を受けても,好評を博しても,……悲しんでいるようであるが,常に喜んでおり,貧しいようであるが,多くの人を富ませ,何も持たないようであるが,すべての物を持っている」。パウロは,良い平衡を保ち,真理についての正しい認識を持っていると示しました。彼は何ものにも失望させられず,エホバの奉仕を第一にしました。彼は,むち打たれても,投獄されても,また反対をうけても忍耐を持ちました。なぜなら,その行いはエホバの祝福を受けると彼は知っていたからです。

      家族の反対をうけても耐え忍ぶ

      9 家族の反対をうける場合,従うべき最善の道は何ですか。

      9 多分,あなたのうける最大の反対は,あなたに親密な者たちから来るかも知れません。エホバが人類に示された寛容と忍耐を十分に認識して尊重する人は,たとえ他の者たちが真理に反対する場合でも,彼らに対して,特にその家族に対する行いの中に,寛容,親切そして忍耐という同じ性質をぜひ示さねばなりません。忍耐と愛の道により,反対する者たちも時たつ中に真理をうけいれるようになるでしょう。他の者に対して短気になることは,そのみぞをひろめるだけです。クリスチャンが集会に出席したり,奉仕に参加してその崇拝を行ないつづけるとき,家族の者が彼に絶えず反対する場合でも,決して断念せず,むしろ忍耐づよく御国の事柄を第一にすることにより,この反対を次第に弱らせることができます。イエスは次のように言われました,「最後まで耐え忍ぶ者は救われる」。(マタイ 10:22, 34:39,新口)また次の言葉も述べられています,「善を行って苦しみを受け,しかもそれを耐え忍んでいるとすれば,これこそ神によみせられることである」。(ペテロ前 2:20,新口)時たつ中に,反対者たち ― それがだれであろうとも ― は,どんなことをしても,あなたを失望させることができず,あなたの忍耐に打ちかつことができないと知ります。そして,彼らはあなたの立場を尊敬するでしょう。

      10,11 (イ)クリスチャン行為について,ペテロとパウロはどんな助言を与えましたか。(ロ)クリスチャンがしっかりと立場を保つことは,どのように報われますか。

      10 問題がひじょうに大きくなって,あなたは家族内の他の者と真理について語ることができないかも知れません。彼らは耳を傾けて聞くのを拒絶します。それでも,言葉によらずうやうやしい良い行いで彼らを救いに入れることができるかも知れません。(ペテロ前 3:1,2)そのような行いは,必ず良い印象を残します。古い世で行なわれているように,他の人の見解に対して悪口を言ったり,けいべつした行いをしたり,また敬意を欠く行動をして仕返しをしてはなりません。むしろ,パウロの述べたごとく,「義と信心と信仰と愛と忍耐と柔和とを追い求めなさい」。(テモテ前 6:11,新口)クリスチャンの妻は宣教に参加してもならず,また集会に出席してもならないと夫が言うとき,彼女は重大な問題にぶつかったと知ります。なぜなら,彼女はエホバの御心を行なうという献身の誓いを立てたからです。彼女は夫に反対したいとのぞみません。しかし,また自分の創造者に忠節を保ちたいとのぞみます。聖書は,彼女に次のようなさとしの言葉を述べています,「信仰の戦いをりっぱに戦いぬいて,永遠のいのちを獲得しなさい。あなたは,そのために召され,多くの証人の前で,りっぱなあかしをしたのである」。夫は妻に生命を与えることができないと彼女は知っています。しかし,真理のうちにしっかり立つことにより彼女はついに夫を救いに入れて神の言葉をうけいれさせることができるでしょう。彼女は敬虔と忍耐を示し,りっぱなあかしを公にしますか。これこそ神ののぞまれることです。生命をのぞむなら,彼女は自分の信仰を断念することができません。彼女は夫に対して愛を示します。しかし,またエホバに対する献身の誓いを果たしつづけます。―テモテ前 6:12,新口。

      11 いまから約28年前に真理を初めて聞いたひとりの証者は,妻や親族たちから絶えず反対をうけました。彼のために祈りはささげられ,ろうそくは燃されました。宣教をしたために彼が投獄されたとき,それは当然の報いだと彼らは言いました。彼の妻は,子供たちをして父親の教えに耳を傾けさせないようにしました。このすべてのことにもかかわらず,彼は愛の心を持つ父親,かつクリスチャンの父親として必要なものを確実に供給する者であると示しました。そして彼は真理にしっかり従いました。ついにこの長年月の後,家族生活における宗教の重要性を論じた「目ざめよ!」の一記事は,彼女に深い印象を与えました。それで,彼女はエホバの証者との研究を願い求めるようになりました。いまでは彼女は夫とともに真理をうけいれて,洗礼をうけています。そして両人は神の言葉によって,いままで以上に密接にむすばれていることをよろこんでいます。

      12 ヨブは,どのように忍耐についての良い模範ですか。

      12 忍耐して我慢することには祝福が来ます。そのことを示す聖書の例はたくさんあります。ヨブは類似の問題に直面しました。彼は病気になって,家族と資産を失いました。彼の友人は彼に背を向け,ヨブが悪事を行なって神から罰を受けているのだと告げました。彼の妻は愚かな言葉を彼に告げ,神をのろって死になさいと言いました。しかし,ヨブは信仰をかたく守りつづけたのです。それで,ヨブのがまんづよい忍耐は,人々にひろく知れわたるものになりました。ヤコブ書 5章10,11節は次のように述べています,「兄弟たちよ。苦しみを耐え忍ぶことについては,エホバの御名によって語った預言者たちを模範にするがよい。耐え忍んだ人たちは幸福であると,私たちは言う。あなたがたは,ヨブの耐え忍んだことと,エホバの与え給うた報いについては聞き知っている。すなわち,エホバはきわめてやさしく,愛の御心を持ち,かつなさけ深い」。それで,もし問題があると思うなら,ヨブの経験を考えなさい。そして,あなた御自身とあなたの家族が祝福をうけるためヨブのしたように,忍耐を働かしなさい。エホバはあなたに耐えられぬ程の試験と試錬を課せられることをゆるさぬということを確信しなさい。むしろ,あきらめないことによりあなたは勝を得るでしょう。―コリント前 10:13。

      最後まで忍耐し辛抱する

      13 イスラエル人たちは,いまの私たちにとって,どのような見せしめになっていますか。

      13 人が神の御言葉から真理をうけいれて新しい世の社会と交わり始めるとき,その人の立場は,幾千年もの昔にエジプトを去って約束の地に向かって行進したイスラエル人の立場と似ています。それと同様に,今日の善意者は古い世の組織制度とその生活の仕方を捨てて,正義の新しい世を目標にしています。しかし,その道が長くてむずかしく見えるからという理由で失意せず,また短気にならないことは大切です。イスラエル人は,エジプトを去ってから間もなくして不平を言い始めました。全会衆はモーセとアロンに向かって不平の言葉をつぶやき始めました。「あなたがたは,われわれをこの荒野に導き出して,全会衆を餓死させようとしている」。(出エジプト 16:2,3,新口)昼は雲により,夜は火の柱によって彼らをみちびかれていた方はエホバでした。しかし,彼らはそのことを忘れたのです。彼らのために食物を供給せられた御方はエホバでした。エホバは,マナとうずらを食物として彼らに与えて,そのことを示しました。ところが,彼らは水が不十分だと不平を言いました。モーセは「何ぞヱホバを試むるや」と言って彼らをしかりました。エホバは彼の国民をかわきで死なせるということをしません。エホバはメリバで彼らに水を与えました。このすべての後,占拠すべき地に間諜をつかわしたとき,間諜の報告を受けた彼らはその地の住民を恐れました。彼らは次のような不平の言葉を発しました,「何とてヱホバわれらをこの地に導きいりて剣にたふれしめんとし,……われらひとりの長を立てエジプトに帰らん」。彼らはこのようにエホバへの信仰の欠如を示し,また彼らをみちびいて守るエホバの力に対する信仰の欠如を示したので,彼らは40年のあいだ荒野をさまよう刑をうけました。その後になって彼らの子供たちは約束の地にはいったのです。―出エジプト 17:2,3。民数紀略 14:3,4。

      14 大いなるモーセであるキリストは,どのように奉仕しますか。

      14 今日,私たちは大いなるモーセ,キリスト・イエスの指導に従っています。かわききった地のただ中にあって,彼は私たちに霊的な食物と真理の水を豊かに供給されます。彼は,サタンとその軍勢が,私たちにもたらすあらゆる反対から私たちを守ります。私たちは,多数のイスラエル人の示したような信仰と認識の不足を示したいとのぞみません。また,エホバとその御準備,および御自分の目的を行なわれるエホバの予定に対して短気の態度をとりたいなどとのぞみません。むしろ,詩篇 37篇7,9節にある約束の言葉について思いをめぐらす方が良いでしょう,「なんぢヱホバのまへに口をつぐみ忍びてこれをまちのぞめ,……そは悪をおこなふものは断ち滅され,ヱホバを俟のぞむものは国をつぐべければなり」。

      15 エペソの会衆に宛てられた音信は何でしたか。いま,それはどのように適用しますか。

      15 十分かたい信仰と熱心をもって忍耐しつづけて行きなさいという助言は,エペソにあった初期クリスチャンたちにも与えられました。「わたしは,あなたのわざと労苦と忍耐とを知っている。また,あなたが,悪い者たちをゆるしておくことができず,……あなたは忍耐をしつづけ,わたしの名のために忍びとおして,弱り果てることがなかった。しかし,あなたに対して責むべきことがある。あなたは初めの愛から離れてしまった」。これはエペソの兄弟たちをびっくりさせたにちがいありません。彼らはいっしょうけんめい働いて忍耐を示してきました。しかし,それでも彼らは真理に対して最初に示した熱心,深い愛,そして熱意に欠けていました。今日,あなたが長年のあいだ奉仕に活発であったにせよ,あなたは最初に持っていた熱心とよろこびを冷えさせたいとはのぞまないでしょう。むしろ,あなたの生活を力づけるものとして,これを生き生きさせるために働かねばなりません。(黙示 2:2-4)イエスは,今日この問題が存在するということを前もって知っておられ,多数の人の愛は冷えるということを指摘しました。しかし,もし私たちが信仰に強く,会衆と定期的に交わり,エホバの奉仕を活発に行なうなら,それは私たちに生じないでしょう。かえって,私たちは平衡のとれた生活をしつづけ,エホバの事柄を第一に保ち,御国を私たちの目標にしつづけなければなりません。

      16 なぜクリスチャンは反対を期待することができますか。しかし,彼は何をしなければなりませんか。

      16 忍耐に密接な結びつきを持つ性質は,辛抱です。すなわち,くるしみや迫害をうけるときに屈伏しないで,真理のために堅固な立場を取ることです。イエスは,真理に対して多くの反対があることを警告して,次のように語りました,「もしあなたがこの世から出たものであったなら,この世は,あなたがたを自分のものとして愛したであろう。しかし,あなたがたはこの世のものではない。かえって,わたしがあなたがたをこの世から選び出したのである。だから,この世はあなたがたを憎むのである。わたしがあなたがたに『僕はその主人にまさるものではない』と言ったことを,おぼえていなさい。もし人々がわたしを迫害したなら,あなたがたをも迫害するであろう」。(ヨハネ 15:19,20,新口)活発なクリスチャンは,自分の宣教が反対されることを期待できます。しかし,それにもかかわらず彼は忠実を保ちつづけねばなりません。なぜなら,いま耐え忍ぶことは,新しい世における将来の生命を意味するからです。生命に達する道を半分だけ走って,しかも賞をうけるなどということを期待できません。彼はその道の全部を通らねばならないのです。パウロは,ヘブル書 10章36節(新口)でこのことを強調して,次のように述べました。「神の御旨を行って約束のものを受けるため,あなたがたに必要なのは,忍耐である」。「こういうわけで,わたしたちは,このような多くの証人に雲のように囲まれているのであるから,いっさいの重荷と,からみつく罪とをかなぐり捨てて,わたしたちの参加すべき競走を,耐え忍んで走りぬこうではないか」。(ヘブル 12:1,新口)信仰が足りないためにつまずくようなことがあってはなりません。むしろ,最後まで頑張り通すことによりクリスチャンはエホバの援助をうけつつこの忍耐の競争を走ることができるでしょう。

      17 ある人々は,真理のためにどんな迫害に直面しましたか。しかし,それは何を産出しますか。

      17 昔でも現在でも,数多くの兄弟たちははげしい迫害の下にあって忠実を保ちつづけました。ある国のふたりの兄弟は,いわゆる「革命反対の活動」をしたというかどで,いまでも刑務所に入れられています。なぜなら,彼らは宣教の活動を行ないつづけ,御国の希望を善意者に知らせたからです。別の国では,長年のあいだエホバの証者のクリスチャン活動を指導してきたひとりの兄弟は,真理のために多くの苦しみをうけました。一政権が勢力をにぎっていた期間中,彼は投獄されました。しかし,それから後に彼はしばらくの期間中,自由を楽しみ,宣教を押しすすめました。彼は信頼していたひとりの人によって裏切られてしまい,いまではまたまた刑務所に入れられています。しかし,そのような忠実なクリスチャンたちは,たとえ死の脅迫をうけることがあっても,エホバの崇拝から離れません。パウロの次の言葉は,私たちを力づけてはげまします,「患難をも喜んでいる。なぜなら,患難は忍耐を生み出し,忍耐は錬達を生み出し,錬達は希望を生み出すことを,知っているからである。そして,希望は失望に終ることはない。なぜなら,わたしたちに賜わっている聖霊によって,神の愛がわたしたちの心に注がれているからである」。(ロマ 5:3-5,新口。ヤコブ 1:2,3)世界中,豊かな時でも不足の時でも迫害をうけているときも平和なときも,兄弟たちはよく耐え忍びました。しかし,時が良くても,むずかしくても,兄弟たちは御国奉仕に熱心な活動をすることからよろこびと幸福が来るということを知っています。―ピリピ 4:11-13。

      18 私たちは,持っている真理の知識に従ってどのように行動するべきですか。

      18 彼らは与えられた真理の知識に従って行動することを拒絶して,御国のタラントを埋めるなどということをのぞみません。むしろ,彼らは御国のタラントをたえず用います。そして,彼らのよろこぶ同じ希望を他の人々の心に植え,水をそそぎ,また培います。イエスのたとえ話の中で述べられている僕たちは,タラントを使用して増加を示すべきであって,ゆだねられたものを使用しないで埋めておくことは主人ののぞまぬことであると知っていました。それで,今日私たちは収穫のわざを活発に行ないつづけたいとのぞみます。そして,偽りの羊飼のように準備のない状態で捕えられるのをのぞみません。それらの偽りの羊飼たちは,長年のあいだやとわれていた者で,偽りを語っていました。彼らはその非難をのがれるため,最後のときには農業をしている者だと言います。(マタイ 25:14-30。ゼカリヤ 13:4-6。ミカ 3:11)エホバの僕たちは,ぶどう畑で活発に働いていた者であったことを示すことができるようのぞみます。彼らはエホバの導きの下に野外で働き大きな,収穫のわざにあずかります。収穫がどんどん行なわれている時であるいま,彼らは断念したいとのぞみません。むしろ,もう十分であるとエホバが言われる時まで,彼らは忍耐しつづけます。―イザヤ 6:11。テサロニケ後 1:4,5。ペテロ後 1:6。

      19 どんなことは,無活動で実を結ばないことから私たちを守りますか。なぜ私たちは忍耐して辛抱すべきですか。

      19 あなたも,この収穫のわざに参加することができます。もし,あなたの信仰に徳,知識そして忍耐を加えあなたが受けた正確な知識を用いるとき,あなたが活発に行なって実を結ぶことを妨げるものは何ひとつないでしょう。もし新しい世の事柄を進歩させるために,あなたが長年のあいだ忍耐づよく行なってこられたなら,あなたは自分の持つ奉仕の特権をしっかり持ちなさい。そのようにして,生命の冠を取られないようにしなさい。(ペテロ後 1:5-8。黙示 3:10,11)私たちは忍耐することができます。なぜなら,私たちには時間があるからです。しかし,古い世の制度に対しては,時間はなくなっています。サタンは彼の持つ時間がわずかなものであると知っています。いまは,この時代の一部しか残っていません。それで,救いを得るために最後まで忍耐しつづけなさい。収穫は完了したとエホバが言われるまで,そしてハルマゲドンの滅びで古い世が終わる時まで,伝道しなさい。忘れてはなりません,『最後まで耐え忍ぶ者は救われる』。―マタイ 24:13,新口。テサロニケ後 3:5。

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