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  • 『神の前に自分をすべての人の良心に薦める』
    ものみの塔 1972 | 12月15日
    • ことがありうるのです。無知と心の無感覚さのために,彼らは「あらゆる道徳観念を通り越し」て,その良心はあらゆる種類の不品行,汚れ,むさぼりを許容します。しかしパウロが付け加えているように,「あなたがたはキリストのことをそのようには学びませんでした」。(エペソ 4:17-20,新)神のみ子は,手本また模範を備えてくださいました。わたしたちはそれによって,正しいあかしをするよう自分の良心を訓練することができます。

      他の人びとの良心に訴える

      18-20 (イ)パウロが自分の仕えた人たちの良心に訴えた方法のいくつかを述べなさい。(ロ)パウロがテサロニケとコリントの人びとに書いた手紙からすると,彼は単に,『神は,わたしのする事柄においてわたしの心が正しいことをご存じである』と,信ずるだけで満足していたでしょうか。

      18 わたしたちは当然,自分の良心を汚すことを避けたいと願うべきです。それは自分と他の人びとを害します。わたしたちは使徒パウロと同様に言えるようでなければなりません。『われら世にありて殊になんぢらに対し,神の清浄と真実とをもて,また肉の知恵によらず,神の恩恵によりて行なひし事は我らの良心の証する所なり』― コリント後 1:12。

      19 パウロが自分の仕えた人たちの良心に訴えた方法のいくつかを,もう一度考えてみてください。彼は目立った地位や賞賛を得ようとしたのでも,人々の上に力をふるうことを求めたのでもありません。彼は使徒のだれよりも熱心に働きました。しかしそれにもかかわらず,自分を特別扱いにしたり,物質上の安楽の中から最良のものを『当然自分のもの』として求めたりは決してしませんでした。彼は多くの面で,自分の当然の権利を行使することをさえ控えました。―コリント前 9:3-18; 15:10。

      20 「わたしは,神ご自身のみ子によって任命された,異邦人のための使徒だ。だから,だれがどう思おうと,わたしの知ったことではない。わたしのすることは,わたしと神だけにかかわることだ。わたしは自分が正しいことを知っている。だから,他の人たちは,疑いをはさまずに受け入れさえすればよいのだ」。パウロはこのような態度を取りませんでした。権威を持ってはいましたが,官憲主義者ではありませんでした。強力な個性を誇示して説き伏せる代わりに,愛をもって人びとの良心に訴えました。彼はテサロニケの人たちに,自分と自分の仲間が『子を育て養う母のように優しく』なり,『神の福音のみならず,自分たちの命をも』与えようとするほどの優しい愛情をいだいたことを思い起こさせています。彼とその共同者は,他の人びとに多額の負担をかけないために,自ら進んで夜も昼も世俗の仕事をして働きました。そのためパウロはテサロニケ人に対して,「汝らにむかひて,いかに正しく,責むべきところなく行ひしかは,汝らも証し,神も証し給ふなり」と,述べています。(テサロニケ前 2:5-10,新)自分の心が神に明らかにされていることを確信しながら,パウロはコリントの人たちに,自分たちが『あなたがたの良心にも明らかになるように望む』と語りました。―コリント後 5:10-12,口語。

      21,22 (イ)自分を神と,自分の兄弟の良心にすすめるだけで十分ですか。(ロ)わたしたちが王国の良いたよりを携えて行く人びとに対し,その良心に訴えることはなぜ肝要ですか。

      21 コリント人にあてたこの同じ手紙の中で,パウロは,自分と自分の仲間が『恥づべき隠れた事をすて,悪巧みに歩まず,神の言をみださず,真理をあらはして神の前におのれをすべての人の良心にすゝむるなり』と述べています。クリスチャンであるわたしたちは,神とわたしたちの兄弟に対して清い良心を持つと同時に,人類の世の人たちをも含めて「すべての人の良心」に対しても清い良心を持つように努めるべきです。(コリント後 4:2)わたしたちはそうしているでしょうか。

      22 神の王国の良いたよりを宣べ伝える面での進歩と成功は,わたしたちが会衆としてまた個人として正しい良心を保ちながら,『自分をすべての人の良心に薦める』ことに大きく依存しているという事実を,わたしたちは決して疑うべきではありません。聖書の真理を他の人に宣べ伝えて教えるだけでは不十分です。それとともに ― 事実,宣べ伝え,教えるわたしたちのわざの一部として ― わたしたちは彼らの良心に訴えねばならないのです。他の人びとは,わたしたちの心を神のように見ることはできませんが,わたしたちは自分の心の中にあるもの ― 誠実さ,正直さ,純粋な動機,無私の愛 ― を明らかにするよう努力することができます。しかしながら,自分が宣べ伝えたことを実行しないでおきながら,それができるでしょうか。

      23 自分が宣べ伝えたり,教えたりする相手の人に決してつまずきとならないようにすべきですが,何に動かされてその努力をしますか。

      23 自分の周囲の人びと,自分の家族や霊的な兄弟に限らず,同じ町の人や同じ国の人のとこしえの福祉を,わたしたちはどれほど気にかけていますか。パウロはこう書きました。『我キリストにありて真をいひ虚偽を言はず,我に大いなる憂ひあることと心に絶えざる痛みあることとを我が良心も聖霊により証す。…我が兄弟わが骨肉のために…彼らはイスラエル人にして…』。(ロマ 9:1-4)パウロは,彼らの良心に訴える行動を保つ努力をし,ユダヤ人の良心に決して不必要な反感をいだかせまいと努めることにより,自分の思いやりを示しました。(ロマ 10:1。コリント前 9:20と比較してください。)自分の国の人が命を得るよう援助することに対し,あなたはどれほど深い願いをいだいていますか。『他の人びとのつまずき』となるのを避けるため,どれほどのことを進んでやる気がありますか。―コリント前 10:32,33。

      24 (イ)現代の神の民の多くは,神の前に自分をすべての人の良心にすすめるため何をしましたか。(ロ)これから,さらにどんな疑問を考慮しますか。

      24 神とすべての人の前で正しい良心を保とうとする配慮から,現代の神のしもべの多くは,日常のふるまいやことばづかい,態度また人に対する接し方,雇用関係や仕事など,自分の生活の中で大きな変化を遂げました。彼らは,『常に神と人とに対して良心の責めなからんことを勉めて』いるのです。(使行 24:16)あなたはそうしておられますか。今日,神のしもべたちにとって良心の問題となるものにはどんな事柄がありますか。ある変化を遂げるよう他の人びとの良心に訴えがなされるとき,彼らにそうした変化を遂げさせるために何か明確な律法や命令あるいは規定が必要ですか。こうした疑問に対する答えは,おって「ものみの塔」誌で取り上げることにしましょう。

  • キリスト教世界 ― 神と戦う者
    ものみの塔 1972 | 12月15日
    • キリスト教世界 ― 神と戦う者

      1-3 (イ)キリスト教世界は神と戦っているということを聞くと,多くの人はどうして不思議に感じますか。(ロ)使徒パウロやペテロの警告を考えると,それはどうして不思議ではありませんか。

      キリスト教世界,すなわちキリスト教を奉じていると称する諸国民の領域は,実際に神と戦っているのでしょうか。キリストの名をにない,神との契約関係にあると唱える組織そのものが,こともあろうに,信者たちに神への不従順を説き,誤導しているとは,理屈に合わないように聞こえます。

      2 しかしながら,クリスチャンの使徒パウロが当時のクリスチャン会衆内のある人びとについて,『偽使徒またたばかりの働き人にして,おのれをキリストの使徒によそおへる者ども』と述べていることを考えれば,さほど

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