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    ものみの塔 1961 | 2月1日
    • と,ひとりの人が指導者になって大ぜいの者たちを従わす,と人々は言う。この聴衆の中にいる人で,もしここに立っている私が,エホバの証者の指導者である,と考える人がいるなら,はいと言ってもらいたい』。しかし,人々は異口同音に『いいえ!』と強く叫びました。『もしここにいるあなたがたが,私は主のしもべのひとりに過ぎず,私たちは肩をならべて協力して働き,神とイエスに仕えている,と思うなら,はいと言ってもらいたい』。異口同音の『はい!』は強いもので,疑問の余地をすこしも残しませんでした。『このような群衆を働かせるために,みなさんは私を地的な指導者にしなくても,すむわけである』。彼は聴衆がそれぞれの場所にもどり,『いっそう元気を出して……できるだけの時間を入れるように』と告げ,それから祝福の言葉を述べました」。

      27 それでは,エホバの証者は誰を指導者にして従っていますか。

      27 今日のエホバの証者は,その1941年の大会で幾万人という代表者たちが取った神権的な立場と全く一致しています。彼らは,ものみの塔協会の会長であろうと,他の者であろうと,アメリカ人の指導者に従っていません。彼らは,どんな人間の指導者にも従いません。全地にわたる一致のうちに,彼らは自分を犠牲にささげられたひとりの羊飼イエス・キリストに従っています。彼は天におられるエホバ神の右にいて,いま支配しておられるのです。―ペテロ前 3:22。

      28 どんな不利な国際状態の下でも,彼らは自称の人間指導者に従いませんか。なぜそうですか。

      28 エホバの証者が,自分たちの住むいろいろな国の問題や戦争のために,たがいに連絡がとれないことがあっても,彼らはただひとりの指導者,神の選んだ王に従いつづけます。エホバの真の証者が,国際的な通信が切れることを利用し,利己的な野心をいだいて国家の指導者になり,国家的な宗教制度を設立しようなどとたくらむものはひとりもいないはずです。エホバの証者はみんな聖書の信仰を良く教えられており,その音信の伝道ということに良く訓練されているので,たとえ他の国々の兄弟たちから切り離されても,その神権的な崇拝と活動を行ないつづけます。彼らは自称の指導者の声に聞き従いません。むしろ彼らはただひとりの羊飼の声を認めて,その声に聞き従います。彼は地上の全国民よりはるかに高い御方です。そして「鉄のつえをもってすべての国民を治めるべき者」であり,来るべき「全能なる神の大いなる日の戦争」であるハルマゲドンの戦いのとき,諸国民をこなごなに打ちくだくでしょう。―黙示 12:5; 16:14,16。ヨハネ 10:4,5。詩 2:8,9。

      言葉と行いの一致

      29,30 (イ)エホバの証者は,神権制度をたがいにむすびつけるために,どんな効果的な結束物を持っていますか。(ロ)神は制度内の何を非とされますか。神は,パウロを通して,どんな人々に警戒を払うよう,私たちを戒めていますか。

      29 この世の精神は,神の御国に反対という点をのぞいては,この世を分裂させています。しかし,その分裂の精神は,正しい羊飼なるイエス・キリストの下にいるエホバの羊の群れに伝染しないでしょう。エホバの証者は,超国家のひとりの天からの指導者を持っています。彼らはそれ以外にもこの世において神権制度をたがいに結びつけるひとつの効果的な結束物を持っています。その結束物は,エホバ神の御霊です。「御霊の実は,愛,喜び,平和,寛容,慈愛,善意,忠実,柔和,自制」です。(ガラテヤ 5:22,23,新口)神の羊の群れをたがいに結びつけることについては,キリストのごとき愛にまさるものはひとつもありません。御子はこの羊の群れを愛して,そのために御自分の血を流されたのです。使徒パウロは,神の群れの一致をすすめて,次のように書きました,「愛を加えなさい。愛は,すべてを完全に結ぶ帯である。キリストの平和が,あなたがたの心を支配するようにしなさい。あなたがたが召されて一体となったのは,このためでもある」。(コロサイ 3:14,15,新口)彼らがその御霊の実である愛をつちかうにつれて,完全な一致のきずなは,ますます強くなって,破れることは決してないでしょう。そして合同あるいは一致があるところには,平和,秩序,そして調和があります。神は御自分の献身した民をひとつの体,ひとつの制度に召しています。神はいっさいの不一致,無秩序,そして分裂を非とされます。神は使徒パウロを通して,私たちにこう命じました。

      30 「あなたがたが学んだ教にそむいて分裂を引き起し,つまずきを与える人々を警戒し,かつ彼らから遠ざかるがよい。なぜなら,こうした人々は,わたしたちの主キリストに仕えないで,自分の腹に仕え,そして甘言と美辞とをもって,純朴な人々の心を欺く者どもだからである」。―ロマ 16:17,18,新口。

      31 (イ)むかしのイスラエルの支族間の戦争は,どんな種類の警告になるべきですか。そして,今日のたれに対して?(ロ)エホバの見える制度は,どのようにダビデの時代のエルサレムのようであるべきですか。何が種族間の戦争をなくしますか。

      31 新しく国家として独立し,帝国主義的な植民地勢力がもはや支配しない国々の政府は種族間の争いや戦争のために大へんな難儀に直面し,政府の安定はおびやかされます。むかしのイスラエル国民の種族間の戦いは,霊的なイスラエルの小さな群れと,その仲間たちの全部,すなわち「他の羊」の大いなる群れに対する聖書的な警告になっています。イエスは次のように警告しました,「内部で分れ争う国は自滅し,内わで分れ争う町や家は立ち行かない」。(マタイ 12:25,新口)エホバの御国証者の見える制度は,忠実なダビデ王のときのエルサレムの都のようでなければなりません。エルサレムの都は,しっかりとかたく建てられ,その中で会合する者たちは,エホバの御くらにすわる油そそがれた王にたいしては一致して忠誠を保ちました。イスラエルの12支族は,エルサレムにあったエホバの家で崇拝をするために,忠実にのぼってきました。ダビデ王は,このエルサレムについて次のように述べています,「エルサレムよなんぢはしげくつらなりたる昌のごとくかたくたてり,もろもろのやから即ちヤハの支派かしこにのぼりきたりイスラエルに向ひて証詞をなし,またエホバの御名にかんしゃをなす」(詩 122:3,4)ただひとりの生ける真の神エホバにささげる崇拝は,それら12の支族を一致結合させました。それとともに,エホバの油注がれた王に対しては熱烈な忠節がささげられたのです。かくして,支族間の戦争はなくなりました。それは平和を助長しました。

      32 敵の勢力の努力は,「この組織制度の神」について,何を表わしていますか。エホバの証者は,ゴグの攻撃にどう応ずるべきですか。

      32 共産主義勢力と他の敵の勢力は次のことを表わしています,すなわち「この組織制度の神」サタン悪魔は,エホバの証者の新しい世の社会の模範的な一致をうち砕いて滅ぼしてしまおうと,いま特に躍起につとめているのです。エゼキエルの預言(38,39章)は,サタンがマゴグのゴグの役割を果たすと,あらかじめに警告しています。マゴグのゴグなるサタン悪魔は,彼に従う地上の共謀者をことごとく結集し,霊的な「神のイスラエル」とその忠節な仲間の者である「他の羊」全部に対して最終的な全面戦争をしかけるために一致結合させています。ゴグは一致結合した大軍をひきいて私たちを攻撃します。それで,私たちは全地にわたりゆるむことのない一致した前線でもって,ゴグとその軍勢に直面します。肉体的に言って,私たちが他の国の兄弟たちから切りたたれ,神の会衆の目に見える統治体の者がひとりも私たちと共におらず,私たちを直接に監督していなくても,私たちはそうしなければなりません。

      33 パウロはクリスチャンの一致した前線を,どのように要求しましたか。ゴグに対する私たちの一致した前線の前で何がおこりますか。

      33 使徒パウロは,結集した敵に対する一致した前線を強くすすめ,次のようなのぞみを言い表わしました,「わたしが行ってあなたがたに会うにしても,離れているにしても,あなたがたが一つの霊によってかたく立ち,一つ心になって福音の信仰のために力を合わせて戦い,かつ,何事についても,敵対する者どもにろうばいさせられないでいる様子を,聞かせてほしい。このことは,彼らには滅びのしるし,あなたがたには救のしるしであって,それは神から来るのである。あなたがたはキリストのために,ただ彼を信じることだけでなく,彼のために苦しむことをも賜わっている」。(ピリピ 1:27-29,新口)私たちがキリストのために苦しみをうけるなら,キリストは私たちを見捨てないでしょう。キリストは,従順な弟子である私たちに,次のことを約束しました,「見よ,わたしは世の終りまで,いつもあなたがたと共にいるのである」。(マタイ 28:20,新口)前線の全部にイエスは私たちと共にいます。それで,私たちが勝利を得ることは疑いありません。ゴグの大軍の一致した攻撃は,私たちの一致した前線の前で崩壊してしまうでしょう。全能の神は私たちを守るために立ち,ゴグの軍勢を無秩序,不一致,混乱,恐慌になげこみ,そして彼らを全く滅ぼしてしまうでしょう。

      34 私たちは隊伍をどのように破らずに保つべきですか。いまおこなわれねばならぬわざは,何を要求しますか。

      34 私たちは個人的なしっと,ねたみ,利己的な野心,競争心,競り合い,争い,国家の誇り,皮膚の色,教育,社会的な教養,そしてうらみをいだいて,私たちを分裂させてはなりません。この世は,神の御国と,伝道している御国の証者たちに対する敵対ということをのぞいては,他のあらゆることで分裂しています。このような世にいる私たちは,敵の方に顔を向けて私たちの隊伍を破らないようにすべきです。現在の世界の情勢がますます悪化して行くにもかかわらず,私たちはひとつの仕事をしなければなりません。その仕事を効果的に行なって,神に栄光を帰するためには,全地にいる私たちは一致した努力を払うことが必要です。神が立ち上がって,敵共と迫害者たちを滅ぼされる,という私たちの期待は,決して裏切られることがないでしょう。

      35 ゼパニヤ書 3章8,9節のなかでエホバは彼がたつことについて,何と言われていますか。エホバはどんな変化を私たちに与えましたか。そして,なぜ?

      35 ゼパニヤ書 3章8,9節の中で,神は私たちにこう告げておられます,「ヱホバいひたまふ是ゆゑに汝らわが起て獲物をする日いたるまで我をまて我もろもろの民を集へ諸の国をあつめてわが憤恨とわが烈しきいかりをことごとくその上にそそがんと思ひ定む全地はわがねたみの火に焼ほろぼさるべし,その時われ国々の民に清き唇をあたへ彼らをしてすべてヱホバの名を呼しめ心をあはせて〔文字通りは,ひとつの肩をもって〕これにつかへしめん」。私たち証者たちは,たくさんのちがった国民から来てエホバに献身しました。しかし,エホバは特定な目的のために私たちに「清い唇」を与えました。その目的とは,かたい奉仕の隊伍をつくり肩を合わせてエホバに奉仕することです。神の御国とその新しい世についての私たちの「清い唇」が一致していることは,分裂を生ぜしめる誤解を取りのぞきます。それは,言葉と活動の面で私たちを強くむすびつけます。

      36 詩篇 102篇18-22節は,死に定められている捕われ人に,神から与えられる自由が,どのように用いられるべきかを示しますか。この預言は,誰のうち成就していますか。

      36 「平和を与える神」は,私たちをバビロン的な捕われから解放しました。エホバは,私たちを彼の聖なる都,すなわち昔のシオン,エルサレムに対応する現代のもの,つまり,キリストの支配するエホバの設立した御国につれてこられました。かつては,捕われた者たちであった私たちに,エホバは宗教的な自由を与えました。それは私たちが神の表わし給うた御心に一致して,自由を正しく用いるためであります。昔のバビロンから自由にされた昔のイスラエルが,このことを歴史的に表わしました。昔の予影にかつて適用した預言は,予影されていた現代のことにもいま適用します。「来らんとするのちの世のためにこの事をしるさん,新しくつくられたる民はヤハをほめたゝふべし,ヱホバその聖所のたかき所よりみおろし天より地を見たまへり,こは浮囚のなげきをきゝ死にさだまれる者をときはなち人々のシオンにてヱホバの御名をあらはしヱルサレムにてそのほまれあらはさんが為なり,かゝる時にもろもろの民もろもろの国つどひあつまりてヱホバに事へまつらん」(詩 102:18-22)イスラエル共和国によって表わされている政治的なシオンは,この預言を成就していません。それはエホバの御名をになっていないからです。それはエルサレムの昔の都でも,現代の都でも,エホバの御名を言い表わしません。また,エホバをたたえず,エホバに仕えません。今日の事実から判断すると,その預言はエホバの御国証者に成就しています。エホバの御国証者は,地上の多くの国々,多くの政治的な国々から集められてきたものです。

      37 イザヤ書 52章8-10節によると,神の救いと復興のわざを見て識別する人々は,何をするべきですか。

      37 神の証者たちが救われて復興した故に,いまや神のこのわざを見て識別するすべての人は,神によるこの救いを公に述べるべきであります,「なんぢが斥候の声きこゆ,かれらはヱホバのシオンに帰り給ふを目と目とあひあはせて視るが故に,みな声をあげてもろともにうたへり,ヱルサレムの荒廃れたるところよ声をはなちて共にうたふべし,ヱホバその民をなぐさめヱルサレムを贖ひたまひたればなり,ヱホバそのきよき手をもろもろのくに人の目のまえにあらはしたまへり,地のもろもろの極までわれらの神のすくひを見ん」。―イザヤ 52:8-10。

      38 その預言を成就するものとして,世界の人類は,今日実際に何を見ますか。

      38 そのわけでこの世界の人々は,エホバの証者が神の御国についての音信と,善意を持つすべての人々に対する御国の祝福についての音信をたずさえて地の極にまで行くのを見るのです。これらの証者たちが全地に存在して活動していること自体は,全能の神がサタン悪魔の支配下にあるこのバビロン的な世界から彼らを救い出された,ということを明白に証するものです。彼らはどこへ行こうとも,その声をあげ,よろこびながら良いたよりを一致してさけびます。霊的に言って,彼らはもはや昔のエルサレムの荒れはてた場所のようではありません。むしろ,彼らは神の御国の実をますます多く産出します。彼らはあらゆるところで,一致してよろこびの声をあげます。彼らはみな和合して,一致を保っているからです。

      39 (イ)どんな面で兄弟たちが一致のうちにともに住むのは,良いことであり,楽しいことですか。(ロ)私たちがエホバをあがめて彼の御名をたかめるのは,なぜいっしょであるべきですか。(ハ)一致についての約束のなかで,エホバはどのように御自分を立証しましたか。

      39 神を愛する人々,そしてエホバが御自分の献身した民を取りあつかわれる際のこの現代の奇跡を研究する人々にとって,それはなんとすばらしく,心あたたまるものでしょう!「視よはらから相むつみて共におるは,いかに善くいかに楽しきかな」(詩 133:1)それはみて楽しいということだけではありません。一致のうちに共に住むということは,霊的な兄弟たちにとって最も益あることです。そして,兄弟間の事柄は快いものになります。私たちはともに現在の神の仕事をすることができます。たがいに強め合い,建ておこして,必ず成功することができます。詩篇記者ダビデの精神は,私たちの身体にみなぎり渡り,私たちをして次のように叫ばせます,「われとともにヱホバを崇めよ,われらともにその御名をあげたたへん」(詩 34:3)まったく,いっしょにエホバをあがめエホバのすぐれた御名をほめたたえましょう。エホバは敵の把持を破り,私たちを互に集めて,キリストの支配下の安全なおりの群れのように一致のうちに私たちを彼の証者とならせました。エホバは,この分裂した世界において,すべての善意者の一致をも約束されました。エホバはそのことを祝福にみちた現実となし,しかもそれを栄光に輝く新しい世でも保たれることにより,御自身を立証されることでしょう。

  • モザンビクにおいて
    ものみの塔 1961 | 2月1日
    • モザンビクにおいて

      数年まえ,多くの兄弟たちが逮捕され追放されたことのある奥地のある地方で,後に残った兄弟たちは驚くべき経験をしました。あまりにも多くの人々が聖書に耳を傾け,聖書の勉強を始めたため,習慣になっている密売用ウイスキーの密造に故障をきたすようになりました。自分の飲み料が底をついてきた時,しゅう長はこのことに対して腹を立ててしまいました。兄弟たちに聖書の勉強をやめさせるため,彼は警察に行きました。そしてそこにいる間にその地方のカトリックの司祭たちに会ったので,彼らとこのことで結託し,あるヨーロッパ人の地方長官に訴えて出ました。そして,エホバの証者をサン・トメ ― 囚人を監禁する島 ― に追放するよう懇請しました。そこで地方長官は,兄弟たちに何をしていたのかと尋ねました。兄弟たちはマタイ伝 24章14節を調べて見て下さいと長官に答えました。すると長官は,1冊の聖書を司祭に渡して,その聖句のところを開いて読むように言いました。司祭はその聖句を見つけることができなかったので,長官は兄弟に司祭を助けるよう頼み,自分もそれを読んでから彼はしゅう長と司祭に対して非常に腹を立てその地方全体を伝道してもよいという許可証を兄弟たちに与えました。ですからいまでは,開拓者でさえ自由に宣教をつづけることができます。

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