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  • 平和と安全 ― その希望
    ものみの塔 1985 | 10月1日
    • 平和と安全 ― その希望

      「国連総会は満場一致で1986年を国際平和年と宣言した。この国際平和年は,国際連合成立40周年に当たる1985年10月24日に厳粛に発表されるであろう」。

      あなたは国際連合機構から出されたこの公式声明をどうお考えですか。将来に対する確信が一層深まるのを感じますか。多くの人は,平和をもたらす機会をわずかでも差し伸べるものなら何であろうと試してみる価値があると言うかもしれません。だから「国際平和年」を設けるのも良いことではないかというわけです。

      確かにその「平和年」は,国際連合機構の設立者たちの目標と調和するでしょう。1944年に米国の大統領は次のように宣言しました。「平和愛好諸国の願望の一致,意志の一致,および力の一致によって,侵略や征服の野望を抱く他のいかなる国もそれに着手することすらできなくなることを確実にすべく,我々はそれら平和愛好諸国を組織することを……決意した。開戦当初から軍事計画と並行して,平和と安全を維持するための普遍的機構の基礎づくりを開始したのはその理由による」。

      多数の人々がこの理想を抱いていました。「国際連合が誕生するためには,非常に多くの人々が,人間の善を行なう能力を信じ,自分たちの希望は正当なものだと感じる必要があった」と,国際連合事務局に10年間勤務したシャーリー・ハザードの著書,「ある理想の敗北」は述べています。

      新しく誕生した国連の憲章は,その設立者たちの希望の表明でした。「国際連合の目的は,次のとおりである。1 国際の平和及び安全を維持すること。……2 人民の同権及び自決の原則の尊重に基礎をおく諸国間の友好関係を発展させること……3 ……国際問題を解決することについて,……国際協力を達成すること」。それらの目標に何か間違ったところがあるでしょうか。

      確かに国際連合の出発は印象的なものでした。世界の重要問題が討議され,1948年には顕著な世界人権宣言が採択されました。貧困,飢え,病気,難民の窮状などを緩和するための貴重な人道主義的事業が開始されました。船舶や航空機の安全基準,ある地域に行く旅行者のための健康証明書,一定の郵便料金,放送用周波数帯の割り当てなど,各種の国際基準が確立されました。

      1947年から1949年に及んだインドとパキスタンの紛争を和平に持ち込むための努力には,国際連合が深くかかわっていました。国連は軍事力さえ発揮し,国連旗のもとに,1950年には韓国へ,1960年にはコンゴ(現在のザイール)へ軍隊を派遣しました。現在でもキプロスと中東には国連平和維持軍が駐留しています。過去40年間に国際連合は確かに顕著な存在になりました。150以上の国々が,ニューヨーク市のイーストリバー河畔にある,人目を引く本部に代表を送って,国際連合を認めていることを示しました。

      しかし国際連合は,「国際の平和及び安全を維持する」という基本的使命をどの程度果たしてきたでしょうか。また,公表された「国際平和年」はどんな影響を及ぼすでしょうか。

  • 平和と安全 ― どこから得られるか
    ものみの塔 1985 | 10月1日
    • 平和と安全 ― どこから得られるか

      国際連合は幾つかの分野において貴重な奉仕を行なってきましたが,ニュースに通じている人であればだれでも,国連が今までのところ平和と安全の分野においては失敗していることを認めなければなりません。このことは国連の非常に熱心な支持者が率直に認めているところです。

      例えば,国連が誕生してからわずか8年後の1953年に,当時の事務総長ダグ・ハマーショルドは,「我々の先駆者は新しい天を夢見たが,我々の最大の希望は,この古い地を救うことを許されるかもしれないということである」と告白しました。それから26年後,米国の国務次官補であったC・ウィリアム・メイネスは次のように言わざるを得ませんでした。「安全保障理事会と総会の主要な目的は国際の平和及び安全の維持であった。……同機構がその中心的な目的の達成に失敗した証拠は明らかである」。

      どれほど関係しているか

      実際のところ,過去40年間に,平和と安全に影響する大きな決定のほとんどは主に国際連合の外で行なわれてきました。1982年に,ハビエル・ペレス・デクエヤル国連事務総長は,「今年は国連が,重要かつ建設的な役割を果たすべき,また果たし得たであろう状況からさまざまな理由で締め出され,拒絶されたことが多かった」と嘆きました。なぜそのようなことが生じたのでしょうか。

      国連加盟国の飛躍的な増加を理由に挙げる人もいます。最初は51であった加盟国が150以上に増加し,総会では各加盟国が等しく1票の投票権を持っています。しかし加盟国の中には非常に小さな国もあります。例えば158番目の国連加盟国である島国のセントクリストファー・ネビスなどは,人口が5万人そこそこですが,10億に近い人口を抱える中国と等しく1票の投票権を持っているのです。この取り決めは確かに自国の意見を主張する機会を小国に与えますが,大国がその取り決めによって国連の決定を真剣に受け止めるよう促されることはまずありません。

      シャーリー・ハザードは2番目の問題に触れて次のように述べています。「強制されることが最も必要であると思われる加盟国自体のうちに強制力が宿っていればそれは別として,国際連合機構には強制力が付与されていない」。言い換えれば,同機構はさまざまな決定を下すことはできるが,ほとんどの場合それらを実施することができないということです。世界の重要問題が定期的に長々と討議されます。さまざまな決議が厳粛に採択されます。しかしそのあとそれらは忘れ去られてしまいます。1982年に国連事務総長は,「国連の決定を告げられた国々がそれらの決定に対して敬意を欠いている」ことに遺憾の意を表明しました。

      これらは組織上の問題です。このほかにも分析家たちの指摘する問題があります。しかし,国連が失敗したことにはさらに深い,さらに重大な理由があります。

      さらに深い問題

      「当時は,最優先されるべきこととして,憲章の条項に従って国際の平和及び安全を維持する体制を確立することは可能のように思えた」と,ハビエル・ペレス・デクエヤルは,国連設立者たちの理想を思い起こして述べました。「その壮大な構想はどこへ行ったのだろうか。その構想は大国の対立によってやがて覆い隠されてしまった。……その上,世界はいよいよ複雑になってゆき,希望していた状態よりはるかに無秩序な所となった」。

      事実,国連が平和と安全をもたらす機会は全くありませんでした。それはあまりにも難しい仕事でした。事務総長のその言葉から,わたしたちは預言者エレミヤが語った,「自分の道を導くことさえ,歩んでいるその人に属しているのではありません」という言葉を思い起こします。(エレミヤ 10:23)知恵と能力に限界のある人間は,すべての人のために平和と安全をもたらすという問題を決して解決することはできないのです。

      国連設立者たちは世界が自分たちの希望していたよりも「複雑」なものであることを知った,と事務総長は述べました。こうした状況が生まれたことには根本的な理由がありましたが,彼らはそのことには気づかなかったようです。しかし使徒ヨハネはそのことについて,「全世界(は)邪悪な者の配下にある」と説明しています。(ヨハネ第一 5:19)聖書によると,今日,その「邪悪な者」であるサタンは「大きな怒りを抱いて」『地に災い』を引き起こしています。(啓示 12:12)平和をもたらすための国連の努力が失敗に終わることは,サタンとその影響力が存在するという冷厳な事実によって,同機構が発足する前からすでに運命づけられていました。

      もう一つ忘れてならないことは,国際連合機構もこの世の申し子である以上,この世の特性を受け継いでいるということです。個々の加盟国を特徴づける弱点や悪弊,腐敗は必然的に国際連合にも存在します。1972年には,アレクサンドル・ソルジェニーツィンが,「25年前,全人類の大きな期待を担って国際連合機構が誕生した。しかし悲しむべきことに,不道徳な世界にあって国際連合もやはり不道徳になってしまった」と述べたと伝えられています。聖書は,「エホバは言われた,『邪悪な者たちに平安はない』」と警告しています。(イザヤ 48:22)「不道徳な」機構は決して平和と安全をもたらすことはできません。

      平和と安全はどうか

      では,1986年を「国際平和年」と宣言することによって何か相違が生まれるでしょうか。その可能性はまずありません。前述の諸問題は人間の力では決して解決できないからです。1979年は「国際児童年」でしたが,それでも子供たちの国際的な立場が向上しなかったように,あるいは1975年は「国際婦人年」でしたが,それでも世界が女性にとってよりよい場所にならなかったように,「平和年」が人類を一層平和と安全に近づける可能性はまずありません。

      とはいっても,人類が生き残るためには平和と安全についてだれかが何かをしなければならないことは言うまでもありません。今日,核兵器で武装している国々は地上の生物をほとんど全滅させ得る立場にあります。高性能の通常兵器は毎年恐るべき数の人命を奪っています。真の平和はかつてないほど遠のいているように思えます。もし国際連合がこれらの問題を解決できないとすれば,だれが解決できるでしょうか。

      歴史を見ると,希望に満ちた答えのあることが分かります。今から3,000年ほど前に,中東に住みよく戦を行なった王ダビデは,国際平和をもたらすことに成功するであろう将来の支配者について書いています。この支配者のための祈りの中でダビデは次のように述べました。「山々が民に平和を携えて来るように。また,もろもろの丘も,義によって。その日には義なる者が芽生え,豊かな平和が月のなくなるときまで続くことでしょう」― 詩編 72:3,7。

      どの支配者がそのような恒久平和をもたらすことができるのでしょうか。ダビデが指摘したのは,人間の機構ではなくてダビデの神エホバの権威から恒久平和が生まれるということでした。それは単なる希望的観測にすぎなかったのでしょうか。そうではありません。ダビデの子ソロモンは同じ神に依り頼む者でしたが,その治世中にエホバは,ソロモンの王国に平和をもたらし,それによってご自身の力を予型的に示されました。ソロモンの王国は,世界でも最も戦禍のひどい地域の一つにありました。ソロモンは戦う王ではありませんでしたが,それでも,「ユダとイスラエルはソロモンの時代中ずっと,[北の]ダンから[南の]ベエル・シェバに至るまで,皆おのおの自分のぶどうの木の下や,いちじくの木の下で安らかに住んでいた」のです。―列王第一 4:25。

      もちろんその平和は永続しませんでした。イスラエル人は世の不道徳な習わしに染まり,神から与えられた安全を失ったのです。それにもかかわらず,2世紀以上たって,残虐なアッシリア人が脅しによって和平を結ぶ運動を繰り広げていたとき,預言者イザヤは,ソロモンが予表していた王の到来を予告しました。イザヤは次のように書きました。「彼の名は,“くすしい助言者”……“平和の君”と呼ばれるであろう。……君としてのその豊かな支配と平和に終わりはない」― イザヤ 9:6,7。

      その「平和の君」とはだれのことでしょうか。イザヤの時代から700年以上後,世界強国ローマがローマなりの国際平和と安全を実施することを試みていた時,その王がダビデの国ユダヤに,イエス・キリストという人となって出現しました。イエスは自国の人々に神の王国について語りました。イエスはその王国の王になることになっていました。これは天の王国であるために,サタンが及ぼす影響の問題や,人間に生まれつき自治の能力がないことについての問題を解決することができます。イエスの同国人はローマの支配を好んでいたらしく,イエスを法によって殺させてしまいました。ところが,歴史が明確に証明している通り,イエスは死人のうちからよみがえらされて天へ上げられ,神の王国の王として支配を始める定めの時を待っておられました。

      事実,現代は,その大きな出来事の起きる時代で,預言の成就がその特徴となっています。天で神の王国が誕生し,その結果サタンが地に投げ落とされたので,サタンは「大きな怒り」を抱き,『地に災い』を引き起こすようになりました。(啓示 12:7-12)それはどんな結果になったでしょうか。イエスご自身が預言しておられた通り,戦争その他のさまざまな苦難が人間に臨みました。そして地球は,「逃げ道を知らない諸国民の苦もんがある」場所となりました。―ルカ 21:25,26。マタイ 24:3-13。

      人の方法か,神の方法か

      イエスの預言は2,000年ほど昔から知らされているものですが,40年前に国際連合が誕生した時に語られた楽観的な言葉よりも世界の状態を正確に描写しています。同機構が「逃げ道」を見いだせなかったことは,聖書予言の正確さを強調するにすぎません。実際のところ,イザヤの言葉を借りて言えば,「平和の使者たち」は自分たちが失敗したことで挫折感を抱き,『激しく泣いています』。―イザヤ 33:7。

      このことは,国際連合が地に平和をもたらすことに決して成功し得ない決定的な理由を際立たせています。国連は神の方法に全く反する仕方で事を行なっています。エホバが述べられた目的によると,平和はこの世の諸国家を一致させることによってではなく,諸国家が完全に神の王国に取って代わられることによって来るのです。(ダニエル 2:44)ダグ・ハマーショルドは,「古い地を救う」ために働いていると言いました。もしそれが独立した政治国家から成る現在の世界の体制を意味するのであれば,その希望は最初から達成されない定めにありました。実を言うと,その「古い地」は新しい体制に道を譲らなければならないのです。「世は過ぎ去りつつあり」ます。(ヨハネ第一 2:17)それを救い得るものは何もありません。国際連合機構といえども不可能です。

      諸国家は国家主義的な利己主義に陥ってしまっているので,平和と安全をもたらす現実的な方法は一つしかありません。神の王国だけが,エデンの園から追放されて以来人間が切に望んできた種類の平和をもたらすことができます。王国の活動の結果得られる安全の一つは,次のように描写されています。「神は彼らの目からすべての涙をぬぐい去ってくださり,もはや死はなく,嘆きも叫びも苦痛ももはやない。以前のものは過ぎ去ったのである」― 啓示 21:4。

      その約束は非現実的なものに思えますか。実際,これはわたしたちが持つ唯一の希望なのです。「ものみの塔」誌は次号でその理由をさらに深く掘り下げて考えます。その間にわたしたちは一つの重要な事実に読者の注意を促したいと思います。つまり国際連合の歴史はまだ終わっていないということです。将来起こる出来事の中で同機構は重要な役割を果たします。聖書の預言に照らしてみた国際連合機構の将来について取り上げた次の二つの記事をお読みになることをお勧めします。

      [5ページの図版]

      平和をもたらす仕事は国際連合にとっては難しすぎる

      [クレジット]

      撮影: 米陸軍

      [6ページの図版]

      『全世界は邪悪な者の配下にある』。国際連合も例外ではない

      [7ページの図版]

      国際連合は個々の加盟国以上に道徳的にはなり得ない

  • 「嫌悪すべきもの」は平和をもたらすことに失敗する
    ものみの塔 1985 | 10月1日
    • 「嫌悪すべきもの」は平和をもたらすことに失敗する

      「エルサレムが野営を張った軍隊に囲まれるのを見たなら……その時,ユダヤにいる者は山に逃げはじめなさい」― ルカ 21:20,21。

      1,2 (イ)人間が国際連合のような機構を通して決して平和をもたらすことができないのはなぜですか。(ロ)神はどのように地に平和をもたらされますか。

      人間が国際連合のような機関を通してどれほど平和と安全をもたらすために努力しようと,決してうまくゆきません。なぜでしょうか。なぜなら,人類は今日,神と平和な関係にあるわけではないからです。永続する安全は人間と創造者との平和な関係の上に初めて成り立つものです。(詩編 46:1-9; 127:1。イザヤ 11:9; 57:21)どうすればこの問題を解決できるでしょうか。幸い,エホバご自身はすでに問題を解決しておられます。平和と安全は最終的に神のみ子による神の王国を通してこの地にもたらされます。そのみ子イエスの誕生の際,み使いたちは,「上なる高き所では栄光が神に,地上では平和が善意の人々の間にあるように」と歌いました。―ルカ 2:14。詩編 72:7。

      2 イエスは1世紀に神の王国を告げ知らせ,平和を求める人たちに神の子,およびその王国でご自身の共同支配者となる機会をお与えになりました。(マタイ 4:23; 5:9。ルカ 12:32)その後に生じた出来事は,今世紀に生じた出来事と非常によく似ています。それらの出来事を調べれば,「平和と安全」のための人間製の機構である国際連合の将来の歩みについて多くのことを学べるでしょう。

      ユダヤ人は選択をする

      3 イエスの時代に国際的な平和と安全を維持しようと努めていたのはだれですか。それが決して完全には成功しなかったのはなぜですか。

      3 イエスの時代,ローマ帝国は地上の大半を支配し,平和と安全について独自の考えを持っていました。同帝国は自国の軍団により,既知の世界の大半にパックス・ロマーナ(ローマの平和)を強制しました。しかし,パックス・ロマーナは決して恒久的な平和とはなり得ませんでした。異教ローマとその軍団は決して人間と神との和解をもたらすことができなかったからです。したがって,イエスが告げ知らせた王国は,はるかに優れたものでした。

      4 大半のユダヤ人は,イエスの宣べ伝える業にどのように反応しましたか。それにもかかわらず,1世紀には徐々にどんな進展が見られるようになりましたか。

      4 それにもかかわらず,イエスの仲間の同国人の大多数は神の王国を退けました。(ヨハネ 1:11; 7:47,48; 9:22)彼らの支配者たちはイエスを国家の安全を脅かす者と考え,「わたしたちにはカエサルのほかに王はいません」と主張し,イエスを処刑させるために引き渡しました。(ヨハネ 11:48; 19:14,15)しかし,一部のユダヤ人,そして後に多くの異邦人は,イエスを神の選ばれた王として喜んで認めました。(コロサイ 1:13-20)それらの人々は多くの国々でイエスについて宣べ伝え,エルサレムはクリスチャンの国際的な交わりの中心地となりました。―使徒 15:2。ペテロ第一 5:9。

      5,6 (イ)ユダヤ人とローマの関係はどのような進展を見せましたか。(ロ)イエスはどんな警告をお与えになりましたか。それは西暦70年にどのようにクリスチャンの命を救うものとなりましたか。

      5 ユダヤ人がキリストに勝る者としてカエサルを選んだという事実にもかかわらず,やがてエルサレムとローマの関係は悪化してゆきました。ユダヤ人の熱心党は,西暦66年にとうとう公の戦争が勃発するまで,ローマ帝国に対するゲリラ活動を行なっていました。ローマの軍隊はパックス・ロマーナを回復することに努め,ほどなくエルサレムは攻囲されました。クリスチャンにとってこれは重大なことでした。かなり前にイエスは,「エルサレムが野営を張った軍隊に囲まれるのを見たなら,その時,その荒廃が近づいたことを知りなさい。その時,ユダヤにいる者は山に逃げはじめなさい。都の中にいる者はそこを出なさい」と警告しておられました。(ルカ 21:20,21)今やエルサレムは囲まれて,クリスチャンは逃げる機会をうかがっていました。

      6 その機会は速やかに訪れました。ローマ人が神殿の城壁の土台をくずし,多くのユダヤ人が降伏しようとしていた矢先,ローマの指揮官ケスチウス・ガルスが不意に軍隊を引き揚げ,去って行ったのです。熱心党はこの機会をとらえて防備を固め直しましたが,クリスチャンは滅びに定められたその都を捨てました。西暦70年にローマの軍団が戻って来てエルサレムの城壁の周りに野営を張ったので,エルサレムはこの時に滅びうせました。歴史的なこの悲劇はわたしたちにどのような影響を及ぼしますか。追随者の命を救うものとなったイエスの警告は,今日のわたしたちにとっても意味があるということです。

      一度だけではない成就

      7-9 (イ)エルサレムが軍隊に囲まれることに関するイエスの預言の成就が一度だけで終わらないことがなぜ分かりますか。(ロ)ダニエル書を理解力を働かせて読むならば,そのことはどのように裏づけられますか。

      7 その警告は,イエスがある重要な質問に対する答えとして述べられた長い預言の一部となっています。イエスの追随者たちは,「[ユダヤ人の神殿の滅び]はいつあるのでしょうか。そしてあなたの臨在と事物の体制の終結のしるしには何がありますか」と尋ねました。それに答えてイエスは,エルサレムの攻囲を含め,数多くの特色から成るしるしをお与えになりました。(マタイ 24章。マルコ 13章。ルカ 21章)イエスの死後幾年もの間にこの預言の特色の少なからぬ部分が成就し,ついに西暦70年にはエルサレムとユダヤ人の事物の体制が滅びました。―マタイ 24:7,14。使徒 11:28。コロサイ 1:23。

      8 しかし,弟子たちはイエスの「臨在」についても尋ねました。聖書はその臨在を全世界的な事物の体制の終わりと結びつけています。(ダニエル 2:44。マタイ 24:3,21)イエスの霊的な臨在と世界的な事物の体制の終わりは1世紀には生じなかったので,イエスの預言に関する将来のより重要な成就は,1世紀のこれらの出来事をその大規模な成就の型とみなせるような仕方で生ずるものと期待できました。これには,エルサレムの滅びに関するイエスの警告の大規模な成就も含まれることでしょう。

      9 この点は,その警告の出ている聖書中の他の二つの書にそれがどのように記されているかを調べると,一層明らかになります。マタイによる書では,攻囲する軍隊は『荒廃をもたらす嫌悪すべきものであり,預言者ダニエルを通して語られたとおり,聖なる場所に立っている』と描かれています。(マタイ 24:15)マルコの記述によれば,「嫌悪すべきもの」が「立ってはならない所」に立つ,とされています。(マルコ 13:14)マタイの記述は,「嫌悪すべきもの」のことがダニエル書の中でも言及されていると述べています。実際,「嫌悪すべきもの」という表現はダニエル書の中に3回出ています。1回は(複数形で)ダニエル 9章27節に出てきますが,そこでは,エルサレムが西暦70年に滅びた時に成就した預言の一部として記されています。次いで,ダニエル 11章31節と同12章11節に出ています。これらあとの二つの聖句によれば,「嫌悪すべきもの」は「定めの時」,つまり「終わりの時」に位置につけられることになっていました。(ダニエル 11:29; 12:9)わたしたちは1914年以来「終わりの時」に住んでおり,それゆえにイエスの警告は今日でも当てはまるのです。―マタイ 24:15。

      キリスト教世界の行なった選択

      10,11 今世紀に生じた出来事は,1世紀の出来事とどのように似ていますか。

      10 今世紀の出来事は,1世紀の場合と同じような型に従っています。当時と同じく今日も世界の舞台を支配している一つの帝国があります。その現代の帝国とは英米世界強国のことで,同強国は平和と安全に関する独自の考えを人類に強制しようと躍起になっています。1世紀に肉のイスラエルは神の油そそがれた王としてのイエスを退けました。エホバの即位した王としてのイエスの「臨在」は1914年に始まりました。(詩編 2:6。啓示 11:15-18)しかしキリスト教世界の人々を含め,諸国民はそのイエスを認めようとはしませんでした。(詩編 2:2,3,10,11)その証拠に彼らは,国際的な主権を求める激烈な世界戦争に巻き込まれてしまいました。キリスト教世界の宗教指導者はユダヤ人の指導者と同様,先頭に立ってイエスを退けました。彼らは1914年以来,常に政界で活動してきましたし,王国の良いたよりを宣べ伝える業に反対してきました。―マルコ 13:9。

      11 それでもイエスの時代と同じく,いま大勢の人々がエホバの選ばれた王を喜んで認め,その方の王国の良いたよりを世界中に広めています。(マタイ 24:14)現在は250万人を上回るエホバの証人が神の王国に対する忠節を表明しています。(啓示 7:9,10)この世の政治に関しては中立を保つそれらの証人たちは,平和と安全をもたらすエホバの取り決めに全き信仰を抱いています。―ヨハネ 17:15,16。エフェソス 1:10。

      今日の「嫌悪すべきもの」

      12 現代の「嫌悪すべきもの」とは何ですか。

      12 では,現代の「荒廃をもたらす嫌悪すべきもの」とは何でしょうか。1世紀の場合,それはエルサレムにパックス・ロマーナを再び強制するために派遣されたローマの軍隊でした。しかし現代において,第一次世界大戦を戦った諸国民は,全面戦争が平和を強制する点では役に立たなかったことに幻滅し,新しいもの,つまり世界平和を維持するための国際的な機構で実験を試みました。それは1919年に国際連盟として産声を上げ,今なお国際連合として存続しています。これが,現代の「荒廃をもたらす嫌悪すべきもの」です。

      13,14 (イ)「嫌悪すべきもの」についてキリスト教世界はどのようなへつらいの言葉を語ってきましたか。(ロ)これが偶像礼拝の行為と言えるのはなぜですか。同世界は「嫌悪すべきもの」をどのような位置に置きましたか。

      13 興味深いことに,ダニエル書の中で「嫌悪すべきもの」と訳されているヘブライ語はシックーツです。この語は聖書の中で主に偶像および偶像礼拝に関して用いられています。(列王第一 11:5,7)この事を念頭に置き,国際連盟について宗教指導者たちが述べた幾つかの意見を読んでみてください。

      「もしこれを神の王国とみなさないとしたら……人類の世界連邦をどのようにみなすことができるだろうか」。「国際連盟は福音に根ざしている」。(アメリカ・キリスト教会連邦協議会)「[国際連盟の]種々の目的と活動のいずれを取っても,それはイエス・キリストの教えによって知らされた神の意志を成就するものだと断言できる」。(英国国教会主教団)「したがってこの会議は,国際連盟を,[地上における平和]を実現させるための有効な唯一の手段としてキリスト教を奉ずる人々すべてが支持し,祈りとすることを勧める」。(英国のバプテスト教会・組合教会・長老派教会の教会員から成る一般団体)「[国際連盟]は,法王庁が幾度も願い求めてきた事柄を実践するためになされてきた唯一の組織的な努力である」― ウェストミンスター大司教,ボーン枢機卿。

      14 諸国民が神の王国を退けたばかりか,平和をもたらすために独自の機構を確立したことは反逆の行為でした。キリスト教世界の宗教指導者がその機構を神の王国および福音と同一のものとみなし,それは平和をもたらすための「有効な唯一の手段」であると宣言したことは偶像礼拝の行為でした。彼らは同機構を神の王国の位置に,つまり「聖なる場所に」置いていたのです。確かにそれは「立ってはならない所に立って」いました。(マタイ 24:15。マルコ 13:14)そして宗教指導者は,設立された神の王国を人間に指し示すよりも,国際連盟の後身である国際連合をなおも支持し続けています。

      キリスト教世界が直面している危険

      15,16 キリスト教世界と,「嫌悪すべきもの」を支持する諸国民との関係はどのように進展していますか。

      15 キリスト教世界の諸宗教は国際連盟とその後身である国際連合を神の王国に勝るものとして選びましたが,同世界の諸宗教と,国際連盟および国際連合の成員国との関係は悪化してきました。ユダヤ人とローマの間で生じた事柄についても同じようなことが言えます。1945年以来,国際連合には非キリスト教あるいは反キリスト教の国家が次第に多く加わるようになりました。これはキリスト教世界にとって幸先の良いことではありません。

      16 その上,多くの国々ではキリスト教世界の諸宗教と国家との間で軋轢が生じています。ポーランドのカトリック教会は同国の政権に対立するものと見られています。北アイルランドとレバノンでは,キリスト教世界の諸宗教が平和と安全の問題を悪化させてきました。それに加えて,キリスト教世界の諸宗教はユダヤ人の熱心党のように,暴力を助長する人々を生み出してきました。例えば,プロテスタント世界教会協議会がテロリストの組織に献金するかと思えば,カトリックの司祭はゲリラとして密林の中で戦い,革命政府のもとで働いています。

      17 (イ)現代のエルサレムとは何ですか。(ロ)最終的にそれはどうなりますか。

      17 キリスト教世界の諸宗教と諸国家の関係がどこまで悪化してゆくかは時間がたたなければ分かりませんが,1世紀に生じた出来事は,そのすべてがどのように終わるかをすでに予示していました。イエスが予見された通り,1世紀にローマ軍は最終的にエルサレムを滅ぼし,多大の患難をもたらしました。預言的な型にしたがい,諸国家は国際連合と手を組んで「エルサレム」,つまりキリスト教世界の宗教上の構造物を攻撃し,滅ぼします。―ルカ 21:20,23。

      山に逃げなさい

      18 柔和な心を持つ人々は,「嫌悪すべきもの」が位置についたことを識別する時,どのようにすべきですか。

      18 1世紀には「嫌悪すべきもの」が現われた後,クリスチャンの逃げる機会が訪れました。イエスは,その機会がいつまで続くか分からないのですぐさま逃げるようにと助言なさいました。(マルコ 13:15,16)同じように今日,柔和な心を持つ人々も,「嫌悪すべきもの」の存在を識別したなら,キリスト教世界の宗教上の領域から直ちに逃げなければなりません。そこにとどまっていればいるだけ,霊的な命は危険にさらされます。それに,逃げる機会がいつまでそれらの人たちのために開かれているかはだれにも分かりません。

      19,20 (イ)1世紀のクリスチャンはエルサレムがローマ軍に囲まれるのを見た時に何をしましたか。(ロ)「山」は今日,何を表わしていますか。今日,柔和な心を持つ人々は何に促されてそこに逃げるべきですか。

      19 ルカの福音書は当時のクリスチャンに,「エルサレムが野営を張った軍隊に囲まれる」のを見たなら逃げるようにと警告しました。すでに注目してきたように,その軍隊は西暦66年にやって来て,ケスチウス・ガルスが軍隊を引き揚げたその同じ年に逃げる機会が生じました。クリスチャンが逃げた後も,エルサレムの周囲で行なわれたわけではありませんが,ユダヤ人とローマ人との間の戦いは続きました。ネロ帝からウェスパシアヌスがパレスチナに派遣され,この人は67年と68年にそこでの軍事作戦を成功裏に推し進めました。その後ネロが死亡し,ウェスパシアヌスは王位継承問題に関与するようになりましたが,西暦69年に皇帝となったあとはユダヤの戦争を終わらせるため,息子のティツスを派遣しました。こうして西暦70年にエルサレムは滅びました。

      20 しかし,クリスチャンはそのすべてをエルサレムでずっと見ていたわけではありません。攻囲する軍隊を見るや否や,エルサレムが非常な危険にさらされていることを理解しました。今日でも同様に,キリスト教世界の滅びをもたらす手段が姿を現わしています。したがって,キリスト教世界がさらされている危険を識別したらすぐに,「山」,つまり神の神権組織と共にあるエホバの避難所に「逃げ」なければなりません。他の預言を調べても,キリスト教世界に対する攻撃が開始されてから同世界が最終的に荒廃するまでの間に息つく暇があると考えてよい根拠は見いだせません。実際のところ,交戦中にそのように一息入れる必要は少しもありません。柔和な心を持つ人々は賢明にも今キリスト教世界から逃げます。

      エルサレムとキリスト教世界

      21 「嫌悪すべきもの」がエルサレムの終わりの時の終わりに現われたのに対し,今世紀にはそれがこの体制の終わりの時の初めごろに現われたのはなぜですか。

      21 1世紀には「嫌悪すべきもの」がエルサレムの滅びの直前に現われたのに対し,今日ではそれがこの世の終わりの時の正しく初めに現われたからといって,わたしたちは驚くべきでしょうか。驚くべきではありません。どちらの場合にも,「嫌悪すべきもの」はご自分の民が逃げるようエホバが望まれたその時に現われています。1世紀にクリスチャンは宣べ伝えるためしばらくエルサレムにとどまらなければなりませんでした。(使徒 1:8)滅びが迫っていた西暦66年になってはじめて「嫌悪すべきもの」が確かに現われ,クリスチャンたちに逃げるよう警告するものとなりました。しかし,現代のエルサレムの『中に』いるということは,キリスト教世界の宗教上の領域の一部となることを意味しています。a 腐敗し,背教したそうした環境の中にいながら,エホバに受け入れられる仕方で神に仕えることは不可能です。したがって,この世の終わりの時の早い時期に「嫌悪すべきもの」が現われて,クリスチャンに逃げるよう警告するものとなったのです。「嫌悪すべきもの」が位置についたことを識別したなら直ちに逃げるようにとの警告が各人に与えられているので,キリスト教世界から逃げることは今なお続いています。

      22 どんな疑問に対する答えを次に考慮しますか。

      22 しかし,国際連合内の軍国化した分子によりキリスト教世界が滅ぼされるというこの極めて意外な処置の前に,どんな事が起きるのだろうかという疑問が生じるかもしれません。それはいつ起こるのでしょうか。そして,それはこの地の平和と安全にどのように貢献し得るのでしょうか。次の記事ではそれらの疑問について考慮します。

      [脚注]

      a ユダヤ人は西暦前537年にバビロンの都から逃げました。そして今日のクリスチャンは現代の大いなるバビロンから逃げます。この両者も,幾分同じように比較できるでしょう。―イザヤ 52:11。エレミヤ 51:45。啓示 18:4。

      覚えていますか

      □ 「嫌悪すべきもの」に関するイエスの預言は現代にも成就するに違いないとなぜ言えますか

      □ 今日の「嫌悪すべきもの」とは何ですか。それはいつから位置についていますか

      □ イエスの預言の中の現代のエルサレムとは何ですか

      □ ルカ 21章20,21節は,逃げることが緊急に必要であることを理解する上で,どのように助けになりますか

      □ 柔和な心を持つ人々が逃げる「山」とは何ですか

      [11ページの拡大文]

      キリスト教世界の宗教指導者が国際連合を神の王国および福音と同一のものとみなしたのは偶像礼拝の行為であった

  • 平和,安全,そして『獣の像』
    ものみの塔 1985 | 10月1日
    • 平和,安全,そして『獣の像』

      「そして彼は,霊の力のうちにわたしを荒野に運んで行った。そこでわたしは,冒とく的な名で満ちた,七つの頭と十本の角を持つ緋色の野獣の上に,ひとりの女が座っているのを目にした」― 啓示 17:3。

      1 七つの頭と十本の角を持つ獣に関するヨハネの幻がわたしたちの関心事となるのはなぜですか。

      使徒ヨハネは神の霊感によって与えられた幻の中でこの恐ろしい獣を見ました。しかしヨハネだけがその獣を見たわけではありません。たぶんあなたも見たことがあるでしょう。あるいは少なくとも新聞でそれについて読んだことがあるかもしれません。あなたはその獣が何であるか分かりますか。

      2,3 ヨハネは幻の中でどんな一連の生き物を見ましたか。

      2 もちろん,今日この獣を見ても,その外見はヨハネの描写したものとは違います。ヨハネが見たのは,「主の日」に地上に存在することになるものの象徴でした。(啓示 1:10)今日わたしたちは,その成就を見ています。ヨハネが見た獣の不快な形は,獣が表わしているものをエホバがどうご覧になるかを反映しています。それはエホバにとって忌まわしいものなのです。ヨハネはすでにその幻の中で,悪魔サタンが地に投げ落とされ,「自分の時の短いことを知り,大きな怒りを抱いて」いる様を目撃しました。(啓示 12:12)そして,人類の「海」から上って来た,七つの頭と十本の角を持つ奇怪な獣として表わされている,サタンの世の政治体制をも見ていました。(啓示 13:2; 17:15。イザヤ 57:20。ルカ 4:5,6)その獣は全人類に対する権威を有しており,人々の右手と額には獣を支持していることを意味するものとして,『獣の印』が強制的に付けられました。―啓示 13:7,16,17。

      3 ヨハネは人間がこの獣の像を作るところも観察しました。(啓示 13:14,15)啓示 17章に描写されている前述の幻の中でヨハネが見たのは,この像でした。七つの頭と十本の角を持つこの「像」は,将来の出来事において重要な役割を果たすことになります。ですから,その実体を知るのはわたしたちにとって肝要なことです。ではどのようにその実体を知ることができるでしょうか。

      今日の獣の「像」

      4,5 幻の中の獣の頭は何を表わしていましたか。

      4 み使いはわたしたちの助けとなる幾らかの情報をヨハネに与え,こう述べました。「七つの頭は七つの山を表わしており,その上にこの女が座っている。そして七人の王がいる。五人はすでに倒れ,一人は今おり,他の一人はまだ到来していない。しかし到来したなら,少しの間とどまらなければならない」。(啓示 17:9,10)「王」と「山」― 聖書の中では政治勢力を表わすためにしばしば用いられる ― に言及されていることは,獣の頭が政府を表わすことを示しています。(エレミヤ 51:25)ここで関係しているのはどの七つの政府でしょうか。

      5 ヨハネの時代,五つはすでに倒れ,一つはまだ存在しており,もう一つはこれから来ることになっていました。聖書の歴史の中では主要な五つの帝国が繁栄し,神の民を圧迫し,その後ヨハネの時代になる前に倒れました。それは,エジプト,アッシリア,バビロン,メディア-ペルシャ,ギリシャの五つです。ヨハネが生きていた時代にはローマ帝国が勢力を振るっていました。ヨハネの死後何世紀かたってからローマ帝国は有力な世界強国としては舞台から姿を消し,やがて大英帝国に取って代わられました。その後まもなく,この帝国内の西部の植民地が独立を勝ち取って英国と密接な関係を保って行動するようになり,英米世界強国を形成しました。これが,ヨハネの時代に『まだ到来していなかった』「王」です。ヨハネが見た獣と,その頭によって表わされていた七つの帝国とはどのような関係にあるのでしょうか。『それ自身は八人目の王でもあるが,その七つから出る』のです。―啓示 17:11。

      6 (イ)獣の角は何を意味していましたか。(ロ)それはどんな意味で「まだ王国を受けていない」と言えましたか。

      6 この獣に十本の角があることも忘れてはなりません。その角についてみ使いは,「あなたが見た十本の角は十人の王を表わしている。彼らはまだ王国を受けていないが,一時のあいだ野獣と共に王としての権威を受けるのである」と言いました。(啓示 17:12)聖書の中で十という数字は,地上の物事が完全に整っていることを表わします。したがってこれらの角は,「主の日」の期間中のわずかな時間(「一時のあいだ」),野獣を支持する全地の政府の勢力全体を象徴しています。その中には,「獣」の他の六つの「頭」から出た現代の諸政府はもちろん,七つ目の世界強国も含まれます。もっとも,それら他の六つはもはや世界強国ではありません。これらの「王」はヨハネの時代には存在しませんでした。a それらの王たちはすでに権威を得ているので,「自分たちの力と権威を野獣に与え」ます。―啓示 17:13。

      7,8 (イ)啓示 17章に描写されている,ヨハネが見た獣とは何ですか。(ロ)その獣と,幾つもの頭や角はどのような関係にありますか。

      7 これで,獣が何であるか分かりましたか。そうです,それは「荒廃をもたらす嫌悪すべきもの」と同じものであり,国際連盟として始まり,今は国際連合として存在しています。(マタイ 24:15。ダニエル 12:11)この機構はどのような意味で『七つの世界強国から出て』いるのでしょうか。獣のような組織全体は,第八強国と同じく,英米世界強国を主要な後援者また支持者として,既存の諸政府により生じさせられたという意味において,そう言えるのです。

      8 それに加えて,み使いがヨハネに告げたように,「十本の角」すべては「力と権威を野獣に与え」ます。(啓示 17:13)実際,頭と角によって表わされている諸政府の支持なくしてはその獣は無力なものとなるでしょう。なぜでしょうか。その獣は単なる像にすぎないからです。(啓示 13:14)すべての像と同様,この像もそれ自体は無力です。(イザヤ 44:14-17)何らかの命があるとすれば,それはその支持者たちから来ているのです。(啓示 13:15)時々それら支持者の一部は,例えば朝鮮戦争の時のように,国際連合を通して決定的影響を及ぼす行動を取ってきました。

      9 獣の実体に関するわたしたちの見解はどのように確証されていますか。

      9 この獣の実体に関するわたしたちの見解は,み使いが述べたさらに詳しい幾らかの情報によって確証されます。「あなたの見た野獣はかつていたが,今はいない。しかし底知れぬ深みからまさに上ろうとしており,そして去って滅びに至ることになっている」と,み使いは述べました。(啓示 17:8)この言葉の一部はすでに成就しています。第二次世界大戦は事実上この国際連盟を消滅させました。エホバの証人がこの預言を明確に理解するようになった1942年には,国際連盟という獣について,「今はいない」と言うことができました。b しかし1945年には,国際連合機構として『底知れぬ深みから上って』来ました。同機構は平和と安全をもたらすその任務を果たせるでしょうか。預言は,そのようなことはないと述べています。むしろそれは「去って滅びに至ることになっている」のです。

      獣に乗っている者

      10,11 (イ)ヨハネの幻の中で獣に乗っていたのはだれですか。(ロ)幻のこの特色は,現代においてどのように成就してきましたか。

      10 この獣について別の点に気づかれましたか。獣に乗っている「女」がいました。彼女は,偽りの宗教の世界的な帝国,つまり「大いなるバビロン,娼婦たちと地の嫌悪すべきものとの母」とされています。(啓示 17:3-5,15)世界の諸宗教は国際連盟と国際連合双方の機構に「乗り」,その歩みを導こうとしてきたでしょうか。特にキリスト教世界の諸宗教は正しくそのようにしてきました。

      11 例えば,オランダの特派員ピエール・ファン・パーセンは,国際連盟の会議に出席した米国,英国,スカンジナビア諸国のプロテスタント教会を代表する人たちの「宗教的熱意にも似たもの」について書きました。1945年にアメリカ・キリスト教会連邦協議会は,「我々は国際連合機構の治療的かつ創造的機能を今後も拡張してゆくために努力する覚悟である」と言明しました。1965年には法王パウロ6世が,この機構の中に,「地上における人類の進歩に対する,神の愛ある優れた意図の反映[を見る。] その反映の中に我々は,天的なものである福音の音信が地的なものになっているのを見る」と言明しました。確かに宗教指導者たちはその機構を,「冒とく的な名で満ちた」ものにしてきました。―啓示 17:3。マタイ 24:15; マルコ 13:14と比較してください。

      平和をもたらす勢力ではない

      12 国際連合機構の支持者は,神の王国とどんな関係にありますか。

      12 国際連合は神の王国との良い関係を保ってはいません。実際,その支持者たちは神の王国に反対します。み使いはヨハネにこう告げました。「[十本の角は]子羊と戦うであろう。しかし子羊は,主の主,王の王であるので,彼らを征服する。また,召され,選ばれた忠実な者たちも彼と共に征服する」。(啓示 17:14)この預言にたがわず,諸国民は子羊の王国の大使として行動する人々に反対し,彼らを迫害して,この終わりの時の間じゅう絶え間なく『子羊と戦って』きました。しかし,子羊を征服することはできず,禁令や投獄,死をさえものともせず神の王国の良いたよりを宣べ伝え続ける地上のその僕たちを征服することもできません。―マタイ 10:16-18。ヨハネ 16:33。ヨハネ第一 5:4。

      13 国際連合が決して真の平和をもたらす力となり得ないのはなぜですか。

      13 事実,国際連合は決して真の平和をもたらすための勢力とはなりません。それに乗っている「大いなるバビロン」は歴史上最も邪悪な戦争挑発者の一人であり,「聖なる者たちの血とイエスの証人たちの血に酔って」います。(啓示 17:6)その機構を支持する諸国民の戦争は,この地を血に浸してきました。(マタイ 24:6,7)その背後にある力である悪魔サタン,つまり「大いなる龍」も,平和を作り出す者ではありません。(啓示 12:9,17; 13:2)人類はこれらの者が存在する限り決して安全を享受することはありません。それらは除き去られなければならないのです。

      平和に向けて必要な措置

      14 (イ)ヨハネの幻の中で,獣に乗っていた者にはどんなことが生じましたか。(ロ)それはどのように成就しますか。

      14 最初に,非常に意外な仕方で消え去ることになっているのは偽りの宗教です。それは次のようにして生じます。「あなたの見た十本の角,また野獣,これらは娼婦を憎み,荒れ廃れさせて裸にし,その肉を食いつくし,彼女を火で焼き尽くすであろう」。人類にとって実に大きな衝撃です!(啓示 17:16; 18:9-19)彼女を荒れ廃れさせるのは,国際連合機構の中で重きをなしている破壊的かつ国家主義的な「角」です。このことは,「嫌悪すべきもの」が「エルサレム」を荒廃させるというイエスの預言をわたしたちにまざまざと思い起こさせます。(マルコ 13:14-20。ルカ 21:20)しかし,その刑の執行に当たるのは諸国家ですが,実際にはキリスト教世界を含む「大娼婦」に神の裁きを執行しているのです。結果はどうなりますか。偽りの宗教は「二度と見いだされることはない」のです。―啓示 17:1; 18:21。

      15,16 (イ)「大患難」とは何ですか。(ロ)それはどんな結果を生じさせますか。(ハ)人類の平和の見込みを打ち砕こうとするサタンはどのようにそれを阻まれますか。

      15 キリスト教世界の滅びは,「世の初めから今に至るまで起きたことがなく,いいえ,二度と起きないような大患難」の始まりとなる,とイエスは言われました。(マタイ 24:15,21)大患難が続くあいだ,神の王国はサタンの組織の政治的および商業的部分全体に裁きを執行します。(ダニエル 2:44)次にヨハネはその王が行動に移るのを見ます。こう記されています。「わたしは天が開かれているのを見た。すると,見よ,白い馬がいた。そして,それに乗っている者は忠実また真実ととなえられ,その者は義をもって裁き,また戦う」。その王に敵対して整列しているのは,『獣の像』と地の政治諸国家です。その戦争の結果はどうなりますか。またもや,平和破壊者たちが滅びることになります!―啓示 19:11,19-21。

      16 その結果,平和を妨げる大きな障害物が一つだけ残ります。それは悪魔サタン自身です。ヨハネはさらに,人類のこの大いなる敵が無力にされる様を次のように描写しています。「わたしは,ひとりのみ使いが底知れぬ深みのかぎと大きな鎖を手にして天から下って来るのを見た。そして彼は,悪魔またサタンである龍,すなわち初めからの蛇を捕らえて,千年のあいだ縛った」― 啓示 20:1-3。

      選択の時

      17 真の平和を見たいと願う人々は,今どんな措置を講ずるべきですか。

      17 人類にとって何という転換期なのでしょう! しかし,さまざまな機構と政府が除き去られても,個人個人に生ずる事柄は主にその人自身の選択の問題となります。エホバは愛の表明として,大患難の前に「あらゆる国民の中で,良いたよりがまず宣べ伝えられねばなりません」と命じておられます。(マルコ 13:10)平和愛好者たちは大いなるバビロンから『出る』よう招かれています。(啓示 18:4)キリスト教世界の人々は,『山に逃げる』よう勧められています。(ルカ 21:21)神の王国に従う人々は『獣の印』を付けられないようにしなければなりません。(啓示 14:9-12。ヨハネ 17:15,16)正しい心を持つそうした人々の大群衆は,「大患難から出て来る」ことになります。(啓示 7:9-14)実際,だれであれ,必ずしもサタンの体制と共に滅びうせなければならないわけではありません。―箴言 2:21,22。

      18,19 (イ)大患難が勃発する時については何と言えますか。(ロ)その時のために,クリスチャンは今どのように準備していますか。

      18 地を揺るがすこれらの出来事はいつ生ずるのでしょうか。「良いたより」はいま世界中で聞かれます。「嫌悪すべきもの」は位置についています。(マタイ 24:14-16)実際,すでに存在の第二段階にある『獣の像』は「去って滅びに至る」ことになっています。(啓示 17:8)「しるし」の成就は,わたしたちが1914年以来71年にわたってイエスの臨在の時期に生活してきたことを示しています。(マタイ 24:3)「これらのすべてのことを見たなら,彼が近づいて戸口にいることを知りなさい。あなた方に真実に言いますが,これらのすべての事が起こるまで,この世代は決して過ぎ去りません」と,イエスは言われました。(マタイ 24:33,34)したがって,「大患難」はごく間近に迫っているに違いありません。それ以上の詳しい事柄をわたしたちは知ることができるでしょうか。今は知ることができません。

      19 使徒パウロは,「人々が,『平和だ,安全だ』と言っているその時,突然の滅びが……彼らに突如として臨みます」と予告しました。(テサロニケ第一 5:3)ですから大患難は,人類一般にとって衝撃的な驚きとなります。しかし,クリスチャンにとっては衝撃ではありません。彼らは大患難が来ることを知っており,「それで,起きることが定まっているこれらのすべての事を逃れ,かつ人の子の前に立つことができるよう,常に祈願をしつつ,いつも目ざめていなさい」というイエスの助言に従います。―ルカ 21:36。

      20 クリスチャンが大患難の到来する時について今は何も言うことができないのはなぜですか。

      20 とはいえ,クリスチャンは大患難が臨む正確な時を前もって述べることはできません。エホバは「その日または時刻」を明らかにはされませんでした。(マルコ 13:32。マタイ 24:42)ですから,例えば国際連合が1986年を「国際平和年」と宣言する時,クリスチャンは事態の進展を興味を持って見守りますが,これが前述のパウロの言葉の成就となるかどうかを前もって述べることはできません。しかしクリスチャンは,エホバの力によって,『獣の像』と「荒廃をもたらす嫌悪すべきもの」の意味を識別できるようになったことを感謝しています。そのためにクリスチャンはエホバがご覧になるようにこの機構を見ており,平和をもたらそうとするその運動に誤導されることはありません。

      21 (イ)今でさえクリスチャンはどんな平和を享受していますか。(ロ)クリスチャンは確信を持って何を待ち望むことができますか。

      21 確かに「いつも目ざめて」神の王国に従う人々は,今でさえ平和を享受します。「平和の神エホバ」は彼らと共におられ,「一切の考えに勝る神の平和」をお与えになります。(フィリピ 4:7,9)さらにそのような人々は,全地が遠からずイザヤの述べる美しい預言の成就を経験する時を待ち望んでいます。こう記されています。「真の義の働きは必ず平和となり,真の義の奉仕は定めのない時に至る平穏と安全となる。そして,わたしの民は平和な住まいに,全き確信の満ちる住居に,かき乱されることのない休み場に必ず宿る」。(イザヤ 32:16-18)全世界的な規模で安全が実現されるのです。(イザヤ 11:9)そしてエホバご自身が平和を作り出されるゆえに,真の平和が訪れるのです。

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