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理性を働かせることは平和への道ものみの塔 1962 | 6月1日
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に耐え,常に祈りなさい」。―ロマ 12:12,新口。コリント前 7:29-31。
26 クリスチャンが道理にかなった行いをするとき,会衆にはどのように平和がもたらされますか。
26 したがって,理性を働かせることは,自分自身に平和をもたらすだけでなく,もっと大切なことはクリスチャン会衆に平和をもたらします。ロマ書 12章4,5節に述べられている密接な関係のゆえに,私たちの行為は会衆に影響します,「なぜなら,一つのからだにたくさんの肢体があるが,それらの肢体がみな同じ働きをしてはいないように,わたしたちも数は多いが,キリストにあって一つのからだであり,また各自は互に肢体だからである」。道理にかなった行動により,会衆はコリント前書 1章10節(新口)に述べられている完全な平和と一致を保つことができます。「さて兄弟たちよ。わたしたちの主イエス・キリストの名によって,あなたがたに勧める,みな語ることを一つにし,お互の間に分争がないようにし,同じ心,同じ思いになって,堅く結び合っていてほしい」。―コリント前 12:26,新口。
27 理性を働かすことは,どんな面で平和をもたらしますか。
27 道理にかなった行いの結果は,心の平和,神との平和,私たちの隣人との平和,私たちの奉仕における平和,でき得るかぎりクリスチャン信者でない者たちとの平和をもたらします。聖書は次のように命じています,「あなたがたは,できる限りすべての人と平和に過ごしなさい」。―ロマ 12:18,新口。
28 クリスチャンはだれをよろこばせることに努めますか。前途にはどんな見込みがありますか。
28 クリスチャンは,エホバ神をよろこばすことに努力します。箴言 16章7節に,その原則が述べられています,「ヱホバもし人の途を喜ばゞその人の敵をも之と和がしむべし」。私たちの理性の力をもってエホバの道に従うことにより,私たちは悪に打ち勝ちます。そのとき,善以外の何があるでしょうか。理性を働かすことは,上からの知恵の一部です。神の御言葉にみちびかれるとき,それは私たちを幸福な状態にみちびくでしょう。次の言葉を述べたパウロは,クリスチャンたちにその幸福な状態を希望しました,「最後に,兄弟たちよ。いつも喜びなさい。全き者となりなさい。互に励まし合いなさい。思いを一つにしなさい。平和に過ごしなさい。そうすれば,愛と平和の神があなたがたと共にいて下さるであろう」。―コリント後 13:11,新口。ヤコブ 3:17。
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気おちした者へのなぐさめものみの塔 1962 | 6月1日
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気おちした者へのなぐさめ
「全く憂うつだ。どうしてこんなことがあるのだろう。私はいったい何をしたんだろう。他人を慰めながら自分が慰められないのはどうしたことだろう。許しがたい罪でも犯したのだろうか。私は神に捨てられたのだ!」。意外にも意気消沈した自分を発見したクリスチャンの口から,あなたはこういう訴えを聞くことがあるかも知れません。
意気消沈したときの気持ちはみじめです。しかし珍らしいことではありません。たとえば,一定の激しい勉強の期間が終りに近づいた時,円熟した監督が,突然憂うつな気分に捕われます。自分の責任を果たすために一生懸命働く中年の婦人が,悲しそうな顔をして落胆しています。会衆の熱心な監督が,多くの生きたすいせん状をもちながら,
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