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あなたはなぜ自分自身と他の人びとのために命を望んでいますかものみの塔 1973 | 9月1日
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「真の命」と言いました。(テモテ前 6:19,新)パウロがそう言った理由は容易に理解できます。永遠に生きるのであれば,創造的に物事を考え,建設的な仕事をするための時間が十分にあります。神がお立てになる新秩序のもとでは,神がまだ完了されていない仕事,すなわちこの地球を楽園にすることが,人類の専念する第一の仕事になるにちがいありません。(イザヤ 65:17-25。ペテロ後 3:13。黙示 21:1-5)人びとは,とどまることなくエホバについて学び,一般の生活にかんする事実や数字,意見などをその思いに取り入れつづけるでしょう。頭脳の収容能力は無限であり,貯えれば貯えるほど,その有用性は増します。発明家であった科学者のトマス・エジソンは,現在の程度の知力では,宇宙の事がらすべてをはあくすることはできないと言って嘆いたことがあります。どんな事がらにせよ,われわれはその何百万分の一も知ってはいない,と彼は言いました。しかし,知力をいまよりもはるかに多く使えることからくる喜びを考えてごらんなさい。今日の生活においては,仕事の完成を見るのは容易なことではありません。ほとんどの人は,最後にはなんとか希望に近いものができあがるだろうと信じて,ひとしきり働いているにすぎません。しかし,エホバの新秩序においては,完成に至るまでの具体的な構想を立てる時間と可能性があります。このことは永遠にわたって人間の幸福となり,神の栄光となります。というのは,これこそ神が述べられた目的だからです。―イザヤ 55:10,11。
19 自分自身と他の人びとのために永遠の命という賜物を確実にするよう,わたしたちは何をすることができますか。
19 ですから,今神のご意志を行なうことにより,命を神の賜物としてたいせつにしてください。命の唯一の源と,その真の意味,および報いある目的を他の人びとに教えることによって,命に対するこの畏敬の念をその人たちの心に植えつけてください。エホバが命令されたことをすべて行なうように人びとに教えることによって,彼らがエホバ神とキリスト・イエスの弟子となり,おふたかたから学ぶ者となるように助けてください。生きる唯一の理由を人びとに示すとき,わたしたちは自分自身のうちに,生きる目的を生き生きと保つことができるのです。命も,愛と同様に,それ自身の境界内に限られていたのでは栄えませんが,他の人びとに自らを与えてこそ新たになるのです。そして,その最大の,また非常にりっぱな報いのある奉仕は,神に栄光を帰すことです。したがって詩篇作者は,その究極の希望を次のように表現しました。『気息あるものは皆ヤハをほめたたうべしなんじらエホバをほめたたうべし』― 詩 150:6。
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『平和に役だつ事がらを追い求めなさい』ものみの塔 1973 | 9月1日
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『平和に役だつ事がらを追い求めなさい』
「それですから,平和に役だつ事がらや互いを築き上げる事がらを追い求めましょう」― ロマ 14:19,新。
1 (イ)20世紀の人びとは何を認めさせられてきましたか。(ロ)しかし,どんな質問を提起せざるをえませんか。
平和の追求は,今日第一に行なうべき事がらの一つです。多くの人びとは,人類が生き残るには平和は不可欠であると考えています。しかし,諸国民また民衆は全体として,自分たちの生活や目標また主義を築き直すのに要する高い代償を喜んで支払うほどに真に平和を欲しているでしょうか。平和を達成しようとする人びとの努力から判断するかぎり,とてもそうはいえません。証拠を考慮してみてください。
2 (イ)この世界はどのようにして平和を求めていますか。その結果はどうですか。(ロ)平和はどのようにして確立されなければならないとフランスの科学者は述べましたか。
2 世界は利己主義に基づく手段によって,つまり勢力の均衡,相互条約,国際同盟などを通して平和を求めています。また,人間的方策を駆使して戦争を防止しようとしています。平和に関するこの世界の概念は,実際のところ,軍備の充実した状態なのです。恐怖のために闘争や暴力行為は抑止されるものと期待されています。そのような平和は表面的で,まやかしの,当座しのぎの平和です。それは決して真の平和追求の表現とはいえません。フランスの科学者,レコンテ・ドゥ・ノウエが述べたとおりです。「諸国民も個人も,自分たちが何を欲しているかを知るべき時が来た。もし文明諸国が平和を欲するのであれば,問題は基本的な事がらから取り上げて処理してゆかねばならないということを理解すべきである。過去の世代の者たちがわれわれに残していった古い足場は,至る所にひび割れが生じている。それは代用品で,少々のひもやにかわなどで,つまり威風堂々とした紳士たちがいかめしい態度で署名した協定などで強化できるものではない。そのうえ,強化すれば事足りるというわけではない。平和は,外面的構造を築くことによるのではなく,人間を内面的に作り変えることによって確立しなければならない」。
3 (イ)預言者イザヤは平和の源について何と述べていますか。(ロ)諸国民はそのような平和を所有しているとはどうして言えませんか。しかし,だれがそう言えますか。なぜですか。
3 しかし平和は,人を作り変えるそうした力によってもたらされるとはいえ,人間の行なう政治的操作によってではなく,エホバ神の義によってもたらされるものなのです。西暦前7世紀の昔,エホバの預言者イザヤがそのような平和について書きしるした事がらに注目してください。まず最初イザヤは,『[エホバの]霊うえよりわれらにそそぐ』までは真の平和は決して地には臨まないと述べています。次いで,こう言います。『〔真の義〕のいさおは平和〔真の義〕のむすぶ実はとこしえの平隠とやすきなり』。(イザヤ 32:15-17〔新〕)いったい世界のどの国民が,現代行なわれてきた平和のためのあらゆる協議にさいして,まず第一に神の義を考慮してきたと唱えることができるでしょうか。諸国民はそれほど高い目標を目ざしたことは決してありませんでした。ですから,彼らは神のその預言者の語った平和を一度も刈り取ったことがありません。しかし,神の民であるその証人たちは神の義に対する純粋の関心を示してきました。エホバは平和の神ですから,平和は神の霊の実なのです。(コリント後 13:11。ガラテヤ 5:22)神の証人たちが,あらゆる考えにまさる神の平和を刈り取ってきたのはもっともなことです。その平和はキリスト・イエスによって彼らの心と知力を守ってきました。(ピリピ 4:7,新)義を愛し,永遠に生きたいと願う人はすべて,今こそそのような平和に対して相応の考慮を払わなければなりません。
エホバがその組織に与える平和の益にあずかる
4 エホバの組織にはどんな状態が行き渡っていますか。このことはどのように予告されていましたか。
4 エホバはご自分の組織が示した義に対する関心のゆえに豊かな平和をその組織に与えてこられました。その平和は,エホバの証人の間に存在する隠やかで静かで調和の取れた状態によって表わされています。彼らはエホバがその組織をどう運営するかに関して力んだり,言い争ったりはしません。平和の行き渡るこうした風土は,イザヤ書 60章17節(口語)でこう予告されていました。「あなたのまつりごとを平和にし,あなたのつかさびとを正しくする」。神の義なくしては,真の,あるいは永続する平和はありえません。
5 エホバの組織は平和に満ちた一致したその状態をどのようにして維持しますか。
5 教理上の問題点あるいは従うべき方針などに関して明確にされた洞察力がエホバから与えられると,組織内のさまざまの部門に対して秩序ある仕方で指示が送られてゆきます。次いで,組織全体は,方向転換を円滑に行ない,明らかにされたエホバの意志にいっそう厳密に調和した,調整された進路を進みます。そうした調整は,種々の構成的要素である成員相互の争いもなく,平和裏に
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