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二つの世界大戦が私の家族に残したつめあと目ざめよ! 1979 | 3月22日
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職人として,地域社会に食糧を供給するために必要な人間とみなされたからです。しかし,その間ずっと,ルーディはドイツにいる自分の弟たちのことを心配し,その安否を気遣いました。
米国が参戦したとき,私の祖母の弟は17歳で,間もなく高校を卒業しようとしていました。そして,卒業の翌日,陸軍に召集され,軍事訓練に送られました。この人も,知ってはいても,まだ会ったことのない親族と戦うことになるのでしょうか。
その時までに,私の祖父ルーディの,ドイツにいる弟たちの身の上にはどんな事が起きていたでしょうか。一人は捕虜になってソ連におり,もう一人はフランスにある,米国の捕虜収容所にいました。ある収容所では捕虜に当てがわれる食糧が非常に少なかったため,ある日,鉄条網をめぐらしたへいのところをネコが通りかかったとき,私の大おじはそれを殺して皮をはぎ,その肉を生で食べてしまったのです。戦争も終わり近くなって,三番目の弟は軍用列車で輸送されていました。それはまさに終戦の宣言された日でしたが,その列車は爆撃を受け,祖父の弟は戦死してしまいました。
四人兄弟の育った,エインブルグの小さな村では,別の重大な出来事が生じていました。その幾年か前に再婚していた,私の曾祖父のマックスは,さらに二人の子供をもうけていました。ドイツの敗戦の色は濃くなっており,占領軍はいなかの至る所で見受けられました。一家の主人は大抵出征していましたから,家には家族を守る者がいない有様でした。
家々は押し入られ,略奪され,時には婦女子が強姦されることもありました。村人たちは,兵士が来るとの警告を与えられると,娘たちを連れ出し,畑の中の干し草の山の中に隠し,娘たちの安全を図ったものです。
戦争は終わったものの,その影響は平和条約の締結をもって無くなったわけではありません。祖父の弟たちは,列車で戦死した一人を除いて皆,ドイツのエインブルグにある家へ帰りました。しかし,その生活は二度と昔の様には戻りませんでした。一人は若死にしましたがそれまで入院と退院を繰り返していました。祖父のもう一人の弟,ベルンハルトゥは,ドイツからはるばるカリフォルニアにいる私たちを訪ねて来ました。その息子はすでに軍事訓練を終えており,ここ米国にいる私のおじたちもやはり軍事訓練を終えています。このすべては道理にかなった事でしょうか。そのすべてはどんな結末を見るでしょうか。
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平和を望む声は強い,しかし諸国は軍備を撤廃するか目ざめよ! 1979 | 3月22日
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平和を望む声は強い,しかし諸国は軍備を撤廃するか
戦争の恐ろしさを思い起こすと,平和を強く望まずにはいられません。ベトナム戦争による死傷者数は幾百万にも達しましたが,それがすべてではありません。米兵の38%は,復員後六か月以内に別居または離婚をしています。ヘロインの常用者は約17万5,000人もいました。また,伝えられるところによると,何と約50万人が除隊後自殺を図っています。―1975年5月27日付,ニューヨーク・タイムズ紙。
広島に原爆を投下したB-29爆撃機のパイロット,クロード・イーザーリーの事例は,戦争の恐るべき後遺症を生々しく物語っています。クロードは,精神鑑定の結果,「重度の神経症と罪悪コンプレックス」にかかっていると診断され,1947年に除隊になりました。そして,その後,精神病院に何度も入院しました。昨年の夏行なわれたクロードの葬式の際,その兄弟は次のように語りました。「クロードが毎晩のように夜中に目を覚ましたことを覚えています。頭の中が燃え上がるようだ,あの人々が焼かれるのが分かると言っていました」。
戦争の恐ろしさをより十分に理解するため,33年前のあの情景を思い起こしてみるとよいでしょう。それは,1945年8月6日の朝でした。空高く飛ぶB-29のイノーラ・ゲイ号。眼下には,人口40万余りの活気にあふれた日本の工業都市。そして,8時15分,13㌔㌧の原子爆弾は三つのパラシュートでゆっくりと落下してゆき,広島市中心部の上空580㍍のところで爆発しました。14万人余りが爆死し,その多くは熱と放射線を受け火あぶりにされたのです。そして,いまだに放射線の後遺症による犠牲者は後を断ちません。
その原爆の爆発,そして三日後,長崎市上空での原爆の爆発によってもたらされた恐怖は,人間の想像を絶するものです。
平和の必要
それから一か月もたたない,1945年9月2日,日本は正式に降伏しました。マッカーサー元帥は,その記念すべき機に,「我々の前には新しい時代が開けている」と語り,こう続けました。「勝利の教訓そのものも,我々の将来の安全と文明の存続に関して,深い憂慮の念を引き起こす。……徹底的な破壊をもたらす戦争の力は,今やこの二者択一の可能性を消し去ってしまった。我々にはすでに最後のチャンスが与えられた。より大規模で,より公正な何らかの体制を考え出さなければ,ハルマゲドンは足早に迫って来よう」。
世界の指導者たちは,これと同じ所感をしばしば繰り返し述べてきました。1961年の秋,米国のケネディ大統領は,「軍備全廃計画」を提唱しました。同大統領の説明によると,「人類は戦争を終わらせねばならない。さもなくば,戦争が人類を終わらせるであろう。……無制限の軍備競争固有の危険と比べれば,軍縮固有の危険は取るに足りない」。
諸国家は,それ以来,軍備縮小に向けて積極的な手段を講じてきましたか。
平和への進展?
軍備縮小の必要を強調して間もなく,ケネディ大統領は軍事予算に60億㌦を上乗せするよう議会に要請しました。そして,それがいつものパターンとなってきました。平和についての話し合いや軍備縮小礼賛があったかと思うと,その舌の根の乾かぬうちに,より強力で,より致命的な兵器の製作を指示する命令が下されるのです。こうしたわけで,数多くの聞こえのよい提案 ― 軍備規制<アームズ・コントロール>と軍備縮小の最新の目録には9,000件余りの提案がある ― にもかかわらず,何の進展も見られていないのです。ネーション誌の1978年5月27日号は次のように論評しています。
「1945年以来,米ソおよび他の国々の外交官は,“軍備縮小”とその変則的な産物とも言える“軍備規制”について話し合うために少なくとも6,000回の会合を開いたが,相互の合意で削減された兵器は32年間にただの一つもない。それとは反対に,軍備競争 ― 非核および核兵器の双方を含むが,特に核兵器の装備 ― は絶え間なくエスカレートしている」。
一般に,「軍備縮小」がもはや論議の対象にもされなくなっていることは,その失敗を如実に物語っています。現在,論議の対象になっているのは,『軍備規制<アームズ・コントロール>』です。しかし,兵器の規制など手に負えるものではありません。一般大衆は,事態を改善するために有意義な方法で何らかの措置が講じられるという確信を全く失ってしまいました。
このことは,昨年の前半に国連の軍縮特別総会が開かれた際に示されました。開催予定の総会について報じた際,バッファロー・ニューズ紙は,「国連,ハルマゲドンの阻止へ動き出す」という見出しを掲げました。五週間にわたる総会は,約45年ほど前,1932年から34年にかけて開かれた国際連盟軍縮会議以来最初の世界的な規模の軍縮会議になったという点で歴史的でした。ところが,新聞や他の報道機関はこの総会を余り大きく取り上げませんでした。
同総会が会期半ばに差しかかったとき,ストックホルム平和研究所の理事長,フランク・バルナビー博士は,自分の期待したほど達成されなかったと言って嘆きました。同博士は,「悲観的な空気が立ち込めており,全般的な雰囲気はかなりひどい」と語っています。
それでも,情報に通じている人々が気づいているとおり,危機的な事態を改善することは急務となっています。核戦争の危険は極めて現実的であり,その危険は増大している,とバルナビー氏は指摘しています。英国の代表で,高齢のノエルベーカー卿は,国際連盟軍縮会議でも代表を勤めましたが,「核戦争に関する事実が全く理解されていないところに大きな危険がある」と語っています。
その事実とは一体どのようなものですか。
破壊的な力
それらの事実は,特に,核兵器の大きな破壊力,その膨大な保有量,そして地球上のいかなる目標へも核兵器を到達させるために諸国の開発した精巧な手段と関係があります。事実を検討してみてください。
キロトン(1,000㌧)とメガトン(100万㌧)という語は,核兵器の威力をTNT火薬の爆発力に換算した数字を指しています。ですから,広島に投下された13㌔㌧の原爆は,現代の数十メガトン級の兵器と比べれば,小さな“かんしゃく玉”のようなものです。例えば,60メガトン級の,つまり広島に投下された原爆の4,600倍の威力のある爆弾の実験が行なわれています。ところが,1945年に,14万人を,しかもその多くを無惨にも焼死させ,広島を荒廃させるのには,その比較的威力の少ない爆弾で十分だったのです。
現代の兵器の典型的なものは約1メガトン,すなわち広島に投下された原爆の約75倍の威力をもつ爆弾です。その核爆弾各々が一つの大都市を消滅させ得るのですから,大ニューヨークやロンドンや東京など人口の密集した地域に数十メガトンの核爆弾が投下されたらどうなるか想像してみてください。諸国家は,幾万もの強力な核兵器を有しているのです。その大半は米ソ両国の所有するものです。これらの兵器には,何回も,地球上の人間を一人残らず殺害する偉力があるのでその数字は無意味なものとなります。
驚嘆に値するのは,この破壊力を用いて,地球上のほぼいかなる目標をも発射後数分以内に破壊できるという事実です。米国の一大統領は,「手もとにあるこのボタンをわたしが押せば,20分以内に7,000万人のロシア人を殺すことができる」と,冗談とも言えない口調で語りました。
今日のミサイル発射装置は,弾頭を数千㌔離れた目標の数㍍以内の地点まで正確に運べるのです。その上,最新式のミサイルは,複数の爆弾を運びます。破壊すべき地域の上空にミサイルが到達すると,各弾頭を異なった目標に向けることができるのです。また,ミサイル発射装置のある場所は,地上の定まった地点に限られてはいません。ミサイルは,空中の飛行機からも,海上の船舶からも発射されるのです。
核ミサイル発射装置を備えた一隻の潜水艦には,各々が大都市に匹敵する,224の別個の標的を破壊する力があります。米ソ両国共に,そのような破壊をもたらす装備のある潜水艦を数十隻保有しており,さらに大型で高性能のものを建造しています。間もなく,米国の新型潜水艦トライデントが就航しますが,サタデー・レビュー誌は次のように説明しています。
「トライデント型潜水艦には,水爆用海面下発射台が備わっている。その水爆の幾つかには,1945年に広島を破壊した原爆一千発分の爆発力がある。……トライデントに乗組む士官たちは,有史以来,1945年を経て今日に至るまで人類の蓄積してきたよりも大きな力を手中に収めている」。
そのすべての費用
こうした軍備すべてには費用が,しかも膨大な額の費用が必要とされます。1945年以来,諸国家は軍事活動に何と6兆㌦(約1,200兆円)を優に超える資金を費やしてきたのです。「原子力科学者紀要」誌,1978年5月号は,「世界の軍事歳出は,現在のところ,年間約4,000億㌦(約80兆円)に上る」と述べています。その額は急激に増加しており,一分間に100万㌦(約2億円)になんなんとしています。
軍備の増強規模は驚くべきものです。ニューヨーク・タイムズ紙のジェームズ・レストンは,1977年にこう語っています。「昨年,世界の諸国家は,兵士一人を装備させるために,子供一人を教育するために使った費用の60倍の資金を費やした」。世界中で,軍務に服したり,軍隊と関連した職業に従事したりしている人は,約6,000万人に上り,世界の科学者の約半数は兵器の開発に携わっています。
その資金と労力が,軍備の蓄積などではなく,建設的な目的に向けられるなら,どれほど多くのことが成し遂げられるか考えてもみてください。すべての人に立派な住居を備え,より優れた医療や教育を施し,その他教多くの恩恵をもたらすことができるでしょう。ところが実情はと言えば,軍備計画のために,諸国は財政面でも,道徳面でも破たんをきたしています。
それでも,軍備は戦争を抑制するという主張がなされています。しかし,軍備は実際に戦争を抑制してきたでしょうか。むしろ,その反対です。1945年以来,世界各地で起きた150の戦争で,2,500万人が死亡しました。どの日を取っても,世界のどこかで平均して12の戦争が行なわれていました。確かに,1945年以来,そうした戦争で核爆弾が使われることはありませんでした。しかし,そのような兵器を膨大な量保有し,それを目標に到達させるための高度な手段を開発することは,核兵器の使用される可能性を減少させるでしょうか。
多くの人はそのように考えていません。オレゴン州選出の元米国下院議員の語ったとおりです。「今や大規模な滅亡と死へのおぜん立ては出来上がっている。……事実を述べるのに多くの言葉はいらない。第一に,今日,幾千幾万もの核兵器が存在しており,その多くは想像を絶するほどの破壊力を持つ。第二に,そのほとんど全部は瞬時にも爆発させ得る。第三に,それを管理しているのが人間だということである」。
そうです,人間は不完全であり,間違いを犯しやすいものです。人間には利己心や強欲に走る傾向があります。そしてそれらは戦争のおぜん立てとなっているのです。聖書は,利己的な欲望がどんな結果につながるかを示してこう述べています。「あなたがたの中の戦いや争いは,いったい,どこから起きるのか。それはほかではない。あなたがたの肢体の中で相戦う欲情からではないか。あなたがたは,むさぼるが得られない。そこで人殺しをする。熱望するが手に入れることができない。そこで争い戦う」― ヤコブ 4:1,2,口。
諸国家は手持ちの兵器で戦います。ストックホルム国際平和研究所によると,1985年までには,約35か国が核兵器保有能力を持つものと予想されています。それはどんな結果を招きますか。同研究所は,「我々の知っているような安定した核抑止は不可能になり,戦争は避けられなくなろう」と警告しています。
平和への希望はあるか
人類は,平和を切実に求めています。最近開かれた国連の軍縮特別総会の際,500人の日本人オブザーバーが,国連職員に,2,000万人の署名を付した,世界の即時軍備縮小を求める請願書を提出しました。この請願書は450個のカートンに詰められ,総重量は12㌧を超えていました。
軍備縮小と平和はいつの日か実現するでしょうか。世界の指導者たちの行動から判断すれば,その答えは明らかに否です。指導者たちは軍備競争を逆行させるために,事実上何も行なっていません。そのことは,1967年の宇宙条約に対する指導者たちの態度に再び示されました。その条約は,宇宙空間を平和の領域にするものと期待されていました。「原子力科学者紀要」誌はこう論評しています。「この条約は,軍事衛星の数を抑えるのにほとんど役立っていない。打ち上げられた人工衛星全体の約75%は軍事用である。1977年中,133個の人工衛星が打ち上げられたが,そのうちの95個は軍事衛星だった」。
それでも,軍備の撤廃と平和の実現を確信する根拠があります。国連のメイン・ビルディングの向かい側にある石壁に刻まれた聖書の約束はこう述べています。「彼らはそのつるぎを打ちかえて,すきとし,そのやりを打ちかえて,かまとし,国は国にむかって,つるぎをあげず,彼らはもはや戦いのことを学ばない」― イザヤ 2:4,口。
しかし,この約束は一体どのようにして成就するのでしょうか。国際連合は明らかにこの約束を実現できないでいます。では,真の平和が実現するという確信が持てるどんな根拠がありますか。宗教はその答えとなりますか。
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「1945年以来,米ソおよび他の国々の外交官は,“軍備縮小”とその変則的な産物とも言える“軍備規制<アームズ・コントロール>”について話し合うために少なくとも6,000回の会合を開いたが,相互の合意で削減された兵器は32年間にただの一つもない」― ネーション誌,1978年5月27日号。
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「トライデント型潜水艦には,水爆用海面下発射台が備わっている。その水爆の幾つかには,1945年に広島を破壊した原爆一千発分の爆発力がある。……」― サタデー・レビュー誌,1978年4月17日号。
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「過去33年間に,世界中には戦火が絶えなかった。ハンガリーの一教授の計算によると,『世界のどこかで戦争の行なわれていなかった日は……26日に満たない』。その同じ教授の計算によると,過去30年間に,戦場で2,500万の生命が失われた。この数字は二つの世界大戦を合わせたよりも多い戦死者数を表わしている」― エスクワイア誌,1978年3月1日号。
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「打ち上げられる人工衛星全体の約75%には軍事的な用途がある。1977年中,133個の人工衛星が打ち上げられたが,そのうちの95個は軍事衛星だった」―「原子力科学者紀要」誌,1978年5月号。
[8ページの図版]
THEY SHALL BEAT THEIR SWORDS INTO PLOWSHARES AND THEIR SPEARS INTO PRUNING HOOKS NATION SHALL NOT LIFT UP SWORD AGAINST NATION NEITHER SHALL THEY LEARN WAR ANY MORE
ISAIAH
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真の平和 ― 果たして到来するか目ざめよ! 1979 | 3月22日
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真の平和 ― 果たして到来するか
多くの場合,宗教は平和の主唱者とみなされます。特にクリスマスの季節になると,諸教会は,約束された「平和の君」である赤子イエスに敬意を表わします。世界中の宗教的なサークルでは,み使いたちが羊飼いに現われて,『いと高き所には栄光,神にあれ。地には平和,主の悦び給う人にあれ』と語った記録が繰り返し話されています。―ルカ 2:14,文。
戦争に脅かされ,実際に多くの場所では戦争で引き裂かれている世界にあって,この言葉には何と快い響きがあるのでしょう。人類は確かに真の平和を希求しています。ですから,人類が『戦争を再び学ばない』ことに関する聖書の約束は,多くの人の心の琴線に触れるのです。(イザヤ 2:4)しかし,そうした待望久しい平和を促進するものとして世の諸宗教に信頼を置けますか。
歴史の示す事柄
では,世の諸宗教の記録はどのようなものでしたか。諸宗教は平和を促す力となってきましたか。それとも,実際には戦争の支持者になってきたでしょうか。古代においてはどうでしたか。
ジェームズ・ヘースティングス編の宗教・倫理百科事典はこう述べています。「エジプトの宗教は決して戦争を非としていなかった。……要するに,すべての戦争は道徳的で,理想的かつ超自然的なものとされ,神々の先例によって是認されていた」。アッシリアについて,W・B・ライトは,自著「古代諸都市」の中で次のように述べています。「戦闘は国の仕事であり,絶えず戦争を扇動していたのは祭司たちであった。……この略奪者たちの競争は,極めて宗教的なものであった」。
『でも,それはイエスがキリスト教を紹介するよりもずっと昔のことだ』と反論する方もおられるでしょう。確かにその通りです。キリストの初期の追随者たちは,諸国の戦争を支持しませんでした。W・W・ハイド著の「ローマ帝国での異教からキリスト教への変遷」という本はこう述べています。「最初の三世紀間……クリスチャンは,ローマ軍に入って専門の殺し屋として軍務に服することを拒んだ。しかし,この初期の精神は,徐々に変化していった」。そうです,時たつうちに,キリスト教世界の諸教会はキリストの教えを固守しなくなったのです。カトリック教徒の歴史家,E・E・ワトキンはその点を認めて,こう述べています。
「それを認めるのはつらいことに違いはないが,司教が自国の行なう戦争すべてを終始一貫して支持してきたという歴史上の事実を,偽りの教化や不正直な忠誠心のために否定したり,無視したりするわけにはゆかない。実際のところ,どんな戦争であれ,国の僧職者団が不正であるとして非とした例を一つとして聞いたことがない。……たてまえはどうであれ,実践面では,“我が国は常に正しい”というのが戦時中カトリック司教の従う方針である」― チャールズ・S・トンプソン編,「道徳とミサイル」,57,58ページ。
同様に,プロテスタントの著名な僧職者,故ハリー・エマーソン・フォスディックは,次のような点を認めています。「我々は教会の中でも,戦闘用の旗を掲げてきた。……我々は一方では平和の君をたたえながら,もう一方では戦争を栄化した」。このことは第二次世界大戦中の記憶からも特に真実であると言えます。「主をたたえ,弾薬を手渡せ」という歌が米国ではやったのはそのころでした。では,ドイツでの情勢はどのようなものでしたか。
ウィーン大学の歴史学の教授で,ローマ・カトリック教徒のフレデリック・ヘールはこう説明しています。
「ドイツ史の冷厳な事実からすれば,かぎ十字がドイツ各地の大聖堂の塔から戦勝の知らせを触れ告げ,かぎ十字が祭壇の周りに登場し,カトリックとプロテスタントの神学者,牧師,教会員,そして政治家たちがヒトラーとの協力を歓迎するに至るまで,十字架とかぎ十字の結び付きはいよいよ密接になっていった」―「神の最初の愛」,フレデリック・ヘール著,247ページ。
それより数十年前の第一次世界大戦中にも,同様の事態が見られました。いずれの側の教会も,自国の戦争遂行のための活動を極めて精力的に促進しました。尊敬されている教会史家のローランド・H・バイントンは,自著,「戦争と平和に対するクリスチャンの態度」の中で次のように述べています。
「米国のあらゆる宗派の牧師が,互いの間で,また国家の意図とこれほどまでに結束したことはこれまでにない。それは聖戦であった。イエスはカーキ色の軍服に身を包み,銃身を見下ろしている姿で描かれていた。ドイツ人は文明破壊者で,それを殺すのは地球から怪物を追い出すことであった」。
事実は否定する余地のないほど明白です。宗教は平和を作り出す勢力にはなってきませんでした。むしろ,戦争の支持者であり,時には促進者でさえありました。これは今もって真実です。最近号のタイム誌に掲載された,「宗教戦争 ― 血にまみれた熱意」という記事はこう述べています。
「身の毛もよだつような情景が見られる。中には十字架を首に掛けた者もいるが,キリスト教徒の兵士は,車や銃に宗教的な像の飾りを付けて,回教徒の陣地に襲い掛かる。それに対して,回教徒の兵士はキリスト教徒の兵士の死体を裸にしたり,手足を切り取ったりしてから,車に結び付け,街の中を引きずり回す。レバノンでの激しい戦争には,宗教の介在がはっきりと見て取れる。……
「世界の他の場所でも宗教の旗の下に激しい戦闘がしつように続けられ,犠牲者はあとを絶たない。北アイルランドのプロテスタントとローマ・カトリック教徒は,一種の果てしなく続くむなしい流転のうちに,殺人の応酬をしている。アラブ人とイスラエル人は,国境,文化,そして宗教上の紛争のきわで,緊張のうちに向かい合っている。フィリピンでは,回教徒の分離主義者たちが大多数を占めるキリスト教徒に対して反乱を起こしている。ギリシャ系キプロス人の正教会派のキリスト教徒は,暗雲たれ込める休戦ラインをはさんで,トルコ系キプロス人の回教徒とにらみ合っている。パキスタンは,ヒンズー教の絶対多数による支配を回教徒が恐れたために,インドから分離独立した」― 1976年7月12日号。
キリストの考えておられるに違いない事柄
これらの宗教,中でもご自分を代表すると称えている宗教について,平和の君であるイエス・キリストはどう考えておられると思いますか。イエス・キリストは決してそうした宗教を快く思っておられないはずです。次の言葉を語られた際,イエスはそのような宗教的な偽善を念頭に置いておられたに違いありません。「わたしに向かって,『主よ,主よ』と言う者がみな天の王国に入るのではなく,天におられるわたしの父のご意志を行なう者が入るのです」― マタイ 7:21。
例えば,クリスマスの季節になると,諸教会は,平和の君,イエスに対して口先だけの信仰を言い表わします。そして,イエスの誕生日を祝っていると言います。その出来事を記念するために,美しい歌がうたわれ,凝った作り物の誕生の場面が展示されます。しかし,クリスマスを祝った人々は,大抵,その後出掛けて行き,半狂乱のお祭り騒ぎや酔酒や不道徳な生活に打ち興じます。そうした人々は,実際のところ何を祝っているのでしょうか。
「クリスマス祝祭は,ローマ時代にクリスチャンが冬至の祭りに手を加えたものである」とブリタニカ百科事典は述べています。ローマの12月の祝祭はひどく常軌を逸したもので,それにキリストの名を付したところで事態は変わりませんでした。W・S・ワルシュ著の「通俗習慣珍談奇談」という本はこう述べています。「古代におけるクリスマスの時期のまさに半狂乱のお祭り騒ぎは,およそ信じ難いものであった。わいせつ行為,酔酒,冒涜など何でもござれである。放縦な行為はそのきわみまで行なわれた」。
諸教会がそうした放らつな祝祭にキリストの名を付したとき,キリストははなはだ不快に思われたに違いありません。しかし,クリスマスの祝いは,もっと巧妙な仕方で,平和の君としてのキリストの地位をひそかに傷つけようとしています。
赤子か,それとも統治する王か
クリスマスの時節に,諸教会はキリストをどのような方として描き出しますか。それは飼い葉おけの中の赤子としてではありませんか。その結果として,イエスをそのような者,つまり他の人間の世話に依存している赤子としかみなさないような人も少なくありません。しかし,それはイエスの地位を正しく表わすものですか。
そのようなことはありません。キリストは全能者なる王,エホバ神の子であり,君なのです。しかし,イエスは赤子としての君以上の方です。支配権と権威をゆだねられているのです。聖書の古代の預言は次のように予告していました。「君としての支配がその肩に置かれる。また彼の名は……平和の君ととなえられるであろう」。(イザヤ 9:6,新)この預言を成就するため,イエスは地上で死んだ後,天の命へとよみがえらされ,最後にはその天で神の王として即位させられました。
ですから,キリストはもはや飼い葉おけの中の赤子などとは似ても似つかない存在です。キリストは神の統治する王なのです。それでは,赤子としてのイエスに主要な注意を向けるのは実に不適当なことではありませんか。そうするなら,現在の世界情勢,および平和に対する切実な欲求との関連におけるイエスの役割の要点を理解し損ないます。では,キリストの役割とは一体何ですか。
キリストは,地に平和をもたらすために神のお用いになる,任命された支配者です。しかし,それは多くの人々の期待するような仕方では起こりません。聖書の啓示 19章を開いて,その11節から16節までをお読みになってください。ここで描写されているキリストの地位,すなわち神のみ使いたちの軍勢の先頭に立つ,強力な支配者としての地位を理解するのは肝要なことです。「神のことば」であるキリストは,『鉄の杖で諸国民を打ち』,神の平和の政府の前に道を開けさせるために諸国民を除き去る,と聖句が述べている点に注目してください。
ですから,それこそ真の平和の実現される方法なのです。真の平和は人間のいかなる努力によってももたらされません。人間はその点で完全に失敗してきました。しかし,真の平和は神の王国政府によって実現されます。わたしたちは,今や,次の聖書預言の成就する時代に住んでいます。「それらの王たちの日に,天の神は,決して破滅に至らされることのない一つの王国を建てられます。そして,その王国自体は……これらのすべての王国を打ち砕いて終わらせ,それ自体は定めのない時に至るまで立つでしょう」― ダニエル 2:44,新。
決定の時
政府を支持する諸宗教をも含め,これら現在の諸政府すべての滅びが予告されていることを考えると,自分自身の立場を吟味するのは肝要なことです。イエスは,「わたしの王国はこの世のものではありません」と語り,ご自分の真の追随者についても,「彼らもこの世のものではありません」と言われました。(ヨハネ 18:36; 17:16)あなたの属する宗教は,イエスのこの言葉に付き従っていますか。そうしている宗教が一つあります。それを指摘して,ローマ・カトリックの聖アントニオ・メッセンジャー誌の1973年5月号は次のように論評しました。
「エホバの証人は“体制”の外に立ち,何であれ世俗の政府の行なおうと決定する事柄を祝福する責仕を受け入れようとしない。幾千人もの善良な人々は,そのように政治および経済上の利益から離れているほうが,教会と国家との,時としてなれあいになっているような間柄よりも新約聖書の精神に近いと感じている。その二者の実体が互いに近すぎるために,カトリック教会の預言的な言葉は押し殺され,司祭や聖役者は霊的な応援団員と化してしまう。キリスト教の諸教会は多くの場合,国の指導者が始めるよう決定するどんな戦争や冒険をも祝福するという印象を与えている」。
エホバの証人が諸教会や世の諸宗教と異なっていることは明白です。エホバの証人は,真の平和の源として,人間の諸政府にではなく,平和の君であるイエス・キリストの支配に希望と信頼を置きました。暴力は道理にかなっていないことに同意し,平和が万人に及ぶ時代に地上に生きたいと思われるなら,エホバの証人と連絡をお取りになってください。エホバの証人は,神の王国の支配の下で真の平和が間もなく実現する方法についてさらに多くの事柄を学べるよう,喜んで手助けいたします。
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