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最初から出席しましょうものみの塔 1969 | 9月1日
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最初から出席しましょう
何の最初ですか。エホバの証人の1969年の「地に平和」国際大会の最初です。なぜ最初から出席するのですか。この大会のプログラムは,初めから終わりまで,今までにないほどすばらしいものだからです。また,この古い体制の最後の時にあって,将来臨む事柄に備えるため,すべての人が必要とする重要な知識で満ちているからです。
神が今なにを行なわれており,また将来なにを行なわれるかに深い関心をもつ人は,初日から出席してください。そうすれば豊かな報いがあるでしょう。その理由を知るために,プログラムの最初の部分を検討しましょう。
初日の基調をなす講演は,「神を知って平和を保ちなさい」です。あなたはどれほど神を知っていますか。この基調講演に出席するなら,新しい見方が開けるのを発見されるかもしれません。
また,大会前半のある日の午後は全部,聖書がほんとうに神のことばである証拠を検討することにあてられます。今は「終わりの時」ですから,聖書に対する攻撃はしだいにふえています。人々が,聖書のある部分は「神話」であり,非科学的であり,また史実に反すると言うとき,あなたはそのことばがまちがいであることを証明する事実を提出できますか。聖書は単なる人間の著作ではなく,ほんとうに神のことばであることを証明する具体的な方法を幾つご存じですか。その午後の集会はすべて,この重要は問題の検討にあてられます。それは必ずあなたの信仰を強めるでしょう。
この大会にはほかにも多くのすぐれた特色があります。そのひとつは,出席者にたいへん喜ばれている聖書劇です。ほとんど毎日劇がひとつずつ行なわれます。現代を背景にしたものもあれば,聖書時代の服装で演じられるものもあります。ある劇には,サウル王,その子ヨナタン,エッサイのむすこダビデ,美しいアビガルなどが出てきます。この劇を見れば,それが今日のわたしたちにとってどんな意味をもつかをいっそうよく理解できるでしょう。
また声だけで行なわれるひとつの劇は,預言者ヨナの,世にもまれな経験を再現させるでしょう。別の劇は,古代のバビロン帝国が崩壊する直前の,ベルシャザル王の王宮にわたしたちを連れて行きます。この劇でわたしたちは,歴史上重要な時代であった当時の神の代弁者,預言者ダニエルの経験を回顧し,それから何を学ぶべきかを考えます。
親と子供
親と子供について言えば,今日多くの家族は問題をかかえており,その解決策に頭を悩ましています。一連の討論は,家族がそうした問題を克服するのを助けるためのものです。実際的な提案や実演は,あなたの注意を舞台にひきつけることでしょう。これらの提案は実際に役だちます。というのは,全世界の何千という家族が,その提案を受け入れたおかげで,幸福な家庭をきずいているからです。
また大会のある日は,まる一日若い人々のためにとってあります。この日には,若い人々が近ごろ直面しなければならない多くの問題の扱いかたを示す,率直な話,劇,熱のこもった討論,実演などがあります。
将来についても学べる
将来のことについてはどうでしょうか。聖書の黙示録は,わたしたちに将来のことを教える預言的な本です。けれども多くの人はこの本の理解に困難を感じています。この大会はあなたがこのすばらしい預言書の意味を理解するのを助けるでしょう。
また,神の民があらゆる迫害に対してしっかり立つことを助けるために準備されたプログラムもあります。神のしもべたちは,サタンがまもなく最終的な総攻撃をしかけてくることを予期しなければなりません。そのために備えるのは今です。ではどうすればその備えができますか。大会はその質問の答えを教えます。
最終日の公開講演も将来にかんするものです。演題は「近づく一千年の平和」です。地上に平和がくることを切望する人々は,こぞってこの講演をお聞きください。この講演は,この危機の時代に,慰めと激励と大きな希望を与えるでしょう。
最初から出席しましょう
どうすればこの国際大会のすぐれた内容をあますところなく楽しみ,それから益を受けることができますか。それは最初から出席することです。そして最初から出席したならば,どのプログラムの時にも初めから席に着いているようにしましょう。ほとんどの集会の最初に,世界の各地で奉仕している支部のしもべや宣教者の,有益で励みになる報告があります。それを聞きのがさないようにしましょう。
そうです,あなたもこの大集会に最初から最後まで出席するように招待され,すすめられているのです。これはどれほど大切なことですか。つぎのことを聖書に書きとめるように命令されたのはエホバ神です。「男女子ども……を集め 彼らをしてこれを聴かつ学ばしむべし 然すれば彼等汝らの神エホバを……畏るることを学ばん」― 申命 31:12。ヘブル 10:24,25。
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読者からの質問ものみの塔 1969 | 9月1日
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読者からの質問
● 聖書はモーセが120歳まで生きたと述べています。ではなぜ彼は詩篇 90篇10節で人の年齢は70歳か80歳にすぎないと書くことができましたか。―英国の一読者より。
詩篇 90篇の表題は,「神の人モーセの祈祷」となっています。ユダヤ人のタルムッド作者や学者たちは一致してこの詩篇をモーセに帰しています。たとえば,ライプチッヒ大学の有名な教授フランツ・デリッシュはこう書いています。「この詩篇ほど,その起源にかんする伝統的証言の正しさを見事に証明する不朽の古典はまずないといってよい。その内容のみならず文体からしても,これはまったくモーセに帰すべきものである」。
詩篇 90篇でモーセは次のように書きました「われらが年をふる日は七十歳にすぎず あるひは壮やかにして八十歳にいたらん されどその誇るところはただ勤労とかなしみとのみ その去りゆくこと速かにして われらもまた飛去れり」。(詩 90:10)モーセはこれよりも長く生きたので,多くの人は,なぜ彼がこのように書いたのか不思議に思っています。申命記 34章7節によれば「モーセはその死たる時百二十歳なりしがその目はかすまずその気力は衰え」ませんでした。
この聖句から実際にむずかしい問題は何も起きません。この詩篇を作った時のモーセの年齢はわかりませんが,その言葉から明らかなように,彼は70歳が寿命で,80歳は長生きだということを知っていました。確かに,エジプトの奴隷状態から解放された世代のほとんどの成人したイスラエル人は,あまり長生きをしませんでした。エジプトを出る時20歳以上だった者たちは,40年間の放浪の末滅びました。
もちろんモーセ(120歳),アロン(123歳),ヨシュア(110歳),そしてカレブ( 85歳以上)などの例外はありました。しかし,これらの例外は詩篇 90篇10節に記されている平均寿命を変えるものではありません。ヨシュアとカレブはその世代の人々よりも長生きし約束の地に入る,と神が直接宣言されたことを思い出して下さい。カレブは85歳の時,彼の年齢と体力に注意を促し,それをまれなものとして述べています。―民数 14:30; 33:39。ヨシュア 14:10,11; 24:29。
ときどきわたしたちは,100歳か100歳をすこし越えた人が居ることを新聞で見ます。ソ連邦のコーカサス山脈に住む長命で有名な人々のような集団さえいくつかあります。彼らの長命は遺伝的要素や生活様式からきているようです。このような例が広く報道されるということは,それらが例外であることを示すものです。多くの国の平均寿命が60歳から72,3歳で,詩篇 90篇10節の数字に近いという事実はいまもって変わりません。
寿命について考える時,多くの人は,近代科学が人間の寿命を大幅に延ばしたと思っています。ある意味ではそうです。幼児の死亡率や児童の死亡が減少して,平均寿命が高くなりました。1850年頃の英国では,男子の平均寿命は40歳に達しませんでしたが,1947年にはそれが60歳に上昇しました。しかし特定の年齢に達したおとなの平均余命はほとんど変わりません。たとえば,1850年のアメリカで,40歳だった人は,67歳まで生きることが期待できました。1962年には人間の医学の進歩にもかかわらず,40歳の男性が期待できるのは71.7歳で,これは1850年以来わずか4.7年の増加にすぎません。
したがって,モーセのようないくつかの例外はありますが,「われらが年をふる日は七十歳にすぎず」という霊感されたこの言葉が真実であることはモーセの時代も今も変わりません。
● コリトン前書 13章8節の「知識もまたすたらん」という聖句は何を意味していますか。―アメリカの一読者より。
文脈を調べると,聖霊の奇跡的な賜物である超自然の知識が,やがてなくなることを使徒パウロが意味したのは明らかです。
前の章でパウロは,霊の「賜物は殊な」ることについて書きました。この奇跡的な賜物には,いやすこと,預言すること,異言を語ること,そして知識のことばが含まれていました。(コリント前 12:4-11)これらは,医学を治めていやしたり,さまざまな言語を学んでいくつかの国語で話すといった普通の能力ではありませんでした。それは奇跡的な能力でした。したがって,ここで述べられている
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