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  • 人々があなたを迫害するときあなたは幸福です
    ものみの塔 1971 | 11月15日
    • 迫害者に対するクリスチャンの正しい態度

      19,20 (イ)クリスチャンは迫害者に対してどんな態度を取るべきですか。(ロ)クリスチャンはどのようにして悪によって征服されないようにしますか。

      19 では,クリスチャンは迫害者に対してどんな態度を取るべきですか。それは理解ある態度であるべきです。迫害者はサタン悪魔とその邪悪な組織に動かされて奸悪な行為をするのだということをクリスチャンは理解しなければなりません。多くの場合,迫害者は完全に欺かれているのです。イエスは言われました。「人なんぢらを除名すべし,然のみならず,汝らを殺す者みな自ら神に事ふと思ふとき来らん。これらの事をなすは,父と我とを知らぬ故なり」。(ヨハネ 16:2,3。コリント前 2:8)ゆえにクリスチャンは,人を許す態度,また神と人との前におけるクリスチャンの立場を理解するよう迫害者を助けたいと願う態度を取るべきです。

      20 イエスはこう命令されました。「汝らの仇を愛し,汝らを責むる者のために祈れ。これ天にいます汝らの父の子とならん為なり」。(マタイ 5:44,45)イエスはまた,そのような生き方をなさいました。木に釘づけされたとき,イエスはご自分の迫害者たちのために祈られました。「父よ,彼らを赦し給へ。その為す所を知らざればなり」。(ルカ 23:34)イエスの弟子たちも同様にしました。石打ちに会ったステパノは死に臨んでこう祈りました。「〔エホバ〕よ,この罪を彼らに負はせ給ふな」。(使行 7:60,〔新〕)使徒パウロはこう助言しています。「汝らを責むる者を祝し,これを祝して詛ふな。悪をもて悪に報いず,凡ての人のまへに善からんことを図り,汝らの為し得るかぎり力めて凡ての人と相和げ。愛する者よ,自ら復讐すな,ただ神の怒に任せまつれ。録して『〔エホバ〕いひ給ふ,復讐するは我にあり我これを報いん』とあり。……悪に勝たるることなく,善をもて悪に勝て」。(ロマ 12:14,17-21,〔新〕)こうした態度また行状は神の是認をもたらすものとなります。これはキリスト教の行き方です。

      21 (イ)所有物を損壊されたり危害を受けたりした場合,クリスチャンはどんな態度を取りますか。(ロ)最悪の場合,クリスチャンは事態をどう見ますか。

      21 たとえ人々がクリスチャンの所有物を損壊したり,危害を加えたりしたところで,恨みをいだいて報復すべき理由はありません。それら所有物は神に属するものであり,当のクリスチャンは神の同労者です。法廷はクリスチャンを保護し,失われた所有物を返済させるかもしれません。しかし,もし法廷がそうしないとすれば,クリスチャンは損害を甘受しなければなりません。だれをも人を害したり,殺したりしようとしてはなりません。復讐は神に属する事がらであり,神が返報されるのです。これがクリスチャンの態度です。

      迫害のもとで耐える

      22,23 (イ)迫害のもとで耐えるために,クリスチャンは何を行なえますか。(ロ)始末に負えない暴徒に脅かされる場合,どうするよう忠告されていますか。

      22 迫害を耐え忍ぶにはクリスチャンはエホバに全幅の信頼を置かねばなりません。神はクリスチャンを力づけ,結果において幸福にしてくださいます。(テモテ後 4:17)クリスチャンは自分自身のため,また同様に試練に耐えているかもしれない仲間のクリスチャン兄弟のためにもエホバに祈ることを決してなおざりにしてはなりません。祈る場合には,単に神は無実の人をだれをも迫害なさらないとして,迫害の点でエホバを責めるべきではありません。迫害をもたらすのは,サタンと配下の邪悪な組織です。それにしても神は,ご自分の宇宙主権に対するクリスチャンの忠節を全創造物の前で確証するために迫害を許してこられました。クリスチャンはこうして迫害を耐え忍ぶことにより,エホバのお名前とみことばを擁護します。

      23 クリスチャンは迫害あるいは殉教の死を求めたり,不敬虔な人々を憤慨させて暴力行為を引き起こさせたりしたいとは思いません。かえって,「蛇のごとく慧く,鴒のごとく素直」であるようにと忠告されています。(マタイ 10:16)ある時,イエスは暴徒を避けました。脅かされる場合,時によっては,クリスチャンの奉仕者はもっと好意的な土地に移る必要があるかもしれません。―ヨハネ 10:31-39。

      24 クリスチャンは自分の前に何を保つよう,いつも努力しますか。なぜですか。

      24 クリスチャンは,自分自身の強さをもって迫害を耐えるのではないこと,また自分に耐えられないほどの試みを受けるままにされるのではなく,試練に耐えられるよう,エホバはのがれ道を設けてくださる,ということを常に思い起こすべきです。(コリント後 4:9,10。コリント前 10:13)ある人にとっては,死に至るまで忠実を保つことが,のがれ道となる場合があるにしても,エホバはそれほど過酷な試練を耐えるにさえ必要な強さをお与えになります。エホバを自分のとりでとするクリスチャンは,危急の時に強さを得るでしょう。復活の希望また永遠の命の約束は信仰を強めます。それはイエスの信仰を強めましたし,エホバに信頼する者すべての信仰を強めるでしょう。「彼はその前に置かれる歓喜のために,恥をも厭はずして〔刑柱〕をしのび,遂に神の御座の右に坐し給へり」とあるからです。(ヘブル 12:2,〔新〕)あなたも同様に行なえるよう,エホバの約束をいつも自分の前に保ってください。―ナホム 1:7。箴言 18:10。

      25 忠誠を守る人は幸いなことに何を待ち望めますか。

      25 迫害という試練はわずかの期間続くにすぎず,エホバの約束しておられる報いとは比べものになりません。パウロは述べました。「われ思ふに,今の時の苦難は,われらの上に顕れんとする栄光にくらぶるに足らず」。なぜなら,かん難は「極めて大なる永遠の重き光栄を得しむ」るものだからです。(ロマ 8:18。コリント後 4:17)ゆえに,義のために苦しむ特権にあずかっている人は,すべての試練を耐え忍んでください。なぜなら,あなたの報いはまさに大いなるものだからです。「試練に耐ふる者は幸福なり,之を善しとせらるる時は,〔エホバ〕のおのれを愛する者に約束し給ひし,生命の冠冕を受くべければなり」。(ヤコブ 1:12,〔新〕。黙示 2:10)それがあなたの喜ばしい報いでありますように。

  • 完全 ― それはいったい何を意味するのですか
    ものみの塔 1971 | 11月15日
    • 完全 ― それはいったい何を意味するのですか

      聖書は神について,「彼の活動は完全である」と述べています。―申命 32:4,新。

      地球という惑星は神の手のわざである以上,完全であったはずです。それなのに神はなぜ,『地を服従せる』とアダムとエバに命じたのですか。―創世 1:28。

      同様に,神の活動の所産である最初の人間夫婦も完全でした。ではどうして彼らは罪を犯しえたのですか。

      こうした質問にあなたはどう答えますか。「完全」とはいったい何を意味しますか。このことに関する聖書の教えをご存じですか。この地上で完全な状態で生きることは,あなたに快く訴えるものですか。それとも,完全さは生きることからいっさいの挑戦を除き去ってしまい,人生を機械的に定められた単調なものにしてしまうだろう,と考えますか。

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