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迫害されても幸福!ものみの塔 1983 | 8月1日
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迫害されても幸福!
「義のために迫害されてきた人たちは幸いです。天の王国はその人たちのものだからです」― マタイ 5:10。
1 ローマ皇帝ネロはどんな迫害を始めましたか。
「彼らは獣の皮をかぶせられ,犬にかみ裂かれて殺され,十字架にくぎ付けにされ,また火あぶりにされて焼かれ,日の光がなくなった後の夜間の照明に供されるものとなった」。こう書いているのはローマの歴史家タキツスです。(「年代記」,第15巻,44節)その犠牲者となったのはだれですか。イエス・キリストの弟子であるクリスチャンです。ローマの火事(西暦64年)には皇帝ネロが関与しているといううわさが流れたため,ネロはイエスの追随者たちに罪をなすりつけようとしました。こうして,古代ローマの全盛期にクリスチャンに加えられたさまざまな迫害のうち最初のものが始まったのです。
2 (イ)イエス・キリストは,『義のために迫害される人たち』について何と言われましたか。(ロ)迫害されても幸福であるためには,エホバの証人は何を知らなければなりませんか。
2 初期クリスチャンたちは,こうした残虐な迫害をどのように耐え忍ぶことができたのでしょうか。そうです,古今のエホバの証人たちは,宗教上の信仰や信念を根絶しようとして故意に加えられる攻撃や危害を身に受けながら,どのように,喜びを保つことが可能であることを見いだしたのでしょうか。(テサロニケ第二 1:3-5)確かにイエス・キリストは,「義のために迫害されてきた人たちは幸いです。天の王国はその人たちのものだからです」と言われました。(マタイ 5:10)とはいえ,迫害されても幸福であるためには,エホバの証人は次のことを知らなければなりません。(1)悪魔がエホバの証人に迫害をもたらす目的。(2)エホバがこの患難を許しておられる理由。(3)迫害されても神の僕たちが幸福でいられる理由。(4)迫害に備えるため,行なえる事柄。(5)忍耐をもって迫害に立ち向かう方法。
悪魔の目的
3,4 (イ)エホバの証人が経験する迫害の背後にいるのは,実際にはだれですか。(ロ)イエスは,この迫害の主要な扇動者はだれであると述べましたか。
3 ローマの支配者たちには,平和を愛する真のクリスチャンたちについて恐れを抱く理由は全くありませんでした。これらのエホバの証人たちは,政府に関係した「上位の権威」に相対的な服従を示し,『カエサルのものはカエサルに,しかし神のものは神にささげました』。(ローマ 13:1-7。マタイ 22:21)ある者が秘密裏に,「義なるアベル」の時代このかた,エホバの証人に対する憎しみを絶えずあおってきたことなど,ローマ皇帝は知るよしもありませんでした。(マタイ 23:33-36。ヘブライ 11:4,32-40; 12:1)まさにこの現代に至るまでこうした迫害を挑発してきた悪者とは,悪魔サタンにほかなりません。神とエホバの民の敵対者として,この者は『だれかをむさぼり食おうとして,ほえるライオンのように歩き回っています』。―ペテロ第一 5:8。
4 イエスは,弟子たちが迫害を受けるようになると繰り返し語られました。例えばこう述べておられます。『奴隷はその主人より偉くはありません。彼らがわたしを迫害したのであれば[彼らは確かに迫害した],あなた方をも迫害するでしょう』。(ヨハネ 15:20; 16:2。マタイ 10:22,23)それに加え,キリストはこの迫害の主要な扇動者についてあいまいな点を少しも残さず,「七つの会衆」の一つに対してこのように言われました。「見よ,悪魔はあなた方のうちのある者たちを次々に獄に入れるであろう。それは,あなた方が十分に試されるため……である」。(啓示 1:1,4; 2:10)では,悪魔はどんな目的でエホバの証人たちを迫害するのでしょうか。
5 エホバの僕たちに迫害をもたらす悪魔の目的は何ですか。
5 サタンがエホバの僕たちに圧迫と迫害をもたらす目的は,何とかして彼らの信仰を曲げさせることです。彼らが持っている天の父との貴重な関係を打ち砕こうと思っているのです。エホバ神は,罪のそもそもの始まりから,「蛇」と神の象徴的な「女」との間,および各々の「胤」との間に敵意が存在することを予告されました。(創世記 3:14,15)イエスは蛇の実体がサタンであることを疑問の余地なく明らかにされ,そのイエスの迫害者たちに,あなた方は,「あなた方の父,悪魔からの」者,つまり敵対者の「胤」であると言われました。(ヨハネ 8:31-59)この「終わりの日」に悪魔の時は短くなっており,その怒りは実に大きなものとなっています。(テモテ第二 3:1-5。啓示 12:7-17)したがって,双方の「胤」の間の敵意はさらに続き,地にいる人は皆,結局は神の側の胤か悪魔の側の胤に付かなければなりません。(ヨハネ第一 3:10と比較してください。)ですから,人がエホバ神に忠実に仕えるなら,その人は,今あるいは将来,迫害の対象となります。悪魔サタンがそのように事を運ぶのです。―テモテ第二 3:12。
6 サタンはどんな大論争を起こし,人間に関するどんな点に疑いをはさみましたか。
6 サタンは宇宙主権の論争を起こし,試みに遭った時の人間の忠誠に疑いをはさみました。例えば,サタンがヨブという人間に対する迫害を扇動した時に問題となったのは,神への忠誠でした。ヨブの妻と3人の「慰め手」は,知ってか知らずか悪魔の目的にかなっていました。(ヨブ 1:8-2:9; 16:2; 19:22,28)ヨブの例から明らかなように,悪魔はエホバに挑戦し,人間を試みに遭わせることを許してもらえるなら,どんな人間も神に忠実を保つことはないと主張しました。ですから悪魔はエホバの証人たちを迫害し,彼らの忠誠を破らせ,自分の挑戦が正しいことを証明しようとしているのです。
7 クリスチャンの信仰を妥協させるためには何があれば十分ですか。イエスはそのような誘惑を受けた時,どのように反応されましたか。
7 サタンは,自分に対するただ一度の「崇拝の行為」があれば,クリスチャンの信仰を妥協させ,人間は試みや迫害に遭えば神に忠実を保つことはないという悪魔の挑戦の支持を取りつけることができるのを知っています。悪魔が「世のすべての王国とその栄光とを」イエスに見せた時,この主要な迫害者は何と言いましたか。「もしあなたがひれ伏してわたしに[一度の]崇拝の行為をするならば,わたしはこれらのすべてをあなたに上げましょう」と言ったのです。しかし,イエスがそれを断固として拒否したことは,真の崇拝を支持し,宇宙主権の論争に関してエホバの側を擁護し,悪魔が偽り者であることを証明するものでした。―マタイ 4:8-11,[英文新世界訳]。
8,9 (イ)初期クリスチャンたちは,サタンへの一度の「崇拝の行為」もしないことをどのように示しましたか。(ロ)20世紀のあるクリスチャンたちは,どのように同様の試みを受けましたか。彼らはどんな立場を取りましたか。
8 ですから,忠実な初期クリスチャンたちが,その大論争においてサタンの側を支持することになりかねない一度の「崇拝の行為」を断固として退けたのは実に適切なことでした。キリストの忠節な追随者たちは,たとえ命が犠牲になろうとも,ローマ皇帝の名誉をたたえる香をたくことを拒みました。この点について,ダニエル・P・マニックスはこのように書いています。「火の燃える祭壇は,通常,彼らの便宜を計って競技場に常設されていたが,信仰を撤回したクリスチャンはほとんどいなかった。囚人は,一つまみの香を炎の上に振りまくだけでよかった。そうすればその囚人には犠牲証明書が与えられて釈放された。当人に対しては,あなたは皇帝を崇拝したのではなく,ローマ国家の首長としての皇帝の神格を認めたにすぎないということも,注意深く説明された。しかし,ほとんどどのクリスチャンも,この逃亡の機会を利用しなかった」。(「まさに死なんとする人々」,137ページ。)ただ一度のそうした「崇拝の行為」だけで,サタンを満足させるには十分だったでしょう。
9 20世紀のクリスチャンの中にも,同様の試みに遭った人たちがいます。エホバの証人が逮捕された時から,また彼らがナチの強制収容所に留置されていた間には何度も,エホバを否定させ,その民とこれ以上接触を持たせまいとする圧力が加えられました。その目的でナチスは一つの宣言書を準備しましたが,それは,そこに署名すればエホバの証人に自由を与えることを約束するものでした。求められたのは,その人の署名だけでした。しかし,証人たちはほとんど署名しませんでした。
10 宣べ伝える自由を得ることを願って,小さな事柄で妥協してしまうのはなぜ賢明ではありませんか。
10 わたしたちは,エホバの証人たちを迫害に遭わせるサタンの目的を知っているのですから,面倒なことを避けるために論争を回避するようにという悪魔的な誘惑には絶対に負けないようにしたいものです。見たところ小さな問題だから妥協すればすぐに自由になって宣べ伝える業が行なえる,という誤った考えを抱くことさえしてはなりません。わたしたちの忠誠に関して妥協することは,すべて自らの完全な没落へとつながりかねないのです。(マタイ 13:21; ガラテア 6:12と比較してください。)妥協が「崇拝の行為」に等しいような場合,もはやわたしたちはエホバの王国の関心事をふさわしく代表する者ではありません。わたしたちの忠誠を破るただ一度の行為は確かに悪魔に喜びを与えます。そしてわたしたちは確かに悪魔をうれしがらせたいなどとは思いません。むしろ,大嘲弄者に対しエホバが答えることができるよう,忠誠を保つことによってエホバの心を喜ばせることを求めます。―箴言 27:11。
エホバが迫害を許される理由
11 エホバがご自分の民の迫害を許される主要な理由は何ですか。
11 わたしたちの天の父は,ご自分の民に対する迫害を阻むこともおできになります。しかしみ父は迫害を許すことを選ばれるのです。その理由を知ることは,迫害に遭っても幸福であるための助けになります。迫害を許しておられる主要な理由は宇宙主権の論争と関係しています。悪魔の霊感による試みのもとで忠誠を保つエホバの証人たちは皆,サタンが偽り者であることを証明し,不完全な人間でさえ厳しい試みや迫害に遭っても神に忠実を保てるという証拠を提出します。忠節な人は,この論争において神の側を擁護し,宇宙の主権者としてのエホバの支配権を支持します。「神は最高の支配を行なう」ということを示す証拠を付け加えるのは何という喜びでしょう!―詩編 47:9,今日の英語聖書。
12,13 ほかのどんな理由により,エホバはクリスチャンが迫害されるのを許されますか。そして神の取り決めの中で永続的な場所を得るのは,彼らのうちのだれですか。
12 エホバは,ご自分に献身した人々の忠節を試すためにも迫害を許しておられます。神は「特別な所有物となる民」を集め,霊によって油そそがれたこれらの人々が『神の卓越性を広く宣明する』ようにされました。(ペテロ第一 2:9)さらに神は,「あらゆる国民のうちの望ましいもの」― 神の是認を受けている人々 ― がご自身の崇拝の「家」に入れられてそこを栄光で満たすよう,「あらゆる国民を激動させ」ておられます。(ハガイ 2:7。ゼカリヤ 8:23と比較してください。)したがって,天的な希望を抱く人々も,楽園の地でのとこしえの命を待ち望む他の人々も,献身したクリスチャン,またエホバの証人となりました。―ルカ 23:43。啓示 7:1-17。
13 しかし,これら献身したクリスチャンたちすべての中で,最終的に,約束された「新しい天」と「新しい地」の一部となるのはだれでしょうか。(啓示 21:1)その全員がそうなるのではありません。(詩編 15:1-5。マタイ 22:14)不忠実であることを示す人々のための永続的な場所は,神の取り決めの中にはありません。したがって,エホバは迫害を生じさせているのではありませんが,ご自分の民の中から不忠節な人々をふるい分け,同時に,ご自分の民の隊伍の中に,一点の疑念もない忠節と神に対する心からの愛を示す人々を保持するため,迫害を許しておられるのです。(マタイ 22:37,38; 25:31-33。コリント第二 13:5)わたしたちは,迫害を忠実に耐え忍ぶ人として数えられ,「いつの日も」,まさに永久に,「み前で忠節と義とをもって恐れなく[エホバ神に]神聖な奉仕をささげる特権」に絶えずあずかりたいものです。―ルカ 1:68,69,74,75。
迫害されても幸福な理由
14 イエスは,迫害されても幸福な理由として,特にどんな事柄を引き合いに出されましたか。
14 イエス・キリストは,「義のために迫害されてきた人たちは幸いです。天の王国はその人たちのものだからです」と言われた時,特に王国の希望を引き合いに出されました。(マタイ 5:10)そうです,キリストと天の王国で交わることは,忠実に迫害を耐え忍んだ,イエスの油そそがれた追随者たちを待ち受けているすばらしい賞なのです。(ルカ 12:32。啓示 2:10; 14:1; 20:6)そして,地的な希望を持つ忠実なエホバの証人たちには,楽園の地でのとこしえの命という壮大な希望があります。(ルカ 23:43。ヨハネ 10:16; 17:3。啓示 7:9,10,14)ですから,もし王国の希望を思いにとどめるなら,迫害されても確かに幸福でいられます。―ローマ 12:12。
15 エホバの主権はどのように王国と関係していますか。このすべてのことは,迫害されても幸福でいられることと,どのように関連づけられますか。
15 エホバの宇宙主権は,王国と不可分の関係にあります。その王国によって,エホバはご自分のみ名を神聖なものとされるからです。エホバの忠実な証人また王国宣明者として,わたしたちはその主権を擁護し,そうすることによって,たとえ患難のただ中にあろうとも幸福でいられる理由を付け加えてきました。(イザヤ 43:10-12。マタイ 6:9,10)ですから,神の助けを得て神への忠誠を保ち,悪魔が,試みに遭えば人間は一人もエホバに忠実を保つことはないという自分の主張を裏付けることのできない偽り者であることを証明しましょう。(ヨブ 27:5)この大論争においてエホバの側を擁護するとき,迫害されるクリスチャンはみな何と幸福でいられるのでしょう!―使徒 4:24と比較してください。
16 迫害されても幸福であることに清い良心が寄与すると言えるのはなぜですか。
16 清い良心も,忠節でありながらも迫害される王国宣明者たちの幸福に寄与します。クリスチャンであると公言する人が悪行ゆえに苦しみを受けるときは,恥と精神的な苦悩とを経験するかもしれません。しかし,忠実なエホバの証人として,またイエス・キリストの追随者として義のために苦しみを受けるのなら,人は本当に喜ぶことができます。そのわけでイエスの使徒たちは,むち打たれた後でも,「[キリストの]名のために辱められるに足る者とされたことを歓びつつ,サンヘドリンの前から出て行った」のです。(使徒 5:40,41)同様に,フィリピで打ちたたかれ,投獄された後のパウロとシラスの場合も,まるで悪いことをしてしまった時のように不きげんになったり,良心に責められたりすることはありませんでした。むしろ二人は真夜中ごろ,「祈ったり,歌で神を賛美したりしていた」のです。(使徒 16:22-25)したがって,エホバの証人は,罪を犯して恐らく良心の痛みを感じる殺人者,強盗,悪行者,せんさく好きなどとして罰せられるような行動をすべきではありませんが,一方義のために苦しみを受けるのなら,幸福でいられます。―ペテロ第一 2:11,12; 3:13,14; 4:15,16。
17 王国の支持者として迫害される時,わたしたちの幸福に特に寄与するものは何ですか。
17 エホバを喜ばせ,エホバの栄光をたたえることは,王国の支持者として迫害を受けるときのわたしたちの幸福に特に寄与します。極度の圧力のもとにある時でも,エホバの僕として喜びを保つために重要なのは,『神を喜ばせるように歩むこと』です。(テサロニケ第一 4:1)さらに,クリスチャンとして苦しみを受けるときには,「神の誉れとなるようその名を告白」すべきです。その点について考えてください。迫害を忠実に耐え忍ぶとき,わたしたちはエホバを喜ばせるだけでなく,「神の栄光をたたえ続ける」のです。(ペテロ第一 4:16,新英訳聖書; 新世界訳聖書)迫害を勇敢に耐え忍ぶための何と喜ばしい動機でしょう!
忠誠を保つ者として前進しなさい
18 エホバの証人は,神への忠誠を保つことについてどう考えるべきですか。
18 それで,明らかに,エホバの証人には迫害されても幸福であるためのしっかりした理由があります。ですから,神の助けを得て,「わたしは,自分の忠誠のうちに歩みます」と述べた詩編作者ダビデのように不動の立場を保ちましょう。―詩編 26:11。
19 ここで,考慮すべきどんな質問が生じますか。
19 悪魔がどんな目的でわたしたちにそうした患難をもたらすかを知っているので,わたしたちは忠実なクリスチャンとして,迫害されても幸福でいられます。さらにわたしたちは,エホバ神がご自分の民の迫害を許しておられる理由を理解しています。しかし,迫害に面しても幸福でいられるこうした理由はありますが,迫害に備えるために何ができるでしょうか。そしてどのようにすれば,激しい,時には残虐なものともなる迫害に,忍耐をもって立ち向かうことができるでしょうか。
復習の質問
□ 悪魔はどんな目的で,エホバの証人に迫害をもたらすのですか
□ サタンはどんな大論争を起こし,人間に関するどんな事柄に疑問をはさみましたか
□ エホバはなぜ,ご自分の民が迫害されるのを許しておられるのですか
□ イエス・キリストは,「義のために迫害される」ときに幸福でいられるどんな理由を,特に引き合いに出されましたか
□ わたしたちがエホバの僕として迫害されるとき,何がわたしたちの幸福に寄与しますか
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クリスチャンは忍耐をもって迫害に立ち向かうものみの塔 1983 | 8月1日
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クリスチャンは忍耐をもって迫害に立ち向かう
1,2 忠節なエホバの証人は,どのように迫害に立ち向かいますか。しかし,そのことからどんな質問が生じますか。
エホバの証人は殉教を求めているわけではありません。しかし,「キリスト・イエスにあって敬虔な専心のうちに生活しようと願う人はみな同じように迫害を受け(る)」ことを知っています。(テモテ第二 3:12)このことで彼らは意気消沈してしまうでしょうか。
2 そうではありません。忠節なクリスチャンは,「忍耐をもって迫害に立ち向かうこと」ができるからです。(コリント第一 4:12,20世紀新約聖書,改訂版)では,こうした苦しみが臨む前に,どのようにその備えができるでしょうか。
迫害に備える
3 迫害に備えるための方法にはどのようなものがありますか。
3 前回の討議では,迫害に備えるための種々の方法が提案されました。例えば,悪魔にはわたしたちとエホバとの関係を破壊するという目的があることを憶えておく必要があります。神の過分のご親切により,そうしたことが一切生じないようにしましょう。神が迫害を許しておられる理由を考えるなら,迫害に備えることもできます。その主な理由となっているのは,宇宙主権の論争であり,またわたしたちの忠節を試みるためです。ですから,神からの助けをいただき,エホバの主権の忠節な擁護者になるのだ,ということを前もって決意しておきましょう。加えて,王国の希望が心の中にあれば,迫害に備えることができます。
4,5 迫害が臨む前の備えとして,わたしたちはどのように信仰を培うことができますか。
4 迫害が臨む前に備えをするに際しては,毎日,信仰と勇気と忍耐を培う必要があります。しかし,真実の信仰を持ちたいなら,本当にエホバを愛さなければならず,そのためには神の言葉に関する正確な知識が必要です。この知識を得るためには,聖書と,関係したキリスト教の出版物を定期的に読みまた学ばなければなりません。それだけでなく,強い信仰にとって不可欠なのは,エホバへの崇拝や奉仕において仲間の信者たちと交わることです。―ヘブライ 10:23-25; 12:28。啓示 7:9,10,15。
5 迫害の備えをするために,「真理のうちを歩みつづけ」,日々それを実践し,常に「真理によって導かれる」ことも必要とされます。(ヨハネ第三 3,4,新世界訳; 20世紀新約聖書)日々小さな試みに直面するときも神の導きを受け入れるなら,エホバとその方法に対する信仰を築き上げることになります。このことが次いでわたしたちの心を動かし,迫害されるときにも「真理によって導かれる」ようになるのです。
6 祈りは,迫害に備えるようどのようにわたしたちを助けるものとなりますか。
6 エホバに定期的に祈ることを習慣にすると,わたしたちは一層エホバの近くに引き寄せられ,そのことは迫害に備えるための助けにもなります。祈りをこめて天の父に頼れば頼るほど,わたしたちはエホバをいっそう信頼するようになります。(コリント第二 1:8-10)こうしてわたしたちと神との関係は非常に強くなり,人間であれ悪霊であれ,わたしたちの敵が打ちこわせないほどのものになるのです。―詩編 9:1-6; ヨハネ第一 2:12-14と比較してください。
忍耐をもって迫害に立ち向かう
7 迫害されてわたしたち自身の力が尽きてしまうとき,神は何をすることがおできになりますか。
7 迫害が実際にわたしたちに臨むとき,特にそれが残虐な形で臨むとき,忍耐をもってそれに立ち向かうために何ができるでしょうか。エホバからの力が肝要です。パウロのように,わたしたちにも『普通を超えた力』が必要であり,わたしたちはそれを祈り求めるべきです。(コリント第二 4:7-12)そうするとき,わたしたちは天の父に全く頼り切って,「わたしは,わたしを元気づけてくださる方[エホバ神]にあって,すべてのことに対する力を得ています」と述べたときのパウロと同じ確信を抱くことができます。(フィリピ 4:13,バイイングトン訳)わたしたちの身体的な力が尽きてしまっても,エホバの力の源が干上がってしまうことはありません。エホバはご自分の民に力を与えることがおできになり,また実際にそうされます。(イザヤ 40:28-31; 45:22-25)エホバに頼るなら,エホバは困難な時にわたしたち自身の能力を超えた力を与えてくださいます。ですから恐れてはなりません。人間にできるのはせいぜい今の命を奪うことですが,エホバは復活によってわたしたちを命へと回復させる力をお持ちです。―詩編 46:1,2。ルカ 12:4-7。ヨハネ 5:28,29。
8 忍耐をもって迫害に立ち向かう際に祈りが非常に重要なのはなぜですか。
8 エホバへの祈りは,忍耐をもって迫害に立ち向かう上で不可欠なものです。数々の苦しみを経験されたイエスは,心からの祈りによって常にみ父のそばにおられました。こう書かれているからです。「キリストは,肉体でおられた間,自分を死から救い出すことのできる方に,強い叫びと涙をもって,祈願を,そして請願をささげ,その敬虔な恐れのゆえに聞き入れられました」。(ヘブライ 5:7)確かに,「祈りを聞かれる方」はわたしたちの敬虔な恐れゆえに,わたしたちのことも聞き入れてくださいます。(詩編 65:2)迫害の際に『たゆまず祈る』こと,『絶えず祈る』こと,『祈りのために目をさましている』ことの必要性は,いくら強調しても強調しすぎるということはありません。(ローマ 12:12。テサロニケ第一 5:17。ペテロ第一 4:7)さもなければ,わたしたちは,不快な事態や苦しみのことだけを考え,また自由になりたいとの願いに負け,自分の信仰を曲げて肉の傾向に屈してしまうことになるかもしれません。
9,10 (イ)わたしたちが迫害される時,「神の平和」はどのようにわたしたちを助けることができますか。(ロ)ステファノが迫害者たちの面前で平静さを保っていたことから,何を学ぶことができますか。
9 圧迫のもとにあるときには「神の平和」を追い求めてください。毎日エホバに祈りつづけてきたなら,既にりっぱな生活の型が定着しているのです。そして,迫害されても熱心に絶えず神に近づくはずです。「一切の考えに勝る神の平和」を祈り求めるのは適切なことです。それは,必要とあらば忠実のうちに死ぬその時まで,『わたしたちの心と知力を,キリスト・イエスによって守ってくれるのです』。―フィリピ 4:6,7。
10 すべてに勝るこの穏やかさが迫害の時にわたしたちのものになり得るということは,最初のクリスチャン殉教者であった忠実なステファノの例に示されています。ステファノが聖霊に動かされて最後の勇敢な証言を行なう直前のことについて,聖書は,「サンヘドリンに座している者がみな彼を見つめていると,彼の顔はみ使いの顔のように見えた」と記しています。(使徒 6:15)ステファノは悪行者のようなうちしおれた顔をしていたのではなく,自分はエホバの後ろ盾を得ているという確信に満ちて,神の使いであるみ使いのような表情をしていたのです。ステファノは勇敢であり平静でした。(ヨハネ 14:27と比較してください。)ステファノが,イエス・キリスト殺害の罪を暴露した後,裁きを行なう者たちは「心臓まで切られるように感じ,ステファノに向かって歯ぎしりしはじめ(まし)た」。しかしステファノは,「聖霊に満ち,天を見つめて,神の栄光およびイエスが神の右に立っておられるのを目にし」たのです。この幻によって力づけられたステファノは,裁きを行なうこれら不正な人々に,勇気と,自分はエホバのご意志を行なったという確信をもって立ち向かうことができました。(使徒 7:52-56)今日のクリスチャンはこうした幻を見ることを期待していませんが,忍耐をもって迫害に立ち向かうとき,神から与えられる平静さを保つことができます。
11 どんなことを黙想するのは,エホバの民が迫害を耐え忍ぶ助けになりますか。
11 エホバのみ言葉,物事の扱い方,目的を黙想してください。たとえ聖書と聖書文書を奪われたとしても,神の言葉について考え続けるのです。一日中,そして眠れぬ夜の間も聖書のさまざまな節や記述を思い起こすのです。(詩編 77:2,6,11,12と比較してください。)迫害され,圧迫されていた過去のエホバの民をエホバがどのように驚くべき仕方で扱われたかを考えてください。例えば,神がどのようにイスラエル人をエジプト人の束縛から救い出されたか,どのようにダニエルと3人のヘブライ人の友をその試練の時に支えられたか,どのようにモルデカイとエステルの時代にユダヤ人を保護されたか,どのように使徒たちや他の初期クリスチャンたちが義のために苦しみに遭っている時,彼らを支えられたかを熟考するのです。(出エジプト記 12:1-15:21。ダニエル 3:1-30; 6:1-28。エステル 3:1-9:32。使徒 4:1-5:42; 12:1-17; 14:1-7,19,20; 16:16-40; 18:12-17; 19:23-41; 21:26-26:32)ナチの強制収容所や共産主義国の牢獄にいた現代の僕たちをエホバがどのように支えられたかをも考えてください。迫害される時,エホバの崇拝者たちは,神の「永遠のみ腕」の支えを感ずることができます。―申命記 33:27,アメリカ訳。
12 わたしたちが迫害されている時,自分の苦しみについて何を思い起こすべきですか。そしてどんな信頼や確信を抱くべきですか。
12 苦しみは終わります。このことを思い起こすと,忍耐をもって迫害に立ち向かう助けになります。さらに,わたしたちを救い出される一方で,『神はわたしたちに患難をもたらす者に患難をもって報われます』。(テサロニケ第二 1:6-10)ですからエホバの証人として苦しみを受けている間,この苦難が必ず終わり,忠実さが天の父からの豊かな祝福を招くことを確信し,将来を望み見るべきです。例えば,わたしたちはやがて牢獄から解放され,喜びにあふれた王国宣明者として,何の制約も受けずエホバに再び自由に仕えることができるかもしれません。しかし,そうしたことが直ちに生じないとしても,わたしたちの苦しみは永久に続くのではありません。また,エホバを信頼し切って,予告された新秩序における何にも比べ難いさまざまな祝福の約束が成就することに確信を抱き続けるなら,それを耐え忍ぶことができます。―啓示 21:1-4。コリント第二 1:19,20と比較してください。
13 迫害にある間,コリント第一 10章13節からどんな慰めを得ることができますか。
13 神は,わたしたちが耐えられる以上にわたしたちを試みに遭わせることはされません。使徒パウロはそうした保証を与え,こう書きました。「人間に属する事柄以外の試練があなた方を襲ったことはありません。神は忠実であられ,あなた方が自分の能力以上に試みられることをお許しになりません。試練に関しては,あなた方がそれに耐えることができるよう,問題を導くこともなさるのです」。(コリント第一 10:13,エンファティック・ダイアグロット訳)すべてのクリスチャンが同じ苦しみを耐え忍ぶよう求められるわけではありません。ですから,自分個人の場合,残虐な迫害の中でも考え得る最悪のものをどうしても避けることはできない,などと考えるべき理由はありません。エホバはわたしたちを見捨てられません。それにわたしたちが個人として,エホバの力を受けてもその聖霊の助けを得ても耐えられないほどの事柄を臨ませるようなこともされません。言うまでもなく,わたしたちは神に絶対的な信頼を置き,そのみ言葉が述べる事柄を信じなければなりません。それでも,エホバを十分に信頼するなら,確かにわたしたちは忍耐をもって迫害に立ち向かうことができます。―詩編 9:9,10。
サタンの敵対行為は無益
14,15 迫害によってエホバの民を打ち砕こうとするサタンの企てはどのように覆されてきましたか。
14 エホバの忠実な証人たちはたぐいまれな非常に力強い神の指示を受け,強力な援助を与えられているので,悪魔サタンと迫害を加えるその手下たちは,これらの真のクリスチャンたちに対して決して勝利を収めることはできません。迫害によってエホバの民を打ち砕こうとする悪魔の試みは,何度も覆されてきました。実際,迫害は多くの場合,エホバの大敵対者とその敵対者の民の身にはね返り,神のご意志が勝利を収めました。
15 このことを実証する点として,ステファノの殉教のすぐ後にエルサレムの会衆に対して生じた「激しい迫害」のことを考えてみましょう。こう記されています。「使徒たちのほかは皆,ユダヤ,サマリア地方全域に散らされた」。しかし散らされた弟子たちは,「み言葉の良いたよりを宣明しながら全土を回(り)」,その努力は祝福されました。例えば,サマリアの都市には霊的な繁栄が見られました。(使徒 8:1-8)散らされた他の弟子たちは,フェニキア,キプロス,シリアのアンティオキアで宣べ伝えました。アンティオキアでは,何と「エホバのみ手が彼らと共にあり,信者となった大勢の人が主に転じた」のです!(使徒 11:19-21)この事態の進展は,気をくじかれた大迫害者の望んでいたことの正反対であったと言えるでしょう。―フィリピ 1:12-14と比較してください。
16 迫害者に時折どんなことが生じますか。
16 忠節なエホバの証人一人一人が忍耐をもって迫害に立ち向かう度に,そのことはサタンの屈辱を増し加え,サタンを偽り者と証明することになるのです。さらに,以前の迫害者が神とキリストの証人として忠実を保って迫害されるようになったり,そうした立場を保ったりする時,悪魔は不名誉な敗北を味わってきました。例えば,以前は迫害者であったタルソスのサウロが,イエスの迫害される追随者の一人となり,迫害や数多くの苦しみにもかかわらず,良いたよりを広めるために非常に勤勉に働いたことを,悪魔は快く思っていないに違いありません。―コリント第二 11:23-27。テモテ第一 1:12-16。
17 迫害されるエホバの証人たちは,迫害を加える者たちに対してどんな態度を取るべきですか。
17 ですから,迫害されるエホバの証人たちが,彼らの迫害者たちに対して正しい態度を取るのは何と重要なことでしょう! ステファノは自分を迫害する者たちに対する憎しみで満たされることはありませんでした。実際,彼らがステファノを石打ちにした時,ステファノはひざまずいて,正に死の眠りに就こうとする直前,「強い声で,『エホバよ,この罪を彼らに負わせないでください』と叫んだ」のです。(使徒 7:57-60)そしてイエスも,「あなた方の敵を愛しつづけ,あなた方を迫害している者たちのために祈りつづけなさい」と言われました。―マタイ 5:44。ローマ 12:14。コリント第一 4:11-13。
わたしたちの創造者はわたしたちを見捨てられない
18 サタンがエホバの民に最終的な攻撃を仕掛ける時,どんな事が生じますか。
18 わたしたちは今,人類史上この上なく危機的な時に生きています。それは,クリスチャンであると公言する人々を試み,ふるい分ける期間です。(ルカ 22:31,32; ペテロ第一 4:16,17と比較してください。)サタンの時は短く,間もなくエホバの民に対する全面的な最終攻撃を仕掛けてきます。しかし神は,彼らが忍耐をもってこの迫害に立ち向かい,勝利を得ることを可能にされます。再びサタン(マゴグのゴグとして)は,覆され,徹底的な敗北に渡されていることでしょう。そして神はご自分の民をこのように保護される際,『ご自身を大いなるものとし,ご自身を神聖なものとし,多くの国々の民の目の前でご自身を知らせます。そのため,彼らはその方がエホバであることを知らなければならなくなります』。これもまた,サタンの望みとは正反対の事柄です。―エゼキエル 38:14-39:7。啓示 12:12。
19 神の助けを得て,迫害されるエホバの証人たちは何を行ないますか。
19 エホバの献身した証人として,わたしたちはサタンがわたしたちと全能の神との関係を打ち砕きたいと願っていることを知っています。しかし,神の過分のご親切により,わたしたちは自分の信仰を曲げることはしません。むしろ大論争を思いに留め,あらゆる点においてエホバの宇宙主権を擁護することに努めます。王国の希望を確信するわたしたちは,迫害されても幸福でいられます。忍耐をもって迫害に立ち向かう備えがあります。わたしたちは,「わたしたちのうちに働かせておられる力により,わたしたちが求めまた思うところをはるかに超えてなしうる方」に絶対的な信頼を置いているからです。―エフェソス 3:20,21。
20 わたしたちの「忠実な創造者」について,どんな確信を抱くことができますか。
20 ですから,神への栄光と自分自身の救いとなるよう,敵の前にあっても恐れることなく,忠誠を保ちましょう。『エホバを待ち望み,その道を守り』たいものです。(詩編 37:34)迫害を耐え忍ぶ時,使徒ペテロの次の言葉が明示している態度を示すことができますように。「神のご意志にしたがって苦しみに遭っている者たちは,善を行ないつつ,自分の魂を忠実な創造者にゆだねてゆきなさい」。(ペテロ第一 4:19)わたしたちの「忠実な創造者」はわたしたちを見捨てられません。その力において,わたしたちは迫害されても幸福でいることができ,忍耐をもって迫害に立ち向かうことができます。
復習の質問
□ エホバの証人は,どのように迫害に備えることができますか
□ 迫害に立ち向かうとき,祈りが非常に重要なのはなぜですか
□ 迫害されるとき,「神の平和」はどのようにわたしたちを助けますか
□ コリント第一 10章13節からどんな慰めを得られますか
□ エホバの証人は,迫害者たちに対しどのような態度を取りますか,なぜですか
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