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  • 『人びとがあなたがたを迫害する時,あなたがたは幸いです』
    ものみの塔 1982 | 7月15日
    • 『人びとがあなたがたを迫害する時,あなたがたは幸いです』

      「人びとがわたしのためにあなたがたを非難し,迫害し,あらゆる邪悪なことを偽ってあなたがたに言うとき,あなたがたは幸いです。喜び,かつ喜び躍りなさい。天においてあなたがたの報いは大きいからです」― マタイ 5:11,12。

      1-4 どんな経験を見ると,迫害の下で喜ぶことに関して質問が生じますか。

      人々があなたについて偽りを語り,あなたに対してあらゆる種類の有害な事柄を行なおうとするとき,あなたは本当に幸福でしょうか。数年前にエホバの証人と聖書を勉強するようになったフィンランドの若い一婦人の場合を考えてみましょう。この婦人はほどなくして,人類に対するエホバの目的について学んだ良い事柄に喜びを感ずるようになり,エホバの善良さと愛に対して深い感謝の念を抱くようになりました。

      2 ところがそれから,その婦人の夫が聖書研究に反対し始め,この婦人が研究をやめることを拒むと夫は婦人に暴力を振るうようになりました。やがて夫は,別居命令を出してもらうため裁判所に申請しました。この若い婦人は間もなく自分の家を出され,1歳を過ぎたばかりの赤ん坊を含めて,3人の幼い子供たちと別れることを余儀なくされました。裁判所が子供に対する父親の保護監督権を認める裁定を下したからです。なぜこのようなことになったのでしょうか。この婦人は家族に対する自分の義務を怠ったのですか。そうではありません。事実,この婦人は聖書の勉強によって,より良い妻また母親になることを学んでいたからです。

      3 数週間後,夫はこの婦人を職場から保健所へ強制的に連れて行かせました。それは医師に精神異常の証明をしてもらい,精神病院に入れさせるためです。診察に当たった医師は最初そうした命令を下すことを断わりましたが,後になって夫から圧力を加えられ,この婦人を精神病院に入れる命令を出しました。すでにバプテスマを受け,エホバの証人となっていたこの若い婦人は,この時までに別の都市へ移り,そこで別の医師に診てもらいました。この医師は婦人を診察した後,精神に異常がないことを証明する書類をすぐに発行してくれました。

      4 ところが,これで最初の医師の命令が無効になったわけではなく,そのため彼女はその命令の有効期限が切れるまでの数週間,人目を忍んで暮らさなければなりませんでした。その後,以前の医師が新しい命令を出すことを拒否したため,この姉妹は自分のふるさとに帰ることができました。そのうちに夫は,別居命令に基づいて離婚し,裁判所は子供たちの保護監督権を父親に与えました。

      5,6 (イ)このような経験,また類似の経験は喜ぶべき理由となりますか。なぜですか。(マルコ 10:29,30)(ロ)参照されている聖句が示すように,ヨブには迫害された後,喜ぶべきどんな理由がありましたか。

      5 こうした経験が喜ぶべき理由になると考えられますか。自分の家から強制的に追われ,幼い子供たちを奪い取られて幸福を感じる妻や母は,きっとどこにもいないでしょう。また,自分が聖書を学び,その優れた原則を適用したいと思っただけなのに,身内の人々が精神病院にほうり込もうとするなら,その人は喜べないでしょう。しかし,このような状況の下で喜ぶべき理由としてイエスが挙げている事柄に注目してください。「喜び,かつ喜び躍りなさい。天においてあなたがたの報いは大きいからです」― マタイ 5:12。

      6 イエスがその前の節で述べておられるように,迫害される理由が本当に「わたしのため」であるなら,わたしたちはイエスがなさったようにエホバへの忠誠を示し,そのみ名の立証にあずかる機会が開けたことを喜ぶことができます。そのようにして,すべての人間を神から引き離すことができると主張する悪魔が偽り者であることを証明するのです。エホバ神の側に立つこのような立場は,エホバ神に喜ばれる立場であり,ヨブの例に見られる通り,報われずに終わることはありません。―ヨブ 1:9,10; 42:10-16。ペテロ第一 2:19,20。

      迫害は予期すべきもの

      7 (イ)クリスチャンが迫害されることを予期できるのはなぜですか。(ロ)これは,一部のクリスチャン,それともすべてのクリスチャンに当てはまることですか。

      7 しかし,神の言葉聖書を学びたい,そしてクリスチャンになりたいと願うだけで,人が迫害されるのはなぜでしょうか。イエスはこの質問に次のように答えておられます。「もし世があなたがたを憎むなら,あなたがたを憎むより前にわたしを憎んだのだ,ということをあなたがたは知るのです。あなたがたが世のものであったなら,世は自らのものを好むことでしょう。ところが,あなたがたは世のものではなく,わたしが世から選び出したので,そのために世はあなたがたを憎むのです。奴隷はその主人より偉くはないと,わたしがあなたがたに言ったことばを覚えておきなさい。彼らがわたしを迫害したのであれば,あなたがたをも迫害するでしょう。彼らがわたしのことばを守ったのであれば,あなたがたのことばをも守るでしょう。しかし彼らは,わたしの名のゆえにこれらすべてのことをあなたがたに敵して行なうでしょう。わたしを遣わしたかたを知らないからです」。(ヨハネ 15:18-21)使徒パウロが,霊感によるテモテへの第二の手紙の中で指摘している通り,迫害はクリスチャンが予期すべきことなのです。パウロはこう書きました。「キリスト・イエスにあって敬神の専念をもって生活しようと願う者はみな同じように迫害を受けます」― テモテ第二 3:12。

      8 クリスチャンに対する迫害を実際に操っているのはだれですか。その者の目的は何ですか。

      8 この迫害を背後で操っているのは,ほかならぬ大敵対者,悪魔サタンであることを忘れないようにしましょう。クリスチャンとしてのあなたの確固とした立場,エホバ神に対するあなたの愛は,悪魔が偽り者であることを証明しているのです。本当に神を愛する者はひとりもいない,また神に仕える者がいるとしても,それはそのことから自分のために何かが得られるからにほかならないというのが悪魔の主張だからです。サタンは,自分が自由に行動できるなら,ヨブを,また言外の意味として他の全人類をも神から引き離すことができると豪語しました。(ヨブ 1:8-11; 2:3-5)ヨブの忠誠を破らせることはできなかったものの,悪魔は決してあきらめてはいません。―コリント第二 4:4。

      迫害を受けた初期クリスチャンたち

      9 初期クリスチャンたちがどんな種類の迫害を耐え忍ばなければならなかったかを示す例を,聖書から幾つか挙げてください。

      9 イエスの警告の言葉通り,初期クリスチャンたちは迫害を経験しましたが,その迫害は非常に厳しくなったことがあります。エルサレムにあった会衆の場合のように,多くの人々は自分の家を追われ,他の地域に逃れることを余儀なくされました。(使徒 8:1)使徒ヨハネのように,流刑に処された人もいます。(啓示 1:9)使徒パウロ,およびパウロと共に公の宣教に携わって働いた人々は石打ちにされ,むちで打たれました。(使徒 14:19; 16:22)多数の初期クリスチャンが投獄を経験し,自分たちの所有物を強奪された人もいれば,殺された人さえいました。(コロサイ 4:3。フィレモン 9,10。ヘブライ 10:34; 13:3。使徒 12:1,2)しかし彼らは,自分たちが迫害される理由をよく理解していたので,喜ぶことができました。

      10 西暦1世紀のキリストの追随者たちが,迫害におじけづかなかったことを何が示していますか。

      10 このような迫害は,『神について語り,イエスについて証しをする』業をやめさせたり,遅らせたりするような影響を及ぼしましたか。そのようなことはありませんでした。初期クリスチャンは,決しておじけづくことをしなかったからです。使徒 5章40-42節の記述によると,ユダヤ人のサンヘドリン法廷の役人たちは,「使徒たちを呼び出してむち打ち,イエスの名によって語るのをやめるようにと命じてから,彼らを去らせた」とあります。これらのクリスチャンはそれから何を行ないましたか。「そこでこれらの者は,彼の名のために辱しめられるに足る者とされたことを喜びつつ,サンヘドリンの前から出て行った。そして彼らは毎日神殿で,また家から家へとたゆみなく教え,キリスト,イエスについての良いたよりを宣明しつづけた」。

      11 ペテロとヨハネは,自分たちに対する脅しにどのように反応しましたか。

      11 それよりも前,使徒ペテロとヨハネは,足のなえた人をいやし,またイエスの名によって教えたという理由でサンヘドリンの前に出たことがありました。次のように記されています。「そうして[支配者たちと年長の人々は]彼らを呼び,どこにおいてもイエスの名によって何か口にしたり教えたりすることはないように,と言い渡した。しかし,それに答えてペテロとヨハネは彼らに言った,『神よりもあなたがたに聴き従うほうが,神から見て義にかなったことなのかどうか,あなたがた自身で判断してください。しかし,わたしたちとしては,自分の見聞きした事がらについて話すのをやめるわけにはいきません』。そこで,さらに脅したのちに,彼らを釈放した。彼らを罰する理由が何も見あたらなかったから,また民のためでもあった」― 使徒 4:18-21。

      12 迫害に遭っていた間,使徒たちと弟子たちはエホバにどんな助けを祈り求めましたか。

      12 彼らは脅しにおびえたりはしませんでした。記録が示すところによると,使徒たちと弟子たちは適切にも,迫害を取り除くことではなく,大胆に神の言葉を語り続けることができるよう神の霊を通して力を与えていただきたい,とエホバに祈りました。そしてエホバはそのようにされました。―使徒 4:29,31。

      13 パウロがフィリピ人にあてて書いたことによると,パウロがローマで投獄されたことからどんな有益な結果が生じましたか。

      13 パウロがローマで投獄されたことは,パウロがフィリピ人への手紙の中で説明しているように,有益な結果をもたらしました。こう記されています。「さて,兄弟たち,あなたがたに知って欲しいのですが,わたしに関することがかえって良いたよりの前進に役だつ結果となり,わたしのなわめがキリストのことに関連して親衛隊の全員とほかのすべての人たちの間で公に知られるようになりました。そして,主にある兄弟たちの多くは,わたしが獄につながれたことのために確信を持ち,神のことばを恐れなく語る勇気をいよいよ示しているのです」。(フィリピ 1:12-14)そうです,パウロに対する迫害によって,より大規模な証しが行なわれるようになったのです。それはパウロのことが評判になり,廷臣に証しを行なう機会がパウロに開かれたからというだけでなく,他のクリスチャンたちがそのことによって自分たちの活動を増し加えるよう鼓舞されたからです。

      「終わりの日」における迫害

      14 今日わたしたちはどんな理由で迫害されるとイエスは言われましたか。

      14 古代の神の預言者たちが,また西暦1世紀のイエス・キリスト及びその使徒や弟子たちが迫害を経験したように,この事物の体制の「終わりの日」にいるクリスチャンたちも迫害を忍耐しなければならないことを予期できます。イエスはそのことを,この事物の体制の終わりの複合の「しるし」の一部として予告されました。こう述べておられます。「その時,人びとはあなたがたを患難に渡し,あなたがたを殺すでしょう。またあなたがたは,わたしの名のゆえにあらゆる国民の憎しみの的となるでしょう」― マタイ 24:9。

      15,16 (イ)現代に関するさらに別のどんな預言は,わたしたちの証しの業のゆえに迫害を予期できることを示していますか。(ロ)わたしたちが考慮すべきどんな質問が今,生じますか。

      15 その後イエスは,ご自分の地上の追随者たちが天の王国の誕生ののちに予期できる事柄を,使徒ヨハネに次のようにお示しになりました。ヨハネは比喩的な言葉で次のように語っています。「さて,自分が地に投げ落とされたのを見た時,龍[9節では『初めからのへびで,悪魔またサタンと呼ばれている者』として示されている]は,男の子[キリストを王としていただく王国]を産んだ女[神の宇宙組織]を迫害した。……それで龍は女に向かって憤り,彼女の胤のうちの残っている者たち,すなわち,神のおきてを守り,イエスについての証しの業を持つ者たちと戦うために出て行った」― 啓示 12:13,15-17。

      16 このことは,今の「終わりの日」に実現しているでしょうか。どんな点で,真のクリスチャンは現代における迫害を耐え忍ばなければなりませんでしたか。そして彼らはどのように,迫害をものともせずに喜ぶことができましたか。迫害は彼らとそれを注意して見守る人々の多くにどんな影響を与えてきましたか。これらの質問が,次の記事で考慮されます。

  • 迫害に遭っても喜びを抱いて忍耐する
    ものみの塔 1982 | 7月15日
    • 迫害に遭っても喜びを抱いて忍耐する

      「患難にあっても歓喜しましょう。患難が忍耐を生じさせることをわたしたちは知っているからです。かわって,忍耐は是認を受けた状態を,是認を受けた状態は希望を生じさせ,その希望が失望に至ることはありません」― ローマ 5:3-5。

      1 この「終わりの日」にクリスチャンが迫害を受ける結果,どんな事が明らかになっていますか。

      この「終わりの日」にエホバの民が経験した事柄は,イエスの次の言葉が真実であることをはっきりと示してきました。「いつでも,人びとがあなたがたを憎むとき,またいつでも,人の子のために人びとがあなたがたをのけ者にし,非難し,あなたがたの名をいとわしいものとして退けるとき,あなたがたは幸いです。その日には喜び躍りなさい。ご覧なさい,あなたがたの報いは天において大きいからです。それらは,彼らの父祖が預言者たちに行なってきたのと同じことなのです」。(ルカ 6:22,23。テモテ第二 3:1)確かに,神の僕たちは,どんな形の迫害をも忠実に耐え忍ぶことができ,喜びを抱いてそうしています。

      2 (イ)より多くの迫害を経験している人は,より大きな報いを受けますか。(ロ)迫害を首尾よく耐え忍ぶことから得られる有益な結果にはどんなものがありますか。

      2 わたしたちは迫害されるのを楽しんでいるわけではありません。迫害は不快なもので,普通,苦しみを伴うからです。迫害それ自体ではなく,その結末がわたしたちの喜びの理由となるのです。(ヤコブ 1:2,3)クリスチャンは迫害されることを望みません。迫害を多く耐え忍べば,それだけ天の父の目に功績の多いものとされると考え,殉教者になろうとしているのではありません。多くの迫害を経験する人々がより大きな報いを受けるわけでも,迫害を余り受けていない人より必ずしも忠実であるというわけでもありません。しかし,クリスチャンが患難に首尾よく耐える時に生じるこの連鎖反応に注目するとよいでしょう。『患難は忍耐を生じさせます。かわって,忍耐は是認を受けた状態を,是認を受けた状態は希望を生じさせ,その希望が失望に至ることはありません』― ローマ 5:3-5。

      3 (イ)ローマ 5章3節に記されているように,患難はどのように忍耐を生じさせますか。(ロ)これはどのように,わたしたちの信仰を強める結果となりますか。(ヘブライ 10:38,39)

      3 仲間のクリスチャンたちが幾つかの場所で経験している迫害について読む時,「自分だったらそうした迫害を耐え忍ぶことができるだろうか」と思うかもしれません。しかし同時に,反対や試練が突如わたしたちの身に生じ,神に仕えることをやめたりそこから手を引いたりするのではなく,助けを神に仰ぐ時,神がわたしたちの祈りに答えてくださることを知り,どのように患難が忍耐を生じさせるかを経験します。それからはもう,それに耐えられるかどうかという疑念を抱くことはありません。エホバの力においてそうできることをわたしたちは知っているのです。最初の試練がそれほど厳しいものではなかったとしても,やはりわたしたちの信仰は試され,その信仰はその試練ゆえにより強いものとなるのです。次の試みはより厳しいものかもしれませんが,わたしたちの信仰は以前の試みからしりごみすることがなかったために,その分だけ強いものになっています。ですから,神はわたしたちが耐えられる以上に誘惑されるままにされたり,わたしたちを『見捨てられた』ままにさせたりはしない,と分かっているので,わたしたちは実際にエホバの力においてどんな信仰の試みにも立ち向かうことができます。―コリント第一 10:13。コリント第二 4:8-10。

      4 誘惑や迫害を首尾よく忍耐した後に,わたしたちは喜ぶべきどんな真の理由を持つことになりますか。

      4 患難を忍耐することは,確かに歓喜の理由となります。誘惑に屈することなく正しい事にしっかり付き従ったことを喜ぶことができます。わたしたちが知る通り,これは神が是認されることであり,それゆえに首尾よく忍耐するなら,ヤコブ 1章12節に明確に述べられているように,神に一層近付くようになり,そのことは喜ぶべきさらに別の理由となります。

      様々な形の迫害

      5 今日多くの国々では兄弟たちが迫害されたり苦しめられたりする点で,どんな状況が見られますか。なぜそのような状況が見られるのですか。(アモス 7:10-17)

      5 今日40以上の国々で,エホバの証人の業に制限が加えられており,そのような場所の多くで神の民は,ただ自分たちの神エホバに忠実に仕える堅い決意を抱いているというだけの理由で厳しい試練や迫害を耐え忍ばなくてはなりませんでした。多くの場合,禁令を出すよう唆しているのは宗教上の僧職者であり,彼らはわたしたちの宣べ伝える業をやめさせようとして,わたしたちが政治に関与しないことを誤り伝えてきました。事情に通じた政府関係者は,エホバの証人がどんな点においても国家の転覆を図るような,国家を脅かす存在ではないことを承知しています。進歩的な政府当局者であれば,エホバの証人が,その国の法律を擁護しそれに従うため最善を尽くす良心的で法律を守る市民であることを知っています。ただしエホバの証人の場合,神に対する忠節が最優先されるのです。そのため彼らはどこの国でも政治に参加しません。したがって神の律法と相いれない場合には,使徒たちに倣い,『支配者として人間より神に従います』。―使徒 5:29。

      6 (イ)エホバの証人が耐え忍ばなければならなかった迫害の幾つかの例を挙げてください。(ロ)現代においても同様の状況を挙げることができますか。

      6 多くの場所で,時には宗教上の僧職者や政治的熱狂者に扇動されることもある放縦な暴徒がエホバの民を虐待してきました。わたしたちの霊的兄弟たちの多くは,マラウィやエチオピアで近年生じたように,自分たちの家と財産を捨て,命がけで逃れることを強いられました。解雇されたり,職場から追放されたりした人がいる一方,エホバの証人であるというだけの理由で店仕舞いさせられた人もいます。(啓示 13:16,17)聖書研究のためのクリスチャンの集会は妨害され,解散させられました。家宅捜索が行なわれ,聖書と聖書文書が押収されました。彼らをおびえさせる手段として威嚇や脅しが用いられ,数多くの人が逮捕され投獄されました。殺された人さえいます。二つの世界大戦の期間中,特に迫害は厳しくなりましたが,それは今なお数多くの国々で続いています。

      7 政府当局による激しい迫害がない国でも,神の民の多くは,どんな状況を耐え忍ばなければなりませんか。

      7 世界全体でも,幾千幾万というわたしたちの兄弟姉妹たちが,イエス・キリストの弟子としてエホバに仕えることを願うゆえに,家族や親族からの反対や迫害に日々直面しなければなりません。「人の敵は自分の家の者たちでしょう」というイエスの予告通りのことが生じているのです。―マタイ 10:35,36。

      迫害の目的

      8 エホバの証人が迫害されるのは,彼らが悪行者,あるいは法律違反者だからですか。

      8 神の民を迫害する人々は何を成し遂げたいと思っているのでしょうか。エホバの証人が悪行者,あるいは犯罪者であるために迫害するのでしょうか。そうではありません。エホバの証人は,優れた道徳規準を保つ,法律を守る人々として世界的に認められています。彼らは熱心に働く人々で,気持ちのよい,友好的で親切な,また思慮分別のある人々です。宗教的な狂信者のように振る舞うことはありません。実際彼らは,隣人とするにふさわしい立派な人々です。(テトス 2:6-10。ガラテア 6:9,10)彼らの伝える音信は平和な音信であり,悩む人々や嘆く人々に慰めをもたらします。彼らが宣べ伝えているのは,神の王国が圧迫者を間もなく除き去り,義の新秩序を招来するという「良いたより」です。―マタイ 6:10。詩篇 37:10,11。

      9 反対者たちはわたしたちのどんな活動をやめさせたいと願っていますか。なぜですか。

      9 ところが,この「良いたより」を宣べ伝える業は,キリスト教世界の宗教指導者たちが人々のための平和の音信を持っていないことを暴露するため,彼らはそれを宣べ伝える人々の口をふさごうとするのです。政府の指導者の中にも,エホバの民が自分の好きなことを信ずるのは快く許しながら,それを他の人々に宣べ伝えることには異議を唱える人がいます。初期クリスチャンの熱心な活動に直面したユダヤ人の宗教指導者たちのように,彼らは事実上こう言うのです。「もう[イエスの]名によってだれにもいっさい語らぬよう,脅しを加えて命じておこう」。(使徒 4:17,18)そうです,彼らがやめさせたいと思っているのはわたしたちの宣べ伝える業なのです。―使徒 5:28,40をご覧ください。

      10 (イ)サタンは,わたしたちの伝道活動をやめさせようとするほかにどんな事を成し遂げようとしますか。(ロ)この事は,わたしたちの活動にしばしば科される禁令の種類によって,どのように示されていますか。

      10 迫害の真の扇動者は悪魔サタンであるということも忘れてはなりません。(ペテロ第一 5:8)サタンはわたしたちの宣べ伝える業をやめさせようとしているだけではなく,わたしたちの信仰を弱めて神への忠誠を破らせ,そのようにして永遠の命を失わせようとしているのです。それで,迫害のもう一つの目的は,わたしたちを霊的食物から,また集会でのわたしたちの兄弟たちとの交わりから引き離すことです。そのため,わたしたちの活動が禁じられる場合,普通には宣べ伝える活動と集会が禁止されます。「エホバの証人になることは構わないが,伝道をしたり集会を開いたりすることは許されない」とよく言い渡されます。しかし仮に伝道もせず集会も開かないとしたら,わたしたちはエホバ神,あるいはキリスト・イエスの証人ではないでしょう。何も語らない証人は,実際には少しも証人ではないからです。(イザヤ 43:10,12。使徒 1:8)また,集まり合うようにという神の命令に今後わたしたちが従わないとしたら,わたしたちの信仰はどうなってしまうでしょうか。―ヘブライ 10:24,25。

      迫害の下で耐える

      11 忠実なクリスチャンたちは,自分たちに降りかかってきた迫害に対しどのような反応を示しましたか。

      11 現代において神の僕たちは,自分たちに降りかかってきた迫害にどのような反応を示したでしょうか。彼らは初期クリスチャンたちに倣い,恐れの気持ちを抱くのではなく,禁令や脅しをものともせずに宣べ伝える業を大胆に推し進めました。彼らはパウロのように,『喜びまた喜ぶ』べき理由を持っていました。この問題に関してエホバの側に確固とした立場を取ったことは,悪魔が偽り者であることの証明となりました。エホバのみ名の賛美にあずかることができる何とすばらしい特権なのでしょう。―フィリピ 2:17,18。テサロニケ第二 1:4。

      12 迫害者たちが行なうと言ってわたしたちを脅す事柄に対し,恐れを抱くべき理由がありますか。

      12 わたしたちを迫害する人々を恐れる理由は,実際には存在しません。パウロはフィリピの人々にこのように書きました。「ただ……良いたよりにふさわしく行動しなさい。……いかなる点でも,あなたがたの敵対者たちのゆえに恐れ驚いたりはしていないとです。実にこの事[あなたがたが彼らを恐れていない事]は,彼らにとって滅びの証拠ですが,あなたがたには救いの証拠です。そして,こうした示しは神からのものです」― フィリピ 1:27,28。

      13,14 (イ)ある国において,反対する政府当局者は,最近エホバの証人をおびえさせようとして,どんな事をしましたか。(ロ)これらの経験は実際には何を示していますか。

      13 最近のこと,エホバの証人の業が法的に認められていないヨーロッパのある国で,一人の兄弟が葬式において慰めを与える短い話をしたとの理由で逮捕されました。祈りをささげた兄弟も逮捕されました。地元の政府当局者の話では,葬式で話ができるのは国が許可した人だけであり,「祈りは教えを与えるために利用されるので」禁じられているとのことです。同じ地域の別の兄弟は,自分の家族に聖書を読んで聞かせたという理由で逮捕されました。これらの兄弟たちは起訴されず,短期間拘留された後に釈放されました。彼らを恐れさせ,やめさせることがそのねらいであったことは明らかです。

      14 しかし,恐れの気持ちを抱いている人は一体どちらでしょうか。家族に聖書を読んで聞かせる人や,葬式で話をしたり祈りをささげたりする兄弟が地元の政府当局者にとって脅威となっているなら,その人々は実は,聖書の音信とそれを宣べ伝える人々に対して非常な恐れを抱いているに違いありません。ではわたしたちが彼らを恐れるべき理由があるでしょうか。パウロが指摘しているように,わたしたちの一致と勇気は,「彼らにとっては滅びの証拠ですが,あなたがたには救いの証拠です」。―フィリピ 1:28。

      15 脅しに対するわたしたちの反応は,実際のところ迫害の続行にどのような影響を及ぼしますか。

      15 幾つかの場所で「良いたより」の伝道者たちは,数週間に1度警察に呼ばれて叱責され,もし神の王国について語るのをやめなければ厳しい処罰を科すと何度も脅かされました。しかし兄弟姉妹たちがそれらの脅しを無視し,その業を恐れずに続行すると,政府当局者は大抵さじを投げ,彼らの好きなようにさせます。しかし,王国伝道者の側が弱気になっている証拠を少しでも見て取るや,彼らはおじけづかせようとする努力を続けるのです。

      禁令下でも業を続ける

      16,17 (イ)業が禁じられている場所の兄弟たちや刑務所の中にいる人々に霊的食物を届けるため,どんな努力が払われてきましたか。(ロ)この事はなぜ重要ですか。

      16 業が禁じられ,文書の配布が差し止められている国々に住むエホバの証人たちは,霊的食物を定期的に取り入れる重要性を認識しています。ある国々では,「ものみの塔」誌やエホバの証人の他の出版物を発行すること,及びそれを郵送することが法に触れるため,すべての人に霊的食物が行き渡るよう他の幾つかの取決めが設けられています。ドイツではヒトラーの迫害を受けていた間,研究記事を騰写版で刷ったり,タイプで複製したり,場合によっては手で書き写すことさえしました。今でも多くの場所では,同じことをしなければなりません。各人が自分用のものを持てるほど多量に作れない場合,その資料を読む機会が一人一人に与えられるよう,それらは回覧されています。重要なのは,霊的食物を定期的に取り入れることです。―マタイ 4:4。

      17 極めて困難な状況においてさえ,霊的食物が行き渡るように絶えずエホバが事を運ばれることは経験が実証しています。霊的食物を刑務所や強制収容所内へひそかに持ち込むために様々な手段が用いられてきました。そうした所に閉じ込められている人々にとって,それは本当に力を与えるものとなりました。

      18 定期的に他の人々と霊的食物を考慮することが重要なのはなぜですか。困難な状況の下でも,どのようにそうすることができますか。

      18 神の忠実な僕たちは,たとえ集会が禁じられても,たとえ投獄されていても,可能な限り霊的食物を一緒に定期的に取り入れます。できる場合には,他の人々と一緒に毎日一つの聖句を考慮することは,霊的な事柄に思いを集中する助けになります。毎日短い時間でも討議を行なえば,多くの霊的な力が得られます。―詩篇 1:2。使徒 17:11。

      集会の重要性

      19 (イ)リベリアの兄弟たちの多くはどんな思いがけない経験をしましたか。(ロ)1978年の年鑑の報告によると,忍耐できるよう忠実な人々を助けたものは何でしたか。

      19 1963年の3月,リベリアのギバンガで開かれたエホバの証人の地域大会に出席していた約400人の人々が逮捕され,軍の収容所で食物も与えられず四日間拘留されました。無理にでも宗教的信念を曲げさせ,リベリアの国旗に敬礼させようとする圧力に面して,エホバの証人たちは虐待され,その所持品は強奪されました。この時には大多数の人が屈服して妥協しましたが,それでも相当な数の人々が忠誠を保ちました。「1978 エホバの証人の年鑑」177ページに記されている注解に注目してください。「その人たちは,文字の読めない人や高い教育を受けた人などあらゆる階層の人から成っていました。ただし,彼らは忠実に集会に出席していた人たちでした」。

      20 「集まり合うことをやめ」ないようにするため,多くの人々はどのように精力的な努力を払っていますか。どんな危険にもかかわらずそうしていますか。

      20 霊感による神の言葉は,わたしたちが共に集まることをやめないようにと勧めています。(ヘブライ 10:24,25)このことの重要性は迫害の時でも減ずるわけではありません。集会は小人数のグループで,個人の家を用いて開かなければならないかもしれません。場所や時間はいろいろと変える必要があるかもしれず,集会が夜遅く開かれることもあり,必ずしも都合がよいとは限りません。それでも,数々の危険にもかかわらず,わたしたちの忠実な兄弟姉妹たちはすべての集会に出席するために有らん限りの努力を払います。そして兄弟たちは,見付かるなら自分たちの自由が奪われかねないと分かっていても,そうした集会のために進んで自分たちの家を提供しています。

      21 (イ)こうした状況の下で霊的食物から十分の益を得るどんな機会がありますか。(ロ)こうした集会に定期的に出席し,参加することの重要性を,どんな聖句が示していますか。

      21 小人数のグループの集会では,すべての人が会衆内の最も優れた教え手たちの援助を受けられるわけではないかもしれません。しかし,各人が参加し,そのようにして集会から益を受けるための機会がより多くあります。時々,大人数のグループがピクニック,遠足に関連して,あるいは時たま個人の招待によって一緒に集まることができます。すべての集会に定期的に出席することは,『初めにいだいた確信を終わりまでしっかりと堅く保つ』上で重要な要素です。それは,忠誠を保ち,「あきらめない」ことによって約束の成就にあずかるためです。―ヘブライ 3:14; 10:36。ガラテア 6:9。

      禁令下で宣べ伝える

      22 (イ)今日,神の民が自分たちの見聞きした事柄について話すのをやめるわけにいかないのはなぜですか。(ロ)幾つかの場所ではこれはどのように行なわれていますか。

      22 使徒たちと同じように,今日のエホバの民も,「自分の見聞きした事がらについて話すのをやめるわけにはいきません」。(使徒 4:20)イエスは,「あらゆる国民の中で,良いたよりが……宣べ伝えられねばなりません」と言われました。そして人間や悪霊のどんな力もそれを押しとどめることはできません。(マルコ 13:10)場所によっては,エホバの証人の活動が禁じられていても,聖書だけを用いて,一個人として家から家へ訪問することができます。

      23,24 (イ)家から家の業が得策でない場所では,宣べ伝える業はどのように行なわれていますか。(ロ)このようにして良い結果が得られたことを示す経験を話すことができますか。

      23 家から家に行くのが得策でない所では,別の方法で「良いたより」を宣べ伝えることができます。どんな建物の場合にも順番に網らすることを避けるため,おそらく区域の幾つかの異なった部分から単独に家を選んでそこを訪問できるでしょう。しかし人々が家の中に入ってしまうまで待つ必要はありません。多くの土地で兄弟たちは,路上,共同墓地,公園など人がいる所ならどこでも,また自分がどこかへ行く時などに人々に話し掛けてすばらしい成功を収めています。中には,エホバの証人のいない地域に旅行者として入り,可能な場合にはいつでも人々と会話を始める人たちもいます。わたしたちの命のある限り,またわたしたちが話すことのできる人が存在する限り,敵はどんな方法をもってしてもわたしたちがこれら様々な方法で語るのを妨げることは絶対にできません。

      24 エホバの民は練習することにより,数多くの異なった話題について友好的に会話を始め,それを都合よく聖書の話に持っていくことが上手になっています。ある国の一人のエホバの証人は,公園のせせらぎから水を飲もうとしていた若い夫婦に近付きました。エホバの証人はその夫婦に,もっと良い水がある場所を知りたいとは思いませんか,と尋ねました。そのことからこの人は,来たるべき楽園の,命を与える水について二人に話し始め,その話し合いは3時間に及びました。それは聖書研究に発展し,3か月後にこの夫婦は野外の奉仕の務めにあずかるようになりました。1年後には二人ともバプテスマを受け,この男の人は後に会衆の奉仕の僕として仕えるようになりました。―ヨハネ 4:7-15と比較してください。

      25 わたしたちの宣べ伝える業が禁じられている所では,とりわけ何を避けるようにすべきですか。

      25 この活動のすべてにおいて,反対者との直接的な対決は避けるほうが賢明です。同時に,友好的な話とへつらいの言葉によってわたしたちを味方にしようとする敵の手に乗り,情報を流すようなことのないよう注意する必要があります。「ご覧なさい,わたしはあなたがたを,おおかみのただ中にいる羊のように遣わすのです。それゆえ,へびのように用心深く,しかもはとのように純真なことを示しなさい」というイエスの助言に留意したいものです。(マタイ 10:16)パウロも,「できるなら,あなたがたに関するかぎり,すべての人に対して平和を求めなさい」と諭しています。―ローマ 12:18。

      忠誠を保つことのすばらしい結果

      26 激しい迫害にもかかわらず忠誠を保って得られた良い結果にはどんなものがありますか。

      26 激しい迫害にもかかわらず自らの忠誠をしっかり守った人々すべてにより,何とすばらしい証しが長い年月にわたって行なわれてきたのでしょう。証しを行なわせまいとして悪魔とその手先が払うすべての努力も,結局のところ,より大規模な証しがなされ,エホバのみ名にほまれとなるばかりでした。迫害の下で忠誠を保ってきた(また今なお保ち続けている)幾十幾百万という人々すべては,何とすばらしい貢献をしてきたのでしょう。彼らはそのようにして悪魔が偽り者であることを暴露し,エホバ神に対する破れることのない信仰と,エホバ神への愛を証明しているのです。

      27 試練や迫害を忠実に忍耐することから,わたしたちはどんな個人的な益を経験しますか。

      27 忠実に忍耐する時,自分が正しい事を行ない,エホバの是認を得ていることが分かるので,正しい良心を持つことができます。これはわたしたちの希望を強化し,そのことにより次には喜びが増し加わります。わたしたちの信仰は試みられましたが,しりごみしたり迫害から逃げ出したりしなかったので,エホバは忍耐できるようわたしたちを助けてくださいました。その結果,わたしたちの信仰は以前にも増して強くなっています。この「信仰の試された質」によってわたしたちは将来の試練によりよく立ち向かうことができます。―ペテロ第一 1:6,7。

      28 (イ)前述のフィンランド人の姉妹は,今どんな喜ぶべき理由を持っていますか。(ロ)彼女はこれからもどんな希望を持つことができますか。

      28 前の記事の冒頭で言及されていた姉妹は,これが真実であることを体験しました。この婦人は再び自分のふるさとに住み,今そこで正規開拓者(全時間の王国宣明者)としてしばらく奉仕しています。3人の幼い子供の保護監督権はありませんが,月に3度会うことが許され,子供たちと「良いたより」を分かち合うことができています。そして励みとなる反応が幾らか見られています。それに,最終的な結末がどうなるかをだれが予想できるでしょうか。激しい反対者また迫害者だった人が,兄弟姉妹たちの忠実な立場に大きな感銘を受け,自分で聖書を調べてみようという気になったケースは数えきれないほどあります。そして最後にはエホバの崇拝者になった人さえいるのです。

      29 わたしたちすべてが忠実を保ち,迫害にもかかわらず喜びを抱くため,わたしたちすべてにはさらにどんな励ましがありますか。

      29 ヤコブはこう書きました。「兄弟たち,苦しみを忍び,しんぼう強くあることにおいて,エホバの名によって語った預言者たちを模範としなさい。ご覧なさい,忍耐した人たちは幸福である,とわたしたちは言います」。(ヤコブ 5:10,11)ほかにも西暦1世紀のクリスチャンたちや現代のクリスチャンたちの立派な模範がありますから,わたしたちすべては,迫害に遭っても喜びを抱くよう大きな励ましを受けます。

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