『こうべを上げ』て救いを知らせる
エホバの証人の1969年度年鑑より
日本
人口: 101,095,000人
伝道者最高数: 6,023人
比率: 16,785人に1人
わたしたちはエホバのすべての恵みに心から感謝しています。日本では初めてのことですが,奉仕年度の各月,伝道者の新最高数を報告できました。
今年バプテスマを受けた847人のひとりで72歳の一伝道者は,友人や事業の関係者すべてに年賀状を送るかわりに,「ものみの塔」と「目ざめよ!」誌を送り,予約を勧めることにしました。このことに感謝のことばを寄せた人々には贈り物の予約を数多く送り,合計40あまりの予約を得ました。
ある婦人の身体障害者が10年来の手足の麻ひのため悩んでいたところに,エホバの証人が訪れ,研究を始めました。婦人は口に鉛筆をくわえて研究用の手引きに傍線をひくことを覚え,それからヒントを得て,色鉛筆やマジックインキをくわえて,聖書の題材にちなんだ絵を書くことを思いつきました。そして,興味を持つ人々には同様な仕方で手紙も書きます。訪問客のすべてに熱心に証言し,そのうちの3人は心を動かされて集会に出席しています。天気が良ければ,車椅子に乗って集会に出席し,その後,巡回のしもべの訪問中,バプテスマを受けました,当時,月平均85時間を御国奉仕にささげていましたが,今度は,病床にあって休暇開拓を行なうよう計画しています。
ひとりの大学生は,食堂で数冊の雑誌の中からマラウイの事件を扱った「目ざめよ!」を見つけて読み,深い感銘を受けました。その後まもなく戸別訪問をしていた一開拓者がこの学生に出会い,学生はすぐ文書を求めました。そして1週間に数回研究を行なう取り決めが設けられ,学生はそのほかにも多くの文書を読み,また集会にも出席しはじめ,2週目の終わりには大学を止めることに決心し,4週目には伝道に参加しはじめ,5週間後に献身し,2か月足らずで地域大会のおりにバプテスマを受けました。いまでは正規開拓奉仕にはいる準備をしています。
4年前のこと,東大法学部3年の一学生が伝道者から2冊の雑誌を求めて読み,学校が休みになったので,地域大会に出席しました。大会から深い感銘を受けた彼はひとりで協会の本を数冊読み,個人研究をも行ない,すべての集会に出席しはじめました。そして,初めて証人に会ってから2か月後にバプテスマを受けました。大学を卒業すると同時に,開拓奉仕に専念するため,弁護士になるための研究の機会を捨てました。その後,他の5人の特別開拓者とともに,人口約100万人の都市に派遣されました。当時そこには20人の伝道者が交わっていただけでしたが,特別開拓者は2年間この会衆を助けて,30人余の新しい伝道者と7人の新しい正規開拓者を生み出しました。
ひとりの姉妹は反対する親族の手で聖書を破られてしまい,大切にしていたその聖書を直したいと思い,近所の靴屋に持ってゆきました。店の主人はいつも御国の音信を拒絶していた人でしたが,その修理の仕事を引き受けました。そして,ひきちぎられた各ページを順番に縫い合わせる一方,姉妹が余白に書き込んだことばはもちろんのこと,傍線の付されている聖句をも読みだしたのです。その結果,聖書には強力な音信が載せられていることを知り,さらに,聖書のそれぞれの本の名前をその順番に暗記しはじめました。姉妹が再び店を訪れた時,聖書は新しい皮表紙を付され,もとどおりに直っていましたが,今度は店主の数多くの質問に答えねばなりませんでした。そして,その靴屋さんと家庭聖書研究が取り決められ,二,三週間後,彼は巡回大会に出席し,以来,会衆の集会に週3回定期的に出席しています。神のみことばは確かに力を発揮します!
ひとりの姉妹は,夫の激しい反対にもかかわらず毎年数回休暇開拓を行なっています。そしてこの奉仕を始めたころ,ある大きな家でお手伝いの女の人に会いました。その家の人々は休暇で留守だったので,深い興味を示したその人を毎日訪問して研究を行なうように取り決め,二人は「見よ!」の小冊子を全部研究しました。その後まもなくお手伝いの人は,郷里の町で集会が開かれていることを知り,その町に帰りました。しかし姉妹が次の巡回大会に出席したところ,うれしいことにかつての研究生は御国伝道者になっていました。そして別の巡回大会でその婦人がバプテスマを受けるのを見ました。今ではこの姉妹も休暇開拓の喜びを味わっています。休暇開拓には確かに報いが伴います!
今年の最後を飾ったのは「すべての国の民に対する福音」地域大会で,昨年の地域大会のの出席者の36%増加にあたる7560人の人々が出席しました。今や日本のすべての伝道者は,全世界で行なわれる一連の大会の一つとして開催される東京での国際大会に出席することを待ち望んでいます。
沖縄
人口: 943,000人
伝道者最高数: 318人
比率: 2,965人に1人
神の真理のみことばは人の生活を変化させます。自分の好きなことを追い求めて多くの時間を費やしていた八重山出身の一青年を,ひとりの特別開拓者が「福音」を携えて訪れました。青年は軽べつ的な態度をとりましたが,聖書を説明しようとするその熱心さと特別開拓者の暖かさのあふれる親切な物腰に接して心を動かされ,聖書から何物かを学べるかもしれないと考え,研究に応じました。青年は着実に進歩し,まもなく生活の仕方を変えはじめ,今では御国を追い求めています。そして,自分にとっては戸別訪問の伝道ほどむずかしいものはないと語りました。初めて伝道に参加したとき,青年はたいへんはずかしがり,知人の姿を見ると隠れました。自分が証言をする番になると,家の人が留守であってくれればよいがと再三願ったほどです。しかしやがて確信を得,今では定期的な伝道者になりました。その家の部屋の壁には,いつも自分に思い起こせるようにするため,マタイ伝 7章13節の「狭き門より入れ」という聖句が掲げられています。
ひとりの姉妹は戸別伝道で,関心を持つ若い女学生に会い,研究を始めました。女学生は急速に進歩し,集会に出席しはじめました。その後ある日,悲しそうな表情をして姉妹を訪れ,父が反対して,研究を禁じたため,続けることができなくなったと述べました。そこで伝道者は,女学生の父親に会って神のみことばの研究の大切さを説明することにしました。話してみると,宗教的な偽善があまりにも多いため,あらゆる宗教に父親が反対していることを知りました。伝道者はその父親の言うことにしばらくのあいだ忍耐強く耳を傾け,それから,エホバの証人は異なっているということを明確に説明しました。その親切な態度,誠実さそして熱意に心を打たれた父親は,それまでに関係してきたすべての宗教とエホバの証人が異なっていることを確信しました。そして今度は反対するどころか,伝道者にこう語りました。「神の真理のみことばをどうか娘に教えてやってください」。その少女はよく進歩し,地域大会でバプテスマを受けました。父親は今では,もし娘が開拓者になりたいなら,自分は少しも反対しないと語っています。
沖縄で軍務に服している間に研究した人々からこの地の宣教者のひとりが2通の手紙を受け取りました。それらの人々は除隊後,3月にアメリカに帰国し,研究を続け,ひとりは南カロライナ州グリーンビルの地域大会でバプテスマを受けました。別の人は妻と自分自身のことについて次のように書いてきました。「オハイオ州コロンバスで開かれた『すべての国の民に対する福音』地域大会から今もどったところです……それはとても良い大会でした……わたしたち二人は最近野外奉仕に出ています……そして定期的な伝道者になりたいと願っています……次の巡回大会でともにバプテスマを受けるつもりです」。
沖縄には幾千人ものアメリカ人とその家族が住んでいます。そうした人々の中から多くの人が真理を求め,それを見いだしており,わたしたちはうれしく思います。しかしそれら関心を持つ人々が支部に多数の手紙を寄せて援助を求めてきましたが,今年に至るまでは彼らを定期的に助ける会衆を組織できませんでした。そうした人々の群れの監督になり得る,英語を話す献身した兄弟がいなかったためです。ところが,わたしたちの祈りは聞かれ,かつて宣教者として働いた夫婦がむすことともに,必要の大きいところで人々を助けるために移ってきたので,英語を話す人々だけの会衆を組織することができました。今これらの人々は自分たちの御国会館を持っており,30人ないし50人の人々が集会に出席しています。英語を話す兄弟たちがもっと多くこの土地で奉仕できるなら,沖縄のこれらの「羊」を助けるわざに多くの喜びを見いだされることでしょう。