『こうべを上げ』て救いを知らせる
エホバの証人の1969年度年鑑より
キューバ
キューバにおける「良いたより」の伝道活動は反対を受けていますが,エホバの祝福をも受け続けています。区域のいたる所の状態は,パウロが,「そは活動のために大なる門,わが前にひらけ,また逆ふ者も多ければなり」と書いたのとまさに似ています。(コリント前 16:9)キューバの兄弟たちは,この御国のわざを推し進めるために可能なかぎりの事をしています。
一人の兄弟は次のような経験を寄せてきました。「わたしたちの天の父のすばらしい助けのことを思うと,喜びはあふれるばかりです。反対が増し加わり,悪鬼の手先がわたしたちを黙らせようとしてあらゆる種類の妨害をしていますが,エホバの過分の恵みにより,エホバに当然帰すべき賛美と栄光をささげ続け,神の導きと確かな保護をさがし求めている人を励ますことができます。仲間の奉仕者たちの多くが,神の国の良いたよりを伝道した罪で,あるいは中立の立場を取ったことで,6か月から10年の投獄刑に処せられてはいますが,それでもわざは続けられています。政府の手で閉ざされていなかった御国会館での集会中に逮捕された人もいます。困難な状態にも負けず,仲間の伝道者たちはともに集まって神のみことばを学び,イエスが命じられたわざを行ない続けています。そのため,エホバの祝福がこのわざにそそがれ,伝道者の数は増加しているのです」。
オリエンテ地方のマナティでは兵役を拒否した一群の兄弟たちが,10年間の投獄刑を受けています。彼らはサトウキビを刈ることを割り当てられ,その仕事を熱心に行なったので,いわゆる「百万長者」の組になりました。政府は100万アロバ(11.5キロ)以上の茎を刈るグループをそう呼んでいるからです。しかしその良い働きに対して恩恵を受けるかわりに,兄弟たちは,こぶし,棒,銃の台じりなどでなぐられ足でけられ,また銃剣で突かれたりさえしました。なぜそのような仕打ちを受けたのですか。エホバの証人である彼らは男色者と同じ小屋に住み続けることを拒絶したからです。その種の者たちに悩まされたのち,彼らは看守に抗議に行ったところ,ひどく打たれてしまったのです。この残酷な行為に対して兄弟たちの家族から抗議が出されており,当局が看守たちに対し,地位を乱用してこれらの勤勉で神を恐れる人々に不当な苦しみを加えるのをやめさせる手段を講ずるよう期待されています。
一昨年と同じく,ある所では御国会館はいまだに自由に使え,他の場所では閉鎖されています。集会や崇拝のために御国会館が使えるように,法律による闘争を続けています。兄弟たちは霊的に十分養われ,「神の永遠の原則に従いましょう」および「エホバの御名は全地に伝えられる」の劇さえ上演されました。ほとんどの兄弟たちは1番から60番までの一連の公開講演を聞くことができました。しかし全時間伝道に携わっている人の多くは,そのわざを放棄しなければならなくなり,休暇開拓奉仕や週末に全時間奉仕をする程度のことしかできなくなっています。
次の経験から,エホバに仕えるためによく計画するなら,物事がいかに順調に運ぶかがわかります。巡回のしもべが開拓者と会合したとき,よい計画を立てるので,計画することは全部成し遂げると語る一兄弟の話を聞きました。この兄弟は,1か月平均154時間奉仕し,100以上の再訪問をします。そして野外宣教の時も他の時も,あらゆる機会を捕えて「良いたより」について語るのです。4月に何人の人に話したかを尋ねられたとき,記録をていねいに取っている彼は「408人」と答えました。奉仕に出かける前に毎朝定期的に聖書を学ぶので,308の聖句を正しく暗記しています。兄弟は5人の家族を養っています。よく計画して,エホバの良いたよりを分け与えることに熱心な彼は,多くのことを成し遂げています。
イスラエル
人口: 3,702,500人
伝道者最高数: 161人
比率: 22,997人に1人
「悪が許されているのはなぜか?」という質問に答える「目ざめよ!」誌の特別号が出たとき,イスラエルの兄弟たちは,それが宣教におけるきわめて効果的な文書であることに気づきました。というのは,たいていの人は,ナチの強制収容所で苦しめられたり,愛する者を失ったりしているので,まさにこのとおりの質問をするからです。いろいろの宗教の指導者たちは,この重要な疑問に対して,聖書に書かれている理解しやすく慰めとなる答えを与えておらず,多くの人々が信仰を全く失っています。それで,「人々を弟子とする」地域大会においてその内容が冊子になって発行されたとき,兄弟たちは驚くとともに喜んでそれを受け取りました。そして熱心にそれを配布しました。
親類や知人に御国の音信を伝える手段として協会が取り決めた贈り物の予約をよく活用した遠方の兄弟たちの良い働きのおかげで,イスラエルの宣教奉仕は増加し,これに対しても私たちは喜びました。一例として,友人から「目ざめよ!」の予約を贈り物として受けたある婦人の場合をお話ししましょう。この婦人はそれに感謝を表わしましたので,住所がその地方の一姉妹に伝えられました。かなり遠方ではありましたが,その姉妹は婦人を尋ねてみました。婦人は霊の思いをいだいてはいるものの,第二次世界大戦以来,病弱で身体的に弱っていることがわかりました。最初の訪問のときから研究が始まったのですが,わずか1節を研究し終えると,婦人は大変疲れて,精神の集中を続けることができないほどでした。遠距離の道のりと婦人の健康状態とを見て,伝道者は,はるばる訪問する価値があるかどうかを疑問に思いました。しかし,真理によって慰められた結果,身体的な健康が大変よくなったという年鑑の経験を思い出したのです。そこで月に2度研究するためにそこを訪れることにした姉妹は,たとえ,1回にわずか1,2節しか進めないにしても,よく予習がなされて内容も理解されていることに気づきました。あるとき,どうしても訪問できなかったので,研究中の章から質問を表にして送りました。二,三日後,答えが郵送されてきました。答えは全部正解でした。婦人は研究をとても喜んでいると述べ,聖書を学びはじめてから健康もとてもよくなってきたと話しました。それ以来,研究は毎週司会されました。以前は婦人の聖書を引き裂いた彼女の夫は,息子や娘と同じく,一人の兄弟と研究を始めました。今では家族全体が長い道のりにもかかわらず,すべての集会に出席しています。家族の人々は,母の健康が回復したことに驚いたといつも語ります。真理の知識は悲しい心を喜ばせ,その結果,健康を回復させたのです。―箴言 17:22
どこの区域の兄弟たちにとっても,大会は1年のうちできわ立ったものでした。大会は交友を楽しみ,新世社会にゆきわたっている心暖まる真実の一致を味わう機会となりました。ユダヤ人とアラブ人の兄弟たちは幸福そうに一緒にすわって,同じ霊的食物を楽しみ,神権的なニュースや経験を互いに述べ合いました。そこには,これらの民族間で普通見られるにがにがしい感情とか疑いは何もありません。真理は人種や言語の障害を克服し,エホバの真の崇拝は一致をもたらす強力な力であることの,生きた証拠がここにあるのです。この重要な真理が目に見えるさまで示されたことは,兄弟たちだけでなく大会に出席した関心をいだく人にも深い感銘を与えました。
ナイジェリア
人口: 55,620,286人
伝道者最高数: 47,488人
比率: 1,171人に1人
昨奉仕年度の顕著な出来事は,ラゴスのベテルの家の増築が完成したことでした。その結果,住まいと仕事場は2倍の広さになりました。
昨奉仕年度が始まったとき,戦争のため,ラゴスの支部事務所は中西部と東部の25,000人以上の兄弟と連絡が取れなくなりました。兄弟たちは「ものみの塔」誌や「御国奉仕」そして手紙を支部や他の国から受け取ることも,報告や手紙を送ることもできませんでした。最初の月である9月,ナイジェリアの残りの区域の24,182人の伝道者からの報告が支部事務所に送られてきました。
兄弟たちは苦しめられ,今でもことばに言い表わせない困難な目に会っています。そして,命,家,財産,御国会館その他の所有物を失いました。それに加えて,中立の立場を破らせようとする激しい圧迫や暴力的迫害に抵抗しています。都市のしもべ,特別開拓者を含めた数人が射殺されました。
一人のしもべの報告によれば,彼の区域内で,兄弟たちは記念式のためにわずか一びんのぶどう酒を手に入れることができました。それぞれの会衆にはスプーン2杯ぐらいずつ割り当てられました。戦闘がだんだん近づくに従って,兄弟は群れとなって藪の中を移動し続けました。兄弟たちが移動して行く所には小屋があり,そこで毎日聖書に関する集会が開かれました。エホバの証人でない人々は,これらエホバの証人たちがほとんど飢えかかっていたにもかかわらず,放棄された所有物を略奪せず,捨てられた農場からカサバを取って食べることさえしないのを見て非常に驚きました。
奉仕年度の終わりにも,依然として戦争状態が続いていました。6人のギレアデ卒業生はこの国のどこかにおり,支部事務所と連絡の取れない254の会衆と93の孤立した群れの兄弟たちを強め励まし続けられるようにと願っています。森に隠れたり,次々と場所をかえる兄弟たちはおよそ3,500人もおり,ともに集まることも,奉仕報告を送ることもできない状態です。
以前アメリカに住んでいて,最近までナイジェリアの一大学で教えていた無神論者のある教授が,聖書とエホバの証人に対して公然と軽べつを示していました。自分の大学の一学生がエホバの証人であることに気づいた教授は,授業中にその生徒をあざけっては喜ぶのでした。絶えずそのように挑発されながら平静を保つのは容易ではありませんでした。後日,教授はこの若い学生の取ったクリスチャン的な態度に感心したと述べています。兄弟がいつも信仰を示した結果,「創造者は存在する」との主題で,教授と討論することになりました。教授は,二人の科学者を含めた出席者の前で,神の存在しないことを証明するように求められました。彼は納得させる説明をすることができませんでした。次に若いエホバの証人はほとんど4時間も話し,協会の出版物から資料を引用して,創造者が存在することを証明しました。教授は謙そんになり,皆の前で謝罪しました。兄弟は教授をその地方の会衆の御国会館に招待したところ,教授はその招待を受け入れただけでなく,自分の学生たちにも一緒に行くように勧めたのです。次の日曜日,教授と39人の学生が御国会館に来ました。そのグループは何回も集会に出席しました。最近教授は米国に帰国しましたが,送別会の結びの話で,次のように言いました。「ナイジエリアで何を得たかと今尋ねられたら,こう答えます。『ナイジェリアに来たときは無神論者でしたが,ここを去る今は,改宗したクリスチャン,事実エホバの証人です』」。
たとえ逆境の下にあっても,定期的に続ける家族の聖書研究には効果のあることが,多くの妻を持つ男の「1番目の妻」である姉妹の努力によって示されました。夫があまり良い顔をしないにもかかわらず,彼女は子供に定期的に聖書を教えました。やがて「2番目の妻」も関心を示すようになり,自分が淫行の生活をしていることに十分気づいて夫から離れることを決意しました。そのため,「1番目の妻」にはすぐに暴力的な迫害がなされました。彼女の長男はなぐられて意識を失い,3人の年下の子たちは藪の中で寝かされました。彼女の実家はこれを聞いても,7年間のあいだ姉妹や子供に何の世話をしませんでした。それでもなお,姉妹は家族の聖書研究を続けようとやりくりしました。次第に変化が起こり,長男が述べるように,「母と研究を始めた人は最初はわずか7人でしたが,今では28人にもなっています」。定期的な家族の研究から得られる益は多くあるのです。
昨奉仕年度中,606人の人々は読み書きを学ぼうと決心して多大の努力を払いました。45歳の一姉妹は巡回のしもべに次のような経験を述べました。「わたしは1966年の初めにエホバの組織と交わり始めました。それまで私は文盲で,字を読めるようになるという希望を持っていませんでした。集会に出席しはじめたとき,会衆内の婦人のほとんどが聖書を読むことができるのに気づきました。深い感銘を受けた私は,読み書き修業課程に入ることを決意しました。目的を達成するために一生懸命努力した結果,6か月たたない内に,聖書にあるいくつかの単語がわかり始めました。1967年までには別の課程,つまり神権宣教学校に入学しました。エホバは私にすばらしい援助を与えてくださいました。勤勉な努力のおかげで,今では神のみことば聖書を読むことができるのです。現在,正規開拓奉仕をしている私には,多くの主婦に毎日読んで聞かせる機会があります。45歳であったにもかかわらず,絶え間ない努力によって文盲を克服することができました」。