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彼らはエホバの証人について真実を知ったものみの塔 1969 | 8月15日
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彼らはエホバの証人について真実を知った
母親が息子を尋ねて来ていました。彼女は腰を降ろしながら,息子の本棚に1冊の「ものみの塔」誌を見つけました。彼女はいすから飛び上がると走っていってその雑誌をつかみ,叫びました。「おまえはどこでこんなものを手に入れたんだい。この人たちはクリスマスを信じていないんだよ! クリスマスを信じない者となんか,金輪際つきあうんじゃありません!」 この母親はなぜこのような態度にでたのでしょう。彼女は自分が偽りの教えだと思っているものや,むすこと嫁を誤導すると彼女が考えている人々からふたりを守ろうと一生懸命だったのです。しかし,この母親は事実を知りつくしていましたか。エホバの証人がなぜ特定の休日を祝わないのか彼女は実際に知っていましたか。
つぎにどんなことが起きたでしょうか。母親はしばらく興奮していましたが,エホバの証人と聖書を学んでいる息子は,なんとか母親をなだめ,それから一緒にすわって,その日の午後中,いくつかの聖書の真理について母親と討論しました。母親は息子夫婦を自分の家へ夕食に誘い,3人はそろって出掛けました。彼らはその夜おそくまで神の真理について語り合いました。次の週末にはさらに討論が行なわれ,母親と妹は,むすこに聖書を教えているエホバの証人が来るまでそばに居て,もっと学ぶつもりでいました。
その時二人は以前「紙くず」と呼んでいた雑誌の予約を申し込みました。また二人は「新世界訳聖書」を求め,その夜まで,聖書を見たことも,さわったこともないことを告白しました。なぜこの人たちはそこまで変化したのですか。エホバの証人について本当のことを知ったからです。キリストが追随者にご自分の誕生日を祝うよう命令なさらなかったこと,またクリスマスは異教に根差しているということをふたりは知りました。では母親は何がもとでそのような偏見を抱いていたのでしょうか。あとになって彼女は正直にその理由を話しました。それによると,エホバの証人が特定の休日を祝わない理由がわからないので証人を憎むようになったということでした。彼女は事実を知るまで,この憎しみで盲目になっていたのです。彼女は家ではクリスマスを祝わないよと孫に話しました。
自分で調べる
人々は時おり,エホバの証人について間違ったことを聞きます。このような中傷的な言葉は人々を盲目にし,証人たちに対して恐怖心を抱かせます。しかし,すべての人が,聞いた事柄をすぐ信じるわけではありません。ある人々は聞かされた事がほんとうかどうか。自分で調べたいと思います。そのようにして彼らはエホバの証人について本当のことを知りました。たとえば,エホバの証人と数か月間聖書を勉強しているある夫婦の場合もそうです。妻のほうは自分たちが勉強していることを父親に書き送りました。どんな返事がきましたか。「エホバの証人とかかわりを持ってはいけない。証人は共産主義者だから」。
「共産主義者だって?」夫は大声で言いました。「そんなはずないよ,ぼくはそんなこととても信じられないね。共産主義者は聖書なんか信じていないよ」。
「でもあなた,わたしたち巻込まれるのはいやでしょう」と妻は言いました。
「よし,白か黒か徹底的に究明しよう。F・B・I(連邦検察局)に電話をかけるんだ」と夫は言ました。
夫がダイヤルを回すと,「こちらはF・B・Iです」と相手は答えました。
「実は」と夫は言いました。「私はエホバの証人と聖書を学んでおりますが,証人たちが共産主義者だということを聞きました。ほんとですか」。
大きな,よく聞こえる声で返事がかえって来ました。「とんでもありません! 証人たちはまちがったことをいろいろ言われて来ましたが,善良で正直な人たちです。共産主義者ではありません。太鼓判を押しますよ」。
「そうですか。どうもありがとうございます」。「私も証人になりたいと思っていましたので,今のご説明を大変ありがたく思います」と夫は答えました。この電話で事実が明らかになってまもなく,この若夫婦は浸礼を受けました。二人はエホバの証人にかんする事実を自分で調べたのです。自分で考えずに,人の言うことをうのみにするだけで満足しなかったのです。
証人たちの行ないが真実を語る
ある人々はエホバの証人がキリスト教国の他の宗派と同じだと思っています。そういう人々はエホバの証人が会員からお金をもうけることに熱心だと考えています。しかし,証人の行ないは,しばしばこの誤った考えを取り除きます。以下は,人が証人について真実のことを知ったひとつの例です。
「1950年代の初め頃,技師であった私の父は退職してシカゴに住んでいました。父はある建物を改造して御国会館にするのに多額の金を使って援助していました。私はそれがいやでたまらず,いまいましくさえ思っていました。どこかの宗派が一人の老人をうまくひっかけて,非情にもその貯えを全部巻きあげているのだと感じました。私は父を尋ねるたびに,父が御国会館に時間とお金を費やしていることをなじりました。すると父はにこにこしながら,『この事物の体制』に何が起ころうとしているかを私に語り始めるのが常でした。もちろん,私は父の話している事柄が理解できず,興味もありませんでした。
「そうした1958年のある日,私は父の様態が大変悪いという知らせを受けました。父は一人で住んでいたので,妻と私は,父の世話をするために父と一緒に住む計画を立てました。私はその日父のもとに行ったときのことを覚えています。エホバの証人の二人の婦人がきていて,父の世話をしていました。私はこんなに親切でやさしい婦人に会うのははじめてでした。しばらくして妻が台所の床をごしごし洗い始めました。彼女は8か月の身重なからだでした。ちょうどその時,エホバの証人のその地区の会衆の監督がその場にいました。驚いたことに,彼は妻からブラシを取ると,袖をまくり,よつんばいになって台所の床をこすり始めました。
「2週間後に父は亡くなり,その監督が葬式の話をしました。私はその話に驚き,もっと聞きたいと思いました。そして何が証人たちをこのようにしたのかつきとめたいと思いました。妻と私は証人たちと聖書を学び始めました。そして11か月後妻はバプテスマを受けたいと私に言いました。私もまた聖霊を与えて人々にこのような親切な行ないをさせるすばらしい神に自分の生命を献げたいと決心していましたが,そのことは妻には話しませんでした。3か月後私は浸礼を受け,数年後,私は父の属していた会衆の監督の補佐になりました。そのことをもし父が知ったら,どんなに喜んだことでしょう」。確かにクリスチャンの行ないは,これらの人々がエホバの証人について真実を学ぶ助けとなります。
期せずして牧師も援助
エホバの証人を押えようとする牧師の努力が,かえって反対者に証人についての真実を知らせることがよくあります。そうです,牧師たちは期せずして,エホバの証人が神のみ言葉である聖書から真理を教えているということを反対者に教えています。ウィスコンシンではこういうことがありました。
「私の妻は大学まで通してカトリック系の学校に行き,熱心なカトリック信者でした。エホバの証人が約束どおりにやって来たとき,妻は家から走り出ました。証人が帰るともどってきて,他宗派の者は寄せつけないという態度をとりました。それで私は自動車で近所の家まで出かけて聖書を勉強しなければなりませんでした。私は学んだことを妻に話しました。妻はそのことを司祭に話し,司祭はエホバの証人をばかにして笑いました。『世の終わりですか』司祭は笑って言いました。『あの人たちは何年もそれを伝道しているんです。いつになったらくることやら!』
「この最後の言葉で妻は考え始め,エホバの証人がまちがっているという証拠を示してくれるように司祭に頼みました。司祭はそうすることを約束し,彼女に哲学書をいく冊か渡しました。その後私は自分の家で勉強をする必要が生じたので,妻に司祭を招くように頼みました。彼女は頼みを聞いてくれました。司祭はやって来ませんでしたが,司祭を待つあいだ妻は私たちの話を聞いていて,それがたいへん興味深いことに気づきました。それでも妻は司祭に自分の信仰を弁護してもらうことを決心していたので,ついに司祭の家で集まることになりました。
「討論のあいだ司祭は三位一体の証明を試みました。しかしそれはむなしい努力で,聖書の言葉はその逆を証明するばかりです。私がヨハネ伝 17章20-22節について質問すると,司祭は顔を赤らめてこう答えました。『私はそれに答える用意がありません』。
「『これまでずっと[40年間]司祭をしておられたのにご存じないのですか。私たちはほんの3か月ほどエホバの証人と学びましたが,知っています』と私は言いました」。
「それから,ほんとにびっくりすることが起こりました。妻は司祭の方に向くと『私はあなたの教会と手を切ります』と言ったのです。彼女は親威がひどく反対することを知っていましたが,その決心をしました」。そうです,彼女は聖書の真理を教えているのがだれかわかってきたのです。
人がエホバの証人について真実を知るのを牧師が知らずに助けたという,もう一つのでき事がスペインでありました。ある人が証人と聖書の勉強を始めましたが,その妻は証人が「プロテスタント」だと思ってこれに頑固に反対しました。彼女は夫が証人と勉強するのを止めさせようとあらゆる事をしました。カトリックの親威に夫を説得させたり,証人が勉強に来ると警察を呼ぶとおどしたりしました。このおどしはききませんでした。その男の人は他の場所で証人と勉強をしたからです。彼は急速に進歩しました。
妻は子供を連れて出て行くといっておどし,実際に出てゆきました。しかし2週間たつと帰って来ました。その後この人の親威が尋ねて来ました。その人たちもまたエホバの証人と聖書を学んでおり,自分の町で開かれる集会に出席していました。日曜日になるとこの親威はみなその土地の集会に行きたいと言い,奥さんにも一緒に行って証人のことを調べてみたらどうかとすすめました。彼女はその人たちと行くことにしました。
彼らの知らなかったことですが,その日に土地の司祭が証人たちの集会場所を知り,集会を止めさせようとして警官に知らせました。警官が来て,反対している奥さんも含め全員を逮捕しました。彼女は,自分がエホバの証人の仲間ではなくて,実際には,証人にたいへん反対しているのだということを知ってもらおうと一生懸命警官に説明しました。警官は彼女が逮捕を逃がれようとして作りごとを言っているのだと考えました。
彼女はほかの証人たちと刑務所に入れられました。ところが,このことが,エホバの証人はまことのクリスチャンであり,司祭の行動はひじょうにクリスチャンらしくないということを彼女に気づかせることになりました。この奥さんは,証人たちと一緒に釈放されるとすぐ,聖書を教えて下さいと証人に頼みました。そしてすべての集会に出席するように取り決めました。この女の人は急速に進歩し,まもなくひと月に多くの時間を費して聖書の真理を教えるようになりました。
ほんとうに,正直な心の持主がエホバの証人について真実を知るなら,彼らの生活は変化します。そのような人々は,今日エホバの証人が行なっているわざにあずかりたいと思います。以前神のしもべに反対した多くの人々が,今やただ一つのまことの宗教のみが存在する楽園の地で唯一のまことの神を崇拝する希望に喜ぶ人々の隊伍に加っています。
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『こうべを上げ』て救いを知らせるものみの塔 1969 | 8月15日
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『こうべを上げ』て救いを知らせる
エホバの証人の1969年度年鑑より
フィリピン
人口: 35,000,000人
伝道者最高数: 42,239人
比率: 829人に1人
昨年フィリピンの兄弟たちはすばらしい熱意を示しました。時の短いことを感じ,また他の人々を援助したいという心からの願いに動かされ,奉仕時間,再訪問,家庭聖書研究,文書の配布などの面でこれまでのどの年よりもよい記録を残しました。
ノア兄弟が5月に4日間この国を訪問したことは,ほんとうに忘れがたいできごととなりました。兄弟たちや関心を持つ人々がノア兄弟の話を聞くため全国からマニラに集まり,聴衆はなんと9669人に達しました。
あなたは時々,区域で伝道があまりよく行なわれているので,関心を持つ人はもうほとんど見いだせないのではないだろうかと感じておられますか。コーディレラ山脈の高地のある会衆ではこのことが現実の問題となっています。その町は人口3000人で,ここには二つの会衆があり,合計150人の伝道者が奉仕しています。なんと20人に一人の割合でエホバの証人がいるのです! ある村では43軒のうち40軒は証人の家です。この問題が巡回のしもべに持ち出された時,しもべは,近くに区域がないから,今住んでいる村でさらに時間を費やし,親族や隣人が真理を学ぶのを助けるようにと提案しました。この提案によく従った結果,しもべの次の訪問の時には,20人の関心を持つ人々が集会に出席しており,伝道者は88人から95人に増加していました。そしてこの伝道者たちは1か月に平均13時間奉仕していました。関心を持つ人のうち14人が次の巡回大会でバプテスマを受けました。
子供たちが良心に従ったため公立学校に入学することを拒否された例がありましたが,家庭でそれらの子供を教えた親たちは豊かに報われています。一人の監督は協会の出版物を用いて自分の3人の子供に読み書きを教えました。後日,比較的寛大な教育委員の取りはからいで入学を許可されたとき,その子供たちは1年生のクラスに入れられました。しかし,2週間後には2年生になり,さらに3年生に編入され,その子供の一人は1年生の受け持ちの先生を助けてそのクラスで教えています。これは,子供たちがたとえ学校教育を受けていても,親は家庭で子供たちを教えなさいという知恵のことばの尊さをよく表わしています。―申命 6:6,7。
特別開拓者の一夫婦から寄せられた次の手紙から,エホバの証人の「年鑑」の価値を知ることができます。「私たちは一人の大学生と聖書研究をしていましたが,その下宿の女主人は偏見のため,その学生に下宿から出てほしいと言いました。その学生は別の学友とともに,私たちのところに泊めてほしいと頼んできました。私たちは,二人が家族の一員となって,私たちの生活の日程に従ってくれるなら泊めることができると告げました。こうして,毎朝二人はすわって聖句の討議を聞くことになりました。4日目に二人はいろいろ質問しはじめました。時には討議が45分も続くこともありました。このように討議して2週間後,その学生の友だちは集会に出席しはじめました。第4週目に彼はカトリック教会との関係を断ち,私たちの聖句の討議を聞きはじめてから1年余の今では,バプテスマを受けた伝道者となり,休暇開拓者として1か月奉仕しました。卒業後は正規開拓者になる計画をしています」。
一人の休暇開拓者の次のような経験は,宣教において子供たちを無視してはならないことを示しています。親が不在だったので,一人の姉妹は家にいた二人の少女に短い証言をしました。二人は雑誌を求め,関心を示しました。父親はその子供たちが真理に興味を持つことには反対でしたが,二人はその開拓者と勉強し,御国会館の集会に出席しはじめました。子供たちが進歩するにつれ,両親は二人の行ないがたいへん変化したことに気づきました。その子供たちは両親をいっそう敬い,行儀がよくなったので,両親は喜びました。ある日,二親が子供たちと一緒に集会に来たので,聖書研究が取り決められ,今では家族全員がエホバに献身しています。もし子供たちに話しかけなかったなら,なんという機会を失っていたことでしょう。
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